抜書き帖 言葉・文学・文学教育・その他
  
 ナチスへの抵抗――フルトヴェングラーの場合 (続き 下巻より) (見出しは当サイトで付けました。)
  

サム.H.白川
(藤原啓介、加藤功泰、斎藤静代 訳)

『フルトヴェングラー――悪魔の楽匠』(下巻)より

=アルファベータ 2004.11




 フルトヴェングラーは、ナチスから考えられる限りの地位を押しつけられようとしていたが、それをすべて断っていた。このため、とくにこの時期、オーストリアで公式の任命を受けることにきわめて慎重だった。彼はまた、なんらかの権威がオーストリアから与えられさえすれば、ゲッベルスやその暴力チームと取り引きできることも分かっていたが、思いをめぐらす時間はほとんどなかった。すでにウィーン・フィルハーモニー内部でのユダヤ人演奏家たちの粛清が始まっていて、最高水準の演奏家が一日一日オーストリアを脱出していた。フルトヴェングラーは、オーストリア、とくにウィーンが文化的にますます不毛の光景になっていくのを見て、恐らく他のどのドイツ語圏の都市よりも偉大な音楽の伝統のあるウィーン文化を保護するために、自分の威信の残った部分を活用することこそ、今となっては自分の義務である、とかつてないほど痛感した。(「第十五章 おぞましい任務――その二」 p.15)

 
(中略)

 ウィーン・フィルハーモニーの団員は、フルトヴェングラーがウィーンに来てくれたので気が楽になったが、それでもナチスに敬意を表する目に見える標識を作るべきではないかと感じた。あるとき、フルトヴェングラーは鉤十字章旗が歌劇場を装飾しているのを目にすると、当然のこととして理事会に、「あのぼろ布があの上のほうにある間は、私はリハーサルを始めませんよ」と申し入れた。他にもエピソードがある。フルトヴェングラーが着任して間もなく、首席クラリネット奏者ルドルフ・イェッテルの代わりに他の者がいるのに気付いたので、彼は、イェッテルはどうしたのかねと尋ねた。これに対して人事担当マネージャーが「ある事情により」イェッテルは辞職しました、とささやいた。その「事情」とは、このクラリネット奏者の妻が生粋のユダヤ人だったことである。フルトヴェングラーは激怒した。「クラリネットを演奏するのは、この人の奥さんではないでしょうが!」。次のリハーサルにはイェッテルは席に戻った。このような出来事は、フルトヴェングラーが第三帝国時代の初めから終わりまで、命がけで戦い続けたもっとも激しい戦闘を物語る無数のエピソードの一つに過ぎない。
 フルトヴェングラーはオーケストラのユダヤ人団員の中にオーストリア出国が不可能になった人がいると知らされると、みずから直接出かけて行って、その人が出国ビザを必ず受けられるようにした。このようなことをすれば、才能のある人材の代替を見つけ出すことがますます困難になっていくであろうに、それを十二分に承知した上でのことだった。また、自分で公に援助できない人については、ひそかにその脱出を助けた。彼はふだんからウィーン・フィルハーモニー内部のユダヤ人を公然と援助しようと努めていたが、それはまさに格別に危険なことだった。オーケストラの演奏者の多くがナチスだったからである。彼らはゲシュタポへ通牒するだけで、フルトヴェングラーを強制収容所に入れることもできたはずであり、またそうでないとしても、ユダヤ人の脱出を不可能にすることぐらい、できたはずだった。しかし演奏者たちはそうはせずに、フルトヴェングラーが苦労しているのに気づかないふりをするだけだった。フルトヴェングラーの側でも、オーケストラ団員のほぼ全員が立派な徴兵有資格者だったのに、軍務に不適であると申告できるようにした。
 「水晶の夜」事件以後、追放や迫害が増えるにつれて、フルトヴェングラーはユダヤ人であろうとなかろうと、求める人をためらうことなく助けた。そのことが彼にとって休む暇もないほどの忙しい仕事になり、戦争が終わるまで続いた。英語圏の国で一部の影響力ある人物たちは、フルトヴェングラーが自分に何ら利益にならない人であっても何らかの形で助けたことを否定している。しかし、それはまったく事実に反していて、それを証明する証拠は山ほどある。
 その一例として、ベルリン・フィルハーモニーにいた生粋のユダヤ人演奏者を、彼らが自らの意志で出国しようと決意するまで保護していたことがあげられる。ベルリン・フィルハーモニーを去った最後の人は、ニコライ・グラウダンだった。一九九一年四月、グラウダンの寡婦ヨアナは、一九三六年の初めに自分たちがベルリンを立ち去ったときの状況について私に話してくれた。
 夫はオーケストラに残った最後の生粋のユダヤ人で、死に物狂いでベルリンを離れたがっていましたが、フルトヴェングラーが彼に留まるように懇請し続けました。それというのも、夫が首席チェロ奏者としてベルリン・フィルに残っている唯一の人物で、そのことがナチスの人種政策に抵抗する実例として役立っているからでした。ですが、ついに一九三五年のある夜、ヒトラーと配下の無頼漢が大挙して演奏会にやって来ました。そしてオーケストラの団員たちは、彼らが着席するときにナチ式敬礼をするよう告げられたのです。でも、夫はそれができませんでした。後になって夫が私に話したことですが、フルトヴェングラーはナチ式敬礼をせずにすむように、指揮棒を手にして登場しました。それからただそっけなく頭を下げ、くるっとまわってさっそく指揮を始めました。まさにその夜、私たちは自分の部屋をロックして、それから親戚の人にキーを預けて、ベルリンから、そしてドイツから永久に立ち去りました。私たちは持っていたものをすべて、本当にすべての物を置き去りにしました。[筆者に直接語った話。1991.4.19](「第十五章 おぞましい任務――その二」 p.16-19)

 (中略)

 ユダヤ人を援助することが死罪に値するようになっても、また単なる嫌疑であっても人々が公然と絞首刑にかけられていたときでさえ、フルトヴェングラーは、自分を頼ってきた人は誰でも助けた、あるいは助けようと努めた。その生命が危険にさらされていた何百もの人々が、演奏会後、助けを求めてフルトヴェングラーの楽屋の前に列をなした。彼は誰であろうと決して顔を背けず、一人一人に直接または間接的にできるだけのことをした。彼の援助した人の数が百人を超えているとの証拠を発見したのは、フレート・K・プリーベルクである。 (「第十五章 おぞましい任務――その二」 p.22-23

 (中略)

 ゲシュタポの目と耳が至るところに張りめぐらされていた。人々の姿は消えていった。祖国がまっさかさまに地獄に向かって転がり落ちているとき、フルトヴェングラーには、何ができたのか。もし真の音楽の王国が政治を超越したところにあるならば、どのような救済の手だても与えられない人たちに誰かが力を貸して、その王国を開かれたままにしておかなければならない。彼はこう考えた。政治的な抵抗運動に加わる気はなかったが、演奏会活動そのものが、ヒトラーと全体主義に抵抗する自分なりの意志表示となっていた。フルトヴェングラーはそのように自分が運命づけられていると考えた。
 このような形の反乱は、ゲシュタポの力の及ぶ範囲を超えたところに存在していたため、それを突き止める具体的な方法がなく、ゲシュタポもそれを容易には終わらせることができなかった。フルトヴェングラーの王国は、聴覚の中に、暗示の中に、無形のものの中にあった。音楽の不可触性のおかげで、その独特の抵抗も目には見えなかった。フルトヴェングラーが政権に突きつけた風変わりな形の挑戦が異常に長続きした秘密は、案外ここにあったのかもしれない。作家や視覚芸術家の場合、証拠は作者自身の作り出す作品の中から取り出すことができるが、フルトヴェングラーを「現行犯で」捕えることは事実上不可能だった。
(「第十六章 悪魔の誕生日」 p.46)
 
 (中略)

 ゲッペルスはフルトヴェングラーを積極的に政治的行事に参加させようとしたが、フルトヴェングラーはあらゆる手を尽くして、この企みから逃げた。しかし音楽での抵抗というやり方は単なる逃避ではなく、音楽の公演、とくにドイツの巨匠のの作品を公演するという行為自体が政権に対する抵抗を示すものとなり、演奏会の奥に秘められた謀叛の意志は聴衆に感銘を与え、永く記憶に留められた。はるか後になって、ドイツの作家ルドルフ・ペーフェルははフルトヴェングラーに語った。「抵抗運動の中で、あなたこそ真にヒトラーに抵抗した唯一の音楽家であり、またあなたは我々の仲間であるという点で我々の意見が一致しました」。もう一人の抵抗運動の同志、ゲルト・カーニッツ伯爵はよく言っていた。「フルトヴェングラーの演奏会で我々はみな一つのレジスタンス戦士の家族になりました」。実際、フルトヴェングラーは指揮するたびに、聴衆を独自の抵抗へと引っ張っていった。
(「第十六章 悪魔の誕生日」 p.52)

 (中略)

 この時期[一九四四年]について、一九八九年に夫人は私にこう回想した。

 ヴィルヘルムはこの戦争がもうそれほど長くは続かないと考えていました。ナチスがロシアに侵入したときすぐに、この戦争がドイツの敗北で終わるだろうと思ったのです。アメリカが参戦するとすぐに、彼は数週間の問題だと考えましたが、心の中では恐ろしい葛藤に苦しんだのです。祖国の敗戦を望むなんて、それは辛いことですから。しかし、敗戦こそドイツがナチスから解放される手っ取り早い方法と考えて、納得しました。でも、実際にはもちろんそのような形にはなりませんでした。
 ヴィルヘルムがただ一度だけ連合国軍を呪ったことがあります。連合国軍が都市を、とくにドレスデンを爆撃したときのことです。私に向かって大声で叫びました。「なぜだ。まったく不必要なことだ。連合軍はいずれ間もなく両側から近づいてくるのに、なぜドレスデンのように美しい都市を壊さなければならないのだ」。
(「第十六章 悪魔の誕生日」 p.65)


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