《資料》 文 学 の 仕 事 ―― 諸家の文学観に学ぶ
 

   サルトル 『文学とは何か』  ( J-P. Sartre : Qu'est-ce que la littérature? , 1948 )より


一 書くとはどういうことか

■作家の仕事は意味に係っている。とはいっても作家の仕事には次の区別がある。即ち、記号の帝国は散文であり、詩は絵や彫刻や音楽の側にあるということだ。(…)詩は散文と同じ仕方では言葉を使用しない。いや、詩は全く言葉を使用(、、)し(s'en servir)ないのである。むしろ詩は言葉に奉仕する(servir)ものだといえよう。詩人とは言語を利用する(、、、、)ことを拒絶する人間である。ところで真理の探究が展開されるのは、或る種の道具として考えられた言語の中で、またそのような言語を通じてであるから、詩人たちが真実を見わけ、それを説明することを目的としていると思い込んではならない。(…)詩人は語らない。しかし沈黙もしない.その二つは別のことである。彼らは奇怪な配合によって言葉を破壊しようとしていると言われているが、それは誤りだ。そうであれば彼らは実用的な言語のまん中にすでに放り出されていなければならず、実用的な言語から言葉をひき離すために、奇妙なくみ合せをつくらなければならない。たとえば「馬」と「バター」を、「バターの馬」(sheval de beurre)とならべることによって*[原注:これはバタイユが『内的経験』のなかで引用した例である。]。このような企てが無限の時間を必要とするのであろうことは別としても、一方実用的な面にとどまり、言葉を用具と見做しながら、しかも同時に言葉からその用具としての性質を奪うことは不可能である。事実、詩人は道具としての言葉と一挙に手を切って、詩的態度を選んだのであり、詩的態度とは言葉を記号としてではなく、ものとして考えることである。なぜなら記号には、ガラスのようにそれを意のままに横切り、それを通して意味されたものを追求もできるし、或いは視線を記号そのものの現実(、、)へ転じ、それを対象とみなすこともできるという二面的性質があるからである。語る人間は、言葉の彼方に、対象のそばにある。詩人は、言葉のこちら側にある。前者にとっての言葉は、飼いならされている。後者にとっての言葉は、野生のままである。前者にとってそれは役に立つ約束であり、次第に使い古されてもはや役に立たないというときには棄てることのできる道具である。後者にとってそれは草や木のように地上におのずから成長する自然のものである。(…) p.19-20 [太字は引用者]

■詩人がはっきりした社会的立場をとりえないということが、散文家に立場をとることを免じる理由となろうか。彼らの間には共通な何かがあるか。散文家は書く、そのとおりだ。そして詩人もまた書く。しかし書くというこの二つの行為の間には、文字を跡づける手の運動以外に共通なものはない。その他の点では、彼らの宇宙は交流することができず、一方にとって価値あるものは、他方にとって価値がない。散文は、本来実用的なものである。私はすすんで散文家を言葉を利用する(、、、、)人間として定義しよう。(…)作家は語る人(、、、)である。彼は指示し、説明し、命令し、拒絶し、質問し、嘆願し、侮辱し、説得し、暗示する。効果がなかったとしても、かといって詩人になるというわけではない。何も語らぬために語るとしても、語る者は、散文家である。(…) p.26

二 何故書くか

[作者が]自分自身のために書くというのは真実ではない。もしそうすれば、最悪の失敗を招くことになるだろう。紙の上に己れの感動を投げ出しながら、それをひきのばすなどという退屈な仕事はまずできない。創造するという行為そのものは、作品制作の不完全で抽象的な一つの契機にすぎない。作者しかいないとすれば、作者は欲するままに書けるだろうが、対象(、、)としての作品は決して陽のめをみないだろうし、作者はペンをおくか絶望するほかはないだろう。しかし書くという操作からは、当然、その弁証法的相関者としての読むという操作がみちびきだされる。そして二つの関連した行為のためには、二つの異なる主体が必要となる。精神の作品というこの具体的な想像上の対象を現出させるためには、作者と読者とのむすびつけられた努力が必要である。他人のための、また他人による芸術の他に芸術はありえない。(…) p.52

■創造は読書のなかでしか完成しない。芸術家は自分のはじめた仕事を完成する配慮を他人に任せなければならないし、読者の意識を通じてしか、自分を作品に本質なものと考えることができない。従って、あらゆる文学作品は呼びかけである。書くとは、言語を手段として私が企てた発見[開示]を客観的な存在にしてくれるように、読者に呼びかけることである。そして、その呼びかけが読者の何に(、、)対してであるかと問われれば、答は至って簡単である。本のなかには、それだけで美的対象を出現させることのできる十分な理由はなく、ただそれをつくりだすことをうながす理由があるだけである。また、作者の精神のなかにも十分な理由はなく、作者はその主観性の外へ出ることができないので、彼の主観性は客観性への移行を説明することができない。それ故、芸術作品の出現は、出現以前に与えられた条件によって説明される(、、、、、)ことのできいない新しい事件である。この方向づけられた創造は、全く新たにはじめられたものであるがゆえに、最も純粋な状態における読者の自由によって果たされる。かくして作家は、読者の自由に呼びかけて、読者が自由に作品の制作に参加することを求めるのである。(…) p.55-56

■ラスコルニコフは、私が彼に対して感じる反発や友情の混合がなければ、単なる影にすぎず、彼をして生命あらしめるのはこの混合である。しかし、想像された対象に固有な性質である逆作用によって、私の怒りや尊敬を喚起するのは彼の行為ではなく、私の怒りや尊敬こそ彼の行為に持続性と客観性とを与えるものである。かくして、読者の感情は決して対象によって支配されず、いかなる外的現実によっても条件づけられず、その源泉は常に自由のなかにある。別の言葉でいえば、これらの感情は高邁である。――私は自由から生れ、自由を目的とする感情を高邁と呼ぶ。かくして読書とは、高邁な心の行使である。作家が読者から要求するものは、抽象的な自由の適用ではなく、読者の全人格をそっくり贈与することである。(…)/作者は、このように、読者の自由に向って書き、読者にその作品を存在させることを要求する。(…) p.59-60

■書くという決心は、作者に、自己の感動から一歩退いた距離をとらせたはずである。一言で言えば、私が読みながら私の感動を自由なものにするように、作者は作者の感動を自由な感動に変形したはずであり、別の言葉でいえば、作者の態度は高邁であったはずである。このように、読者とは、作者と読者との間で結ばれた高邁な心の契約である。そのおのおのが他方を信頼し、他方に期待し、相手が彼自身に要求るだけ、相手に要求する。そのような信頼そのものが、高邁な心である。誰かが作者をして、読者が読者みずからの自由を用いるだろうと、信じさせるわけではない。また誰かが読者をして、作者が作者自身の自由を用いたと信じさせるわけでもない。彼らがお互いに相手を信じるのは、自由な決断による。(…) p.63-64

■創造的行為の目的は、若干の対象をつくりだすことによって、或いはふたたびつくりだすことによって、世界の全体を取り戻すことである。おのおのの本は、存在の全体を取り返し、その全体を、観察者の自由に向ってさし出すのである。なぜなら、これこそ芸術の究極の目的だからだ。この世界をあるがままに、しかしその源が人間の自由のなかにあるかのように、見させることによって、世界を取り返すのだ。(…) p.65

■書くとは、世界を発見[開示]することであると同時に、この開示を読者の高邁な心が果すべき仕事として提出することである。自己を存在の全体にとって欠くべからざる(、、、、、、、)[本質的な]ものとして認めてもらうために、他者の意識に訴えることである。その不可欠性[本質性]を、人を介して生きようとのぞむことである。しかし他方、現実的世界は行為においてしか啓示されないので、人は世界を変えるために世界を乗り越えることによってしか世界を感じることはできないので、小説家のつくり出す宇宙は、これを超越しようとする運動のなかで発見されるのでないとすれば、厚みを欠くことになる。(…) p.68

■文学と倫理とは全く別なものであるが、美的命令の奥底には、倫理的命令がみわけられる。何故なら、書く者は書くという苦痛をみずからに与えることそのことによって、読者の自由を認めているがゆえに、また読む者は本をひらくというただそれだけの事実から作者の自由を認めているがゆえに、芸術作品はどの面からみても人間の自由に対する信頼の行為であるからだ。(…) p.70

三 誰のために書くか

■一見したところ、疑いの余地はない、われわれは読者全体[普遍的読者]のために書く。現に我々は作家の要求が原則としてすべて(、、、)の人間にむけられていることを見てきた。しかしさきに述べたことは、観念的であり、実際には、作家が語るのは、埋没して、仮面をつけ、自在さを失った自由に対してであることを作家は知っている。作家の自由そのものも純粋ではないから、それを純化する必要があり、彼は彼自身の自由を純化するためにも書く。そこで、永遠の価値を急いでもち出すことは、容易だが危険である。永遠の価値には全く肉体がないからだ。自由そのものも、もしそれを sub specie aeternitatis (永遠の相の下に)見るならば、枯れた枝にすぎない。自由は、海の波のように、絶えず寄せては返すものだからだ。自由とは、それによって人が自己を離れ、自己を解放することをやめない運動以外の何ものでもない。与えられた自由というものはないので、われわれは、情念や人種や階級や民族に打勝って自己を獲ち取らなければならないし、また自己とともに他の人間の心をも獲ち取らなければならない。(…) p.75

■作家は、消費するが生産しない。ペンによって社会の利益に奉仕しようと決心した場合にも、そのことに変りはない。その作品は無償的であり、従って、値ぶみすることができない。作品の市場価値は勝手に定められる。ある時代には年金を与えられ、また他の時代には本の売上のパーセンテージをもらう。しかし旧制度下で詩と王室年金との間に共通の尺度がなかったのと同様、今の社会で精神の作品とパーセンテージの報酬との間に共通の尺度はない。結局のところ作家は支払われているのではなく、時代によってよくもわるくも養われているのである。その活動が無益(、、)である以上、その他のありようはない。(…) p.87

[一七世紀の作家、たとえば]ラ・ブリュイエールは農夫について(、、、、)語ることもあったが、農夫()語ったことはない。農夫たちの悲惨さに注意したとしても、それは彼自身がうけいれたイデオロギーに反対の議論をそこからひきだすためではなく、そのイデオロギーの名においてであった。悲惨な農民は、啓蒙された君主たちやよきキリスト教徒にとっての恥辱だからだ。かくして人々は大衆の頭上で大衆について語り、文章が大衆にとって大衆自身の意識を獲得するために役立つかもしれないということには思いも及ばなかった。そして、読者の均質性は、作家の魂からあらゆる矛盾を追放したのである。現実には存在するが好ましくない読者と、望ましいが手の届かない読者との間に、作家たちがひき裂かれるようなことは決してなかった。彼らが世界のなかで演ずべき役割については、問題さえも提出されなかった。なぜなら作家が彼自身の使命をみずからに問うのは、作家の使命が明瞭に描かれていない時代、それを発明するか再発明するかしなければならぬ時代、すなわち作家が、選良の読者のかなたに可能な読者の形をなさぬ一団をみとめ、彼らを獲得するかしないかをみずから定めうる時代、また可能な読者に手の届く機会が与えられれば、その読者との関係をみずから決定しうる時代のみだからだ。しかし一七世紀の作家たちの機能は限定されていた。彼らは絶えず彼らを支配する厳密に限定された能動的で教養のある読者に向って書いていたからだ。民衆には知られず、彼らを養っている選良にその像を送り返すことだけが仕事であった。(…) p.94-95

■一七世紀には、書くことを選ぶことによって、限定された一つの職業と、そのこつや規則やしきたりや職業の等級のなかでの己れの位置を選んでいた。一八世紀には、そういう枠組が破れ、すべてが新たにつくるべきものとなった。精神の作品は、もはやきまった規準に従って多かれ少かれ巧みに製作されるものではなく、それぞれ特殊な発明となり、文学の本質と価値と影響とに関する作者の決意のようなものとなった。それぞれの作家に、固有の規則があり、みずからそれによって判断されることを願う原理があった。それぞれの作家が、文学の全体を拘束(アンガジェ)し、その新しい道をきりひらくと主張した。(…) p.107

■一八世紀の作家がその作品のなかで絶えず要求したのは、歴史に対して反歴史的な理性を行使する権利であった。その意味では、彼らは、抽象的文学の本質的要素を明らかにしただけである。彼らは読者にもっとはっきりした階級的意識を与えようとは考えなかった、むしろ逆に、ブルジョアの読者に対する彼らの執拗な呼びかけは、彼らの屈従や偏見や恐怖を忘れさせようとするものであり、貴族の読者に対する呼びかけは、その身分によるほこりや特権を捨てさせようとするものであった。作家は、自己を普遍的にしたのであるから、普遍的な読者しか持ち得なかった。同時代の人々に対して作家が要求したのは、彼らが、歴史的な絆を破り、作家と共に普遍的な世界に生きることであった。(…) p.107-108

■作家はその出身階級に彼を結びつけている絆を破ったと信じ、普遍的人間本姓の高みから読者に語った。従って、読者に対する呼びかけも、読者の不幸に参与するその役割も、作家にとっては、純粋に高邁な心の命令であると思われた。書くとは与えることであった。作家が働く社会に寄生しているという状況には、承認できないものがあったにも拘らず、作家がそれをひきうけて救うことができたのは、そのためである。また、作家が文学的創造を特徴づけるあの絶対的自由、あの無償性を自覚したのも、そのためである。(…) p.110

■その
[作家の]批判がまず第一に向った対象は、制度や迷信や伝統であり、また伝統的な政府の行動であった。別な言葉でいえば、一七世紀のイデオロギーの建築を支えていた<永遠>と<過去>との壁に亀裂が生じ、その壁が崩れおちていたから、作家は時間的なものの新しい次元である<現在>を、その純粋状態で見出したのだ。以前の数世紀間には、<現在>は、或いは<永遠>の感覚的な姿とみなされ、或いは<古代>の色あせた発現とみなされていた。未来に関しては、一八世紀の作家もまだ漠然とした観念しか持っていなかったが、彼らは、現に生きつつあり、過ぎていくこの時間が、唯一のものであり、自分らのものであるということ、古代のもっとも壮麗な時代もまずそれが現在であることからはじまったのだから、この時間もその時代にくらべて少しも劣らないということを知っていた。作家の機会は現在にある、機会を逃がしてはならない、ということを彼らは心得ていた。彼らが、なすべき戦いを未来社会の準備と考えるよりはむしろ、直接の効果を求める短期の企てとみなしたのはそのためである。時を失せず宣告を破棄しなけらばならないのはこの制度であり、直ちに破壊しなければならないのはこの迷信であり、今日矯正しなければならないのはこの特殊な不正であった。このように情熱的な現在の感覚が、作家を観念論から守った。(…) p.110-111

■こうして、読者の激動とヨーロッパ的意識の危機は、作家に新しい機能を授けた。作家は文学を高邁な心の恒常的な行使と考えた。大貴族たちの狭量で厳格な監督にいまだ従っていたが、作家は己れの足下に、形をなさない情熱的な期待、彼ら自身を検問から解放するであろう、より女性的でより未分化な欲求のあることをみとめた。作家たちは、精神的なものを非肉体化し、精神の立場を死にかかったイデオロギーの立場から分離した。彼らの本は読者の自由への自由なよびかけとなったのである。(…) p.111

■作家たちが心からよびかけたブルジョアジーの政治的勝利は、作家の条件を根底からくつがえし、文学の本質までも疑問のなかに投じた。作家は大変な努力をして、ただ自己の破滅をより確実に準備したにすぎないとさえいえるかもしれない。文学の立場を政治的民主主義の立場に一致させることによって、彼らは疑いもなくブルジョアジーが権力を奪取するのを助けた。しかし同時に、勝利をおさめたときには、彼らの要求の対象、別の言葉でいえば彼らの著作のほとんど唯一の永久の主題が消えるのを見なければならなかった。一言でいえば、文学本来の要求を、抑圧されたブルジョアジーの要求に結びつけていた奇蹟的な調和は、その両方が実現されたときに敗れた。何百万の人間がその感情を表現できずにくやしい思いをしていたときには、自由に書く権利、すべてを検討する権利を要求するのは立派なことだった。しかし、思想と心情の自由、政治的権利の平等が獲得されるや否や、文学の擁護は誰の興味も惹かない純粋に形式的な仕事となった。何か他のものを発見する必要が生じた。(…) p.111-112

■作家たちは、金の卵を生む雌鶏を殺した[目先の利益のために元も子もなくした]と考えた。一方、ブルジョアジーは抑圧の新形式をつくりだした。しかし彼らは寄生者ではなく、なるほど生産手段は横領したけれども、生産の組織と生産物の再分配を調節することには、全く勤勉であった。彼らは文学作品を、利益を離れた無償の創造とは考えず、有償奉仕と考えた。
 この勤勉で非生産的な階級を正当化する神話が、功利主義(、、、、)である。(…)芸術作品も、その功利的な循環のなかに入り、まじめに扱われることを望むならば、無条件の目的の天上から降りて来て、実用的になることに甘んじなければならない、即ち手段を調節する手段とならなければならない、すなわち手段を調節する
[ことに力をつくすブルジョアジーの]手段とならなければならない。殊にブルジョアは、その力は<神意>の命令の基づいているわけではないから、自分自身に確信をもてないので、文学はブルジョアを助けて、ブルジョアであることが神聖な権利であると感じさせなければならない。かくして一八世紀には特権階級のやましい意識を代表していた文学が、一九世紀には抑圧の階級の充ち足りた意識になりかねなかった。作家が、前世紀に彼の幸運と自尊心とを生んだ自由批判の精神を失わずにいたらまだよかったであろうが、読者がそうはさせなかった。ブルジョアジーは、貴族の特権に対していた間は、破壊的な否定性に満足していたが、権力を握ると建設に移り、文学にも建設への援助をもとめた。(…) p.112-113

■ブルジョアの指導者は、学者が奇蹟を信じないと同様に人間の自由を信じなかった。しかもブルジョアの倫理は功利的であったから、ブルジョア心理学の原動力も利益となった。もはや作家にとって絶対的な自由への呼びかけとして作品を提出することは問題でなくなり、彼自身を決定する心理学的法則を、彼自身と同じように決定されている読者に示すことだけが問題となった。
 観念論、心理主義、決定論、功利主義、くそまじめな精神、――それが、ブルジョア作家が読者に対してまず反映しなければならないものであった。(…)心のもっとも親密な運動を自分の自由の奥底に再発見することも要求されず、自分の<経験>を読者のそれと突き合わせることが要求された。作品は、ブルジョアの所有財産目録であると同時に、心理学的鑑定書であり、それは常に選良の権利を基礎づけ、制度と礼儀作法の知恵を教えるものであった。(…)読者は不意打ちを怖れずに、眼をつむって買うことができたが、文学は殺された。(…) p.117

■最良の作家は、
[時代の要求する文学を]拒絶した。その拒絶は文学を救ったが、その後五〇年間の文学の特徴を決定した。事実一八四八年から一九一四年の戦争まで、読者の根本的な一体化は、作家をして、原則としてはあらゆる読者に反対して(、、、、、、、、、、、)書かせるという結果を生んだ。作家はそれでもその作品を売ったが、作品を買う人々を軽蔑し、彼らの期待を裏切ろうと努めた。有名であるよりは、認められない方がましであり、成功は、もしそれが作家の生存中に得られるならば、誤解に基づくという通念が生れた。(…) p.117-118

■一八世紀には、文学が必要なものとして要求した自由は、市民の獲得しようとした政治的自由と区別されなかったから、作家はその芸術の自由意志的な本質を探り、その形式にかかわる要求の代弁者となることによって、十分に革命的になることができた。準備されていたのがブルジョア革命であったときには、文学もまた自然に革命的であった。文学がおのれについてなした最初の発見によって、文学と政治的民主主義との絆があきらかにされたからである。ところがエッセイストや小説家や詩人が守ろうとした形式的自由は、プロレタリアートの深い要求とは何ら共通なものをもたない。プロレタリアートは、政治的自由を要求する気にはなれない。結局のところそれはすでに享受しているし、韜晦にすぎないものだからだ。考える自由には、さしあたって用がない。求めているものはこうした抽象的な自由とは全くちがう。彼らは、その境遇の物質的改善を希望し、より深くまたより漠然としてはいるが、人間による人間の搾取の終結を希望している。(…)そのような要求は、歴史的具体的現象としての書くという芸術が提出する要求と、同じ質のものである。歴史的具体的現象としての書くという芸術とは、一個の人間が自己を歴史化することによって、人間全体に関しその時代の人間のすべてに投げかける、日付けの打たれた特殊的よびかけである。ところが一九世紀には、宗教的イデオロギーから解放されたばかりの文学は、ブルジョア的イデオロギーに奉仕することを拒絶した。従って、原則としては、あらゆる種類のイデオロギーから独立した態度をとる。文学が純粋な否定性としての抽象的な外観を保っていたのはそのためである。文学はそれ自身(、、、、)がイデオロギーであることをいまだ理解せず、誰も否認しないその自立性をたしかめることに精魂を使い果たした。(…) p.120

■芸術家の孤独こそは、二重の詐術であった。それは、多数の読者との現実的な関係を蔽いかくすばかりでなく、専門家の読者の再形成をも蔽いかくす。人間と富との支配をブルジョアにまかせ、精神的なものをあらためて世俗的なものから区別した以上、一種の聖職が再び生れるはずであった。(…) p.123-124

■貴族的好戦的社会で職が軽蔑されていたように、作家の間でも職は軽蔑されていた。作家は旧制度の宮廷の人たちのように、彼自身が役に立たないというだけでは足らず、役に立つ仕事を踏みにじり、破壊し、焼き、傷つけ、実った麦の上を横ぎって狩を行った殿様の無軌道を模倣しようとのぞんだ。作家自身のなかに、ボードレールが「ガラス屋」で語ったような破壊的衝動が養われる。(…)いずれにせよ彼らは人生を危険にさらし、負けに賭けた。アルコールも、麻薬も、すべてが彼らにはよいものである。完全な無用性、もちろんそれこそは美だ。《芸術のための芸術》からレアリスムと高踏派とを通じ、象徴主義に至るまで、あらゆる流派は、芸術を純粋の消費の最高の形式と見做す限りでは一致している。作家は何事も教えず、どのようなイデオロギーも反映せず、殊に道徳家であることをみずからに禁じている。(…) p.126

■中世には<世俗性>が<精神性>に対して<非本質的>なものであったが、一九世紀にはそれが逆になり、<世俗性>が第一のものとなり、<精神性>は、<世俗性>をむさぼり食い、それを破壊しようとする非本質的な寄生虫となった。問題は、世界を否定するか、消費するか、或いは消費しながら否定することだ。フローベールは人間ともの(、、)を厄介払いするために書いたのである。彼の文章は、対象をかこみ、捉え、動かないものとし、たたきのめし、対象を包み、みずから石になるとともに対象を化石させる。そこには、眼も、耳も、動脈もない。そもそも生命の息吹きがなく、深い沈黙が、文章をそれにつづく文章からきりはなしている。文章は、永遠に無のなかに落ちながら、その無限の失墜へ餌食とする対象をひきずりこむ。どんなものも一度描いた現実は、目録から削除され、次の現実へ移らなければならぬ。レアリスムは、その大がかりで陰惨な狩猟以外の何ものでもない。何よりも安心しなければならない。レアリスムの通りすぎたところには、もはや草が育たなかった。自然主義小説の決定論は、生命をおしつぶし、人間的行為のかわりに、一方通行のメカニズムをおく。その主題は一つしかなく、人間、仕事、家族、社会のゆるやかな分解である。(…) p.128

■このような破壊的な運動は、遂にその極端な結果に到達するのである。「最も単純なシュールレアリストの行為は、とブルトンは二十年後に言った、拳銃を握り、町に下りて、できるだけ出鱈目に、群衆に向って発砲することだ」と。これが永い弁証法的過程の最後の項である。一八世紀には文学は否定性であった。ブルジョアジーの支配の下では、実体化された絶対的<否定>の状態に移り、多彩な玉虫色の無化の過程となった。「シュールレアリスムは、氷の塊でも火の塊でもないような、盲目的で光り輝く内部から、存在を無化することを目的としていない何事も考慮しないだろう」と、ブルトンはさらに書いた。極端に至れば、もはや文学にはおのれ自身に異議を申したてることしか残っていない。文学が、シュールレアリスムの名において行ったのは、そういうことである。人々は、七〇年の間、世界を消費するために書いたが、一九一八年以来、文学を消費するために書いたのである。文学的伝統や言葉を濫費し、互に衝突させて爆発させる。絶対的<否定>としての文学は、<反文学>となる。かつて文学がそれほど文学的(、、、)[絵空事]であったことはない。円環は閉じたのである。(…) p.129-130

■一九世紀は作家にとって、過ちと失望の時代であった。もし作家が下からのの階級離脱を辞せず、その芸術に内容を与えていたとすれば、彼らは、他の手段によって、他の次元で、彼らの先駆者の事業を続行していたことであろう。また文学を否定と抽象から、具体的な建設へ移行させることに寄与していたことであろう。文学の自律性は、一八世紀が獲得し、もはや文学からこれを奪うことは問題でなくなっていたが、その自律性を保ちながら文学を改めて社会に統合していたことであろうし、プロレタリアの要求を明らかにし、これを支持しながら文学の本質を深めたであろう。そして、考えることの形式的な自由と政治的民主主義との間に一致があるばかりでなく、思考の永久主体として人間を択ぶことの具体的な必要と社会的民主主義との間にも、一致があるということを理解したことであろう。彼らは分裂した読者に向って書いたであろうからその文体も内的な緊張を再び見出していたことであろう。ブルジョアの前でその不正を証言する一方、労働者に対してはその意識を目覚めさせようと努めていたとすれば、彼らの作品は世界の全体を反映していたことであろう。彼らは芸術作品の根源であり、読者への無条件の呼びかけである高邁な心と、その戯画である浪費との区別を学んでいたことであろう。また《人間本姓》の分析的・心理的な解釈を棄てて、人間の条件(、、)を綜合的に測定していたことであろう。おそらくそういうことは、困難であった。おそらくは不可能でさえあったが、作家もあやまった態度をとった。あらゆる階級的決定から逃れようと無駄な努力をしてやにさがったり、プロレタリアの上に《身をかがめ》ているべきではなかった。逆に、彼ら自身を階級から除外されたブルジョアと考え、利益のつながりによって抑圧された大衆に結ばれたものと考えなければならなかった。われわれは、彼らが発見した表現手段の豪華さのために、彼らが文学を裏切ったことを忘れてはならない。しかし、作家の責任はそれ以上に遠いところまでひろがっていた。もし作家たちが抑圧された階級のなかに聞き手を発見していたとすれば、おそらく彼らの観点の分岐と彼らの著作の多面性とは、大衆の中に、適切にも思想の運動(、、)とよばれているもの、即ち、開かれた、矛盾を含んだ、弁証法的なイデオロギーをつくり出すことに、寄与していたであろう。疑いもなくマルクス主義は勝利をおさめていたにちがいないが、マルクス主義もまた無数のニュアンスにいろどられていたにちがいない。マルクス主義もまた競争相手の理論を吸収し、消化して、開かれたままでいなければならなかったにちがいない。ところが人も知るように実際につくり出されたのは、百の理論の代りに二つの革命的イデオロギー
[プルードン主義、マルクス主義]にすぎなかった。(…) p.141-142

■われわれの考察は、芸術作品の視野のなかに、すなわち読者の自由への自由で無条件的な呼びかけの視野のなかに、おきもどされないかぎり、恣意的なものとしてとどまる。読者なしに、神話なしに――歴史的状況がつくったある種の(、、、、)読者なしに、その読者の要求に大きく依存する文学についてのある種の(、、、、)神話なしに――書くことはできない。一言でいえば、作家は他のすべての人間と同じように、状況の中にいる。しかしその著作は、人間のすべての企てと同じように、その状況を包みながら、同時に、明確化し、超越し、円周の観念が線分の回転の観念を説明し基礎づけるように、状況を説明すると同時に基礎づける。状況におかれている(、、、、、、、、、)ことは、自由の必要かつ本質的な性格である。(…) p.143

■われわれが択んだ例は、ただ、作家の自由をさまざまの時代の状況におく(、、、、、)ためにのみ役立ち、作家になされた要求の限界によって作家の呼びかけの限界をあきらかにし、作家の役割に対する読者の考えによって作家の考え出す文学観の必然的な制限を示すために、役立っただけである。そして、文学作品の本質が自由であり、その自由は、自己が他人の自由への呼びかけであることを発見し、かつ全面的にそうであることをのぞんでいることは事実だが、抑圧のさまざまな形式が、人間に対し人間の自由をかくすことによって、作家に対し文学の本質の一部或いは全部をかくしてきたということも事実である。作家がその職について持つ意見は、こうして必然的に部分的である。そこには常に何らかの真理がかくされているが、そこにとどまる限り、その孤立した部分的な真理は誤りとなる。文学の観念の動揺は、社会の運動から想像することのできるものである。(…) p.144

■作者の栄光が目的とした[読者の]普遍性は、部分的なものであり、抽象的なものであった。そして読者層の選択は、ある程度まで主題の選択を条件づけるから、栄光を目的とし栄光を指導的観念とした文学もまた抽象的なままにとどまった。逆に、具体的な普遍性とは、一定の社会に生きている人間の全体を意味する。仮に作家の読者層が、こうした全体に及ぶまでひろげられるとしても、作品の反響が必然的に現在にだけ限定されなければならないということはないだろう。そうではなくて作家は抽象的な永遠の栄光、絶対への空虚で不可能な夢に対し、限定された具体的な持続を対立させるにちがいない。その持続は作家の主題の選択そのものによって決定されるであろうし、作家を歴史からひきはなすどころか、作家の位置を社会的時間のなかに定めるであろう。というのも人間のあらゆる企ては、その原則そのものによって、一定の未来を描くからだ。もし私が種を蒔くことを企てるならば、私は私自身の前方に期待の一年間を投げ出す。(…) p.147

■作者が読者に働きかける(、、、、、)[行為する]というのは誤りである。作者は単に読者の自由へ呼びかけるだけであり、作品が何らかの効果を持ち得るためには、読者が無条件の決心によって自分の責任でその作品を取り戻すことが必要である。しかし、絶えず自己を取り戻し、自己を判断し、自己を変形する社会では、書かれた作品が行為の欠くべからざる条件、すなわち反省的な意識の契機となり得る。
 こうして階級も独裁も安定性もない社会で、文学は完全にそれ自身を意識するに至るであろう。(…)また社会的要求を最も深くあらわすときに文学は人間の主観性を最もよく表現するし、その逆もまた真であるということ、或いはまた文学の機能は具体的普遍的なものに対し、具体的普遍的なものを表現することであり、文学の目的は、人間の自由に呼びかけ、彼らが人間の自由の支配を実現し維持することであるということも、理解するであろう。無論それはユートピアでの話である。そういう社会を考えることはできるが、そういう社会を実現するための実際的な手段で、われわれの自由になるものはない。しかし、そういう社会の観念は、われわれに、どういう条件のもとで文学の観念が完全な形で、純粋な形であらわれるかを、垣間見させてくれた。おそらくそれらの条件は、今日充たされてはいない。そして書かなければならないのは、今日においてである。しかし文学の弁証法はぎりぎりの所までおしすすめられ、われわれは散文と著作の本質を瞥見することができた。だとするなら、今やわれわれをせき立てる唯一の問題におそらく応えようと試みることもできるであろう。一九四七年における作家の状況はどういうものであるか、その読者層はどういうもので、その神話はどういうものか、作家は何について書くことができ、書くことをのぞみ、また書かなければならないか。(…) p.151-152

四 一九四七年における作家の状況

■作家が永遠への通路を持っていると信ずるとき、作家は比類なきものとなる。彼は、彼の下にうごめいている卑しむべき群衆には伝えることができないような光の恵みに浴しているのである。だが、人は美しい感情によって自己の階級から脱れるものではないということ、いかなる処にも特権的意識などというものはないということ、文芸は貴族受爵状[王からこれをもらうと貴族になれる]ではないということを、もし作家が考えるに至ったならば、自分の時代にだまされる最良の手段は時代に背を向けるか時代に超然としていようとすることであること、人は時代から逃げることによって時代を超越するのではなく、時代を変えるために時代を引受けることによって、いいかえれば、最も近い未来に向って自分の時代を乗り超えることによってこそ自分の時代を超越するのであることを、もし作家が理解したならば、その時こそ、彼は万人のためにかつ万人とともに書くことになる。なぜなら、彼が彼固有の手段で解決しようとする課題は、万人の課題だからである。それに、われわれのうちで地下活動の新聞に協力した人びとは、彼らの文章において共同体全体に呼びかけていた。われわれはそうしたことに準備があったわけではなかったし、ひじょうに手際がよいことを示したわけではなかった。抵抗(レジスタンス)の文学はたいして良いものをうまなかった。しかしその経験によって、具体的普遍の文学がいかなるものでありうるかを、われわれは予感したのである。(…) p.217-218

■生産を強調し、厳密に必要なものだけに消費を制限するという社会では、文学作品は明らかに無償のものである。たとい作家が文学作品のために費される労働を強調しても、たといその労働が労働それ自体として考えれば技師や医者の労働と同じ能力を働かすものであると作家が正当に指摘しても、それでもやはり、その創造物はけっして()と同一視はされない。この無償性は、われわれを悲しませるどころか、われわれの誇りであって、われわれはそれが自由の姿(イマージュ)であることを知っている。(…) p.221-222

■おそらくこの先何十年間の歴史は、両者
[プラクシスの文学とヘクシスの文学と]の交替のくりかえしを記録するかもしれない。ということは、人々が、フランス大革命よりはるかに重大なもう一つの革命に決定的に失敗してしまったということを意味する。というのも、文学が究極的にみずからの本質を理解し、プラクシス[行動・実践]とヘクシス[所有]否定性と建設、《なすこと》(《つくること》)と《持つこと》と《在ること》の綜合を成立せしめて、全体的文学(、、、、、)の名にふさわしい文学たりうるのは、社会主義社会のうちにおいてのみだからだ。それまでさし当っては、われわれの庭を耕そう。われわれにはなすべきことがあるのだ。
 というのも、文学を一つの自由として再認すること、消費の代りに贈与をもってすること、われわれの先輩の貴族的な古い虚偽を放棄すること、そしてあらゆるわれわれの作品を通して社会全体へ民主主義への呼びかけをしようと望むこと、それがすべてではないからだ。誰がわれわれを読むか、現在の事態が《具体的普遍》のために書きたいという吾々の欲求をユートピアの位置に追いこんでしまわないかどうかを、われわれはさらに知らなければならない。もしわれわれの切望が実現されたなら、二〇世紀の作家は被抑圧階級と抑圧階級とのあいだで、ブルジョアと貴族とのあいだにあった一八世紀の作家たちの位置と類似した、白人と黒人とのあいだにあるリチャード・ライト
[二〇世紀アメリカ黒人文学の先駆者 1908-1960]の位置と類似した位置を、占めることになろう。すなわち、被抑圧者によってと同時に抑圧者によっても読まれ、抑圧者に対抗して、被抑圧者に味方する証言をし、抑圧者にたいし、内部と外部とから彼らの姿(イマージュ)を提供し、被抑圧者とともにまた被抑圧者のために抑圧を意識し、建設的で革命的なイデオロギーをつくるのに寄与するのだ。不幸にもこれは時代錯誤的希望である。プルードンやマルクスの時代に可能であったことは、もはや可能ではないのである。したがって、問題を最初から取上げ、われわれの読者の調査を偏見なしにやってみよう。(…) p.226-227

■三〇年と四〇年とのあいだ、われわれは戦争の腐敗の目撃者であり、犠牲者だった。現在われわれは、革命的状況の腐敗に立合っているのである。
 もし現在、作家は大衆に達するために共産党に奉仕すべきであるかどうかと問われるならば、私は否と答える。スターリン的共産党の政策は、文学の職を誠実にはたすことと相容れない。革命を企てる政党は、失うべき何ものも持つべきではないであろう。ところがフランス共産党にとっては、失うべき何ものかがあり、節約すべき何ものかがある。その直接の目標は、もはやプロレタリアートの独裁を力ずくで確立することではありえず、危地にあるロシアを防禦することにあるので、フランス共産党はこんにちではあいまいな様子を見せている。その教義とその公認の目的において進歩的で革命的なフランス共産党は、その手段において保守的になった。(…) p.241

■作家は才能の見かけを、すなわち、輝きの目立つ言葉を発見する技術を保持するが、しかし内部では何者かが死に、文学はプロパガンダに変ってしまったのである。それにもかかわらず、私を墓堀人だと非難するのは、共産党員でプロパガンディストであるガロディ氏のような人である。私は彼に侮辱を返すこともできるだろうが、服罪する方を選ぶ。もし私にその力があるなら、文学をば彼がそれを利用する目的に奉仕させるよりは、むしろ自分の手で埋葬するだろう。しかしいったい何だというのか? 墓堀人は正直な連中でありきっと組合員だし、共産党員であるかもしれないのだ。私は召使いであるよりも墓堀人でありたい。
 われわれはまだ自由なのであるから、フランス共産党の番犬に加わろうとはしないだろう。われわれに才能があるかどうかは、われわれにかかってはいない。だがわれわれは書くという職を選んだのであるから、われわれ各人は文学に責任があり、文学が疎外のなかにおちいるかおちいらないかは、われわれにかかっている。(…) p.248-249

■作家の機能は猫を猫と呼ぶことにある。もしことばが病気なら、それをなおすのがわれわれのつとめである。そういうことをしないで、多くの作家はこの病気で生きている。現代文学は、多くの場合、ことばの癌である。私は 「バターの馬」 と書くことには喜んで同意するが、しかし、或る意味でわれわれは、ファシスト的アメリカ合衆国とかスターリン的国家社会主義を云々する人びとと、ほとんど同じようなことをしている。とくに、詩的散文と呼ばれているらしい文学的実践ほど、有害なものはない。それは、ことばを、ことばの周りにひびく、また明瞭な意味と矛盾する漠然とした<意味>で作られている、あいまいな倍音として使うことにある。
 私は知っている。シュールレアリストの目的が主観と客観とをいっしょに破壊することにあったように、多くの作家の目的がことばを破壊することにあったことを。それは消費の文学の極点であった。しかしこんにちでは、すでに示したように、建設しなければならない。(…) p.267 
[太字は引用者]

■アメリカ人の反ユダヤ主義や黒人排斥、われわれの植民地主義、フランコにたいする列強の態度は、往々にして不正に通じている。この不正はそれほど見世物的でないが、それでもやはり人間による人間の搾取という現在の制度を永続させることを狙いとしている。誰でもそのことは知っていると、言われるだろう。おそらくその通りかもしれない。だがしかし、もし誰もそのことを言わ(、、)ないなら、それを知っているということがわれわれになんの役に立とう。世界をえがき示し、そしてその証言をすることが、作家としてのわれわれの任務である。(…) p.270

■政治家は、ひとりで放っておかれれば、いつも最も手軽な手段を取る。すなわち、坂を降ってゆく。大衆は、プロパガンダにあざむかれて、それに追従してゆく。もし作家でなければ、誰がいったい、政府に、政党に、市民に、用いられた手段の価値を表現する(、、、、)ことができようか。(…) p.271

■批判は、一七五〇年ごろ、抑圧階級のイデオロギーを解体させることによって抑圧階級を弱体化するのにあずかって力があったが故に、体制の変更を直接に準備するものであった。こんにちでは、批判すべき概念(コンセプト)があらゆるイデオロギーとあらゆる陣営とにぞくしているが故に、事情は同じではない。それだから、歴史に奉仕しうるのは、もはや否定性だけではない。たとい否定性がついには肯定性となるとしても。孤立した作家はその批判的任務に自己を限定することができるが、われわれの文学は、その全体において、とりわけ建設でなければならない。このことは、われわれが、いっしょであろうと孤立してであろうと、新しいイデオロギーを発見しようと努力すべきであることを意味しない。私がすでに示した通り、あらゆる時代において、イデオロギーである(、、、)[として存在する]のは文学全体である。なぜなら文学は、時代が歴史的状況と才能ある者たちとを考慮に入れつつおのれを明らかにするために産み出すことのできた一切のものの、綜合的な、しばしば矛盾した全体だからである。(…) p.273-274

■もはや描写する(、、、、)時代でも、物語る(、、、)時代でもない。われわれは説明する(、、、、)だけで甘んじることも同様にできない。描写は、たといそれが心理的であっても、瞑想的な純粋享受である。説明は受諾であり、何もかも許してしまう。両者とも賭けはなされたと仮定している。しかしもし知覚そのものが行為であり、もしわれわれにとっていつも、世界を示すということが変化は可能であるという展望において世界を開示することであるなら、その時、この宿命論の時代において、われわれは読者にたいし、個々の具体的な場合において、つくりそしてまた解体する読者の力、要するに行動する力を、あらわし示さなければならない。現在の状況は、全く耐ええないという点において革命的であるが、人々が自分自身の運命の所有権をうばわれているが故に、停滞である。(…) p.274

■歴史的行為者とはほとんどつねに、ディレンマに直面してそれまで見えなかった第三の項を突如として出現させる処の人間である。ソ連とアングロ・サクソンのブロックとのあいだでは、たしかにどちらかを選択(、、)しなければならない。社会主義的なヨーロッパは存在していないから《選択すべき》ものではない。それは作るべき(、、、、)ものなのだ。チャーチル氏のイギリスからはじめるのではなく、ベヴィン氏のイギリスからはじめるのでさえなく、同一の課題をもつあらゆる国の結合によって、ヨーロッパ大陸からはじめることだ。それはあまりにも遅すぎると人びとは言うかもしれぬ。だが人びとはそれについて何を知っているというのか。人びとは試みたことさえあったのか? われわれの直接の隣国との関係は、つねにモスクワかロンドンかニューヨークを経由している。まっすぐな道もまたあることを、人びとは知らないのか。いずれにせよ、そしてまた情勢が変化しないかぎり、文学の機会は、社会主義的ヨーロッパの到来に、すなわち、そのおのおのが、よりよいものを待望しながら、集合体のためにその主権の一部分を放棄するような、民主主義的で集産主義的な機構をもった国家の連合体の到来に、むすばれている。この仮定においてのみ戦争を避ける希望が残るのである。この仮定においてのみ、思想の交流が大陸においていぜん自由なままになり、文学が対象と読者とをふたたび見出すだろう。(…) p.277-278

■文学が不滅であることをわれわれに保証するものは何もない。文学の機会、その唯一の機会は、今日、ヨーロッパの、社会主義の、デモクラシーの、平和の機会である。この機会に賭けねばならない。われわれ作家がそれを失うならば、われわれにとってひじょうに残念なことだ。しかもまた、社会にとってひじょうに残念なことでもある。私が示したごとく、文学によって、集団は反省と熟考とにみちびかれ、不幸の意識をもち、みずからの不安定なすがたを眼にして、それをたえず修正し改良していこうとする。しかし、結局のところ、書くという芸術は、<神の摂理>の不変の定めによって護られているわけではない。それは、人間がそれをどうつくっていくかであり、人間はみずからを選ぶことによってそれを選ぶのだ。もし書くという芸術がたんなるプロパガンダか、たんなる娯楽に変わらざるをえぬとすれば、社会はふたたび直接的[非反省的]なるものの巣窟に、すなわち、膜翅類や軟体動物の記憶なき生活に転落するであろう。むろん、すべてそんなことは大して重要なことではない。世界は文学がなくてもうまくやってゆけるかもしれないのである。だが、人間がなくとも世界はさらにうまくやってゆけるかもしれないのである。  p.279-280

 (人文書院 1998年改版新装初版 『文学とは何か』 加藤周一、白井健三郎、海老坂武訳 による。 )

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