《資料》 文 学 の 仕 事 ―― 諸家の文学観に学ぶ
 

 森 鷗外「今の諸家の小説論を読みて」(『柵草紙』 1888.11 初出標題「現代諸家の小説論を読む」)より

■夫(そ)れ斯(か)くの如く宇宙の間 物として詩材に供すべからざるものなきなり。而(しか)れども金石草木は僅(わずか)にこれを藉(か)りて情感を寄托し、或(あるい)は擬生法に依りてこれを用ゐるのみ。詩中活動の分子は人獣に外ならず。唯(ただ)獣はこれを用ゐるに多く擬人法に依る。例へば劇曲には馬琴の化競丑三鐘(ばけくらべうしみつのかね)あり、叙事韻語には独逸(ドイツ)二大家の「ライネツケ、フツクス」「アツタア、トロル」等あり。要するに格外のみ。故に余等は小説活動の分子を以て、主として、これを人に帰することを得べし。故に春の屋[春の屋おぼろ/坪内逍遙]の云(いわ)く。小説の主脳は人情なり。世態風俗これに次ぐと。(小説神髄上巻十九丁裏)ゴツトシヤルの云く。小説の境地は即ち是(こ)れ人生の境地なりと。
 故に小説家の駆使すべきは人間の活現象なり。そのこれを駆使するにはギヨオテ、ジヤン、ポオルの如く観相的なること多きと、シルレルの如く情感的なること多きと、各
(おのおの)相殊なれども、詩客の難ずる所は、この現象に就いて古人の未だ到らざる感を感得し、能(よ)く一家の詩をなすに在り。幸なるかな、前世期の終末に至りて、所謂(いわゆる)実際主義の風潮は勃然とし興り、日を逐(お)ひて其(その)勢を増し、今は吾人は知らず識らず生活の筏(いかだ)を其(その)中流に浮かべたり。試(こころみ)に頭を回らして見よ。哲学を事実の地盤に措(お)き初めしより以来、政治を実力の基礎に安置せしより以来、史学を其(その)淵源に溯(さかのぼ)らせしより以来、万有自然の学を実験結果の府となさんと企てしより以来、吾人は此(この)小説といへる散文詩の材を撰ぶに、一生面を開き得たり。此(この)手段に由(よ)るときは、以て彼(かの)隠微を極めたる人情を窺ふべく、以て彼(かの)複雑を極めたる世態を暁(さと)るべし。一生面とは何ぞや。曰(いわく)心理的観察法是(これ)なり。是(これ)を用ゐること極端なるがために、無益なる敷衍(ふえん)に陥らざる限(かぎり)は、此(この)法実に新詩界の好手段なり。(…) p.69-70

■余等は既に心理的小説を是認せり。然れども心理的観察は固
(もと)より作詩の方便にして、の目的にあらず。これをして美術の境を守らしめんとするには、勢(いきおい)多少の検束を加へ、想化作用によりて自然の汗垢を浄め、製作の興に乗じて、空に憑(よ)りて結搆せざるべからず。請ふらくは仏国近代の一大家エミル、ゾラの自然派を見よ。渠(かれ)は心理的分析に依りて成績を得るごとに、別に美の標準に依りてこれを度(はか)ることを須(ま)たずして、これを呼びて「エトユウド」[étude]と做(な)せり。其(その)弊や、これを学ぶものをして、水と云へば必ず濁流を写し、情と云へば必ず淫欲と残忍の心とを写すに至らしむ。亦(また)(はなはなだし)からずや。仏国にては他の美術区域、絵画にも「アンプレシヨニスト」[impressionniste]あり。自然に向ひて観察を試み、其(そ)の得たる処をば、一毫の私心を加へずしてこれを絹素に委ぬといふ。是(こ)れ固(もと)より抽象的理想家の弊を撓(たわ)めんとする意に出づるなるべしと雖(いえども)、(そ)の末流の弊に至りては、独(ひと)り三年蒟蒻(こんにゃく)を描く([饗庭]篁村子の言、国民之友)のみならざるなり。是(こ)れ豈(あに)方便に依りて目的を忘れたるものにあらずや。ドオデエの如きは即ち然らず。其(そ)の自然を駆使するや、塵埃(じんあい)(おのずか)ら脱落して詩美顕(あらわ)る。縦令(たとい)(かれ)をして自然主義を奉ぜしむるも、其(そ)の天賦の空想はこれがために累(るい)せられずとも謂(い)ふべき歟(か)(…) p.71

■教家目中の所謂
(いわゆる)小説は、鬼神仙仏世界の生活を叙すべきものにて、決して這箇(しこ/この)人間世界とは相関渉せず。而(しか)して余等の生活は人間の生活なり。余等の所謂(いわゆる)小説は人間生活の小説なり。(…) p.76
 

 引用頁は岩波書店 1973年刊 『 鷗外全集 第二十二巻 』 による )


 森 鷗外「沈黙の塔」(『三田文学』 1910.11)より
(※ 大逆事件/幸徳事件 ――1910 (明治43) 年5月25日、多数の社会主義者・無政府主義者の逮捕・検挙が始まった。)


 高い塔が夕の空に聳(そび)えてゐる。
 塔の上に集まつてゐる鴉
(からす)が立ちさうにしては又止まる。そして啼き騒いでゐる。
 鴉の群を離れて、鴉の振舞を憎んでゐるのかと思はれるやうに、鷗
(かもめ)が二三羽、きれぎれの啼声をして、塔に近くなつたり遠くなつたりして飛んでゐる。
 疲れたやうな馬が車を重げに挽
(ひ)いて、塔の下に来る。何物かが車から卸(おろ)されて、塔の内に運び入れられる。
 一台の車が去れば、次の一台の車が来る。塔の内に運び入れられる品物はなかなか多いのである。
 己
(おれ)は海岸に立つて此(この)様子を見てゐる。汐は鈍く緩く、ぴたりぴたりと岸の石垣を洗つてゐる。市の方から塔へ来て、塔から市の方へ帰る車が、己の前を通り過ぎる。どの車にも、軟(やわらか)い鼠色の帽の、鍔(つば)を下へ曲げたのを被つた男が、馭者台に乗つて、俯向(うつむ)き加減になつてゐる。
 不精らしく歩いて行く馬の蹄
(ひずめ)の音と、小石に触れて鈍く軋(きし)る車輪の響とが、単調に聞える。
 己は塔が灰色で描かれたやうになるまで、海岸に立ち尽
(つく)してゐた。
            *      *      *      *      *      *
 電灯の明るく照つてゐる、ホテルの広間に這入
(はい)つたとき、己は粗い格子の縞(しま)模様のジヤケツとずぼんとを着た男の、長い脚を交差させて、安楽椅子に仰向けに寝たやうに腰を掛けて新聞を読んでゐるのを見た。この、柳敬助[1881-1923 洋画家といふ人の画が toile[トワレ、画布]を抜け出たかと思ふやうに脚の長い男には、きのふも同じ広間で出合つたことがあるのである。
 「何か面白い事がありますか」、と己は声を掛けた。
 新聞を広げてゐる両手の位置を換へずに、脚長は不精らしくちよいと横目でこつちを見た。「Nothing at all !」 [全然なにもない!  物を言ひ掛けた己に対してよりは、新聞に対して不平なやうな調子で言ひ放つたが、暫
(しばら)くして言ひ足した。「又椰子(やし)の殻に爆薬を詰めたのが二つ三つあつたさうですよ。」
 「革命党ですね。」
 己は大理石の卓の上にあるマツチ立てを引き寄せて、煙草に火を付けて、椅子に腰を掛けた。
 暫
(しばら)くしてから、脚長が新聞を卓の上に置いて、退屈らしい顔をしてゐるから、己は又話し掛けた。「へんな塔のある処へ往つて来ましたよ。」
 「Malabar hill
[インド、ムンバイの有名なホテル]でせう。」
 「あれはなんの塔ですか。」
 「沈黙の塔です。」
 「車で塔の中へ運ぶのはなんですか。」
 「死骸です。」
 「なんの死骸ですか。」
 「Parsi 族[インドに住むゾロアスター教の信者]の死骸です。」
 「なんであんなに沢山死ぬのでせう。コレラでも流行つてゐるのですか。」
 「殺すのです。又二三十人殺したと、新聞に出てゐましたよ。」
 「誰が殺しますか。」
 「仲間同志で殺すのです。」
 「なぜ。」
 「危険な書物を読む奴を殺すのです。」
 「どんな本ですか。」
 「自然主義と社会主義との本です。」
 「妙な取り合せですなあ。」
 「自然主義と社会主義の本とは別々ですよ。」
 「はあ。どうも好く分かりませんなあ。本の名でも知れてゐますか。」
 「一々書いてありますよ。」脚長は卓の上に置いた新聞を取つて、広げて己の前へ出した。
 己は新聞を取り上げて読み始めた。脚長は退屈さうな顔をして、安楽椅子に掛けてゐる。
 直ぐに己の目に付いた「パアシイ族の血腥
(ちなまぐさ)き争闘」といふ標題の記事は、可なり客観的に書いたものであつた。
            *      *      *      *      *      *   
 パアシイ族[前出、インドに住むゾロアスター教の信者]の少壮者は外国語を教へられてゐるので、段々西洋の書物を読むやうになつた。英語が最も広く行はれてゐる。併
(しか)し仏語や独逸(ドイツ)語も少しづつは通じるやうになつてゐる。この少壮者の間に新しい文芸が出来た。それは主として小説で、其(その)小説は作者の口からも、作者の友達の口からも、自然主義の名を以て吹聴(ふいちょう)せられた。Zola [ゾラ]が  Le Roman expérimental [「実験小説論」]で発表したやうな自然主義と同じだとは云はれないが、又同じでないともないとも云はれない。兎に角因襲を脱して、自然に復(かえ)らうとする文芸上の運動なのである。
 自然主義の小説といふものの内容で、人の目に付いたのは、あらゆる因襲が消極的に否定せられて、積極的には何の建設せられる所もない事であつた。此
(この)思想の方嚮(ほうこう)を一口に言へば、懐疑が修行で、虚無が成道である。(この)方嚮(ほうこう)から見ると、少しでも積極的な事を言ふものは、時代後れの馬鹿者か、さうでなければ嘘衝(うそつ)きでなくてはならない。
 次に人の目に付いたのは、衝動生活、就中
(なかんずく)性欲方面の生活を書くことに骨が折ってある事であつた。それも西洋の近頃の作品のやうに色彩の濃いものではない。言はば今まで遠慮し勝ちにしてあつた物が、さほど遠慮せずに書いてあるといふ位に過ぎない。
 自然主義の小説は、際立つた処を言へば、先
(ま)づこの二つの特色を以て世間に現れて来て、自分達の説く所は新思想である、現代思想である、それを説いてゐる自分達は新人である、現代人であると叫んだ。
 そのうちにかういふ小説がぼつぼつと禁止せられて来た。その趣意は、あんな消極的思想は安寧
(あんねい)秩序を紊(みだ)る、あんな衝動生活の叙述は風俗を壊乱するといふのであつた。
 丁度其
(その)頃此(この)土地に革命者の運動が起つてゐて、例の椰子の殻の爆裂弾を持ち廻る人達の中に、パアシイ族の無政府主義者が少し交つてゐたのが発覚した。そして此(この) Propagande par le fait [行動による宣伝] の連中が縛(しば)られると同時に、社会主義、共産主義、無政府主義なんぞに縁のある、乃至(ないし)縁のありさうな出板物が、社会主義の書籍といふ符牒の下に安寧秩序を紊(みだ)るものとして禁止せられることになつた。
 此
(この)時禁止せられた出板物の中に、小説が交つてゐた。それは実際社会主義の思想で書いたものであつて、自然主義の作品とは全く違つてゐたのである。
 併
(しか)し此(この)時から小説といふものの中には、自然主義と社会主義とが這入(はい)つてゐるといふことになつた。
 さういふ工合に、自然主義退治の火が偶然社会主義退治の風であふられると同時に、自然主義の側で禁止せられる出板物の範囲が次第に広がつて来て、もう小説がばかりではなくなつた。脚本本も禁止せられる。抒情詩も禁止せられる。論文も禁止せられる。外国ものの翻訳も禁止せられる。
 そこで文字に書きあらはされてゐる、あらゆるものの中から、自然主義と社会主義とが捜されるといふことになつた。文士だとか、文芸家だとか云へば、もしや自然主義者ではあるまいか、社会主義者ではあるまいかと、人に顔を覗
(のぞ)かれる様になつた。
 文芸の世界は疑懼
(ぎく)の世界となるた。
 (この)時パアシイ族のあるものが「危険なる洋書」といふ語を発明した。
 危険なる洋書が自然主義を媒介した。危険なる洋書が社会主義を媒介した。(…)

 危険なる洋書を読むものを殺せ。
 かういふ趣意で、パアシイ族の間で、Pogrom [ロシア語の動詞 Pogromit (荒らす、劫掠する、破壊する)からとった名詞。ルンペン・プロレタリアートの集団的暴動を意味する]の二の舞が演ぜられた。そして沈黙の塔の上で、鴉
(からす)が宴会をしてゐるのである。
            *      *      *      *      *      *
 新聞に殺された人達の略伝が出てゐて、誰は何を読んだ、誰は何を翻訳したと、一々「危険なる洋書」の名を挙げてある。
 己はそれを読んで見て驚いた。
 Saint-Simon
[サン・シモン]のやうな人の書いた物を耽読してゐるとか、Marx[マルクス]の資本論を訳したとかいふので社会主義者にせられたり、Bakunin[バクーニン], Kropotkin[クロポトキン] を紹介したといふので、無政府主義者にせられたとしても、読むもの訳するものが、必ずしも其(その)主義を遵奉(じゅんぽう)するわけではないから、直ぐになる程とは頷(うなず)かれないが、嫌疑を受ける理由はないとも云はれまい。(…)

 ロシア文学で Tolstoi [トルストイ]の或る文章を嫌ふのは、無政府党が「我信仰」や「我懺悔」を主義宣伝に悪用してゐるから、一応尤
(もっと)もだとも云はれよう。小説や脚本には、世界中どこの国でも、格別けむたがつてゐるような作はない。それを危険だとしてある。「戦争と平和」で、戦争に勝つのはえらい大将やえらい参謀が勝たせるのではなくて、勇猛な兵卒が勝たせるのだとしてあれば、此(この)観察の土台になつてゐる個人主義を危険だとするのである。そんな風に穿鑿(せんさく)をすると同時に、老伯が素食をするのは、土地で好い牛肉が得られないからだと、何十年と継続してゐる伯の原始的生活をも、猜疑(さいぎ)の目を以て視る。
 Dostjewski [ドストエフスキー] は「罪と償」で、社会に何の役にも立たない欲ばり婆々あに金を持たせて置くには及ばないと云つて殺す主人公を書いたから、所有権を尊重してゐない。これも危険である。それにあの男の作は癲癇
(てんかん)病みの譫語(うわごと)に過ぎない。Gorki [ゴーリキー] は放浪生活にあこがれた作ばかりをしてゐて、社会の秩序を踏み付けてゐる。これも危険である。それに実生活の上でも、籍を社会党に置いてゐる。Artzibaschew [アルツィバーシェフ] は個人主義の元祖 Stirner [スチルネル、シュティルナー]を崇拝してゐて、革命かを主人公にした小説を多く出す。これも危険である。それに肺病で体が悪くなつて、精神まで変調を来(きた)してゐる。
 フランスとベルジツク
[ベルギー]との文学で、Maupassant [モーパッサン]の書いたもの(…)無理想で、amoral [無道徳、無倫理]である。Maeterlinck [メーテルリンク](…)のやうな奸通劇を書く。危険極まる。
 イタリアの文学で、Ibsen [イプセン]は個人主義を作品にあらはしてゐて、国家は我
(わが)敵だとさへ云つた。Strindberg [ストリンドベリ]は伯爵家の令嬢が父の部屋付の家来に身を任せる処を書いて、平民主義の貴族主義に打ち勝つ意を寓した。(…)いづれも危険である。
 英文学で、Wilde [ワイルド]の代表作としてある Dorian Gray [ドリアン・グレイの肖像](…) あれ程危険なものはあるまい。Shaw [ショウ] は「悪魔の弟子」のやうな廃
(すた)れものに同情して、脚本の主人公にする。危険ではないか。お負(まけ)に社会主義の議論をも書く。
 独逸文学で、Hauptmann [ハウプトマン]は「織屋」を書いて、職工に工場主の家を襲撃させた。Wedekind
 [ヴェデキント] は「春の目ざめ」を書いて、中学生徒に私通をさせた。どれもどれも危険此(この)上もない。
 パアシイ族の虐殺者が洋書を危険だとしたのは、ざつとこんな工合である。
            *      *      *      *      *      *
 パアシイ族の目で見られると、今日の世界中の文芸は、少し価値を認められてゐる限
(かぎり)は、平凡極まるものでない限(かぎり)は、一つとして危険でないものはない。
 それは其筈
(そのはず)である。
 芸術の認める価値は、因襲を破る処にある。因襲の圏内にうろついてゐる作は凡作である。因襲の目で芸術を見れば、あらゆる芸術が危険に見える。
 芸術は上辺(うわべ)の思量から底に潜む衝動に這入
(はい)つて行く。(…) 文芸は印象を文章で現(あらわ)さうとする。衝動生活に這入つて行くのが当り前である。衝動生活に這入つて行けば性欲の衝動も現れずにはゐない。
 芸術といふものの性質がさうしたものであるから、芸術家、殊に天才と言はれるやうな人には実世間で秩序ある生活を営むことの出来ないのが多い。 (…)多くは過激な言論をしたり、不検束な挙動をしたりする。(…)

 学問だつて同じ事である。
 学問も因襲を破つて進んで行く。一国の一時代の風尚に肘
(ひじ)を掣(せい)せられてゐては、学問は死ぬる。(…)
 
 芸術を危険だとすれば、学問は一層危険だとすべきである。Hegel
[ヘーゲル]派の極左党で、無政府主義を跡継ぎに持つてゐる Max stirner [マックス・スチルネル]の鋭利な論法に、ハルトマンは傾倒して、結論こそ違ふが、無意識哲学の迷ひの三期を書いた。ニイチエの「神は死んだ」も、スチルネルの「神は幽霊だ」を顧みれば、古いと云はなくてはならない。これも超人といふ結論が違ふのである。
 芸術も学問も、パアシイ族の因襲の目からは、危険に見える筈
(はず)である。なぜといふに、どこの国、いつの世でも、新しい道を行く人の背後には、必ず反動者の群がゐて隙(すき)を窺(うかが)つてゐる。そして或る機会に起つて迫害を加へる。只(ただ)口実丈(だけ)が国により時代によつて変る。危険なる洋書も其(その)口実に過ぎないのであつた。
            *      *      *      *      *      *
 マラバア・ヒル[前出、インド、ムンバイのホテル名]の沈黙の塔の上で、鴉
(からす)のうたげが酣(たけなわ)である。

 (岩波書店 1972年刊 『 鷗外全集 第七巻 』 による )


 森 鷗外「文学の主義」(『東洋』 1911.4 初出標題「文芸断片」)より
 (※ 大逆事件/幸徳事件 ――1911 (明治44) 年1月18日、24名に死刑判決。1月24日から25日にかけて幸徳秋水ら12名に死刑執行。)

 芸術に主義と云ふものは本来無いと思ふ。芸術その物が一の大なる主義である。
 それを傍から見て、個々別々の主義があるやうに思ふに過ぎない。
 Emile Zola なんぞは自家の芸術に自然主義と云ふ名を付けてゐた。さうして書いてゐるうちに、次第に其
(その)主義と云ふものに縛せられてしまつて終(つい)に出した二三部の作は、頗(すこぶ)る窮屈なものになつてゐた。
 近頃伊太利
(イタリー)の Fogazzaro が死んだ。Il Santo あたりであらはしてゐた、カトリツク教に同情した心持ちを寺院の側からの抑圧を受けて、一層保守的にあらはさうとして、死ぬる前に一の小説を書いた。併(しか)しそれはカトリツク主義のやうになつて、芸術上の品位は前の作より下つてゐる。なんでも主義になつて固まつてしまつては駄目らしい。
 自然主義といふことを、こつちでも言つてゐたが、あれは只
(ただ)勉めて自然に接触するやうに書くと云ふ丈(だけ)の意義と見て好い。それは芸術と云ふものがさうなくてはならないものである。
 自然主義と云ふものに、恐ろしい、悪い意義があるやうに言ひ触らしたのは、没分暁漢
(ぼつぶんぎょうかん)の言か、さうでなければ為(た)めにするものゝ言である。最も可笑(おか)しいのは自然主義は自由恋愛主義だと云ふ説である。自由恋愛は社会主義者が唱へてゐるもので、芸術の自然主義と云ふものには関係がない。自由恋愛が作品に現れたことがあるとしても、それは一時西洋で姦通小説だの、姦通脚本だのと云ふものが問題になつてゐたと同じ事で、真の芸術の消長には大した影響はない。
 近頃は自然主義といふことが話題に上ることが少くなつて、その代りに個人主義と云ふことが云々せられる。
 芸術が人の内的生活を主な対象にする以上は、芸術と云ふものは正しい意義では個人的である。此
(この)意義に於ける個人主義は、哲学的に言へば、万有主義と対してゐる。家族とか、社会とか国家とか云ふものを、此(この)個人主義が破壊するものではない。
 Stirner の人生観のやうに、あらゆる観念を破壊して、跡に自我ばかりを残したものがあつて、それを個人主義とも名づけたことがある。あれは無政府主義の土台になつてゐる。併
(しか)しあれは自我主義である。利己主義である。
 利己主義は倫理上に排斥しなくてはならない。個人主義と云ふ広い名の下に、色々な思想を籠めて置いて、それを排斥しようとするのは乱暴である。
 無政府主義と、それと一しよに芽ざした社会主義との排斥をする為(た)めに、個人主義と云ふ漠然たる名を付けて、芸術に迫害を加へるのは、国家のために惜しむべき事である。
 学問の自由研究と芸術の自由発展とを妨げる国は栄える筈
(はず)がない。
 
 (岩波書店 1973年刊 『 鷗外全集 第二十六巻 』 による )

HOME国語教育/文学教育《資料》 文学の仕事――諸家の文学観に学ぶ