《資料》 文 学 の 仕 事 ―― 諸家の文学観に学ぶ
 

  熊谷 孝『 文学入門 』(学友社 1949.6 )より        



   文学のまがいもの

 
(…)こんな時代 [終戦から五年目、戦後の混乱・困窮、進駐軍による占領…] に、文学をたんに美しいものとしてだけ語るのはまちがっている。こんにちの文学のきたならしく、うすよごれた魂を、うわべのごてごてした厚化粧(あつげしょう)に魅せられて、それを美しいというのはいつわりである。だが、また、文学作品の実際がそうであるからといって、文学そのものがそうした性質のものだと考えるのもまちがっている。文学というものは、ほんらい、人間の生活をすがすがしく明るいものに高めていくためのいとなみであったはずだ。過去にもそういう文学はあったし、いまげんに、そういういとなみが、いくたりかの作家、いくたりかの批評家、そしてかれらをさゝえている、めざめた人民たちによっておこなわれている。だが、それも、こんにちの文学ぜんぱんの動きからすれば、とるにもたりないような、さゝやかな、かすかな動きにすぎない。文学の現実は暗い。そして、その暗さが、現実そのものの暗さからきていることは、あとでのべるとおりだ。
 文学は、まだ、いまでも、奴隷のくさりにつながれている。

 こういう時代に、こんなふうな文学環境のなかで、文学とはどういうものかという問いに答えることは、けっきょく、どういうのがほんものの文学作品で、どういうのが文学のまがいものであるのかという、ほんもの(、、、、)にせもの(、、、、)との見わけかたを語ることになってくるのだ。そういうことを語るいがいに、こんにち、文学を説明する手だてはないし、また、そのことをぬきにして、文学のほんとうのすがたを明らかにすることはできない。文学をほかのものから区別する、文学固有の性質が何であるのかというというようなことも、だから、そういう角度から考えられていったばあいに、こんにちの文学的実践にやくだつ生きた知識として理解されてくるのである。そういうことをぬきにして、たんに文学とは何かというようなことが問われていくとき、そこにみちびき出されてくるものは、文学とはことばをなかだちにした芸術のことだ、という、あのふるめかしい定義にすぎない。いまどき、そんな定義をむしかえしてみたところで、それでいったいどうなるというのか。むろん、文学をそう定義することにまちがいはないし、すべてそこから出発しなければなるまいが、問題はいまそのさきにある。創作や享受(きょうじゅ)の実際にやくだつ、文学への理解というものは、文学の現実をはなれてはありえない。ことの実際をはなれて何ものもありえないし、また、ことの実際をはなれた論理のすべてはいつわりである。
 世間におこなわれている文学入門書というものにたいして、わたしは、もうせんから大きな不満をいだいていた。それがきまって文学の実際かをはなれたものであるからだ。こんにちの文学の実際からはなれているということは、また、これらの入門書の問題のとりあつかいが、わたしたちの生活の実際からはなれた、ことばの遊戯にすぎないものだということである。どうしてかといえば、人間生活の実際(現実)をはなれて文学というものはありえないからだ。文学は、もと人間の生活のなかからうまれ、そして人間生活(社会)といっしょに成長してきたものなのだ。現実からうまれて、現実そのものについて考え、そして人間の現実生活のありようを変えていくというのが、文学のアルファでありオメガである。これらの入門書が文学の実際に即していないというのは、つまり、こんにちの文学のほんとうのところが、筆者その人につかまれていないということによるのだ。だから、それはまた、こんにちの現実そのものが筆者に理解されていないということのあらわれでもあるわけなのだ。このようにして、学者の書いた入門書は、きまって「文学とはことばを媒体とした……」の定義をむしかえしたものになっているし、また、作家の書いたものは、ひとりよがりな、おひけらかしの創作苦心談におわっている。こんなものを百冊よんだところで、文学のほんとうのところはわからない。文学のほんとうのところが知りたかったら、こんなものに時間をつぶすことのかわりに、まず、現実のしくみそのものについてしっかり勉強することだ。わたしたちがそのひとりである、人民自身の立ちばに身をおいて、社会と人間との関係をふかくふかく考えてみることだ。いま、人民は、社会のどういうしくみのなかに、どんな生活をいとなんでいるのか。社会の動きが、わたしたち生活や思想のうえにどんな影響をあたえ、また、わたしたちの生活の実践が、社会の動きそのものにたいしてどういうはたらきをもつか、等々々。そういうことが、身についた知識となって、ほんとうに生活のうえに生かされてくるようになれば、どれがほんものの文学作品で、どれがにせものであるのかというようなことも、自然わかってくるはずのものなのだ。
 どうしてかといえば、文学は、世の中の実際をうつしたものであり、わたしたちの生活のうえを考えたものなのだから、それがことの実際とちがっているような認識をあらわした作品は、けっきょく、にせものだということになるし、その反対に、ものごとをあるとおりに、うそいつわりなく書きあらわした作品はほんものだということが判断されてくるわけなのだ。そういう判断は、けれど、社会というものがほんとうにのみこめていなくてはできないことだ。社会の勉強がさきだといった理由の一つはこゝにある。だが、せっかくの社会の勉強も、その勉強したことが、知性の実感となり日常的な生活の実感となって、自分の思想そのものを動かすようにならなくては、文学表現のかんどころ(、、、、、)をつかめるような、感受性のきめ(、、)こまかさはでてこない。文学の表現というものは、ことばのあやを、ぎりぎりのところまで生かしきった表現なのだ。そのことを、文学は融通性の面におけることばの使用だ、といったひともある。つまり、日常わたしたちが使っていることばというものは、ことばほんらいの規定的な意味におけるそれと、規定的な意味をはなれた、きわめて融通にとんだものとの組みあわせなのだ。科学のことばとしては、あるきまった波長の長さやその状態をあらわす「赤」とか「赤い」ということばが、日常生活の面では「危険思想」とか「左翼的」というような意味にも、また、「赤い心」とか「赤誠」という熟語になって「こゝろのまこと」というような意味にも、融通して用いられている。ことばの芸術である文学が、融通性の面におけることばのあやを生かした表現を選ぶのは当然のことだ。芸術は、がんらい、享受者の日常的な生活感情の波間を縫い、その起伏にそって問題を認識し表現しようとするものなのだから。
 文学の表現が、そういうふうに、ことばのあやに生きる、きわめてニュアンスにとんだものになっているのは、また一つには、政治が作家の舌をしばっているということにもよるのだ。まがいものは知らず、ほんものの文学者で、政治に舌をしばられずに、だれはゞかるところなくもののいえたような作家が、これまでいったいいくたりあっただろうか。たとえば、「ヴェニスの商人」のシャイロックが、人道にはずれた、貴族の奴隷所有を非難していることはだれでも知っていようが、そういう抗議なり非難が、悪玉(あくだま)シャイロックの口をかりてなされなければならなかったところに、「政治」をはゞからねばならぬ、作家シェークスピアのなげきがあったわけなのだ。観客から見れば、にくい悪役(あくやく)のシャイロックのことばは、くさいもの身知らずのたんなるにくまれ口として聞きながされてしまうだろう。これが、アントニオなりポーシァなりの口をかりてのことばであったなら、と考えてみれば、シャイロックにこのせりふをいわせていることは、効果を半減しているどころか、相手によってはマイナスにさえなりかねないのだ。そういうことは承知のうえで、あえてこうした表現をとらねばならなかったところに、「近代」にめざめたルネサンスの芸術家シェークスピアの面目がある。よほど目のこえた読者なり観客でなければ、それのほんとうのところは理解できそうにもない、奥歯にもののはさまったような、こうした表現――それが、しかし、近代以降の文学のつねなのである。
 ことばのあやに生きる文学の表現というものは、常識のしょぼしょぼまなこではむろんのこと、たんに社会のしくみをそれとして一般的に理解しているというだけでは理解されようはずもない、ニュアンスをもっている。一般的認識は、知性の実感にまで内に深められ、血のかよった思想とならなければ、それは文学の認識を内容づけ、それの表現を理解する感受性とはなりえぬのだ。むずかしいのは、この点である。 (…) 
p.2-8

(…)私は、この小さい本のなかで、思想と文学との関係や、文学固有の方法や対象の問題を、こんにちの文学現象に(そく)して考えてみたいとおもっている。それを、いま、新制高等学校にまなぶ年ごろの若い学生諸君や、やはり同じ年ごろの勤労者の諸君といっしょに考えてみるつもりなのだ。この入門書は、なによりもそういう若い人たちのための文学教程として書かれる。だが、一世代・二世代としうえの、一般青・壮年のひとたちが読んでも、時間のむだづかいにならないようなものにしたいと考えている。(…) 
p.9-10


   思想と文学

思想は生きものだ

 (…)思想は、だから、子をして親にそむかしめ、弟をして兄にそむかせる、生きた現実のちからである。思想のもつ、そういうたくましい力というものは、がんらい思想というものが、私たちの生活の実際と結びついてうまれたものだということにもとづいている。子どもをふるい常識のきずなにつなぎとめようと、いくらあがいてみたところで、子どもには子どもの時代の新しい生活がある。父なり母なの思想が、やはり親たちの生きた時代の生活の実際からうまれたものであるように、新しい時代のなまなましい体験の裏づけがあるのだ。ひとをとらえてはなさぬ、思想のねづよさはこゝにある、[ママ] このようにして、思想は、現実の生活のなかからうまれ、そして現実そのものをうごかす底知れぬ力となるのである。
 思想は、いわば人生をしき写しにしたものだ。それは、歴史を生きるなまみの人間が、死に生きの人生のたゝかいにおいてかちえた苦難の代償である、ということができよう。時代の体験をひとつの思想に結晶させるために、これまで、どれほど多くのひとがなやみ、もだえ、かつ苦しんだことだろう。また、純粋に、誠実に、そのひとつの思想に生きようとしたために、どれほど多くのひとが、たえがたくしのびがたい、はずかしめとさいなみの、とし月をすごさねばならなかったことか。
 現代の思想の歴史は血にいろどられている。思想のたゝかいのきびしさに、いたましくもきずつきたおれた、とうとい犠牲者のいくたりかを、わたしたちはわたしたちの血すじのなかにもっている。満州事変から太平洋戦争にいたる、この侵略戦争のさなかに、あるいはまた、人民解放のれい明がおとずれようとしていた終戦の前夜において、軍閥・官僚政府の警察の手によってとらわれの身となり、およそ人間としてかくもむごいしうちがなされうるものかと思われるまでの責めさいなみによって、いたましくむごたらしくなぶり殺しにされた、いくたりかの先駆者のすがたを、いま、わたしたちは、わがこととしてわれとわが胸に思いうかべてみることができる。わたしの思想の底をながれているものも、現代を生きる者のひとりとして、こうした多くの先駆者のながしたとうとい血である。(…) 
p.16-17

 ことばで言いあらわせないものを思想とよぶことはできない。思想はことばである。ことばに言いあらわされるということは、体験が生きた知識の体系としてまとめられるということだ。どうしてそういうことになるかというと、「ことば」というものが、がんらい、自分の体験を相手に伝えるための手段として作られたものだということによるのだ。自分の体験を他人に発表できる程度にまで体験そのものを整理することによって「ことば」がもたらされ、また、ことばを手段として考えることで、必要な体験とむだな体験とがみわけられ、自分にとってたいせつだと思われる体験が知識として保存されて、こんごの生活にやくだてられるというわけなのだ。そして、だいじなことは、その知識が、生活の生きたしくみ(体系)のなかに織りこまれていくという点だ。だからこそ、それは、生活の実際にやくだつことにもなるわけなのだ。体系としてのつながりもまとまりももたない知識のかけらは、それをいくらよせあつめてみたところで、きびしい人生を生きぬくうえのたしにはならない。思想は、人間の生活の実践からうまれてくる。と同時に、逆に人間の実践そのものを方向づけるはたらきをもっている。そういうはたらきをもたない、たんなる知識は、それは学問でもなければ思想でもない。

 ところで、ことばに要約された体験が思想であるということは、思想が固定的な傾向をもつということだ。ことばは、がんらい、ものごとを固定的に――といっていけなければ、ある規定のもとにものごとをとらえるために作られたものだ。それは規定的にものごとをとらえ、あらわすことによって、自分の考えをあやまりなく相手につたえ、また、相手の考えをあやまりなく理解する、そういうための手だてであったはずだ。(…)
 p.19-21


 思想というものは、こんなふうに、またこんなふうなものとして、多かれ少なかれ固定的な、われとわが身をひとつの方向にしばりつける傾向をもっている。なぜなら、それはたんなる知識、ネクタイ代りの「教養」的知識ではなくて、なまなましい自分の生活体験に裏づけられた、生きた知識の体系であるからだ。思想は、ふつうにそう考えられているように、たんにあたまの問題ではない。思想は、むしろ「胸」なのだ。知性と感情とが、分ちがたくひとつのものにとけあったところに、はじめて思想とよばれうるものがめばえてくる。であればこそ、思想はふじみ(、、、)なのだ。不死身(ふじみ)といったのは、むろんことばのあやだし、いいすぎだけれど、踏んでも蹴られても、すくなくとも、ちょっとやそっと痛いところをつかれ、自分の考えのいたらない点や不合理な点をほじくられたところで、そんなことではたじろぎも身じろぎもしないというのが、思想というもののかたくなさである。それは、つまり、思想というものが身についた知識、知識の体系であるからだ。(…) p.22-23


 このようにして、もともと生活の実際に合わせて作られたことば(思想)が、世の中の進むにつれ、生活の変化するのにともなって、現実(世の中の実際)と矛盾するようになっても、それは現実のほうがまちがっているのであって、現実をうつしたことばのほうがほんものでほんとうだと考える、妙な錯誤を生じてくる。つまり、鏡にうつった顔がほんものの顔で、顔そのものはまぼろしにすぎない、というわけなのだ。いまげんに、そうしたかんちがいをもとにした、さかだちした観念が、哲学や化学や芸術の世界で大きくのさばりかえっている。 p.24

現実の反映

 世の中は、移り変わるものだ。進歩するものだ。運動ということこそ、自然と人生をつらぬく歴史の根本法則なのだ。こちらが動かなくとも、相手は動いている。いや、動かないとおもうのはまちがいで、それは自分が一歩あとじさりしたということ、世の中の進歩からとり残されたということである。あたらしいものも、時がたてばふるくなる。進んだ思想といわれるものも、そのまゝの考えをつゞけていたのでは、やがては、かびくさくおくれた思想になってしまうだろう。それは思想が固定的な傾向をもつのに反して、現実のほうがどしどしさきに進むからだ。歴史に停滞ということはない。置きざりにされ、とり残された思想。これが、しかし思想というものの運命である。思想は時代の子である、といったのも、まずこの意味においてである。(…)
 p.24-25


 つまり、思想というものは、現実を自覚的にとらえたところにうまれてくるものなのだ。もっとも思想とそうひと口にはいっても、思想にもピンからキリまであるのだから、その自覚というのにも「無自覚の自覚」という程度のものもあるにはある。けれど、ともかくそれがある角度、ある座標軸(ざひょうじく)によって現実をとらえたものだということだけはたしかである。思想は、もともと知識だけを手がかりとした現実の認識ではない。知性による認識が日常的な生活感情のすみずみまでしみとおり、そのことによって感情そのものが高められ、また、そのようにして高められた感情においてもういちど現実をかえりみ、現実にふれたときにうまれてくるのが思想というものなのだ。だから、思想は、むしろ感情による現実の認識であるということすらできるだろう。もっとも、その感情の高さは知性の高さに比例するし、だから思想の高さは、けっきょくその当人の知性の高さに比例するということにもなるわけだが。(…) p.27-28


商品としての文学――忘れられた読者――

 奴隷のことば(思想)から解放されぬかぎり、人民のしあわせというものはうまれてこない。人民は自分のことばをもたなくてはいけない。こんにちの文学のつとめは、人民にことばを与えることである。いや、人民の現実、人民の生活の実際をほりさげて、人民のほんとうのことばを見つけだすことである。ことばにあらわすすべをしらぬ、かれらのうれいといきどおりを、また、かれらの生活のよろこびと希望を、ほかならぬ文学のことばとして結晶させることである。そのことによって、文学そのものを、いままでのような奴隷の境遇から解放し、かゞやかしい民主主義革命の前衛たらしめねばならぬのだ。そして、そのためには、まず文学者のひとりびとりが、人民としての自分の立ちばをしっかり自覚しなければならない。何よりも自分というものを知性の光のまえに照らしだしてみることだ。そして、「わたしは人民である」ということを、はっきりとこゝろにきざみつけることがだいじなのだ。
 文学するということは、けっきょく、自分というものを見つめることだ、といわれている。そのことばにまちがいはないとしても、これまでのように、大地主や財閥・軍閥の色めがねをかけて自分を見つめたのではなんにもならない。いや、なんにもならないどころか、害になる。戦時中のいわゆる戦争文学や、勤労大衆の生活をきょくどにゆがめてえがいた、生産者文学(産業戦士もの)や農民文学等々、反動文学のながした害毒は、まだわたしたちのこゝろからきれいさぱりとはぬぐい去られていない。文学者は、まず自分ほんらいのすがたにかえらねばならぬ。はだかになった自分が、人民いがいの何ものでもないということを、作家たちは、いまこそしっかり自覚すべきときなのだ。ところが、そうした自覚に生きている作家は、かぞえるほどしかいない。まちにあふれている文学作品の大部分は、戦争まえのぐうたらな旧自由主義時代の傾向をむしかえしたものか、さもなければ、ご時世むきの、うすっぺらであぶらっこくねちねちした作品ばかりだ。たまにがっちりかまえたものがあるかとおもうと、それは浮世の嵐をよそに閑日月をひとりたのしむ遊[ママ]閑者の文学だ。いったい、これはどうしたことだろう。(…) p.36-37

 品物の出来がいいかわるいか、つまり文学としてみてすぐれた作品であるかどうか、というようなことはじつはどうでもよいのだ。それで、いきおい作家たちも、いまの読者に受けのいい作品を書こうとこゝろがけるようになっていく。文壇というところは、文学者の仮面をかぶった、そういうひとにぎりの文学職人どもの集まりなのだ。
 そこで、文学者ならぬ、そうした文学職人どもが、ひとかどの芸術家づらをしてのさばりかえっておれるのも、だからまた、お涙ちょうだい式の三文小説や、いかゞわしいエロティックな作品がちまたにはんらんしているのも、その責任のなかばは読者にあるという点に諸君は気づかれたろう。書くほうのがわからいえば、売れるからそういう作品を書くのだ。また、売れるからそういうものが本にもなり、雑誌にのりもするのだ。
 とかく文学というと、作品を書いた作家だけが大きくとりあげられて問題にされるむきがあるが、これは近代の誤れる伝統である。英雄が歴史をつくるというあの観念、クレオパトラの鼻がまがっていたら式のあの考え、それがまちがいのもとなのだ。文学の英雄は、むしろ読者である。歴史上の英雄が、じつは貴族なり庶民なり、ある階層の一代表にすぎなかったように、文学の作家もまた、読者の意志によってうごく、その代弁者にすぎない。わたしたちは、これまでの文学論において相手にされなかった、この「忘れられた読者」を前におしだすことによって、わたしたち人民の新しい文学論をくみたてなければならない。(…)
 p.38-39

こんにちの文学をさゝえているもの

 話は横にそれたが、いまの人民の気もちのなかには、どうでもなれといったすてばちな気分がある一方、また、こうした精神主義的な気分も色こいのである。つまり、そこには、さまざまな思想やさまざまな感情がいりみだれて混とんとしているわけだが、それをつきつめてみれば、敗戦日本の人民たちが身をもって体験させられた、社会の矛盾や混乱を反映したもやもや(、、、、)であることはいうまでもないし、けっきょく、敗戦という事実をかれらがどういうものとしてうけとったかということによってもたらされた、思想であり感情であるということになろう。要するに、そこには、受け身な態度が見られるだけで、建設的な何ものも見いだされない。精神主義的な思想へのうごきといえども、それはひじょうに積極的な態度を示すもののようであって、じつは社会の矛盾そのものはほったらかしにしたまゝ、矛盾のさまつなあらわれの面だけをしまつしていこうとするものにすぎないし、それにまた、矛盾の解決をもっぱら精神の側面からだけおこなっていこうとするために、ほんとうの解決に到達しえないばかりか、いまの混乱をいっそう救いがたいものにしているのである。こんにちの人民に欠けているものは合理的な精神である。つまり、理詰めな態度でものごとをつきつめて考え、うそとまことをみわけ、それをありのまゝのすがたにおいてとらえ、勇気と情熱とをもって事にあたるという態度である。こうしたかたより(、、、、)ゆがみ(、、、)からまぬがれえているひと、ほんとうにめざめたひとというのは、くやしいことだが、ほんのわずかの人民にすぎない。
 奴隷のことば(思想)から解放されないばかりに、自分を解放することもできないでいる、かたちばかりの人民の社会、それが民主主義日本の正体だ。そういうめざめない人民を相手に、ソロバン片手の商売をしているのが、つまりいまの文学者の大半なのだ。そういう文学者の手になる作品が、人民の栄養になるようなカロリーもヴィタミンもふくんでいないのはあたりまえのことだろう。そこには、栄養がふくまれていないかわりに、しびれぐすりがもられている。ひとびとは、文学のふんいきにふれることで、精神を高められることのかわりに、げれつなこんじょうをもたされ、また、度の合っためがねを求めているのに、色めがねを与えられたりもするのだ。これが、こんにちの文学の「効用」だ。


 文学の世界から奴隷のことばを追放し、文学をほんとうの人民の文学にまで高めていくというしごとは、むろん、人民のがわに立つめざめた文学者のつとめではあるけれども、同時にそれはまた、文学の読者である人民自身のつとめでもある。文学における読者の役割は大きい。まず、人民自身の立ちばにめざめたひとたちが、ちからを合わせ、はげまし合い、そして本気になって同じ職場、同じ学校の友だちに働きかけ、かれらのこゝろにねむっている人民のたましいをよびさます運動が全国的にくりひろげられていったなら、くだらぬ三もん小説に胸をときめかせ、やすっぽい涙をながすようなひとも、めきめきすがたを消していくようになり、反動文学はやがてさゝえを失うことになるだろう。反動文学のくずれていくときは、同時に人民の文学がたくましく成長してくるときなのだ。(…) p.46-48

人民解放の文学

 こんにちの文学の文学の底を流れている潮の一つは、政治の束縛から文学を解放し、また、文学の世界において人間性の自由を確立しようとする思想である。文学は、がんらい人間の自由のための、人間をあらゆる不当な束縛から解放しようがためのいとなみであったはずだ。すくなくとも、文学の名にあたいする文学は、古来すべてそうしたものであったわけだ。だが、文学のもつ、そうしたはたらきなりいとなみというものが、政治からの文学自身の解放ということになりはしない。ならぬどころか、そうしたいとなみこそ、まさに政治的ないとなみであるだろう。文学は、それ自身一つの政治なのだ。いま、そのことについて考えてみよう。

 「ヴェニスの商人」のシャイロックが、例の人肉裁判のシーンで、貴族の奴隷所有にたいしてするどく抗議していることについては、前に述べた(「文学のまがいもの」の章参照)。(…) p.48-49
 
 シャイロックの口をかりての、この抗議は、同時に、ルネサンス当時におけるイギリス民衆の自由の立ちばからの批判と抗議をかわって述べたものだ。身分のきずなによって民衆を縛り付け、民衆の人間性をないがしろにする、貴族の封建的支配。封建貴族のそうした圧倒的な人民支配にたいする、それは、民衆の代弁者シェークスピアのきびしく手ひどい批判であった。(…)

p.50

 
むろん、十六世紀の作家であるかれが、そうした経済関係、社会関係をこんにちの社会科学的な認識水準においてとらえることのできようはずはない。そういう社会関係を、理論としてではなく、いわば生活の実感として感じていたというのが、かけねのないほんとうのところだろう。だが、だいじなことは、かれが民衆のこゝろをこゝろとすることによって、進歩の立ちばに立つことができたという点だ。(…) p.52

 市民のしあわせをはゞむものがなんであるのか、いっぱんの市民が、いまどんな生活のなかにおかれているのか、だからまた、どうすれば市民のほんとうのしあわせがうまれてくるのか、そうしたことが、体験がもたらす生活の実感として、かれの胸にふかくきざみこまれていったはずである。実際にどういう生活をしているかということが、その芸術家の作品を芸術のかおり高いものにもし、またみすぼらしいものにもするのだ。諸君が目をするどくしてほしいのは、この点である。(…) p.52-53

 こんにちの文学を求める自由が、それのひろがりとふかまりにおいて、かつてのそれとちがった性質と内容をもつべきは当然のことである。かつての自由を、だから旧自由主義をこんにちにむしかえしたところで、それは現在の問題を解決するちからにはなりえない。かつてのそれは、たんに市民的な自由にすぎなかった。しかも、日本のばあい、現実は封建的遺制の支配する現実であったのだから、自由ということは、たゞ観念(考え)としてひとびとのこゝろに生きていたにすぎない。それにまた、その自由の観念は、日本的現実にねざすものというよりは、西欧のそれを移し植えたものだといったほうがあたっている。つまり、現実の反映としてうまれた思想でなかったのだから、この観念は、大地に根をおろしてすこやかに伸びていくことができなかった。現実の実際面で満たすことのできないあきたりなさを、観念の世界で代用満足する、いってみればそういう性質のものであった自由の思想は、このようにして、日本にあっては、現実のなかからうまれたものではなく、だからまた、現実を動かすちからにもなりえない、無用の飾りものになってしまった。そこに、思想は思想、現実(実際)は現実、世の中は理くつではいかぬものとする考えや、また、思想というのはつまり理くつのことであって、それはたんにあたまの問題にすぎないとするような、思想そのものにたいする、いっぷう変った理解をうみだすことにもなったのである。
 思想というのは、実際の用には役だたないへりくつのことという考え、若いときはだれでもいちおう自由であるとか真理とは何かというようなことを考えるが、人生の経験を積んでくれば、そんなことは役にもたたない無用の考えにすぎなかったことがわかってくる、というような俗物的な考えも、だから日本の近代においては、いなみきれない真実をふくんでいたということにもなるのだ。だから、また、西欧的なそういう思想は、その思想にふれた当人にとっても、たんなる知識として、あっちのポケットこっちのポケットというふうにしまいこまれて、思想としてのまとまりも肉づけももたぬまゝ、たゞたんにおひけらかしの「教養」になってしまったのである。教養ということばが、実用にはあまり役だたぬ、身だしなみの知識というふうな意味でつかわれるのは、日本だけの現象だ。
 だから、自由の観念に生きることによって、人生をろう獄だと感じた北村透谷(きたむらとうこく)は、けれど、封建的なくさりにつながれた、この人生のろう獄から自分を解放するすべを見いだすことのできないまゝ、二十代の若さでわれとわがいのちを絶ってしまうことにもなっていったし、また、近代文学のさきがけだといわれている二葉亭四迷(ふたばていしめい)の「浮雲(うきぐも)」が、すでに、思想と現実との矛盾に作品のテエマを見いだし、妥協することをあえてしないがゆえに、現実のねづよい封建的なちからによっておしひしがれ、そしてはかなくもろくやぶれさっていく人間のすがたを、わが身のこと、わがこととしてえがきだすことにもなったのである。日本の近代文学は、だからなげきの文学である。(…) 
p.58-60


 こんにちの人間解放の文学が果さねばならぬだいじなしごとが何であるのかということも、おのずと明らかだろう。それは、つまり、こんにち求められている人間解放がどういう性質をもち、また、どういう内容をもっているかということできめられてくる事がらなのだ。ルネサンス当時における人間解放の対象(相手)が市民であったのとはことなり、現代の対象となるものは人民いっぱんである。工場で働く人であろうと、耕作にしたがう農民であろうと、また官庁や現業の公務員であろうと、さらにまた医者や学者や弁護士であろうと、およそ自分の労働力によって収入をえ、暮らしをたてているところのすべての人民が、その対象となるのである。こうした人民大衆を奴隷のことばから解放することによって、人民の名にあたいする人民たらしめ、またそのことによって、搾取ない真の人民の社会を作りあげることである。文学は、いま、まさにそのような人民解放運動の一翼として、たちあがらねばならぬのだ。(…) p.61-62

政治と文学

 政治と文学との関係も、このような観点から考えなければならない。政治から文学を解放することで、文学の自由をかちえようとする考えはわらうべきである。そのようにして考えられた自由は、やはりだれかのための自由であり、そしておそらくは、「ひとにぎりの人間」のための自由であるだろう。政治からの文学の解放、文学のための文学、そうした思想に対して、私たちは人民の立ちばから、きょくりょくたゝかわなければならない。そのような思想こそ、人民文学の成長をはゞむものであると同時に、文学の真の自由をほろばすものであり、だからしてまた、民主主義そのものにたいしてたゝかいをいどむ人民の敵であるからだ。(…) p.63-64

 どのような生きかたをしようと、生きているというそのことが、なんらかのかたちで政治につながりをもっていることになるのだし、また、どのような生きかたをしているか、他の人間とどのような関係を結んで生きているかということで、政治そのものが右にも動き左にも傾くということになるのだ。そのことによって、また、わたしたちの食欲がみたされたり、みたされなかったりするという関係がみちびかれてくることにもなるわけなのだ。
 みたされた胃ぶくろと、みたされない胃ぶくろ。いまかりにみたされているとしても、明日はおそらくみたされないであろう胃ぶくろ、肉体のまことに内容を与えるものは、このようにして、社会の制度であり経済の組織であり、つまり政治そのものであるだろう。そしてまた、政治を動かすのも、また、この肉体にほかならない。そのような肉体は、もはやたんなる肉体ではなくて、精神をそなえた人間である。なまみの人間――食いかつ働くところの人間、生きることによって考え、また考えることによって生きかたを規定していくなまみの人間、それはたんなる肉体でもなければ精神でもない。具体的な人間は、肉体と精神との、だからまた、生物的人間と社会的人間との統一者である。肉体だけを解放しようとすることは、精神だけを解放しようとすることで問題を解決しようとするのと同様にあやまりである。精神だけを、精神の側面においてだけ人間を解放しようとすることが、かえって人間を古い制度のくさりにくゝりつける結果となるように、肉体だけを解放しようとする考えも、人間をかえってふるい政治のわくにおしこむ結果をつくりだすことになるであろう。歴史と政治にかえりみない、実感による人間解放が、人間に自由をもたらさないばかりか、奴隷の状態にながく人間を放置する結果となること、以上のとおりである。実感主義の文学の効用は、まことに戦時中の実感否定の文学のそれとかわりなく偉大である。(…) 
p.70-72


 現代に欠けているものは合理精神である。保守主義というのは、どんなあたらしい刺激を与えても同じ反応しか示さない態度のことである、とある生物学者はいったが、こんにちの時代を支配するものは、反合理的な保守主義だということができる。そうした保守主義者たちが、自分では伝統と世俗に反逆する進歩的な人間のつもりでいるところに、こんにちの混乱の手におえない、むずかしさがある。こんにちの文学者に望みたいことは、自分というものを、政治とのつながりにおいて、ふかくするどく見つめることである。なによりも、自分の肉体と精神を政治と対決させることである。自分の思想をさゝえている実感が、それとしてことの実際をとらえた実感であるのかどうかを、きびしく見きわめることである。そうしたきびしい自己批判が、自分のいまの実感をいつわりであると判定したとき、――それでも、この実感にしがみつこうとするのは、文学の精神に反している。頭ではなるほどとおもうが胸にはおちないというばあい、文学の作家たるものは、よろしく頭の論理にしたがうべきである。知性の声をしりぞけて創作にしたがうことは、文学をけがすことになる。文学の求めるものが真実をおいてほかにないからだ。(…) p.72-73


   文学の方法と対象

 文学するということは、自分というものを見つめるということにほかならぬ、といわれているが、それもつまり、作家のがわからいえば、読者とこゝろのかよった自分というものを見きわめる、ということでなければなるまい。作家は、作品を通して自分のいいたいことをいい、訴えたいことをを訴える――なるほどそれはそうにちがいないが、そのいいたいこと、訴えたいことというのが、手前がってなひとりよがりのいいぶんであったとしたら、ナンセンスもはなはだしい。作家が、たんに自分の「実感」だけをよりどころにして創作するとき、その作品は、きちがいのたわごと同然のものになってしまうだろう。人民は、いま、ヤミとうえにあえいでいるというのに、作中の「人民」は生活の苦しみを知らぬひとたちばかりだ。こんな例は山ほどある。現実は暗いのに、作品の世界は底ぬけの明るさだ。いまの文学作品にはこの手が多い。実際はこのとおりだが、だからといって、文学とはこうしたものだと考えるのはまちがっている。すくなくとも人民の文学は、うそを書いてはいけないはずだ。現実を実際あるとおりにうつすことが人民文学のいのちである。それは人民解放のための文学であるからだ。
  そう考えてみたばあい、たんにいいたいことをいい、訴えたいことを訴えるというのではいけないことが、しぜん胸におちるだろう。その訴えたいことというのが、読者である民衆自身がいいたいと思っていること、訴えたいと思っていること、そのことにつながる、いいたいこと、訴えたいことでなくてはならぬはずだ。文学者は民衆の代弁者である。また、その教師である。人民の教師である以上、文学者には、人民のことば(思想)を指導し、それをりっぱなものにそだてていく義務と責任があるはずだ。ことばにあらわすすべを知らぬ人民の、つもりつもったうっぷんやいきどおりを、あるいはまた、働くものだけが知っている生活のよろこびや悲しみを、さらにまた、世の中のもつれ(、、、)からくる生活のゆがみや感情のねじくれなどを、文学のことばに整理し、翻訳することによって、かれらにきびしい自己批判を与え、思想を与え、かれらの生活に方向を与えていくということこそ、こんにちの文学者の果さねばならぬ、だいじなつとめであるはずだ。(…) p.96-97

 体験のちがいというのは、つまり体験のしかたそのもののちがいということだし、また、生活の実感――思想のちがいということにもなろう。作品は一つだが、その内容は、相手によっていろいろさまざまに理解されてしまうわけだ。作品の内容が一つだと考えるのは、ことの実際からはなれている。
 文学は表現だ、というようなことを口にするひとがあるが、たゞ表現だというようなばかげたことはない。文学にとって表現はぬきさしならぬ、だいじな意味をもつというのなら、いちおうはなしはわかるが、しかし、表現がだいじだということは、内容がだいじだということとじつは同じ事がらなのだ。(この点については、次の「表現と理解」「文学と科学」の項で吟味するつもりだ。)だから、文学においては、内容よりも表現のほうがたいせつだなどいう議論は成り立たないし、ましてのこと、文学は表現だなどいうことにはならない。それは何かを表現したものだ。その何かを、が、つまり内容というものなのだ。もっとも、このいいかたは、ほんとうはまちがっている。文学のはたらきは、ある内容があって、それを作品にあらわすというようなものではなくて、内容――というよりは、むしろ内容をつくる認識と表現とが一つものになってのはたらきであるからだ。ほんとうは、そこまで考えなくてはいけないのだが、かりにまえのように単純に考えてみたとしても、内容なり表現なりが、読者によっていろいろに受けとられているわけなのだから、自分のうけとりかたや、自分が受けとった内容をめやすにして「この作品の表現は……」など言うのは、いい気なはなしだということになろう。
 つまり、表現とか内容というのにも、作者による表現(内容)と、読者の理解(享受)した表現(内容)との二つがあることになるし、また、読者の理解した表現というのにも、そこにかなりのはゞ(、、)がありでこぼこ(、、、、)がある、ということになるのだ。そういうくいちがいのもとをつくっているものが、つまりめいめいの体験のちがい、思想のちがいであるというわけなのだ。(…) p.105-107

表現と理解――子どもの文学とおとなの文学――

 表現のうまい・まずいということは、だから、その作品がだれを相手に書かれた作品であるのかということできまる。当の相手にぴったりするような表現がとられていれば、あとのだれがなんといおうと、それはじょうずな表現だということになるわけだ。(…) p.107

 文学作品というものは、むろん、たのしく読めるものでなくてはいけないが、そのたのしさというのが、一度読んでしまえばそれっきりというたのしさ、おもしろさではないはずだ。二度三度と読みかえすことで、はじめ読んだときとはまた別のたのしさを発見するというのが、文学にしたしむもののよろこびである。自分がおさなかったために、また、まずしい心をもっていたために、とりつきにくく読みづらかった文学作品が、そだったこころで読みかえしてみると、ほんとうにしっくりくるというようなばあいもあるし、逆にまた、自分にしっくりきていたはずの作品が、いまとなってはぴったりしなくなった、というようなばあいだってある。(…) p.113

 素ぼくであるということが、きまって複雑なものより劣っているということにはならない。素ぼくであっても、正しものは正しい。また、考えかたそのものがいくらこみいっていても、まちがった考えは、やはりまちがっている。いちがいに、単純なものより複雑なもののほうがねうちがあると考えるのは、これまた近代の誤まれる伝統である。素ぼくであるために、かえって黒と白との区別がはっきり示されている、こうした作品の表現に、はっと(きょ)をつかれた思いをするのが「複雑」な生活を生きるおとなのつねだろう。おとながそこに見いだすものは、複雑な実生活のさまざまを要約し単純化した、人生の見とり図である。しかし、そのような見とり図が、作者の意図した表現のなかに立体的に図式化されているわけではない。表現の足らないところをおぎなって、そういう立体化――形象的な図式化をおこなっているのは、読者そのひとである。(…) p.115-116

文学と科学――ふたゝび実感の問題にふれて――

 「芸術はながく、人生はみじかい。」ということわざがある。ひところ、ずいぶんはやったことばだ。人のいのちがみじかいというのはほんとうだけれど、芸術のいのちがかぎりないというのは、うそだ。この「うそ」を「まこと」にすりかえて、この戦時中は、日本のふるいかびくさい文学作品のあれこれをかつぎ出して、みんな一様にかぎりないいのちをもつ古典だととなえて、お祭りさわぎをしたものだ。そのくせ、人間性のまことをありのまゝにとらえあらわしたような、自由謳歌(おうか)の文学は、けしからんというわけで、古典のわくのそとに追いやったりもした。たとえば、十七世紀の市民文学者井原西鶴(いはらさいかく)の作品なぞが、そのいい例だ。また、たとえば、万葉集のような作品でも、――万葉集のなかには、この歌集が編集された当時の作品もあれば、ずっとふるい時代の歌もあることは、諸君の知っておられるとおりだが、そのなかのわりあいのちの時期に属する歌だけが、万葉集の本質をあらわすものだとして、いっぱんに宣伝されたものだ。後期の歌というのは、大化の改新をさかいに日本に一君万民体制の政治組織ができあがり、天皇が神として考えられるようになってからの作品なのだ。「(おおきみ)は神にしませば……」式の歌、「海ゆかば……」式の歌が、それである。その半面、徴発され、親と別れて海辺の防備におもむく防人(さきもり)たちの悲しみを、きわめてそっちょくに訴えたような歌は、そっとふたをされてしまったのだ。
 つまり、芸術は永遠である、というようなお題目をとなえるのは、例の「ひとにぎりの人間」どものご用をつとめようとする連中か、そうでなければ、しびれぐすりのもられた文学や音楽のききめで気がヘンになった連中ばかりだ。だって、そうだろう。文学が文学としての意味とはたらきをもちうるのは、それを文学として受けとる相手にたいしてだけであるからだ。読者なしには文学は成り立たないし、また、文学の表現は、読者の体験の裏うちなしには成り立たない。文学が文学として成り立つのは、作家と読者との共通した体験の面においてである。その体験というのが、日常生活の面における体験を枢軸とした体験であることは、まえにも述べたとおりだ。文学の表現というものは、相手がどういう生活をしている人たちであるのか、また、どういう生活の実感に生きる人たちであるのか、ということにたいする計算から、みちびきだされるものなのだ。はやいはなしが、手紙のようなものだってそうなのだ。書く相手によって、いいたいこともちがえば、いいかただってちがうだろう。(…)p.120-122


 時代がちがい、環境がちがえば、それは文学としてのはたらきをしなくなるのはあたりまえのことだ。また、子どものための文学作品が、そのまゝでは文学としてのはたらきをおとなにたいしてもつことはできないし、おとな相手の文学の表現は、また子どもにとっては、ことばの羅列いがいのなにものでもない。「ひじょうにえらい詩人だって、ことばの通じない国ではなにもできはしない。」とロダンもいっている。
 だから、そこに、外国の作品を日本語に訳すとか、古典を現代語に訳して味わうというように、時代や環境のちがう文学作品にたいしては翻訳ということがおこなわれるわけなのだ。だが、その翻訳ということも、たゞことばのうわつらをとらえて、それを自分たちのことばに訳しただけではなんにもならない。たとえば、おとな相手の作品を、ことばだけやさしくして、子どもむきのものにしてみたところで、それは子ども文学にはならない。まえにもいったように、作品の主題を主題の方向においてとらえ、しかもそれを子どもの現実(生活の実際)に翻訳して、子供のことば(思想)として表現しなおすところに、おとなものの子どもものへの翻訳がおこなわれるわけなのだ。翻訳の名にあたいする翻訳というのは、ことばの内容(思想)そのものを訳したもののことだ。(…) 
p.122-123

 科学者のしごとが、たゞたんに現象の変化のしかたを書きとめるということに終るのでなくて、どうしてこういう現象がおこるのかということをつきとめ、また、この現象とほかの現象との関係をきわめて、現象そのものの本質を明かにすることに、仕事そのものの目標があるように、文学者のしごとも、やはり、現象のうわべだけをながめて、それを文章に書きあらわすということではないはずだ。それは、科学者のばあいと同じように、めざすところは、現象をその本質においてとらえるということだろう。だが、そのばあい、科学は、現象の一般化、体験の非日常化という方法によって、それをおこなっている。(…) p.126

 文学の方法は、科学のそれとはおもむきをことにしている。それは、現象を一般化するのではなくて、典型化するのである。日常的な体験(生活の実感)をたんに抽象的にとらえるのではなくて、非日常的なものを媒介にして、別の体験に移していくのである。別の体験というのが、つまり、典型的な生活面における体験のことだし、また、こゝに非日常的なものというのは、そうしたあたらしい体験に作者や読者をみちびき入れる、知性の実感のことなのだ。作家が自分自身の日常生活のをそれとしてえがいた、身辺小説とか私小説というようなものでさえ、やはり読者の生活や思想につながるところの自分というものをとらえて、えがいているわけなのだし、読者が同感しそうなところにはアクセントをつけてえがいているのだから、それもやはり、ある程度の典型化をおこなっているということになるのだろう。現象の典型化というのは、つまり典型的な現象を求めて問題のありようをはっきりさせるということなのだ。(…) p.127-128

 文学という手段によるばあいでも、むろんそういう一般的な認識は必要なのだ。たゞそれが、事がらの一般的な認識にとゞまっているかぎり、文学にはならない。文学の認識においては、すくなくともその一般的認識は、知性の実感にまで日常化されなくてはならない。それがさらに、知性の実感を媒介にして感情の面にまでしみとおり、感性の実感にまで肉体化され日常化されたら、そえはほんものだ。知性と感情とが一つものにとけあったところにうまれる生活の実感。そうした実感にさゝえられたものが、つまり思想なのだが(「思想と文学」の章参照)、そういう一般的な認識が文学者の思想にまで主体化されてきたら、その作品は、幅と厚みのある堂々たる文学作品にもなろうというものだ。そういう文学作品は、文学にとって、だからまた、ひとしく文学にたずさわるひとびとのいだく美しい夢である。夢を現実におきかえようとして、ひとびとの努力が、いまにかたむけられているわけなのだが、この過渡期にそれを望むことは、ほんとうをいえばむずかしい。むずかしい証拠には、人民の文学をめざして書かれた作品のほとんどが、事象にたいする非日常的・一般的な認識を、――つまり科学的認識による事がらの説明を、たんにそれとして、日常生活にあてはめてお説教したみたいなものに終っていることからもわかるだろう。
 それが文学作品であるからには、一般的認識は、すくなくとも知性の実感にまで、うちに深められなくてはならない。そして、そのような知性の実感に媒介されて、感性の実感は知性の光にかゞやくものとして、常識のしょぼしょぼまなこからは、ありふれた平凡なものにしか見えぬ、日常的な現象のなかから、時代に共通する本質的な問題を、いわば準体験的・日常的な感覚においてさぐりあて、、それを典型的な生活面に移して、具象的にくっきりとえがきあらわすのである。(…) p.129-130


 文学と科学のとちがいは、だからして、方法のちがいであり、対象のとりかたのちがいである。方法的なちがいというのは、一方が現象の一般化という方法をとるのにたいして、一方が典型化という方法によっているということだ。そういう方法のちがいがどこからくるかといえば、双方の対象(相手どるもの)のちがいにもとづくことなのだ。対象がちがうというのは、誤解を避けるためにいっておくが、なにも「もののまこと」「ものの道理」――客観的真理にいろいろあるという意味ではない。世界が一つである以上、真理は一つだ。たゞ科学の対象(相手)となるものが、客観的な真理(事実)そのものであるのにたいして、文学――芸術の認識の対象が、事実にたいする芸術家の享受であるというちがいが、そこにあるわけなのだ。
 つまり、文学の作家が、自分の認識の対象として見つめるものが、知性の実感に媒介された、読者のそれに通ずる自分の日常的な生活の実感であり、そうした実感にさゝえられた思想そのものであるという点に、科学的認識とのちがいがあるのである。だからまた、科学の求めるものは客観的な真理(もののまこと)であり、文学――芸術の求めるものが主体的な真理(こゝろのまこと)であるというふうにいうこともできるだろう。(…) p.131-132


 主体的ということは、主観的ということとはちがう。主体の尊重ということを語ることで、自分の主観(日常的な実感)をあまやかしてはいけない。過去のすぐれた芸術家たちが、自分の「かん」だけをたよりにあれほどのりっぱな仕事をやってのけたということを理由に、文学にとって理論的な認識など何ものでもないなどと考えたら、それこそとんでもないはなしだ。「かん」だけがよりどころだったから、過去の文学は、きょくたんな反動時代には、手も足も出なくなって沈黙してしまうということにもなったのだ。ルネサンスのれい明がおとずれるまでの中世文学のすがたは、そのことを示している。また、こうもいえよう。その「かん」というのが、じつはその当時におけるいちばん高い知性の水準を示すものであるということだ。現代の知性は、科学的認識にもとづく合理的なものの見かたに裏うちされたものだ。科学の認識を否定して、こんにちの文学はありえない。

 ところで、文学の対象(相手)となるものが、事実そのものではなくて、事実にたいする享受であるということから、文学においては、認識するということが同時に表現することであるという関係がうまれてくる。文学の対象は、たんに日常的なものではないけれど、すくなくとも日常化された、あるいは日常的なものにこなされつゝある、日常的・非日常的な体験である。だから、文学の創作過程は、非日常的・一般的な角度からまず現実を認識しておいて、さてそのつぎに、認識内容そのものを文学という形式に移して表現するというようなものではないわけだ。一般的な認識は、文学以前のことに属している。この「文学以前」が文学そのものをしばるかしばらないかは、その理論的認識が、作家の知性の実感にまで深められてきているかどうかできまる。文学の作家は、知性の実感に媒介された、自分の日常的な生活の実感において、問題を認識するのである。日常的な実感というのが、読者の思想にかようそれであることは、くりかえすまでもあるまい。また、どういう問題がそこに選ばれるかということをきめるものが、作家の知性の実感であるということも、自然明らかだろう。知性の実感において問題がとらえられずに、たんに一般的な認識において問題が提出されているようなばあい、だからそれは「観念がさきばしりした作品」になってしまうのだ。さて、ここまでくると、はっきりするだろう。作家のもつ知性の実感というものも、やはり読者のそれにつながるものだということが。(…)
 p.133-134

文学作品の価値

 文学においては、認識と表現とは一つものだ。問題を認識することが、同時にそれを表現することになるというのは、文学――芸術に固有のことである。認識とりもなおさず表現という、この関係がどこからくるかといえば、それは芸術の対象そのものの性質によるのだ。この点については、わたしたちがまえに見てきたところである。
 文学の対象の性質がほんとうにのみこめていたら、こうしたことにはならぬはずなのだが、「この作品は内容はいいが、形式がなっていない」とか、「作家の認識はたしかだが、どうも表現がまずい」というような作品批評が、いまでもそうとうはゞをきかしている。こゝでひとびとが内容とか認識とかいっているのは、文学以前の一般的認識のことだろう。あるいはまた、一般的認識による認識内容のことにすぎぬだろう。つまり、「内容だけいい作品」というのは、問題が知性の実感においてとらえられるかわりに、たんに一般的認識において問題が提出された「観念のさきばしった作品」のことなのだ。そういう作品の内容がいいはずはない。認識だけがたしかで、表現がなっていないというようなことはありえない。表現がへたくそなら、認識もなっていないにきまっている。認識のしかたがいいかげんだったら、表現も雑なのだ。とうぜんそういうことになるだろう。
 認識と表現。内容と形式。しかし、これは古くして新しい問題である。(…) p.136-137


 芸術のかぎりないいのちというようなことが、まっかないつわりにすぎないということは、諸君にとってもはや明らかなことだろうが、ことのついでに、もうひとことつけたしておきたいことがある。それは、文学作品の価値ということだ。文学作品の価値ということについて、それをいま、芸術の永遠性の問題につながる古典の「不滅の価値」ということから話の糸ぐちをみつけていこう。
 古典の価値は永遠だというような考えかたが、どこからうまれてくるかといえば、それはさっきいったとおりだ。だが、そういう考えが一般の支持を受けているのは、文学――芸術の享受というものの日常的な性質によるのだ。しかしほんとうをいえば、それが日常的な体験の面で相手に訴える、認識・表現の手段であるからこそ、「芸術はながく」ということばに反して、芸術のいのちはみじかいのだ。それにまた、芸術の表現するものは、何かしら人間生活にとっての問題であるわけだ。芸術は、だいいち、問題を認識するためのものであったはずだ。たとえば、「空気がなくなる日」という作品は、ある面からいえば、デマというものの性質を問題にした作品だった。そのことで分かるように、文学作品というのは、つまり、日常性のことばを媒介にして人生の問題を考えあらわしたもののことだ(「文学のまがいもの」の章参照)。その問題というのが、ある時代、ある社会の人生問題にかぎられていることはいうまでもあるまい。その時代にとって問題であったことも、つぎの時代にとってはもはや問題ではない。かりにその問題が解決されないまゝ、つぎの時代にうけつがれていったとしても、そのばあい、問題はまるでちがった性質のものになっている。(…) p.139-140


 自分にしっくりくるからといって、古典のいのちはかぎりないものだとか、すぐれた文学作品は永遠に生きるものだということには、絶対にならない。それにもう一つは、自分の感覚にぴったり合った作品を、そのまゝ不滅の価値をもつ作品だというふうに考える思いあがりが、こゝでいましめられねばならぬのだ。文学作品の価値は、自分にしっくりするかしないかというようなことできめられる事がらではない。価値というのは、社会的有用性のことだ。いまの世の中で、何がいちばん必要なことであるのかといえば、それは人民の解放ということだ。人民解放のための人間のいとなみこそ、この世の中でいちばんとうとく、いちばん美しい「価値」である。どうしてかといえば、人民解放のときは、同時に、人類ぜんぶが解放されるときであるからだ。

 食いものにされる人間は、ほんとうにふしあわせだ。だが、ひとを食いものにして生きている人間も、またふしあわせである。そういうふしあわせを、わたしたち人間の世の中から根だやしすることこそ、わたしたち現代に生きるもののつとめなのだ。文学もまた、人民解放のためのいとなみとならなければならない。人民文学の確立は、しかしながら、文学者そのひとのつとめであると同時に、めざめた人民ひとりびとりのつとめである。文学における読者のやくわりがどんなに重く、どんなに大きいかということについて、わたしは、すでに多くのことばをついやしている。 p.141-143

 (現代の人権感覚からすれば適当でないと思われる用語もみられるが、著作の歴史性を考慮してこれをそのままとした。)

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