芥川龍之介 著作より――語録風に(1917~1927 発表年代順)
*引用はすべて岩波書店 1977年刊 『芥川龍之介全集』 -全12巻- に拠る。
*ただし、表記は新漢字、現代仮名遣いに換えた。
*漢字の読みを適宜( )内に添えた。
*(…)は省略を示す。 |
■中村さん。(…)あなたの出された問題に応じる丈(だけ)、頭を整理している余裕がありません。(…)
大体あなたの問題は「どんな要求によって小説を書くか」と云う様な事だったと記憶しています。その要求を今便宜上、直接の要求と云う事にして下さい。そうすれば、私は至極月並に、「書きたいから書く」と云う答をします。之(これ)は決して謙遜でも、駄法螺(だぼら)でもありません。現に今私が書いている小説でも、正に判然と書きたいから書いています。原稿料の為に書いていない如く、天下の蒼生の為にも書いていません。
ではその書きたいと云うのは、どうして書きたいのだ――あなたはこう質問するでしょう。が、夫(それ)は私にもよくわかりません。唯(ただ)私にわかっている範囲で答えれば、私の頭の中に何か混沌たるものがあって、それがはっきりした形をとりたがるのです。そうしてそれは又、はっきりした形をとる事それ自体の中に目的を持っているのです。だからその何か混沌たるもが一度頭の中に発生したら、勢(いきおい)いやでも書かざるを得ません。そうするとまあ、体(てい)のいい恐怖観念に襲われたようなものです。
あなたがもう一歩進めて、その渾沌(こんとん)たるものとは何だと質問するなら、また私は窮さなければなりません。思想とも情緒ともつかない。――やっぱりまあ渾沌たるものだからです。唯その特色は、それがはっきりした形をとる迄(まで)は、それ自身になり切らないと云う点でしょう。でしょうではない、正にそうです。この点だけは、外の精神活動に見られません。だから(少し横道にはいれば)私は、芸術が表現だと云う事は本当だと思っています。
まず大体こんな事が、私に小説を書かせる直接な要求です。勿論(もちろん)間接にはまだ色々な要求があるでしょう。或(あるい)はその中に、人道的と云う形容詞を冠せられるようなものも交っているかも知れません。が、それはどこまでも間接な要求です。私は始終、平凡に、通俗に唯書きたいから書いて来ました。今後も又そうするでしょう。又そうするより外に、仕方がありません。 (
「はっきりした形をとる為めに――余は如何なる要求に依り、如何なる態度に於て創作をなす乎(か)――」 『新潮』 1917.11)
■スタイルも外のものと変りがありません。読んで読み飽かない、読む度に寧(むしろ)今までの気のつかない美しさがしみ出して来る。そう云うスタイルがほんとうのスタイルです。ほんとうのスタイルは今も数える程しかありません。
森[鷗外]さんのスタイルは正にそのほんものゝ一つです。 (「ほんものゝスタイル」 『中央文学』 1917.11)
■イズムを持つ必要があるかどうか。こう云う問題が出たのですが、(…)実を云うとこの問題の性質が、私には良く飲み込めません。イズムと云う意味や必要と云う意味が、考え次第でどうにでも曲げられそうです。又それを常識で一通りの解釈をしても、イズムを持つと云う事がどう云う事か、それもいろいろにこじつけられるでしょう。
それを差当り、我々が皆ロマンティケル [独 Romantiker] とかナトゥラリスト [独 Nraturalist] とかになる必要があるかと云う、通俗な意味に解釈すれば、勿論(もちろん)そんな必要はありません。と云うよりも寧(むしろ)それは出来ない相談だと思います。元来そう云うイズムなるものは、便宜上 後になって批評家に案出されたものなんだから、自分の思想なり感情なりの傾向の全部が、蔽(おおわ)れる訳はないでしょう。全部が蔽(おおわ)れなければそれを肩書にする必要はありますまい。(…)
又そのイズムと云う意味をひっくり返して自分の内部活動の全傾向を或(ある)イズムと名づけるなら、この問題は答を求める前に、消滅してしまいます。それからその場合のイズムに或(ある)名前をくっつけて、それを看板にする事も、勿論(もちろん)必要とは云われますまい。
又そのイズムと云う語を或(ある)思想上の主張と翻訳すれば、この場合もやはり前と同じ事が云われましょう。(…) (「イズムと云う語の意味次第」 『新潮』 1918.5)
■(…)よく人が云うように、芸術は正に表現である。表現されていない限りに於(おい)て、作者がどんな思想を持っていようが、どんな情緒を蓄えていようが、それは作品の評価に於ては無いのと選ぶ所はない。作者の見た所、感じた所は、すべてそこに表現された上で、始めて、批判に上り得るのである。そうして今世間普通に通用する如く、その表現の手段に腕と云う名を与えるとすれば、それが「うますぎる」と云うのは、抑(そもそも)奇怪千万では無いか。(…)
もう一度繰り返すと、芸術は正に表現である。そうして表現する所は、勿論(もちろん)作家自身の外はない。では如何に腕が達者だからと云って、如何に巧(たくみ)に技巧を駆使したからと云って、それは到底作家自身の見た所、或(あるい)は感じた所を出よう筈(はず)がない。尤(もっと)も世間には往々作品の出来上る順序を、先(ま)ず始(はじめ)に内容があって、次にそれを或(ある)技巧によって表現する如く考えているものがある。が、これは創作の消息に通じないものか、或(あるい)は通じていても、その間の省察に明を欠いた手合いたるに過ぎない。簡単な例をとって見ても、単に「赤い」と云うのと、「柿のように赤い」と云うのとは、そこに加わった小手先の問題ではなくて、始からある感じ方の相違である。技巧の有無ではなくて、内容の相違である。いや、技巧と内容とが一つになった、表現そのものゝ問題である。だから腕の問題は、唯うまいか、まずいかによってのみ決せられる可(べ)きもので、いくらすぎたくもすぎられると云う訳がない。(…) (「或悪傾向を排す」 『中外』 1918.11 )
■(…)*/ 芸術家は何よりも作品の完成を期せねばならぬ。さもなければ、芸術に奉仕する事が無意味になってしまうだろう。たとい人道的感激にしても、それだけを求めるなら、単に説教を聞く事からも得られる筈(はず)だ。芸術に奉仕する以上、僕らの作品の与えるものは、何よりもまず芸術的感激でなければならぬ。それには唯僕等が作品の完成を期する外に途はないのだ。
*/ 芸術の為の芸術は、一歩を転ずれば芸術遊戯説に堕ちる。/人生の為の芸術は、一歩を転ずれば芸術功利説に堕ちる。
*/ 完成とは読んでそつのない作品を拵(こしら)える事ではない。分化発達した芸術上の理想のそれぞれを完全に実現させる事だ。それがいつも出来なければ、その芸術家は恥じなければならぬ。従って又偉大なる芸術家とは、この完成の領域が最も大規模な芸術家なのだ。一例を挙げればゲエテの如き。(…)
*/ 樹の枝にいる一匹の毛虫は、気温、天候、鳥類等の敵の為に、絶えず生命の危険に迫られている。芸術家もその生命を保って行く為に、この毛虫の通りの危険を凌(しの)がなければならぬ。就中(なかんずく)恐る可(べ)きものは停滞だ。いや、芸術の境に停滞と云う事はない。進歩しなければ必(かならず)退歩するのだ。芸術家が退歩する時、常に一種の自動作用が始まる。と云う意味は、同じような作品ばかり書く事だ。自動作用が始まったら、それは芸術家としての死に瀕したものと思わなければならぬ。(…)
*/ より正しい芸術観を持っているものが、必(かならず)しもより善い作品を書くとは限っていない。そう考える時、寂しい気がするのは、独りぼくだけだろうか。(…)
*/ 内容が本で形式は末だ。――そう云う説が流行している。が、それはほんとうらしい嘘だ。内容とは必然に形式と一になった内容だ。まず内容があって形式は後から拵(こしら)えるものだと思うものがあったら、それは創作の真諦に盲目なものの言なのだ。(…)「太陽が欲しい」「暗い」とは、理屈の上では同じかも知れぬ。が、その言葉の内容の上では、真に相隔つ事白雲万里だ。あの「太陽が欲しい」と云う荘厳な言葉の内容は、唯「太陽が欲しい」と云う形式より外に現せないのだ。その内容と形式との一つになった全体を的確に捉え得た所が、イブセンの偉い所なのだ。(…)
*/ ぼくは芸術上のあらゆる反抗の精神に同情する。たといそれが時として、ぼく自身に対するものであっても。(…)
*/ 単純さは尊い。が、芸術に於ける単純さと云うものは、複雑さの極まった単純さなのだ。〆木(しめぎ)をかけた上にも〆木をかけて、絞りぬいた上の単純さなのだ。その単純さを得るまでには、どの位創作的苦労を積まなければならないか、(…) (「芸術その他」 『新潮』
1919.11 )
■(…)文芸は俗に思わるる程、政治と縁なきものにあらず。寧(むし)ろ文芸の特色は政治にも縁のあり得るところに存在するとも云うを得べし。プロレタリアの文芸と云うものこの頃やっと始まりしは反(かえ)って遅すぎる位なり。(…)/唯僕の望むところはプロレタリアたるとブルジョアたるとを問わず、精神に自由を失わざることなり。敵のエゴイズムを看破すると共に、味方のエゴイズムをも看破することなり。こは何人も絶対的にはなし能(あた)わざる所なるべし。されど不可能なることにあらず。プロレタリアは悉(ことごと)く善玉、ブルジョアは悉く悪玉とせば、天下はまことに簡単なり。簡単なるには相違なけれど、――否、日本の文壇も自然主義の洗礼を受けし筈(はず)なり。誰か又賢明なる諸公に自明の理を云云(うんぬん)せんや。(…) (「『改造』プロレタリア文芸の可否を問う」 『改造』1923.2)
■一、僕の社会観、人生観、芸術観から見れば、所謂(いわゆる)プロレタリアの文芸は当(まさ)に存在すべきものである。/二、当に存在すべきものなるが故に、別に反対する必要を見ない。(…) (「当に存在すべきものである――所謂プロレタリア文学と其作家――」 『新潮』
1923.2)
■最も水に憧れるものは水嚢(すいのう)に水を貯(たくわ)えない駱駝背上の旅客である。最も正義に憧れるものは社会に正義を発見しない資本主義治下の革命家である。このように我々人間は最も熱心に求めるものは最も我々に不足したものである。此処(ここ)までは誰の疑うものはあるまい。
しかしこれを真理だとすれば、最も足に憧れるものは足を切断した廃兵である。最も愛に憧れるものは愛を失った恋人である。最も真面目さに憧れるものは――予は論理に従わざるを得ない。真面目さに憧れる小説家、真面目さに憧れる評論家、真面目さに憧れる戯曲家等は悉(ことごと)く彼等自身の心に真面目さを欠いている俗漢である。彼等は元来他人のことを不真面目だなどと云われた義理ではない。況(いわ)んや喜劇的精神の持ち主に兎角の非難を加えるのは僭上を極めた暴行である。
又歴史の教えるところによれば古来真面目なる芸術家は少しも真面目さを振りかざさない。彼らの作品には多少によらず、抑え切れない笑いが漂っている。(…)
人間はパスカルの言葉によればものを考える蘆(あし)である。蘆はものを考えないかどうか――それは予には断言出来ない。しかし蘆は人間のように笑わないことだけは確かである。予は笑い顔の見えないところには、独り真面目さのみならず、人間性の存在をも想像出来ない。真面目さに憧れる小説家、評論家、戯曲家等に敬意を持たないのは当り前である。(「思うままに」 『時事新報』 1923.6.8)
■(…)我我芸術家なるものは実はお隣の奥さんとあまり変らない人間なのです。もし天から降臨したように手前味噌を上げる芸術家があれば、その人は莫迦(ばか)か気違いが或(あるい)は法螺吹(ほらふ)きとお思いなさい。(…)
元来我我芸術家なるものは小説家たり音楽家たると同時に、父たり夫たる人間です。小説家たり音楽家たる点では、何か傑作を残している限り、尊敬される資格を持っているでしょう。しかし父たり夫たる点では必(かならず)しも尊敬に値するかどうか、甚だ怪しいのに違いありません。(…)(「『新家庭』旅行と女人に関する感想を問う」 『新家庭』 1923.7)
■(…)菊池氏は唯うまいだけの作品では慊(あきた)らない、何か作品の中に胸を打つ所が欲しい、其(その)胸を打つ所は何かと言えば、それは芸術的価値でないかも知れない、芸術のみと云うよりは、宗教とか、哲学とかに共通する最高の功利主義に訴えた或る他の価値かも知れない、イヤ他の価値である、そう云うものが欲しいと云うのです。(…)菊池氏の言われる所も御尤(ごもっとも)ではあります。わたしも文芸の作品の中には、何か胸を打つ所が欲しいと思います。又実際感心する作品は胸を打つような作品であります。しかし之(これ)を文芸其(その)物の価値以外に求めることは余り御謙遜に過ぎはしないかと考えるのであります。菊池氏が其(その)価値の標準を文芸以外に置かれるのは、知らず識らずの間にいつか芸術上の形式偏重の弊に陥って居るのではないかと心配する次第であります。それはなぜかと云うと芸術は表現であります。芸術から表現を取去っては芸術は成立たないでありましょう。表現を失っては芸術にならないことは事実である、それは確かでありましょう。しかし何もそうだからと云って吾々の胸を打つ、例えば人道的感激、そう云うものが芸術の価値標準以外にあると云うことにはならない、芸術は表現であるとすれば、表現のある所に芸術ありと言っても差支(さしつかえ)ない筈(はず)であります。(…) (「文芸雑感」 『輔仁会雑誌』 1923.7)
■鑑賞/ 芸術の鑑賞は芸術家自身と鑑賞家との協力である。云わば鑑賞家は一つの作品を課題に彼自身の創作を試みるのに過ぎない。この故に如何なる時代にも名声を失わない作品は必ず種々の鑑賞を可能にする特色を具えている。しかし種々の鑑賞を可能にすると云う意味はアナトオル・フランスの云うように、何処(どこ)か曖昧に出来ている為、どう云う解釈を加えるのもたやすいと云う意味ではあるまい。寧(むし)ろ廬山の峰々のように、種々の立ち場から鑑賞され得る多面性を具えているのであろう。(「侏儒の言葉」 『文芸春秋』 1923.7)
■僕は丸の内の焼け跡を通った。此処(ここ)を通るのは二度目である。この前来た時には馬場先(ばばさき)の濠に何人も泳いでいる人があった。きょうは――僕は見覚えのある濠の向うを眺めた。濠の向うには薬研(やげん)なりに石垣の崩れた処がある。崩れた土は丹(に)のように赤い。崩れぬ土手は青芝の上に不相変(あいかわらず)松をうねらせている。其処(そこ)にきょうも三四人、裸の人人が動いていた。何もそう云う人人は酔興に泳いでいる訣(わけ)ではあるまい。しかし行人たる僕の目にはこの前も丁度(ちょうど)西洋人の描いた水浴の油絵か何かのように見えた。今日も、それは同じである。いや、この前はこちらの岸に小便をしていた土工があった。きょうはそんなものを見かけぬだけ、一層平和に見えた位である。
僕はこう云う景色を見ながら、やはり歩みを続けていた。すると突然濠の上から、思いもよらぬ歌が起った。歌は『懐しのケンタッキイ』である。歌っているのは水の上に頭ばかり出した少年である。僕は妙な興奮を感じた。僕の中にもその少年に声を合せたい心もちを感じた。少年は無心に歌っているのであろう。けれども歌は一瞬の間にいつか僕をとらえていた否定の精神を打ち破ったのである。
芸術は生活の過剰だそうである。成程(なるほど)そうも思われぬことはない。しかし人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である。僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らなければならぬ。更に巧みにその過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ。生活に過剰をあらしめるとは生活を豊富にすることである。
僕は丸の内の焼け跡を通った。けれども僕の目に触れたのは猛火も焼き難い何ものかだった。(「大震雑記」 『中央公論』 1923.10)
■(…)毛生え薬/ 文芸と階級問題との関係は、頭と毛生え薬との関係に似ている。もしちゃんと毛が生えていれば、必(かならず)しも塗る事を必要としない。又もし禿(は)げ頭だったとすれば、恐らくは塗っても利かないであろう。(…)
火渡りの行者/ 社会主義は、理非曲直の問題ではない。単に一つの必然である。僕はこの必然を必然と感じないものには、恰(あたか)も火渡りの行者を見るが如き、驚嘆を禁じ得ない。あの過激思想取締法案とか云うものの如きは、正にこの好例の一つである。(…)(「澄江堂雑記」 『新潮』
1922.4)
■(…)告白/ 「もっと己れの生活を書け、もっと大胆に告白しろ」とは屡(しばしば)、諸君の勧める言葉である。僕も告白をせぬ訳ではない。僕の小説は多少にもせよ、僕の体験の告白である。けれども諸君は承知しない。諸君の僕に勧めるのは僕自身を主人公にし、僕の身の上に起った事件を臆面もなしに書けと云うのである。おまけに巻末の一覧表には主人公たる僕は勿論(もちろん)、作中の人物の本名仮名をずらりと並べろと云うのである。それだけは御免を蒙らざるを得ない。――
第一に僕はもの見高い諸君に僕の暮しの奥底をお目にかけるのは不快である。第二にそう云う告白を種に必要以上の金と名とを着服するのも不快である。(…)(「澄江堂雑記」 『随筆』 1923.11)
■(…)我々はパスカルの言ったように、ものを考える蘆(あし)である。が、実はそればかりではない。一面にはものを考えると共に、多面には又しっきりなしにものを感ずる蘆である。尤(もっと)も感ずると断らないにもせよ、風にその葉をそよがせるのは風を感ずるのと似ているであろう。しかし我々のものを感ずるのは必(かならず)しもそれほど機械的ではない。いや、黄昏(たそがれ)の微風の中に万里の貿易風を感ずることも案外多いことは確かである。たとえば一本の糸杉は微風よりも常人を動かさないかも知れない。けれども天才に燃えていたゴッホはその一本の糸杉にも凄まじい生命を感じたのである。この故に落莫たる人生を十分に享楽する為には、微妙にものを考えると共に、微妙にものを感じなければならぬ。或(あるい)は脳髄を具えていると共に、神経を具えていなければならぬ。(…)(「僻見」 『女性改造』 1924.8,9)
■(…)言語或(あるい)は文字を並べたものは必(かならず)しも文芸ではありません。いま文芸と言うものを一人の人間にたとえれば、言語或(あるい)は文字は肉体であります。如何に肉体は完備していても、魂がはいっていなければ、畢竟(ひっきょう)死骸たるにとゞまるように、如何に言語或(あるい)は文字は並んでいても、文芸をして文芸たらしめるものがなければ、文芸の称を与えることは出来ません。(…)魂は肉体の中にあるものではありません。と言って又肉体の外にもあるものではありません。只肉体を通じてのみその正体を示すものであります。文芸を文芸たらしめるものもやはり魂と変りありません。肉体の外に魂を求めるのは幽霊を信ずる心霊学者であります。(…)
内容と言うものは言わば中味の全体でありますから、一篇の筋や一種の大意を内容と呼ぶのは滑稽であります。若(も)しこれを内容とすれば、一人の人間も一具の骸骨も同じものにならなければなりません。(…)文芸上の作品は一方に内容を持っていると同時に、他方にはその内容に形を与える或(ある)構成上の原則を持っていなければなりません。上に述べた内容に対し、わたしの形式と名づけるのは実にこの構成上の原則を指しているのであります。(…)
或(ある)思想の哲学的価値は必(かならず)しもその作品の文芸的価値と同じものではありません。(…)或(ある)作品の持っている思想とはつまり(…)認識的要素の進化したものでありますから、その思想の哲学的価値はやはりあらゆる認識的要素と同じようにその作品を支配するものと言わなければなりません。しかし或(ある)作品の認識的要素はたといどんなに平凡でも、その作品の文芸的価値まで平凡になるかどうかは疑問であります。(…)文芸上の問題になるのはどう言う思想を持っているかと言うよりも如何にその思想を表現しているかと言うこと、――即ち文芸的全体としてどう言う感銘を生ずるかと言うことであります。(…)
次手(ついで)に昨日流行した、同時に又明日も流行するかも知れないプロレタリアの文芸と言うものに前にも述べた所を当て嵌(は)めて見ましょう。尤(もっと)もプロレタリアの文芸とは何かと言うことはいろいろ議論の余地もあるのに違いありません。しかしここでは便宜上、通俗に所謂(いわゆる)プロレタリアの文芸、――プロレット・カルト [proletcult 社会主義的文化運動] の思想を持っている文芸とでも考えて見れば、やはりその思想のあると言うだけでは経済学上の問題は兎も角も、文芸上の問題にはなり兼ねる筈(はず)であります。(…)プロレット・カルトの思想がないから、あの作品はつまらんと言うのは勿論(もちろん)見当違いも甚だしいものであります。(…) (「文芸一般論」 『文芸講座』 1924.9-1925.4)
■文芸上の作品を鑑賞する為には文芸的素質がなければなりません。文芸的素質のない人は如何なる傑作に親しんでも、如何なる良師に従っても、やはり常に鑑賞上の盲人に了(おわ)る外はないのであります。(…)では文芸的素質さえあれば、文芸上の作品を鑑賞することも容易に出来るものかと言うと、これはそうは行きません。やはり創作と同じように、鑑賞の上にもそれ相当の訓練を受けることが必要であります。(…)天才とは殆(ほとん)ど如何なる時にも訓練を受ける機会を逃さぬ才能と言うことも出来るほどであります。(…)ではこう云う訓練を受けた結果、鑑賞の程度が深くなる、或(あるい)は鑑賞の範囲が広くなることはどう云う役に立つかと言うと、勿論(もちろん)深くなり広くなること自身が人生を豊かにすることは事実であります。人生は生命を銭の代りに払う珈琲店と同じでありますから、いろいろのものが味わえれば、それに越した幸福はありません。が、鑑賞の程度が深くなったり、鑑賞の範囲が広くなったりすることは更に又創作上にも少(すくな)からぬ利益を与える筈(はず)であります。(…)
なお次手(ついで)に断って置きますが、この「文字を読んでその意味を理解する」と言う意味は官報を読んで理解するのと同じように理解するのではありません。わたくしはこの議論の冒頭に文芸的素質のない人は如何に傑作に親しんでも、如何に良師に従っても、鑑賞上の盲人に了(おわ)る外はないと言いました。その「鑑賞上の盲人」とは赤人 人麻呂の長歌を読むこと、銀行や会社の定款(ていかん)を読むのと選ぶ所のない人のことであります。わたしの「理解する」と言う意味は単に桜を一種の花木と理解することを言うのではない。一種の花木と理解すると同時におのずから或(ある)感じを生ずる、――哲学じみた言葉を使えば、認識的に理解すると共に情緒的にも理解することを言うのであります。(…)
古来禅宗の坊さんは「啐啄(さいたく)の機」とか言うことを言います。これは大悟を雛に譬(たと)え、一羽の雛の生れる為には卵の中の雛の啄と卵の外の親鳥の啄と同時に殻を破らなければならぬと言うことを教えたものであります。文芸上の作品を理解するのもやはりこれと変りはありません。読者自身の心境さえ進めば、鑑賞上の難関も破竹のように抜けるものであります。ではその心境を養うにはどう言う道を採るかと言えば、半ばは後に出て来る問題、――即ちどう言うものを鑑賞すれば好いか? 並びにどう言う鑑賞上の議論を参考にすれば好いか? と言う問題にはいりますが、半ばは又人間的修行であります。或(あるい)はもっと通俗的に言えば、一かどの人間になることであります。文学青年ではいけません。当世才子ではいけません。自称天才ではなおいけません。一通りは人情の機微を知ったほんとうの大人になることであります。と言うと「それは大事業だ」とひやかす読者もあるかも知れません。が、鑑賞は御意(ぎょい)の通り、正に一生の大事業であります。(…)
[作者が]「何を書いたか?」を捉える為には種々の教養も必要でありますが、何よりも心得なければならぬことはその作品の中の事件なり或(あるい)は又人物なりを読者自身の身の上に移して見ること、――即ち体験に徴して見ることであります。(…)アナトオル・フランスの言葉の中に「わたしはわたし自身のことを書いている。読者はそれを読む際に読者自身のことを考えられたい」とか言っているのがありました。これは確かに好忠告であります。(…)われわれは文芸上の作品を鑑賞する為にも畢竟(ひっきょう)我々自身の上に立ち戻って来なければなりません。(…)
では何を鑑賞すれば好いか? わたしは古来の傑作を鑑賞するのに限ると思います。これは骨董屋の話でありますが、真贋(しんがん)の見わけに熟する為には「ほんもの」ばかり見なければならぬ、たとい参考の為などと言っても、「にせもの」に目をなじませると、却(かえ)って誤(あやま)り易いと言うことであります。文芸上の作品を鑑賞するのもやはりこの理屈に変りはありません。(…)
しかし古来の傑作と言っても、一概に古代の傑作ばかりを読めと言う次第ではありません。一番利益の多いと共に一番又取(とり)つき易いのは新らしい文芸の古典でしょう。西洋の小説を例にすれば、――(…)ロシアの小説を例にすれば、兎に角トルストイ、ドストエフスキイ、トゥルゲネフ、チェホフなどをお読みなさい。無暗(むやみ)と新らしいものに手をつけるのはジャアナリストと三越呉服店とに任せて置けば沢山であります。それよりも偉大なる前人の苦心の痕(あと)をお味(あじわ)いなさい。時代遅れになることなどは心配する必要はありません。片々たる新作品こそ却(かえっ)て忽(たちま)ち時代遅れになります。(…) (「文芸鑑賞講座」 『文芸講座』 1924.10-1925.4)
■(…)
久米[正雄] 結局世界の文学を通じて主流となるのは健全なプロレタリア文学だと思う。
田山[花袋] その健全ということに解釈が要るでしょう。
芥川[龍之介] 僕は人生に展望を与えるものが世界の文学の主流だと思う。
菊池[寛] 文学を楽しむと云う気持は、そこから慰安を得ると云う気持だからね。何もそれで以て革命精神を起そうと思って読む奴はないのだから。
千葉[亀雄] 慰安は文学の一方だけの役目じゃないか知ら。即ち文学は、楽しませることの外に、何か与えられるものがあると云うことが必要じゃないのですか。
田山 其の楽しませるにもたくさん段階がある。
菊池 段階があるけれども、一番高級な所に行って高級な意味で楽しませれば……
芥川 小説家は一番高級の所に行ってさえ、商売人に似て居る所がある、如何なる世界的文豪でもそうだ。楽しませると云うことは観客を考えた上なんだから。
(…)
芥川 思想のない芸術も勿論(もちろん)ある。『ロミオとジュリエット』には思想はない。『真夏の夜の夢』にも思想はない。
芥川 僕には一人前の脳髄と心臓と末梢神経との みんなを持って居る作品が一番宜(い)いね、簡単に言えば。(…)(新潮合評会 四 1924.10)
■こゝではプロレタリア文学の悪口をいうのではない。これを弁護しようと思う。しかし私は一般にブルジョア作家と目されている所より、お前などが弁護する必要がないといわれるかも知れない。
プロレタリア文学とは何であるか。これには色々の人がそれぞれ異(ことな)った見解を述べているが、私はプロレタリア文明の生んだ文学でブルジョア文明の生んだブルジョア文学と対比すべきものであると思う。しかし現在の社会にはプロレタリア文明は存在しない故にその文明に依って生れたプロレタリア文学はない筈(はず)である。故に何か外にあてはまるものはないかといえば、同じプルジョア文明の生んだ文芸の中の一つをプロレタリア文学と見ることであろう。(…)[バーナード]ショオのものにはプロレタリアの生活が表向きに書かれていない。出てくる人物は大抵プルジョア若(も)しくは中産階級である。しかし彼の作品を目して[なぜ]プロレタリア文学というかといえば、人物や生活はプロレタリアのそれでなくても背後にブルジョア生活等の崩壊が暗示されているからである。従ってプロレタリア文学とブルジョア文学との区別は作者や題材によってできるものではない。即ち作者の態度で決定されるものであろう。作者がプロレタリアの精神に反対か賛成かで分(わか)たれるものである。而(しか)してプロレタリアの精神にそれは表向きでなくても味方である作者の描いたものは勢いプロレタリア文学である。(…)その芸術に何でもプロレタリアの精神が表現されていないからといってプルジョア芸術と呼ぶのは的に外れた考えである。故に明らかにプロレタリア精神に反抗する意表に出(いで)たものゝみがプロレタリア文学に対立すべきものである。(…)
プロレタリア文学は矢張りうまいものでなければならない。まずいものではいけない、なぜかというに譬(たと)えプロレタリア文学は宣伝を陰に陽に主張していることによって創造出来る如く、彼らの目的はプロレタリアの天下を将来させるための一つの啓蒙的な一時的なものであるといっても、将来は文学として立派なプロレタリア文学が出来るが、現在ではその踏み台だ。それでいゝ、それだからまずくてもいゝという論は立たないと思う。又あらゆる文芸は死滅せざるを得ない。伝統は滅びる。しかし過去の死滅した文学もその当時にあっては立派に生きていたように、将来はいゝものが必ず出来るからといって現在のプロレタリア文学の不完全が是認出来ないのである。現在でもいゝプロレタリア文学を造らなければならない。(…)一つの過渡期における産物、将来の足場同様のプロレタリア文学といっても、現在のわれわれの胸を打つ力のあるものでなければならない。相当芸術品としてものになっているものでなければならない。(…)
私が文壇においてプロレタリア文学の叫びは三四年耳にすのであるが、私の目する所をもってすれば私達の胸を打つプロレタリア文学なるものは未(いま)だ嘗(かつ)て形ちをもつに至らざる処女地のようなものであると思う。私達今の作家の多くが所謂(いわゆる)ブルジョア的である故にこれから新しい文学を樹立せんとする新人は大いにプロレタリア文学の処女地を開拓すべきであろうと思う。いゝものはいゝのである。プロレタリア文学の完成を私は大いに期待するものである。(「プロレタリア文学論」 『秋田魁新報』
1924.11.2,4)
■わたしの愛する作品/ わたしの愛する作品は、――文芸上の作品は畢竟(ひっきょう)作家の人間を感ずることの出来る作品である。人間を――頭脳と心臓と官能とを一人前に具えた人間を。しかし不幸にも大抵の作家はどれか一つを欠いた片輪である。(尤(もっと)も時には偉大なる片輪に敬服することもない訣(わけ)ではない。)(「侏儒の言葉」 『文芸春秋』 1925.1)こ
■芥川 自然主義には勿論(もちろん)反対しています。しかし耽美主義にも反対しています。耽美主義は手法や何かを見ると、全然自然主義と反対のようですが、耽美主義者の物質主義的人生観は非常に自然主義に近いと思います。(新潮合評会(五)
1925.1)
■記者 社会主義の理論が、実際実現される事が可能だとお信じになりますか。
芥川 それは可能ですね。革命を実現させるような種々な条件が具(そなわ)り、そうして革命を実現させるような人格、例えばレニンのような者が出れば実現できますね。しかし現代の日本にそう言う条件が具(そなわ)っているかどうかは疑問ですね。(「芥川龍之介氏との一時間」 『新潮』 1925.2)
■(…)それから小生はせっかちな革命家には同情しません。(あなたは若いから仕方がないが)プルジョアジイは倒れるでしょう。ブルジョアジイに取ってかわったプロレタリア独裁も倒れるでしょう。その後にマルクスの夢みていた無国家の時代も現れるでしょう。しかしその前途は遼遠です。何万人かの人間さえ殺せば直ちに天国になると言う訣(わけ)には行きません。あなたはコンミュニズムの信徒でしょう。それならば過去数年来、ソヴィエットが採って来た資本主義的政策を知っている筈(はず)です。又資本主義的政策を採ることを必要としたロシアの、――少くともレニンの衷情を知っている筈(はず)です。我々は皆根気よく歩きつづけなければなりません。あせったり、騒いだり、ヒステリイを起したりするのは畢竟(ひっきょう)唯御当人の芝居気を満足させるだけです。尤(もっと)も小生自身にしても、悠々迫らずなどと言う大自在は得ていません。まず多少役立ち得る歯止めを具えた馬車位の極(ごく)小自在を得ているだけです。しかしまあ余り癇(かん)をたかぶらせずに歩いて行きたいとは思っています。あなたも息切れのしない為にはやはり気長になる工夫が必要でしょう。現に西洋の革命家も存外短兵急ばかりではないようです。あなたはそうは思いませんか?(赤木健介宛書簡 1925.5.7)
■(…)「嘘ではない」と言うことは実際上の問題は兎に角、芸術上の問題には何の権威をも持ってはいません。これは文芸以外の芸術、――たとえば絵画を考えて見れば、誰も高野の赤不動の前にこう言う火を背負った怪物は実際いるかどうかなどと考えて見ないのでも明らかであります。けれどもこれだけの理由により、「嘘ではない」と言うことを一笑に付してしまうのは余りに簡単でありましょう。実際又「嘘ではない」と言うことは何か特に文芸の上には意味ありげに見えるのに違いありません。ではなぜ意味ありげに見えるかと言えば、それは文芸は他の芸術よりも道徳や功利の考えなどと深い関係のあるように考えられているからでありましょう。が、文芸もこう言うものと全然縁の無い事はやはり他の芸術と異(ことな)なません。成程僕らは実際的には、――何をいつ誰に公にするか等の問題には道徳や功利の考えをも顧慮することになるでありましょう。しかしそこを通り越した文芸それ自身としての文芸は何の拘束も持っていない、風のように自由を極めたものであります。若(も)し又自由を極めていないとすれば、僕等は文芸の内在的価値などを云々することは出来ますまい。従って文芸はおのずから上は「文芸化せられたる人生観」より下は社会主義の宣伝機関に至る奴隷的地位に立つ訣(わけ)であります。既に文芸を風のように自由を極めたものとすれば、「嘘ではない」と言うことも勿論(もちろん)一片の落葉のように吹き飛ばされてしまわなければなりません。(…)(「『私』小説論小見――藤澤清造君に――」 『新潮』 1925.11)
■文章/ 僕に「文章に凝りすぎる。そう凝るな」という友だちがある。僕は別段必要以上に文章に凝った覚えはない。文章は何よりもはっきり書きたい。頭の中にあるものをはっきり文章に現(あらわ)したい。僕は只それだけを心がけている。(…)はっきりしない文章にはどうしても感心することは出来ない。少くとも好きになることは出来ない。つまり僕は文章上のアポロ主義を奉ずるものである。
僕は誰に何といわれても、方解石のようにはっきりした、曖昧を許さぬ文章を書きたい。(「文章と言葉と」 『大阪毎日新聞』 1926.1.4)
■(…)もし厳密に云うとすれば、一人の作家なり、一篇の作品なりは、一時代の外に生きることは出来ない。これは最も切実に一時代の生活を表現する為に小説の支払う租税である。(…)あらゆる文芸の形式中、小説ほど短命に終るものはない、同時に又、一面では小説ほど痛切に生きるものはない。従って又、その点から見れば小説の生命は抒情詩よりも、更に抒情詩的色彩を帯びて居る。つまり小説と云うものは、丁度(ちょうど)稲妻の中に僕らの目前を掠(かす)めて飛ぶ火取虫に近いものなのだろう。(…)
*/ 僕は又、プロレタリア文芸にもかなり、希望を持っている。之(これ)は反語でも何でもない。昨日のプロレタリア文芸は、ただ作家が社会的意識のあることを、唯一無二の条件としていた。然(しか)し源氏物語を源氏物語たらしめたものは、作家が貴婦人たる為でもなければ、取材が宮廷生活たる為でもない。これは云うまでもないことであろう。批評家達は所謂(いわゆる)ブルジョア作家達に社会的意識を持てと云っている。僕もその言葉に異存などはない、然し又、所謂プロレタリア作家にも詩的精神をもてと云い度(た)いのである。(…)(「文芸雑談」 『文芸春秋』 1927.1)
■僕の経験するところによれば、今の小説の読者というものは、大抵はその小説の筋を読んでいる。その次ぎには、その小説の中に描かれた生活に憧憬を持っている。これには時々不思議な気持がしないことはない。
現に僕の知っている或る友人などは随分経済的に苦しい暮らしをしていながら、富豪や華族ばかり出て来る通俗小説を愛読している。のみならず、この人の生活に近い生活を書いた小説には全然興味を持っていない。
第三には、第二と反対に、その次ぎには読者自身の生活に近いものばかり求めている。
僕はこれらを必ずしも悪いこととは思っていない。この三つの心持ちは、同時に僕自身の中(うち)にも存在している。僕は筋の面白い小説を愛読している。それから僕自身の生活に遠い生活を書いた小説も愛読しないことはない。最後に、僕自身の生活に近い小説を愛読していることは勿論(もちろん)である。
然(しか)し、それ等の小説を鑑賞する時に、僕の評価を決定するものは必ずしも、それらの気持ではない。若(も)し僕が(読者として)世間の小説の読者と違っているとするならば、こう云う点にあると思っている。では何が僕の評価を決定するかと云えば感銘の深さとでも云うほかはない。(…)(「小説の読者――文芸の鑑賞と評価――」 『文芸時報』
1927.3)
■十二 詩的精神/ (…)「マダム・ボヴァリイ」も「ハムレット」も「神曲」も「ガリヴァアの旅行記」も悉(ことごと)く詩的精神の産物である。どう云う思想も文芸上の作品の中に盛られる以上、必ずこの詩的精神の浄火を通って来なければならぬ。僕の言うのはその浄火を如何に燃え立たせるかと云うことである。それは半ば以上、天賦の才能によるものかも知れない。いや、精進の力などは存外効のないものであろう。しかしその浄火の熱の高低は直ちに或(ある)作品の価値の高低を定めるのである。(…) (「文芸的な、余りに文芸的な」 『改造』1927.4)
二十三 模倣/ (…)僕等の精神的生活は大抵は古い僕等に対する新しい僕等の戦いである。(「文芸的な、余りに文芸的な」 『改造』 1927.5)
二十七 プロレタリア文芸/ 僕らは時代を超越することは出来ない。のみならず階級を超越することも出来ない。(…)
中産階級の革命家を何人も生んでいるのは確かである。彼らは理論や実行の上に彼等の思想を表現した。が、彼らの魂は果して中産階級を超越していたであろうか? (…)
僕等は僕らの階級の刻印を打たれている。のみならず僕等を拘束するものは必ずしも階級ばかりではない。地理的にも大は日本から小は一市一村に至る僕等の出生地も拘束している。その他遺伝や境遇等も考えれば、僕等は僕等自身の複雑であるに驚嘆せずにはいられないであろう。(しかも僕等を造っているものはいずれも僕の意識の中に登って来るとは限らないのである。)
カアル・マルクスは暫(しばら)く問わず、古来の女子参政権論者はいずれも良妻を伴っていた。科学上の産物さえこう云う条件を示しているとすれば、芸術上の作品は――殊に文芸上の作品はあらゆる条件を示している訣(わけ)である。僕等はそれぞれ異(ことな)った天気の下やそれぞれ異った土の上に芽を出した草と変りはない。同時に又僕等の作品も無数の条件を具えた草の実である。若(も)し神の目に見るとすれば、僕等の作品の一篇に僕等の全生涯を示しているのであろう。
プロレタリア文芸は――プロレタリア文芸とは何であろう? 勿論(もちろん)第一に考えられるのはプロレタリア文明の中に花を開いた文芸である。これは今日の日本にはない。それから次に考えられるものはプロレタリアの為に闘う文芸である。これは日本にもないことなない。(…)第三に考えられるはコミュニズムやアナアキズムの主義を持っていないにもせよ、プロレタリア的魂を根底にした文芸である。第二のプロレタリア文芸は勿論第三のプロレタリア文芸と両立しないものではない。しかし若(も)し多少でも新しい文芸を生ずるとすれば、それはこのプロレタリア的魂の生んだ文芸でなければならぬ。
僕は隅田川の川口に立ち、帆前(ほまえ)船や達磨(だるま)船の集まったのを見ながら今更のように今日の日本に何の表現も受けていない「生活の詩」を感じずにはいられなかった。こう云う「生活の詩」をうたい上げることはこう云う生活者を待たなければならぬ。少くともこう云う生活者にずっと同伴していなければならぬはず(はず)である。コミュニズムやアナアキズムの思想を作品の中に加えることは必ずしもむずかしいことではない。が、その作品の中に石炭のように黒光りのする詩的荘厳を与えるものは畢竟(ひっきょう)プロレタリア的魂だけである。(…) (「文芸的な、余りに文芸的な」 『改造』1927.5)
三十 「野生の呼び声」/ (…)僕は誰かの貼った貼り札によれば、所謂(いわゆる)「芸術派」の一人になっている。(…)僕の作品を作っているのは僕自身の人格を完成する為に作っているのではない。況(いわん)や現世の社会組織を一新する為に作っているのではない。唯僕の中の詩人を完成する為に作っているのである。或(あるい)は詩人兼ジャアナリストを完成する為に作っているのである。従って「野生の呼び声」も僕には等閑に付することは出来ない。(…) (「文芸的な、余りに文芸的な」 『改造』1927.6)
三十六 人生の従軍記者/ (…)「人生の従軍記者」(…)それは恐らくは近来の造語「生活者」に対する意味を持っているのであろう。けれども若(も)し厳密に言えば、苟(いやしく)も娑婆(しゃば)界に生まれたからは何びとも「人生の従軍記者」になることは出来ない。人生は僕等に嫌応(いやおう)なしに「生活者」たることを強いるのである。嫌応(いやおう)なしに生存競争を試みさせなければ措(お)かないのである。(…)
僕等は皆多少の「生活者」である。従って逞(たくま)しい「生活者」にはおのずから敬意を生ずるものである。(…)(「文芸的な、余りに文芸的な」 『改造』1927.8)
三十八 通俗小説/ 所謂(いわゆる)通俗小説とは詩的性格を持った人々の生活を比較的通俗に書いたものであり、所謂芸術小説とは必(かならず)しも詩的性格を持っていない人々の生活を比較的詩的に書いたものである。(…) (「文芸的な、余りに文芸的な」 『改造』1927.8)
三十九 独創/ (…)僕等はたとい意識しないにもせよ、いつか前人の蹤(あと)を追っている。僕等の独創と呼ぶものは僅(わず)かに前人の蹤(あと)を脱したのに過ぎない。しかもほんの一歩位、――いや、一歩でも出ているとすれば、度たび一時代を震わせるのである。のみならず故意に反逆すれば、愈(いよいよ)前人の蹤(あと)を脱することは出来ない。僕は義理にも芸術上の反逆に賛成したいと思う一人である。が、事実上反逆者は決して珍しいものではない。或(あるい)は前人の蹤(あと)を追ったものよりも遥かに多いことであろう。彼等は成程(なるほど)反逆した。しかし何に反逆するかをはっきり感じていなかった。大抵彼らの反逆は前人よりも前人の追従者に対する反逆である。若(も)し前人を感じていたとすれば、――彼等はそれでも反逆したかも知れない。けれどもそこには必然に前人の蹤(あと)を残しているであろう。(…)芸術の進歩も――或(あるい)は変化も如何に大人物を待ったにせよ、一足飛びには面目を改めないのである。(…)
昔から世界には前人の造った大きな花束が一つあった。その花束に一本の花を挿し加えるだけでも大事業である。その為には新しい花束を造る位の意気込みも必要であろう。この意気込みは或(あるい)は錯覚かも知れない。が、錯覚と笑ってしまえば、古来の芸術的天才たちもやはり錯覚を追っていたのであろう。(…) (「文芸的な、余りに文芸的な」 『改造』1927.8)
四十 文芸上の極北/ (…)僕はプロレタリアの戦士諸君の芸術を武器に選んでいるのに可也(かなり)興味を持って眺めている。諸君はいつもこの武器を自由自在に揮(ふる)うであろう。(…)しかし又この武器はいつの間にか諸君を静かに立たせるかも知れない。ハイネはこの武器に抑えられながら、然もこの武器を揮った一人である。ハイネの無言の呻吟(しんぎん)は或(あるい)はそこに潜んでいたであろう。僕はこの武器の力を全身に感じている。従って諸君のこの武器を揮うのも人ごとのようには眺めていない。(…) (「文芸的な、余りに文芸的な」 『改造』1927.8)
■二 時代/ 僕等は時々こう考えている。――僕の書いた文章はたとい僕が生まれなかったにしても、誰かきっと書いたに違いない。従って僕自身の作品よりも寧(むし)ろ一時代の土の上に生えた何本かの草の一本である。すると僕自身の自慢にはならない。(現に彼等は彼等を待たなければ、書かれなかった作品を書いている。勿論(もちろん)そこに一時代は影を落としているにしても。)僕はこう考える度に必ず妙にがっかりしてしまう。(「続 文芸的な、余りに文芸的な」 『文芸春秋』 1927.4)
八 コクトオの言葉/ 「芸術は科学の肉化したものである」と云うコクトオの言葉は中(あた)っている。尤(もっと)も僕の解釈によれば、「科学の肉化したもの」と云う意味は「科学に肉をつけた」と云う意味ではない。科学に肉をつけることなどは職人でも容易に出来るであろう。芸術はおのずから血肉の中に科学を具えている筈(はず)である。いろいろの科学者は芸術の中から彼らの科学を見つけるのに過ぎない。芸術の――或(あるい)は直感の尊さはそこに存しているのである。
僕はこのコクトオの言葉の新時代の芸術家たちに方向を錯(あやま)らせることを惧(おそ)れている。あらゆる芸術上の傑作は「二二が四」に終っているかも知れない。しかし決して「二二が四」から始まっているとは限らないのである。僕は必(かならず)しも科学的精神を抛(ほう)ってしまえと云うのではない。が、科学的精神は詩的精神を重んずる所に逆説的にも潜んでいると云う事実だけを指摘したいのである。(「続 文芸的な、余りに文芸的な」 『文芸春秋』
1927.7)
■5 生活者/ クリストは最速度の生活者である。仏陀は成道する為に何年かを雪山の中に暮らした。しかしクリストは洗礼を受けると、四十日の断食の後、忽(たちま)ち古代のジャアナリストになった。彼はみずから燃え尽きようとする一本の蝋燭(ろうそく)にそっくりである。彼の所業やジャアナリズムは即ちこの蝋燭の蝋涙だった。(「続 西方の人」 『改造』 1927.9)
22 貧しい人たちに/ クリストのジャアナリズムは貧しい人たちや奴隷を慰めることになった。それは勿論(もちろん)天国などに行こうと思わない貴族や金持ちに都合の善かった為もあるであろう。しかし彼の天才は彼等を動かさずにはいなかったのである。いや、彼等ばかりではない。我々も彼のジャアナリズムの中に何か美しいものを見出している。何度叩(たた)いても開かれない門のあることは我々も亦(また)知らないわけではない。狭い門からはいることもやはり我々には必(かならず)しも幸福ではないことを示している。しかし彼のジャアナリズムはいつも無花果(いちじく)のように甘みを持っている。(…) (「続 西方の人」 『改造』 1927.9)
■七 文芸は文章に表現を托する芸術なり。従って文章を錬鍛するは勿論(もちろん)小説家は怠るべからず。若(も)し一つの言葉の美しさに恍惚たること能(あた)わざるものは、小説家たる資格の上に多少の欠点ありと覚悟すべし。西鶴の「阿蘭陀(オランダ)西鶴」の名を得たるは必(かならず)しも一時代の小説上の約束を破りたる為にあらず。彼の俳諧より悟入したる言葉の美しさを知りたる為なり。(「小説作法十則」 『新潮』 1927.9)
九 小説家たらんとするものは常に哲学的、自然科学的、経済科学的思想に反応する能(あた)わず。従ってかかる思想に反応することを警戒すべし。如何なる思想乃至(ないし)理論も人間獣の依然たる限りは人間獣の一生を支配する能わず。従ってかかる思想に反応するは(少くとも意識的に)人間獣の一生、――即ち人生に相亘(あいわた)るに不便なりと知るべし。ありのままに見、ありのままに描くを写生と言う。小説家たる便法は写生するに若(し)かず。但(だだ)しここに「ありのまま」と言うは「彼自身の見たありのまま」なり。「借用証文を入れたるありのまま」にあらず。(「小説作法十則」 『新潮』 1927.9)
■(…)
或声 しかしお前のしたことは人間らしさを具えている。
僕 最も人間らしいことは同時に又動物らしいことだ。
或声 お前のしたことは悪いことではない。お前は唯現代の社会制度の為に苦しんでいるのだ。
僕 社会制度は変ったとしても、僕の行為は何人かの人を不幸にするのに極(きま)っている。
(…)
或声 お前は兎に角苦しんでいる。お前は良心のない人間ではない。
僕 僕は良心など持っていない。持っているのは神経だけだ。
(…)
或声 お前は詩人だ。芸術家だ。お前には何事も許されている。
僕 僕は詩人だ。芸術家だ。けれども又社会の一分子だ。僕の十字架を負うのは不思議ではない。それでもまだ軽過ぎるだろう。
(…)
或声 お前はお前のエゴを忘れている。お前の個性を尊重し、俗悪な民衆を軽蔑しろ。
僕 僕はお前に言われずとも僕の個性を尊重している。しかし民衆を軽蔑しない。僕はいつかこう云った。――「玉は砕けても、瓦は砕けない。」 シェイクスピイアやゲエテや近松門左衛門はいつか一度は滅びるであろう。しかし彼等を生んだ胎は、――大いなる民衆は滅びない。あらゆる芸術は形を変えても、必ずそのうちから生れるだろう。
(…)
(「暗中問答(遺稿)」 『文芸春秋』 1927.9)
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