資料:鑑賞主義論争
岩波講座  国語教育〔国語教育の諸問題〕」 昭和12(1937)年9月 所収    

  古典及び古典教育について         岡崎義恵    

 
       (省略)

     


 先(ま)ず「古典」という漢字の語義を考えてみると、「典」はもと冊を台の上に載せた形であるから、書籍を尊重する意味を持って居ると思われる。そうして堯典・舜典の如き五帝の書を五典と称するより始まると言われるが、次第にその適用の範囲は広くなって、一般に範とすべき文献を意味するに至ったと思われる。一方「典」の字は書冊の意味を離れて典型・法則・規準という意味にもなった。それで今日では、「典」の字は書冊の意味と典型の意味とに二分して、全く異なる二様の用法を持つ如く思われるのであるが、しかし、元来これは一つに結合したものであったであろう。「古典」という場合でも、古代の典籍という意味と古代の典型という意味と両様になって居り、其(その)用例は辞書を見れば夫々(それぞれ)載せられているのであるが、両者は全く無関係なものではないのである。
 今日文芸などについて、この漢字の意味に即して「古典」の語を用いる場合は、無論古代の典籍という意味である。然
(しか)るに此(この)場合、これを単に古い書籍という意味に用いる者と、単にそれだけでなく、特に典型とすべき古文献という意味に用いる者との別が生じている。そうして後者の意味で用いる者の間にも、この典型・規準という如き価値的見地を、極めて強く含ませる者と、比較的軽く含ませる者とがあって、細かく見れば「古典」の語に伴う語感というものは、かなり複雑であり、その背後にはかかる語感を付与する使用者の立場というものが揺曳(ようえい)して居るのである。
 私は「典」の字の原型から考えて、「古典」という語に価値的意味を付与するのが当然であると思うのであるが、しかし古来の用例を十分に調べては居ないのであるから、単なる古書という意味に使えないと言い切ってしまう事は出来ない。そういう用法は古来の用例から見て誤
(あやまり)であるという断定は、それ故今は差控えるが、唯(ただ)そういう用法を好んで採用する人は、とにかく古い文献が今日の時代をも支配する力を持つものであるという考え方を、余り喜ばない人か、又は古書には何でも同様な価値があるとする為に、特に規準とすべき古書があるという考(かんがえ)を起し得ない人かであるに相違ない。後者の例としては古本屋の目録や図書館の分類などに現われる「古典」の語の用法を挙げる事が出来るであろうが、前者の例として左の如きものを指摘し得る。 
 古典は単なる過去の文芸ではなく、高度の芸術的価値を持って、現代に生きているものでなければならぬという説がある。これは西洋のクラシックに対する考を受容(うけい)れたものであろうと思われるが、今の時代に、過去のどういう文芸が、果して、いう所の高い芸術的価値を持って実際に生きているかは、容易に片づけてしまえる問題ではあるまい。第一、過去の歴史的作品を、現代の観点に立って評価するということは、一体何を意味するのか、ということが、まず十分に検討されなければならないし、その場合、当該作品の芸術的価値を測定する基準は、果して何であるかも、明瞭にされなければならない。それらのことがはっきりした上でなければ、どれとどれとが前記の意味における古典といえるかは、具体的にきめられないわけである。
 私のここで古典または古典文芸というのは、さしあたり、そういう因縁づきの古典を指すのではなく、一般に現代文芸と区別して考えられる過去の文芸を総括するものとして、論を進めたいと思う。(「国語・国文」七ノ七、石山徹郎氏「古典の鑑賞と評価」)
これは特に文芸の問題について論じて居るもので、一般に古典の問題ではないが、文芸における古典というものは、文芸的価値の点において今日でも規準となるべきものを指すのが、寧(むし)ろ一般の通念であり、そういう規準となるべき価値を定める事はいかに困難であろうとも、それを考える事なしに古典というものは考えられない筈(はず)である。然るに此(この)説はそれを斥(しりぞ)けて「因縁づきの古典」という風に幾分嘲笑的態度を採って居り、結局は古典否定というような方向に向っているのである。そうして、かようにして単に「過去の文芸を総括するもの」と考えられた「古典文芸」なるものは、此説によると、その結論において、次の如き取扱(とりあつかい)を受くべきものとされるのである。
……当世に不遇な作家は往々知己(ちき)を千載の後に俟(ま)つというようなことを考えたり言ったりすることもあるが、創作に当って実際に死後の読者を予想して書くというようなことは例外で、普通は目前の読者を目当てにして書くのであり、読者の側でも、現在作られたものを自分達のものとして享受するのである。従って、文芸作品は原則としてこれをそのつくられた当時に位置せしめて見なければならない。即ちその形成と働きかけとが、歴史上の一定点において結合した時に、その作品が文芸として実際に生きたのであるから、古典評価の最も正しい方法は、作品の作られた当時におけるその結合に即してなされるものでなければならない。(石山徹郎氏、同前)
かようにして「古典」とは単に古い作品ということであり、古いものはその古い時代にどのように受容されたかという事が問題となるだけであって、今日からそれを観る時には、唯過去のそういう歴史的事実を知る資料として意味があるだけであり、その歴史的事実の認識は何等か今日の実践にも参考になるような役割を持つではあろうが、直接に、その古典が持つ文芸的機能が、今日の文芸的要求を満たすという事はあり得ないものであるという事になるのである。
 此説によると、或
(ある)作品は唯其(ただその)時代の読者にのみ働きかける事が目的であり、事実そういうものでしかあり得ないのである。「万葉集」という名称も、「(中略)偽ヲ削リ実ヲ定メ、後葉ニ流(つたへ)ント欲ス。」[訓点付きの漢文を書き下し文に改めた。]という古事記の序文も、「よろづのまつりごとをきこしめすいとま、もろもろの事を捨て給はぬあまりに、いにしへの事をも忘れじ、ふりにし事をもおこし給ふとて、今もみそなはし、後の世にも伝はれとて、……」という古今集の序も、「善きも悪しきも、世に経る人の有様の、見るにも飽かず、聞くにもあまることを、後の世にも言い伝へさせまほしき節々を、心に籠(こ)め難くて、言い置き始めたるなり。」という源氏物語蛍の巻の物語論も、すべて空言に近きものとなるのである。文芸作家がその時代に容れられず、知己を千載の後に俟つという事も、素(もと)より時に見られる現象であろうが、それよりも重大な事は、真に誠実なる作家、心に古典的価値を捷(か)ち得る作家は、其時代の読者にも忠実であるであろうが、それにもまして後代の、恐らく永遠の読者を期待して、そういう信念の下に筆を執るのではないかと思われる。大作家が、唯その時代の社会──その時代といっても、朝に読んで夕に忘れる日刊新聞の読者の世界の如きものを目当(めあて)にしてのみ筆を執るものであろうか。単に一時代といっても、或(ある)程度の永続性を持っている。数代に被光せんとする希望を持って制作することは、寧ろ普通の事であり、目の届かない位の永さ、即ち永遠という名に値する位の永さに亘(わた)って生きようとする作家こそ真の古典的作家ではないであろうか。「古典」という言葉を瞬間にして消滅する過去を意味するだけのものと考えるのは、歴史というものを全く単なる転変と解する者ではなかろうか。
 
(しか)も、かかる見地は今日所謂(いわゆる)国文学界においては歴史的・社会的立場として認められている。歴史というものを持続的なものとして見ず、社会というものを階級的限界内のものとして見ようとする立場が此処(ここ)にある。前に引用した論文の如きは尚(なお)微温的であり、従って穏健とも考えられるものであるが、中にはかなり極端な左翼的位置に立つものも此(この)一類に見出されるのである。思うにこれはマルクス主義の亜流である。左翼文士の活躍した頃の論文に見られた口調が、此処には著しく面影を留めている。今日では余程(よほど)偽装しても居り、軟化もして居るが、尚(なお)(おお)ふ事の出来ない赤化思想への傾きを見出さないわけにはゆかない。唯物論研究などという雑誌とも連絡があるようであり、ソヴィエット文芸学への追随の跡も認められる。此派を行く所まで行かせると、当然赤化行動に迄(まで)進むに相違ない。「文芸史における古典の評価は、その作品を問題にすることの現代的意義の評価にはじまり、それの歴史的意義の評価に了(おわ)る、唯その一つの規準を規準としておこなわる可(べ)きものなのである。」(「文学」五ノ四、熊谷孝氏「古典評価の規準の問題」)という如き言葉を、唯これだけ見ると、従来の保守的な実証主義的歴史学者などをも首肯せしめそうに思われるのであるが、此処にいう「現代的意義の評価」なるものは、階級闘争によるプロレタリアの進出を助ける如きものを価値ありとする事であり、「歴史的意義の評価」なるものは、かかるプロレタリアのイディオロギーに理論的基礎を与えるような、階級闘争の為に役立った文芸の実践力を明かにする事ではなかろうかと私は考える。これについては此派の人々は強いて十分な説明を施さないようであるが、私の想定は誤って居るであろうか。若(も)し誤っていないとすれば、かかる立場に立つ潜行的マルクス主義者が、国文学界に活躍し、教育界に巣食うという事は、いかように考えてよいものであろうか。
 
 (中略)

 しかし古典というものが、前述の如く、理論的にも歴史的にも、不易性を以てその本質となし、文化に秩序を与え、歴史を指導するものであるとするならば、これは全く異なる意義を持って我々に迫って来るのである。古典の鑑賞とは、古典の制作された当時の理念を我々の中に生かす事であり、これによって歴史の進路に一貫性を確保する事である。文芸の場合で言えば、古典人が言語という伝達機関の中に形象化し、不朽ならしめた美的感情、美的観照の世界を、今も尚
(なお)生き生きと、我々の内に感じ、これによって我々の生の根本的方向を体得し、生の光栄ある進行から落伍したり、迷い出でたりしないようにする事である。これはしかし必ずしもあらゆる細かな生の発現を一々古典の末節によって規定せんとするものではない。飽くまでも根源的なもの、本質的なものを過去の優れたる生活者から教えられんとする事に外ならない。
 古典の科学的研究という事も、これとその使命においては異なる所はないのである。古典の研究とは古典を史料として、単に史的原理を知らんとする事だけではない。古典の中に記念碑的な形態で封じこめられている所の歴史的主体の本質を知性によって照らし出そうとする事である。これは、とりもなおさずかの鑑賞という感性的方法によってなした所を、今一度知性によって組織し直す事を意味するのである。古典文芸の学術的研究とは、必ずしも古典鑑賞を意味するのではない。又古典鑑賞に役立つような種々の前駆的・準備的事項の科学的究明ではない。例えば古典を味わう為にその当時の時代的特徴や、風俗・言語・制度等を明らかにするというような事が、古典文芸 の学術的研究なのではない。かような事は、唯古典を知る為に他の関係事項の研究であって、古典そのものの研究ではないのである。古典の研究とは、かかる準備的研究の後に、古典そのものの精神を闡明
(せんめい)する事でなければならない。文芸の場合では、かの感性を以てした鑑賞そのものの本質を、更に知性的な形態に組織し直して見る事の外ならないのである。
 我々が古典を認める心は、我々の歴史的進路に何等かの規準を求める心である。歴史は全く盲目的に転々するものではなく、その出発点から一つの方向を持って居るものであるとし、その方向を指示する規範として、我々は文化的所産の中から古典的なるものを選び出すのである。古典はそれ故歴史の道標であり、常に歴史的世界の存在者の顧みてゆかねばならない尺度である。古典はそれ自身単に一つの歴史上の所産に過ぎないように見えながら、実は一切の歴史の典型としての意味を持つのである。これは一切の文化的行動の模範であるから、歴史と文化とを支配する権威なのである。
 
いわゆる歴史・社会主義者、その最も尖鋭(せんえい)的なものとしての赤化主義者の如きは、かような権威を排斥する。歴史の進路、文化の創造は、唯自分達の世界──恐らくプロレタリア階級というもの──に規準を求めらるべきものであるとして、過去から伝わる規準を否定しようとする。しかし過去から一貫して来た規準を全く採用しないならば、恐らく自分達の規準も亦(また)見失われるに相違ない。(も)し自分達の規準というものが、単にそれだけのものではなく、公(おおやけ)の規準に合するならば、それは却(かえ)って新しき権威と力ある支配性とを、公の規準に賦与する事のもなり得るであろうが、真に自分達だけにしか通用しない規準は、歴史の全行路にとって、正しい方向に位置しているとは言えず、恐らく後代からは邪道と見られるであろう。
 
 (中略)

     
 (中略)

 無論激しく古典主義的立場を排撃する人々、即ち、極端な浪漫主義者、虚無主義者、現実主義者、未来主義者の如きは、如上
(にょじょう)の「古典」解釈に興味を持ち難いであろう。それは一応は尤(もっと)もとすべきであるが、しかし特に此処では、最後に古典主義的立場について一場の支持説を弁じて置きたい。私自身嘗(かつ)てはかなりの反古典主義者であった。古典的権威の重圧を屑(いさぎよ)しとしない風さえあったのである。しかし近時次第に古典主義の価値を私は認めようとするようになった。何といっても古典主義は、その盟友たる精神的理想主義と共に中庸穏健の道である。教育的見地に立つ時一層そのように思われる。今国語教育という見地から見てもそうである。特に高等学校以上の国語教育は、やはり古典主義的古典教育を中枢として進むべきものであろう。其処(そこ)で私は、蛇足の感もあるが、少し古典教育の問題について言葉を加えて、本稿の結末をつけようと思うのである。
 古典の教養というものは、素
(もと)より単に解し難い古書を読んで博識を誇る事などではない。又単に古代の歴史的事実を知って今日の参考に供するという如き外部的な目的しか持たないものではない。古典の本質は古くて新しい不易的なものの存在を証する所にある。それは伝統によって確保され、いかなる批判にも堪え得る強さをもった文化の正道を指示する所にある。さような力のあるものでなければ、真に古典とは言えず、さような力に対して敬虔な心を持つ事なくしては、古典の光に浴する事は出来ないのである。古典の教養とは、畢竟(ひっきょう)この敬虔な心を養って、この不易の力に参与する事でなければならない。これは文化の正道を歩まんとする者によって欠くべからざる修養である、文化的集団の構成員としての義務でもあるのである。古典教育は要するにこれを十分な自覚の下に実践する事に外ならないであろう。
 かかる古典教育を完全に実現する為に第一に要請されるものは、教育者である。古典教育に従事する者の資格として、古典の権威を認め、人格の奥所より古典の道に参ぜんとする熱意を持つ者でなければならない。かような資格を持ち得ない者は自ら反省して寧(むし)ろ被教育者の位置に立つべく、暫(しばら)く教壇より退く事を必要とする。更に古典の道を嘲笑する如き者が誤って古典教育者の中にまぎれ込んでいる事は、真率な人々にとって堪え得る事ではない。教育行政の機関はよろしくかかる不適当なる、或は寧ろ有害なる教育者を芟除(さんじょ)すべきである。
 
 (以下略)
   

資料:鑑賞主義論争熊谷孝 人と学問次頁