< 熊谷孝 文学講座記録 Ⅰ、Ⅱ > 1981年2月20日 1981年3月20日 婦人民主クラブ再建連絡会議主催 |
文学講座 芭蕉文学の世界 Ⅰ 文学講座 芭蕉文学の世界 Ⅱ |
文学講座 芭蕉文学の世界 ・レジュメ(資料) 配布されたレジュメ(資料)は、B4二枚の表・裏にNo.1~No.4のナンバーを付して記載されている。 【No.1】 No.1-1 「芭蕉」 熊谷孝/東京堂 『世界思想教養辞典 日本・東洋編』 芭蕉 〔日本・江戸〕 ばしょう 松尾芭蕉 1644-1694 10/12 (正保一~元禄七) 俳人。本名、松尾宗房(まつおむねふさ)。通称、甚七郎・忠左衛門など。芭蕉はその号。別号、桃青その他。伊賀(三重県)上野の城下町に手習師匠の子として生まれ、一〇歳のころ上野城主の一族、藤堂(とうどう)新七郎家の嗣子良忠(俳号、蝉吟)の小姓となり、俳諧(貞門俳諧)にしたしむ機会を与えられた。二三歳のとき蝉吟(ぜんぎん)の死にあい、武士をやめて貞門俳人の道をえらんだ。二九歳のとき江戸の下り、しだいに談林(だんりん)の俳風への接近を深めていった。しかし、やがて三七歳ごろにはこの一派とも訣別、「野ざらしを心に風のしむ身かな」の『野ざらし紀行』の旅において、『冬の日』(『芭蕉七部集』第一編)の歌仙が名古屋で興行されるころ(一六八四、四一歳)には、その独自の俳風(蕉風)を樹立するにいたった。蕉風の到達点のひとつは、『奥の細道』の旅の後、『猿蓑(さるみの)』の興行(一六九〇・九一、『七部集』第五編)において示された「さび」の境地である。それは、中世和歌文学の「さび」の伝統につながり、それに媒介されつつ、封建的な人間疎外に苦悩する元禄期民衆の悲哀を、離俗の姿勢において歌いあげようとするものである。しかも、そのような哀感を、俳諧が体質的にもつ「をかしみ」の中にとらえようとするのである。さらに、そうした「さび」に徹し、そこを越えたところに、やがて「軽み」の境地が生まれる。『七部集』の第六編『炭俵(すみだわら)』(一六九四)は、蕉門の人々が最後に到達した、そのような俳境の所産であった。かれのことばを引いていえば、「俳諧の益は俗語を正(ただ)す」点にある。それは、「実ありて、しかもかなしびを添ふる」ものでなければならない。しかし、「高く心を悟りて俗に帰る」こと、すなわち、「浅き砂川を見る如く、句の形、付心ともに軽き」句境こそ、風雅究極の理想にほかならない。「門しめてだまつて寐たる面白さ 芭蕉」の境地である。 No.1-2 「歌仙一巻」の構成表 ・初折(しょおり) ・表 一(発句) ――季 二(脇) ――季 三(第三) ――季 (雑)/転の場 四 以下(平句)――雑 五 ――秋 月の定座 /結前生後 六 ――秋 ・裏 一 ――秋 二 ――雑 三 ――雑 四 ――雑 五 ――雑 六 ――雑 七 ――秋 月の定座 八 ――秋 (芭蕉時代)月の定座 九 ――秋 十 ――雑 十一 ――春 花の定座 十二 ――春 ・名残折(なごりのおり) ・表 一 ――春 二 ――雑 三 ――雑 四 ――雑 五 ――雑 六 ――雑 七 ――雑 八 ――雑 九 ――雑 十 ――雑 十一 ――秋 月の定座 十二 ――秋 ・裏 一 ――秋 二 ――秋 三 ――雑 四 ――雑 五 ――春 花の定座 六(挙句) ――春 (以上36句) No.1-2 「歌仙一巻」構成表の注 『山中問答』 ・脇の句は発句と一体の場なり.別に趣向奇語をもとむべからず。唯発句の余情をいひあらはして発句の光をかゝぐる也。 ・第三は或は半節半曲なり。次の句へ及ぼすこゝろ、第三の姿情也。て留は何の為ぞと工夫すべし。 No.1-3 『水無瀬三吟』 雪ながら山本かすむ夕かな 宗祇 行く水遠く梅にほふ里 肖柏 河風に一むら柳春見えて 宗長 舟さすおともしるきあけがた 祇 月やなほきり渡る夜に残るらん 柏 霜おく野はら秋は暮けり 長 No.1-4 『猿蓑』(元禄3、元禄4/1691/48歳) 餞乙州(おとくに)東武行 梅若菜(うめわかな)鞠子(まりこ)の宿(しゅく)のとろゝ汁 芭蕉 かさあたらしき春の曙 乙州 雲雀(ひばり)鳴く小田に土持(つちもつ)頃なれや 珍碩 しとぎ祝ふて下されにけり 素男 片隅に虫歯かゝへて暮の月 乙州 二階の客はたゝれたる秋 芭蕉 No.1-4 「梅若菜」の句の注 『赤さうし』 この句、師のいはく、たくみにて云る句にあらず。ふと云てよろしと跡にてしりたる句也。かくのごとき句は、又せんとは云がたし、と也。 No.1-5 『江戸両吟集』(延宝4/1676/33歳) この梅に牛も初音と鳴きつべし 桃青 ましてや帰る人間の作 信章 春雨のかるうしやれたる世の中に 同 酢味噌まじりの野辺の下萌 青 擂鉢を若紫のすりごろも 青 むし働きの男ありけり 章 No.1-6 宗鑑の前句付 あつたらみかんくさらかしぬる 正月のちやの子にことをかきばかり せんたくせんをあんじこそすれ なれぬればころもの虫もかはゆくて No.1-7 貞門 冬ごもり虫けらまでも穴かしこ 貞徳 山の神の耳の病ひか蝉の声 しおるゝは何かあんずの花の色 雪月花一度に見する卯つ木哉 皆人のひるねの種や秋の月 涼しさのかたまりなれや秋の月 貞室 まざまざといますが如し魂祭 季吟 No.1-8 談林派の俳諧 ① 富士は雪三里裾野や春の景 宗因 菜の花や一本咲きし松のもと 同 玉笹や不断しぐるゝ元箱根 西鶴 大晦日定めなき世の定めかな 同 ② 此頃は寝ても覚めても空を見る 西鶴 出雲千俵売つてのけうか 同 ③ さればこゝに談林の樹あり梅の花 宗因 世俗眠をさますうぐひす 雪柴 ④ 松に藤蛸木にのぼるけしきなり 宗因 三つかしら鶉鳴くなりくわくわくわいくわい 西鶴 りんりん鑵子底ぬけなあに花に酒 顕他 ⑤ 『江戸三吟集』(延宝5/1677/34歳) あら何ともなやきのふは過ぎて河豚汁(ふぐとじる) 桃青 質のながれの天の羽衣 信章 田子の浦波打ちよせて負博奕(まけばくち) 信徳 不首尾で帰る海士の釣舟 桃青 No.1 上段の注『破邪正顕』 あまり上手過て一句の埒明かず、前句への理屈を仕かけて、一句の出来やうを成次第に仕立るをよしとする故に、異やうの狂言になれり。 No.1 二段目の注「阿蘭陀丸二番舟/宗因」※ (※ 青松軒木原宗円『阿蘭陀丸二番船』にみられる宗因の言) 好いた事して遊ぶにしかじ、夢幻の戯言なり。 【No.2】 No.2-9 延宝八年/1680/37歳 深川の芭蕉庵に いづく時雨(しぐれ)傘を手にさげて帰る僧 (『東日記』) 夜竊(ひそ)かに虫は月下の栗を穿(うが)つ (同) No.2-10 天和元年/1681/38歳 芭蕉野分して盥(たらひ)に雨を聞く夜かな (『武蔵曲』) No.2-11 天和二年/1682/39歳 芭蕉 号 No.2-14 貞享元年/1684/41歳 (No.2-12 No.2-13 欠) ・ 『野ざらし紀行』に旅立つ 野ざらしを心に風のしむ身かな
・ 『冬の日』(「木枯の巻」)
狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉 芭蕉 たそやとばしるかさの山茶花 野水 有明の主水(もんど)に酒屋つくらせて 荷兮 かしらの露をふるふあかむま 重五 朝鮮のほそりすゝきのにほひなき 杜国 日のちりぢりに野に米を苅(かる) 正平 No.2-14 付・1 書簡
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No.2-15 『去来抄』
【No.3】 No.3-16 ・『秋の日』(元禄元年/45歳) 秋の田をからせぬ公事(くじ)の長びきて 越人 さいさいながら文字問ひに来る 芭蕉 ・『信夫摺(しのぶずり)』(元禄二年/46歳) (下段No.3-20▼参照) 樟(くす)の小枝に恋を隔てて 芭蕉 うらみては嫁が畠の名もにくし 等躬 ・『去来抄』
No.3-17 『嵯峨日記』(元禄4年/48歳) ・四月二十二日 山里にこは又誰をよぶこ鳥 独(ひとり)すまむとおもひしものを 独住(ひとりすむ)ほどおもしろきはなし。…… うき我をさびしがらせよかんこどり とはある寺に独居(ひとりい)て云(いい)し句なり。 ・同二十七日 人不来(ひときたらず)、終日得閑(かんをえたり)。 No.3-18 『閉関の説』(元禄六年/1693/50歳)
No.3-19 元禄七年(51歳) ・秋深き隣は何をする人ぞ (『笈日記』) ・此道や行人(ゆくひと)なしに秋の暮 (同右) ・旅に病(やん)で夢は枯野をかけ廻る (『三冊子』「赤さうし」) ―――― ―――― ―――― ・上置(うわおき)の干菜(ほしな)刻むもうはの空 野坡 (『炭俵』) ・ 馬に出ぬ日は内で恋する 芭蕉 (同右) (→ No.3-20(3)参照) ―――― ―――― ―――― ・先師のいはく、すみ俵は門しめての一句に腹をすへたり。 (「赤さうし」) ・ 桐の木高く月さゆる也 野坡 門しめてだまつてねたるおもしろさ 芭蕉 ひらふた金で表がへする 野坡 はつ午に女房のおやこ振舞(ふるまう)て 芭蕉 (『炭俵』) No.3-20 見立てとしての 虚構 (1) 五月雨の降り残してや光堂 (『おくのほそ道』) ・(五月)十三日、天気明(てんきはる)。…平泉へ趣(おもむく)。…中尊寺、光堂…秀平(秀衡)やしき等ヲ見ル。…
(3) 句の位(『去来抄』/去来の見解) ・前句の位を知て付る事なり。たとへよき句ありとも、位応ぜざれば乗らず。先師の恋の句をあげて語る。 上置の干菜刻むもうはの空 野坡 馬に出ぬ日は内で恋する 芭蕉 前句は人の妻にもあらず、武家町人の下女にもあらず、宿屋問屋の下女なりと見て位をさだめたるもの也。 ―――― ―――― ―――― ・『赤双紙』
―――― ―――― ―――― ▼上段16の補足 ・『信夫摺』 宮に召されてうき名はづかし 曽良 手枕に細きかひなをさし入れて 芭蕉 【No.4】 No.4 『猿蓑』 「夏の月の巻」 (元禄三年の夏) 市中は物のにほひや夏の月 凡兆 あつしあつしと門かどの声 * 芭蕉 二番草取りも果さず穂に出(いで)て 去来 灰うちたゝくうるめ一枚 兆 此筋は銀(かね)も見しらず不自由さよ 蕉 たゞとひやうしに長き脇指(わきざし) 来 * 此脇、匂ひや夏の月と有を見込て、極暑を顕して見込の心を照す。(『赤双紙』) <二句略> 道心のおこりは花のつぼむ時 去来 能登の七尾の冬は住うき 凡兆 魚の骨しはぶる迄の老を見て * 芭蕉 * 前句の所に位を見込、さもあるべきと思いひなして、人の体を付したる也。(『赤双紙』) <四句略> 僧ややさむく寺にかへるか * 凡兆 さる引の猿と世を経る秋の月 * 芭蕉 * この二句、別に立たる格也。人の有様を一句として、世のありさまを付(つけ)とす。(『赤双紙』) <七句略> こそこそと草鞋(わらじ)を作る月夜ざし * 凡兆 蚤をふるひに起(おき)し初秋 芭蕉 このままにころび落たる升落(ますおとし) 去来 ゆがみて蓋のあはぬ半櫃(はんびつ) 凡兆 草庵に暫く居ては打やぶり 芭蕉 いのち嬉しき撰集(せんじゅう)のさた** 去来 さまざまに品かはりたる恋をして 凡兆 浮世の果は皆小町なり 芭蕉 なに故ぞ粥すゝるにも涙ぐみ 来 御留守となれば広き板敷 兆
<二句略> ―――― ―――― ―――― ・先師曰、今の俳諧は日頃に工夫を付て、席にのぞんでは気鋒(きさき)を以て吐(はく)べし。 (『去来抄』) ―――― ―――― ―――― ・師の曰く、学ぶ事はつねに有。席に望て文台と我と間に髪をいれず。思ふ事速(すみやか)に云出て、爰(ここ)に至て迷ふ念なし。 文台引おろせば即反故(ほご)也と、きびしく示さるゝ詞も有。 (『あかさうし』) ―――― ―――― ―――― ・予が風雅は夏炉冬扇のごとし。衆に逆(さか)ひて用ふる所なし。 (「柴門の辞」) ―――― ―――― ―――― ・芭蕉の中の詩人は芭蕉の中の世捨人よりも力強かつたのではなであらうか? 僕は世捨人になり了(おお)せなかつた芭蕉の矛盾を愛してゐる。同時に又その矛盾の大きかつたことも愛してゐる。(芥川龍之介) |
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