文学ゼミで私たちは何をいかに学習するか 熊谷 孝 |
『国立市民大学ゼミの記録 西鶴と現代―喜劇精神の文学―』(1968.3)所収--- |
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国立市民大学ゼミ(第二期)「西鶴と現代―喜劇精神の文学―」開講に当っての熊谷孝講師の話(文責・編集部)である。「近世文学論」として独立したものではないが、古典としての西鶴文学を現代に生かす上で基本的に押さえるべき点は何か――そのことについての明快な主張がみられると思うので、ここに掲載する。 |
*圏点の部分は太字・イタリック体に替えた。。。 *明らかに誤植と判断できるものは訂正した。。。 |
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アクティブな姿勢で さっきから、何とご挨拶したものかと、思いあぐんでおりました。「初めまして」と申しあげていい方が半数ちょっと、後の半数近くの方は、昨年度の第一期にひきつづいてこの第二期を継続受講なさろうという方々です。第一期の会期切れのころに、「もう一年、留年するんだ」などとおっしゃっていた。まさかと思っていたら徳永(功)さん[通常の「市民講座」とは別の発想による「市民ゼミ」の企画担当者]の拒否をおし切って、ついに再登場―― この自称「留年」組の方々に対しましては、「酔狂だとは思うけど光栄です。ただし、今年はどうかお手柔かに」 と申しあげておきます。 まだ自己紹介をしていただいておりませんので、お名前は存じあげませんが、きょう初めてお目にかかりました方々に対しましては、「初めまして、どうぞよろしく」 という言葉に添えて、挨拶がわりにひとこと。 先刻の徳永(功)主事のお話で十分ご諒解いただけたかと思いますけれども、このゼミの主人役はみなさん方ご自身である、ということ。家事分担・分掌にたとえれば、私はいわばお手伝いさんにすぎない、ということ。このことを、初めにハツキリさせておきたい、と思います。 私の歩いていくあとを、みなさんがついてくるんじゃなくて、私がみなさんのあとについて行くのです。道が二つに分れていて、さてどちらの道を選ぼうかという場合、相談をかけてくださるのは結構ですが、そういう場合も、ご主人役のみなさんで相談するというか十分話し合いをしてくださって、私は、私たちは、こういう理由で右折しようと思うけど、あなたはどう思うか? とい うふうな相談の持ちかけ方をしていただきたい、と思うのです。 まず、自分はこう思う、こう考えるというものを出していただきたいのです。それと同時に、かくかくしかじかの理由でこう考えるのだ、ということを出していたたきたいのです。同じ「わからない」「方向がつかめない」 という場合でも、ここまでのところはわかったが、ここのところがつかめないのだ、というふうに、やっていただきたいのです。そうでないと、私はお手伝いさんですから、ご主人を無視して自分の意見をいうわけにはまいりません。ご主人なり主婦の方が大体こんなふうに家事を処理したいのだ、という方針を示してくれてこそお手伝いさんもやりようがあるというものです。「いっさいお前にまかせるよ。」というんじゃ、主婦の資格はない。つまり、ゼミがゼミにならない。そう思うのです。 それで、きょうのこの開講式のあと、さっそくに、ゼミの持ち方、進め方、報告の分担、それから会場の事前準備と事後処理、それから司会や記録のことなど、私も交えていただきますけども、みなさんでご相談ねがいたいと思います。 文学ゼミの任務、各自の役割 話題をかえて、こんどは全部の方に――。 さきほどの徳永主事のお語を伺っていて、私としては何かこう複雑な気持にさせられました。というのは、この国立市民大学セミナーにおける「文学」というセクショ ンのもつ意味や位置づけ、役割りというようなことについてなのですけれど。 もろもろの社会教育活動、たとえばここの公民館活動などがその中枢的な一環ですけども、それの体系的な一つのピークとして市民大学セミナーといった形のものを構想するという点では、その道の専門家の方々の間である程度意見の一致があるらしいのですね。むしろ、その市民大学のカリキュラムをどう組むか、というようなことが論議の焦点だ、というふうにも伺っております。そ して、私たちのこの国立市公民館の場合、すでに昨年から実施の段階にはいって、実践に実験的な意味を多分に持たせながら研究をかさね、こうして二年目の開講式を迎えた、ということなのですね。 ところが、ですよ。その市民大学に「文学研究」のセクションを設けるということについては、反対とまでは行かなくとも、首をかしげる向きが多い。文学なんか、といわないまでも、それは二の次、三の次のことだ、という考え方がかなり多い。徳永主事のお話は、ひかえめにではありましたが、その点に触れるものがあったように思います。 徳永さんのお考えは、そういう一般の考え方に対してはまったく反対なのであって、社会科学と取り組む姿勢を主体的・実践的なものにするためにも、それからまた、社会科学知識をただアタマのなかだけの観念的なものに終わらせないためにも、学習者の主体を感情の内側から きたえる、トレーニングするというかホンモノにする必要がある。すぐれてそういう役割を分担するのが「文学」 のセクションだ、というお考えであるように思われます。問題の所在は、つまり、文学は各人の趣味の対象にすぎないし、アクセサリー、生活のアクセサリー的な意味しか持たない、という世間の通念にあるのでしょうし、また、現に、それを「お上品な趣味」として愛玩してるような人たちが教養人種の教養家庭なんかに少なくない、という点にあるわけなんでしょうが。 で、ともかく、徳永主事がそういうお考えを持っておられる、ということ、またそういう考え方からして、最初の第一期から国立市民大学の中に文学ゼミのセクション構想され、またその構想を実現なさったわけです。徳永さんのそういうお考えを耳にするのは、私としては実はきょうが初めてではないのでして、今にして思うと、市民大学講師の交渉があったとき、つまり去年の春ですが、そのとき、すでにこの徳永構想を伺っていたわけなのです。 けっして、いいかげんに聞き流していたわけではないんだが、そんなのあたりまえじゃないか、ぐらいにしか考えていなかった。ところが、それがけっして社会教育の世界その他その他の分野では、あたりまえのことなんかでなかったのですね。私たちのこの市民大学に文学研究のセクションを設けたことは、これは徳永さん方国立市公民館側の実に大英断だったのです。 ですから、市民大学の開講後も、何かにつけて、きっと、いろんな世間の声、あるいは強い風当たりが徳永さん方に対してあったろう、と思います。徳永さん個人についていえば、徳永さんは市の職員であると同時に、日本社会教育学会の会員であり委員であられるわけです。国立市の内と外とで「世間の声」に対する矢おもてに立って、ずいぶんご苦労なさったしなさっている、と思うのです。もっとも これは私の勝手な推測であって、徳永さん方からは何も伺ってはおりません。 ともあれ、私の推測に当たっているところがあるとすれば、そういうことにはまったく気づかずに、あたりまえのことを、あたりまえにやっているんだという調子で、やりたいことを勝手にやってきた自分のウカツさと、緊張度の足りなさというか、ゆるさ、ぬるさ、のんびりムードについて、先刻の徳永さんのお話を伺いながら考えさせられるものがあった、ということなのです。 そういうわけですから、この文学ゼミは、文学好きな連中が何となし集まって、いい気な文学談義にふける、とい うのじゃ、いけないのであって、先刻の主事のお話の中にあったような、自分自分の主体の確立のためにというハッキリしたリした目的意識をもって、それからこういう文学ゼミは国立だから持てるんだという確認に立って、今年の文学セミナーをスタートさせたい、と私としてはそんなふうに考えるわけなのです。 感情とは? 認識と感情の相互関係 次に、文学ゼミは、自分の主体を自分自身の感情の内側からきたえなおす場である、というさっきの話題にふれて、 「感情」ということに、ひとこと触れておきます。 感情というものを理性との対立物のように考えて、理性に対して神の与えたまいし高貴な人間性――つまり人間の神性ですね――それを見つけ。一方、感情をいやしいもの、というか気まぐれなものとして貶(おと)しめて考えるような考え方が、中世の時代からおこなわれて来ました。今でも、それがあるわけです。 が、感情にも気まぐれな感情、つまり気分とか感傷と呼はれるような感情のあることは確かですが、しかしまた、理性にも程度の悪い理性もあれば高度の理性もあるわけです。理性にもピンからキリまである、ということなのです、私のいいたいのは。 そんなふうに感情と対比して考えられる理性というのは、今日の一般的な用語でいえば、むしろ知性 というこ とでしょう。知性、つまりインテリジェンスですが、私の考え方を結論的にいうと、人間を人間たらしめる人間の属性みたいなものを理性 と呼ぶとすれば、理性というのはいまいったこの知性と感情との統一体としての束(たば)みたいなもののことだ、ということなんです。束といったのは、むろん、ひゆ 的にそういったのでして、いわば外界の刺激に対するパースナルな反応・反射・反映というかたちで、この束がそこに成り立つ、という関係なのだと思うのです。理性というのは、けっしてサブスタンシャルなものではない。スタティックなものではない。不変の実体として固定したものではない、ということを私としては指摘しておきたいのです。 で、この知性と感情とは水と油のようにあい容(い)れない 異質のものではなくて、少なくともこの二つの人間の心のはたらき のプロセスは、一定の函数関係に立っているわけです。知性を構成する多分いちばん大きなファクターは認知・認識ということでしょうが、感情過程は、この認識過程と一定の函数関係、相互規定の関係に立って いる、という意味なのです。 ものごとは、すべて相互規定の関係――相互関係に立つわけなのですが、論理的な順序からいえば、それには第一次的な規定の関係と第二次的な規定の関係があるわけでしょう。現実には、親と子どもが支えあってくらしている。そういう関係、相互関係がそこにはある。けれど、第一次的な先後的係は親のほうが先で、子どもは後です。子どもが生まれたので、その人は親と呼ばれるようななったのであり、親が子どもの面倒をみて育てたのです。 が、ハイハイしたり、ようやく笑顔(えがお)をみせるようになったその子の存在が心の支えになって、その若いパパや ママが本気で生活の設計を立てるようになったとすれば、すでに、そこに、親子の相互規定の関係が(少なくとも親の気持の中では)成立している、ということになるでしょう。成人して一人前になったわが子と、老いたる親というふうなことになれば、これはもう先後関係がぎやくになったみたいなものです。親が子どもを、という第一次的な関係が、子どもが親をという第二次的な関係にとってかわられた、ともいえるでありましょう。 たとえ というヤツは限界があって、たとえ がたとえ にならなくなる、ということがあって、うまくないのですが、ともかく、ものごとの相互関係には第一次的と第二次的ということがある、ということを私はいいたかったわけです。 そこで、第一次的には、外界・内界(自分の意識の世界)のいろいろな事柄や現象に対するその人の認知・認識が、必至的にその人の内側に、ある感情をもたらします。たとえば、ある対人関係を経験することで、いい人だなあとか、いやなヤツ、といった好悪の感情を持つわけです。感情といいますのは、ですから、その人、そのもの、そのことに対する自分の認知(自分なりの事実認知)に立っての、その認知や行動(自己の行動)に対する自分自身の関係の体験のことなのです。いいかえれば、自分の認識や行動に対する自分自身のかまえ や態度のことなのであります。認識と感情との第一次的な先後関係です。 たとえばの話ですけれども、アメリカのベトナム北爆に対して私たちの心には、大きないきどおりの感情がはたらいています。このいきどおりの感情は、生活し行動し実践している自分の主体的な立場で、実際にどういうことがアメリカやベトナムでおこなわれているのか、私たちの日本はまた、ベトナム戦争とどういう関係に立っているのか、立たされているのか、沖縄は……というふうに事実認識をおこなうわけです。で、そういう事実認識にもとづいて、それと一定の函数関係における、ある形の感情、怒りの感情が生まれて来ているわけです。全然自分と関係もないことに対して無軌道に、ヒステリックに喚き立てているわけじやない。人間として怒るべきことだからして怒りの声をあげている、ということなのです。 つまり、そのようにして、そこにみちびかれた怒りの感情は、ベトナムをめぐるさまざまな事実、その事実についての自分の評価を伴った認識と行動に対する、自分という人間、全人格的な人間の関係や態度、あるいはかまえ をあらわしているわけなのであります。そういう全人格的な、人間としての内的体験――それが「感情」と呼はれているものなわけであります。 さて、そのようにして生まれた感情、認知のかまえ が次には、自分自身のものごとに対する認識の仕方そのものを規制し制約していくようになります。今の例でいえば、いきどおりの感情に支えられながら、そういうかまえ でアメリカのベトナム侵略の実態と本質を認識する、ということなのです。 事柄としては同じ一つの事柄であっても、それに対する感情のありよう、感情の質の違いによって認識の仕方、認識内容が違ったものになってくるのですね。これは、よそで聞いた話ですが、「多くの犠牲を払ったが、佐久間ダムはみごとに完成した。」というつかみ方、認識の仕方と、「佐久間ダムは完成したけれど、しかしそこには多くの犠牲があった。」という認識の仕方とでは、認識内容そのものがまるで違います。 そういう違いが、人間の心的過程的構造の問題としていうと、感情の質の違いによる、ということになるわけです。以上のことを要約して申しますと、第一次的には認識が感情を、そして第二次的には感情が認識のありかたを制約する、ということなのであります。これが認識と感情の相互関係です。 主観と客観、科学的と非科学的 こう見てまいりますと、感情ぬきの認識というのはありえない、ということになります。科学の認識というものは客観的なものだ、とこう申しますが、そのことは、科学的な認識行為は感情を伴わないということじゃないし、また感情を伴っては客観的な認識は成り立たない、というこ とではないのですね。 感情というのは、かまえ のことだ、態度のことだと申しましたが、かまえ なしの認識というのは初めから成り立たないのですね。あらかじめ、ある認知のかまえ が前提としてあって、それと見合うかたちの認識過程がそこに展開していくのですね。 思想の科学(哲学)の歴史について見ますと、「前提を もつということは主観的になることだから、科学的であるためには、いっさいの前提(認知のかまえ)を拒否してかからなければならない」というような考え方も、いちじ流行しました。フランス実証主義の考え方などが、それの代表的な例ですが。 こういう考え方のことを客観主義といいますが、それは何のことはない、自分がどういう認知のかまえ(=感情)に立って問題を処理しようとしているのか、という自分自身の前提、自分自身の立場に対して無自覚な、非科学的な態度をいいあらわしているにすぎません。 真に客観的な態度というのは、自分の主観の主観性を自覚して、自分の(あるいは自分たちの)抑えるべき感情は抑え、また生かすべき感情はむしろ積極的に生かして問題 について考える、問題を処理する、ということなんだろうと思います。観察するとか実験するといっても、ただ観察するということはない。ただ実験するということはない。どういう構えでか観察し、実験する、ということなのですね。それで実際にやってみて、うまく行かなかったら、前提――つまり自分のかまえ そのものがおかしいんじゃないか、ズレてるんじゃないかと、かまえ そのものについて考えなおすという姿勢、これが多分学問をするものにとって欠くことのできない基本的な姿勢、客観的な態度というも のだろう、と思います。 感情変革の体験としての文学体験 ところで、文学は文学であって科学じゃありません。文学か扱う世界は、事物や現象の一般的な性質ではなくて――それを扱うのは科学の作業です――さっき申しましたような、その事柄、その現象に対するかまえ や態度のほうなのです。あるいは、感情ぐるみに、その感情を通してつかまれたその事柄が文学の対象になるわけです。 世界(事物・現象)はもともと一つのもの、一元的なものですから、科学が対象とする世界も、文学や芸術が対象とする世界もそれとして一つのものには違いないが、それほ客体として一つだということでして、文学によって対象化された世界とでは異(こと)なった様相を示す、ということになるのだと思います。文学の世界は、いわば人間の感情がしみとおったかたちで対象化された、イマジナリーな世界です。そこでは、ある人間の感情が別個のある人間の感情でつかみなおされるという形で、あくまで 「感情」が軸になって人間と人間の生活が追求されるわけです。 言葉をかさねますが、そこでは、あくまで人間の感情と、感情をもったなま身(み)の人間が問題なのです。そのなま身の人間のどろどろ の感情と、感情の揺れ――それから眼をそらしたり眼をつむったら文学は生まれません。そのどろどろ を一度つき放して、もう一度そこへかえる、というふうに言ったらいいでしょうか。この「つき放す」ということと、「かえる」ということがないと文学が文学にならないのです。 この、つき放してかえるということが、いまいった「ある感情を別個のある感情でつかみなおす」ということなのですし、「感情を通す」ということなのです。この「感情を通す」という操作を、(木下順二さんの言葉を借りていうと)「言葉自体で思索する」ところに文学が生まれるわけです。 もっとも、こんなふうにだけいうと、「おまえの考え方には階級的な視点が欠けている。」といって進歩的な評論家なんかに叱られてしまうのですが、私がいってい るのは文学というものの機能的な構造のA・B・Cについてなのでして、いわば2に3をたすと5になる、というてい の話なんです。誤解のありませんように。 それで、ともかく、文学作品を文学作品として読む、ということも、やはり感情を通して読む、感情ぐるみの格好でその作品の世界を「準体験」する、ということです。自分の感情をそこに入れて読む、ということです。己れを虚(むな)しうして読む、というような読み、これが追体験といわれているものですが、文学を文学として読むというのは、追体験じゃなくて準体験することです。主体的に読みとる、ということです。 作品を読むという操作、作業において、私たちが必然的に体験するのは、ですから感情と感情との対決です。たとえば、その 作品の世界では、ある人物がある感情で行動している。作品の全体的な進行は、つまりそこでの扱い方は、ところで、どうもその感情に対して否定的である。しかし、「私」の実感をいえば、その人物の感情と感情の揺れに対して、むしろ触れ合うものを感じる、というようなことです。 で、そういう対決の体験をかさねていく中で、「私」という読者の感情がしらずしらず組みかえられていっている。何かのおりに、ふと、自分の変化に気づくときがある、というようなわけです。 そのような文学体験、そのような仕方の体験――つまり、そういうような認知のかまえの変革と、自己のかまえに対する自覚の体験か、私たちが社会科学と取り組む上に無用のものだろうか、ということなのです。あるいは、文学、文学体験なんか二の次の問題なのだろうか、ということなのです。 また、社会科学知識を頭だけのものにとどめないで、頭に対する胸(感情・意志)の問題として実感をも(て受けとめ、さらに足の問題、行為・実践の問題として日常生活に生かすという上に、この文学的認識、文学体験が不急不要のものなのだろうか、ということなのです。 「なるほど、それはいちがいに不要だとはいえないようだ。だが、要するに、まだるっこい、回り道や寄り道が多くて、どうもムダが多すぎはしないか」と考える人が、やはり、どこかにいそうです。世間のどこかに、そしてわんさ とです。 ええ、たしかに文学は「まだるっこい」し、つみかさねが必要です。時間をかけた「対決の体験」のつみかさねが、です。つまり、まだるっこいのです。が、どだい、人間という生きものは、まだるっこく出来ているのです。 早い話が、イヌの子は生まれて三月(みつき)もすれば一人前、いや一犬(けん)前になります。人間の子どもと来たら、半年たっても一年たっても、まだ「パブウ」なんていっている。五年、十年、いや十五年たっても、まだ半人前の役にも立たない。まだるっこく、手数がかかるのが人間というものの本性です。さらにいうと、人間にとって、その生涯が学習期間なのです。一生、学習をつづけないと現実の変化と進歩に追いついて行けない。いわんや、人間ら しく未来を先取りして生きつらぬく、なんてことは望み得べくもありません。 ムダが多すぎる、云々。それじゃ、あなたは一体、そんなにムダなく過してこられたのですか、とそういう人たちに向っておたずねしたいと思うのですよ。何がムダであって、何がムダでないかは、後になってわかるんじゃありませんか。ムダに見えたものが実は非常に有用で、ムダでないと思ったことが全然のムダだった、というような経験を私たちは、いやというほどして来てるんじゃありませんか。 歴史と論理の学習を伴わなくては文学の学習は成り立たない でも、また、こういうこともあるわけですね。自分のやっていることが所詮ミスとロスの連続じゃないか、という懐疑みたいなものにとりつかれることも間々あるわけです。そこで、やはり必要なのは、文学作品に接すること自体の楽しさ、ということでしょうね。読んで思索することの楽しさが自分のものになる、ということがないと、やはり持たないでしょうね、その楽しさは、ふんわか ムードの楽しさじゃなくて、汗を流しながら一足、一足山道を頂上へ向けて登っていく、その楽しさみたいなものですけども。 苦しいけれども、それはわかってるんだけれども登らずにはおれない、という気持。作品を読むということは、自分が故意に意識してさけるような問題といやおうなし対決させられることなのであって、とても苦しいんだけれども、でも今はそれをさけられない気持。たとえば、そういうことが、読まずにおれなくなる気持ということの中身でしょう。そういう気持――つまり感情ですが――、それが自分のものになってこないと、こんなまだるっこいこと、やってられるかい、ということに、いつかなってしまうのでしょうね。 ですから、私は、こう思うのです。思うというより実感です。 「なぜ、山に登るのか? そこに山があるから。」という言葉は、とっくにすたりましたが、「なぜ、文学作品を読むのか?」という問いに対しては、「読むこと自体が楽しいから」つまり「作品がそこにあるから」という答が、いちばんすなお で、まとも なんじゃないか、ということなのです。 作品がそこにあるから読む? ……どうか、誤解なさらないでください。そこに山があるから登るんだ、という場合、登る山はどの山でもいい、ということではありません。これまでの登山経験をふまえての選択が、前提としてあるわけです。同時に、身ごしらえや食糧の準備や、いやその前に費用の工面や何やがあるわけです。いっさいがっさいそういうことを含めての、そういうことがすべて前提にあっての、「そこに山があるから」なのであります。作品がそこにあるから読む、楽しいから読む、というのもそれと同じことです。 ただ、私として話の終わりにぜひ申しあげておきたいことは、そういう文学愛ですが、文学への愛好が科学的な真実に対しては背を向けたみたいな格好の、あるいはまた、文学書以外の書物には眼もくれないような格好の文学愛だと、これははなはだもって文学的でない文学愛である、という点についてなのですが、端的にいって、そんなものは文学愛とはいえない、というのが私のホンネです。 来週からお互いに読み合って検討していく井原西鶴の俳諧や浮世草子の世界――それは、十七世紀の封建制下の民衆の感情体験に与えられた、民衆自身の生活の問題、生き方の問題を、ほかならぬ民衆自身の立場において思索する、という文学なわけですね。その思索というのが、問題の一般化(概念による世界の再構成)という方向へむけての抽象的思索ではなくて、オレは苦しいんだとか、虚しいんだとか、滅法ハラが立つとか、もうこれは笑うほかないとか、何かそうしたなま身の人間のどろどろの感情でその問題にぶつかり、その感情ぐるみの体験をもう一度別個の感情でつき放す格好でつかみなおす、という感情による抽象、思索なわけです。つまり、さっきいった「つき放して、かえる」という、ああいう形の思索、抽象なのです。 それは、こんにち新興町人という名称で呼んでいるところの封建民衆にとっては共通の生活場面、行動場面における、またそういう共通の場面を生きる民衆的人間の共軛する感情を前提としての、感情(=新興町人的感情)による問題の抽象、つまり普通にいう意味での問題の具象化 なのです。 そういう「抽象」が具象的で具体的な印象を与える(つまり町人たちにとっては、自分のどろどろ がどろどろ のままの形であらわされているような印象になる)というのは、むろん、当事者である当時の民衆にとってそういう感じになる、ということなのであって、今日の私たちにとってそうである、ということではありません。違った生活場面 に生きる私たちにとって、西鶴文学の表現(=認識)が 無媒介に、ある手続きによるなかだち なしに具体的にわかる、というわけにはいかない。 ある手続きというのは、西鶴文学の本来の読者にとって現実の行動場面の、一般化による抽象的な理解ということです。科学的な手続きによる、その場面、その状況 の理解ということです。そういう媒介をへないと、その場面と私たちの生きている場面がつながってこないし、 私たちと西鶴作品ちゅうの人物との人間としての(同じ人間としての)つながり、感情のつながりが見つけえないことになるからです。つまり、西鶴作品が私たちにとって文学になってこない、ということなのです。(もっと正確にいうと、つながる点とつながらない点、連続と非連続の発見のための媒介の操作ということなのですが。) ともかく、文学を文学とするために、私たちはそういう歴史的な認知(歴史の科学的認知)による媒介を必要とするわけです。で、また、そのような媒介を実現させるために私たちは、科学の論理を身につける必要があるわけなのであります。思想の科学という意味での哲学が私たちに実用的 に必要となってくるわけなのであります。 |
‖熊谷孝 人と学問‖熊谷孝 昭和10年代(1935-1944)著作より‖熊谷孝 昭和20年代著作より‖熊谷孝 近世文学論集(戦後)‖ |