西鶴の創作方法とその喜劇精神について 熊谷 孝 |
日本文学協会編・未来社刊「日本文学」(1959.8)掲載--- |
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*圏点の部分は太字・イタリック体に替えた。。。 *明らかに誤植と判断できるものは訂正した。。。 |
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はじめに――問題の設定―― じつは、まえに、これと同じ標題の文章を書いたことがある(文化サークル誌「広場」、一九五八・七、他)。優れた意味 でのその喜劇精神を疎外し捨象してしまったのでは、西鶴文学への評価は成りたたないだろう、という意味のことを、そこに書きつけたわけだ。いまは、それをフエンしようと思う。かさねて同じ標題をえらぶ理由もそこにある。 同題の文章でふれたのは、さしずめ次のようなことである。 すなわち、(1) 「井原西鶴という十七世紀のこの喜劇精神の作家がとった創作方法は、いわば感情異化――感情同化に対する感情異化――の作用を読者のあいだにひき起こすことをねらいとしたもの」であり、むしろ、(2) 「自己投入によって対象にメタモルフォーズする[変容・変質・変態する]ことを意識的に避け、相手を突き放して見ることで問題のありかと、そのありようをさぐる」という方法であったこと、(3) これを読者の側からすれば、否応なく突っぱねたかたちで相手と向い合わされる結果、「特定の作ちゅう人物への自己投入を経験することなく、全体の流れをゆがみなくつかめる」ように方法的に定位されていること、等々についてである。 さらに、(4) そうした方法の具現をここに可能としたものは、新興町人の(また新興町人的な)その相互の連帯性と連帯意識にささえられた、作家その人の深い人間信頼と人間への期待にほかならなかったこと、したがってまた、(5) そこに見られる笑いは、いわゆる意味での俳諧的な笑い、はぐらかしの笑いとは質を異にしたところの、民衆的な批評精神・喜劇精神のものであったことなどに、側面からではあるが触れたつもりである。 私事にわたって恐縮だが、右の拙稿によせて森山重雄氏は、「部分的には見解の相違を感ずるが、賛成できる面もすくなくない」むねを書き送ってくださった。賛成できる面というのが、ところで次のような点に関してであることを、さいきん、氏の論稿『上田秋成』(岩波講座・日本文学史、一九五八・一一)について知ることができた。氏は語っておられる、「西鶴の浮世草子をいかに性格づけるかということも、いろんな見方がありうるであろう。しかしそれらの見方の相違をこえて、その根柢に人間喜劇的な性格があったことは、否定できない事実だと思う。これを方法的にみれば、アイロニー、あるいは感情異化の方法といってもよい」と。 また、「西鶴の浮世草子のような喜劇的文学は、このような自己投入を拒否して、それと反対に、読者をつき放し、読者の内部に笑と異化作用をひき起すものであるようである。しかしそれによって読者をまったく拒否してしまうのではなく、かえって作中人物に対する印象を明瞭ならしめ、人間の全体的な展望を可能ならしめる作用をもっているのである。」うんぬん。つまり、氏もまた、感情異化を方法とする喜劇精神の文学として、西鶴文学を考えておられるのである。 もっとも、わたし自身は西鶴の方法を一義的に感情異化のそれとして考えているわけではない。感情同化とか感情異化という概念だけでは説明しきれないものを、その方法構造のなかに感じるのである。が、ともあれ、このようにして、彼の喜劇精神を積極的に評価しようとする構えは、いまや、わたし一人の独断的な偏見にもとづく主張ではないようである。 が、一般には西鶴文学の笑いは、その笑いの高さにおいて評価されてはいない。というよりは、むしろ、彼を特権上層町人の立場にたつ作家として規定することで、その笑いに対して否定的な構えをとっている。そこでは、現実の作品のありよう(作品の表現がしめす現実の認識内容)から問題を出発させてはいないようである。彼が特権階級の作家であるという規定と前提――あえていえば、そうした先入見にしたがって、その作品が一義的に上層町人的なものとして割り切って考えている。それは、たとえば、(そこにつねに自己修正は伴いながらも)ついに上層町人階級への期待と夢を捨てえなかった西鶴、といった評価である。 したがって、その笑いの質が吟味される代りに、笑いそのものが否定される。泣くほかない現実を笑いにはぐらかした西鶴であるとか、悲劇的な現実を前にして、それをついに悲劇としてつかみえなかった西鶴、というような批判が、たとえば『姿姫路清十郎物語』(『五人女』巻一)などをめぐって行われている。民衆とともに涙することをしらず、それを笑いにはぐらかしたところが有閑者的・上層町人的だ、というのである。加えて、主人公を上層町人として設定しているところが、まさにそれだ、というのである。 が、後の点に関していえば、上層町人を描いているから、上層町人的な存在の仕方とその意識のありようを肯定していることになる、という論理は、明かにおかしい。むしろ、何をいかに描いているかが、相関的・統一的にそこに問われなくてはならないのであるが、これはところで《いかに》を捨象した考えかたである。《何をいかに》の《何》は、そして認識の視角や内容を捨象した意味での、単なる素材のことではないのである。 ともあれ、西鶴文学の笑いが、ただのはぐらかしの笑いにすぎないものであったか、どうか――現実の作品の表現にそくして、その立場と方法を追究することのなかで、具体的に検討される必要がありそうである。もっとも、この稿は、標記のテーマのはしがき的な一章にすぎない。 西鶴文学の課題と方法――『近年諸国咄』の自序と諸短編を中心に―― 西鶴が自らの文学の課題と方法とについて、幾分とも論理の脈絡を語ってみせているのは、「世間の広き事、国々を見めぐりてはなしの種をもとめぬ」ということばにはじまる、『近年諸国咄』の自序の叙述においてであろう。 ここにいう「世間」とは、いうまでもなく、自己の日常的・直接的経験の世界いがいの世界のことである。が、同時に、自己の志向にしたがって、ある程度に経験可能な世界であるという意味において、それは自己の生活と生活圏につながる世界のことである。ばかりか、自己がそのことを意識するとしないとにかかわりなく、自己の生活そのものに対してたえず作用をおよぼしているのが、この世間というものなのである。が、さし当って、それは、自己の日常的な生活圏いがいの生活圏を意味している。 この序文は、ところで、そうした「世間」と「世間の広き事」への驚嘆のことばに始まっている。ということは、人間にとって未知の世界、未知の部分がいかに大きいか、ということの指摘にほかならない。(世界は、われわれにとって、ほとんど未知にぞくしている。知っているのは、それのほんの僅かの部分についてにすぎない。)で、そのことの指摘にあわせて、また《未知》を《知》に変えることの必要が、そこに語られていることになるのである。もし、そうでなければ、ことさら「国々を見めぐ」る必要も生じなかったであろうから。 このようにして、《未知を知に変えるいとなみ》として、この作家は、そこにまず、自らの文学の性格をワクづけ、またその課題を設定する。彼の浮世草子諸作品に一貫して見られる、いわゆる諸国咄的作品構成は、彼自身のこうした課題とのつながりにおいて考えられなくてはならない性質のものだろう。 さて、現実に「国々を見めぐ」ってみると、そこには「湯の中にひれふる魚」があり、「ひとつをさし荷ひの大蕪」のあることもわかってくる、というのである。人間にしてからが、広い世間には「七尺五寸の大女房」もいるし、「四十一迄大振袖の女」もいる。まことに「人はばけもの世にない物はな」い、というのである。だれでも知っている文章だが、文脈・論脈をたしかめる意味で原文を抄出しておくことにしよう。 世間の広き事、国々を見めぐりてはなしの種をもとめぬ。熊野の奥には湯の中にひれふる魚あり。筑前の国にはひとつをさし荷ひの大蕪あり。(中略)近江の国堅田に七尺五寸の大女房も有り。(中略)加賀のしら山に閻魔王の巾着もあり。信濃の寝覚の床に浦島が火うち筥あり。鎌倉に頼朝の小遣帳有り。都の嵯峨に四十一まで大振袖の女あり。是をおもふに、人はばけもの世にない物はなし。ところで、この結びの「世にない物はなし」ということばであるが、それが神秘や不可思議の否定をいいあらわすものであることは明かであろう。すなわち、自己にとって不可思議として受けとられることも、広い視野において見られたような場合、それがきわめてありふれた事柄にすぎないことが自然わかってくる、というのである。そこに裏返しに語られているのは、神秘や不可思議を妄想する人間の無知についてであり、また、自己の経験に与えられたものだけを真実とする、その経験主義的独善についてである。 したがって、「国々を見めぐりて」うんぬん、「世にない物はなし」うんぬんという、このことばは、必ずしもたんに“見聞をひろめよ”というような意味での、経験の量的拡大の必要をいうものではないだろう。彼にとって問題は、むしろ、経験の仕方そのものの変革による人間変革にある。別のいい方をすれば、たんに存在そのものに関してのみならず、意識面と実践面とにおける民衆的人間への自己変革を課題とするのである。結論を先まわりしていえば、そういうことになる、ということだ。 で、このようにして、未知を知に変えるいとなみは、また同時に《無知を知に変えるいとなみ》とならなければならない。(世界に関して、われわれは何も知らないにひとしい。)未知の自覚は、自己の経験の仕方への反省を媒介として、無知の自覚に到達する。文学は、そうした自覚のためのいとなみである。しかも、それを克服する実践的姿勢における自覚・自意識の確立のための、である。 このようにして、また、西鶴にあってはその文学の方法は、未知を知に変え、無知を知に変えるための実践的なそれとして、《対象を突き放して見る》という主知的なものとならざるをえない。さらにいえば、相手を突き放すと同時に、自己を突き放すのである。あるいは、自己を突っぱねて見得ることで、対象を突き放すことも可能となるのである。つまりは、自己と実感をたいせつにすることと、実感を甘やかすこととの混同を避ける構えを、意識的に自分自身のなかにつくりあげることである。主知的とは、そのことをいうのである。 もっとも、世にない物はない例証としてそこに挙げられているところの、エンマ王の巾着もうんぬん、頼朝の小遣帳うんぬんというのは、落語にいう「頼朝公ご幼少のおりのシャリコウベ」のたぐいの軽口であって、それは右にのべた主知的なものとは矛盾するかのごとくである。が、それを文脈全体の流れにおいて読みとった場合、この軽口の笑いは、問題のありかを浮きださせるための“地づら”となって、むしろ“図柄”としては《未知と知との自覚》という上記の課題につながる、神秘や権威(世俗的な権威)の否定の問題が、そこに浮びあがるのである。 彼の作品に散見する、はぐらかしの笑いといわれているものが、実はしかし問題回避のためのそれではなくて、多くこの“地づら”としての役割をになう表現部分であることが、そこにいわれてよさそうである。部分はあくまで全体に対する部分なのであって、それ自体《独立した小さな全体》ではないのである。 ところで、文末の「人はばけもの」とは、何をさしていうことばなのであろうか。 「是をおもふに、人はばけもの」の「是」は、直接的には「四十一迄大振袖の女あり」を受けているが、同時に「熊野の奥には」以下「大振袖の女あり」にいたる全文を受けたことばである。そう読みとった場合、「世にない物はなし」として神秘や不可思議を否認したこの作家は、しかし唯一の例外を「人」に見いだして、それを「ばけもの」――不可思議な存在として考えていることが明かにされてくるのである。すなわち、人々がいうところの不可思議かならずしも不可思議ではないが、しかし最後まで謎を秘めており、つかみがたいのが人間存在だ、というのである。西鶴文学の課題は、また、このようにして、人間存在の探求にあるといってよさそうである。 むしろ、そこに示されているのは、無限の可能性を秘めた人間存在――民衆の“人間”への信頼と期待である。この『近年諸国咄』には、人間の可能性への期待を語った、いくつかの短編が収められている。そこでは、たとえば、「伏見の問屋町にありし事」として、「常に一節吹きて万づの調子を聞き給ふに違ふこと稀」なまでにカンをきたえた盲人の姿が描かれている(『不思議のあし音』巻一・五)。また、たとえば、見かけ倒しの非力な大男が不覚をとり、「一代無念」とわが子に期待をかけ、「段々仕込み……後は親仁に変り、洛中洛外の大力」に育てあげた話(『力なしの大仏』巻四・六)などが、そこに語られている。 それは、あたかも、人間にとって能わぬことは一つもない、と語っているかのごとくである。こんにちこの段階にあっては不可能なことも、やがて来たるべき明日においては……というのでもあろうか。それは、民衆の次の世代、新興町人の明日にかけた期待が意識の奥にあって、そこにはじめて展開され得るような、話題の構成と進め方になっている。もっとも、 八才の春の比、手馴れし牛の、子を生みけるに、荒神宮巡りも過ぎて、やうやう牛の子も堅まり、我と草叢に駆け廻るを捕えへて、初めて担げさせけるに、何の仔細も無く持ちければ、毎日三度づつかたげしに、次第に牛は車引く程に成れども、そもそもより持ちければ、九才時も捕へて中差しにするを、見る人興を覚しぬ。というのは、例の“地づら”としての笑いである。笑いそのものとしては、である。が、ウソと知れきっていることを、(書き手も読み手も、それをつくりごとだという承認のうえに立って)なおかつ故意に真実めかして語ってみせることで巻き起こす、この笑いは、しかしそこに同時に、ある種の真実を伝えている。段階を追った合目的的・計画的ないとなみが、やがてそこに大きな変革をもたらすであろう、という話の筋そのものとしては、である。地づらと図柄の関係である。 ともあれ、そこに見られるような、つねに不可能を可能におき変えて歩みを進めるデモーニッシュな人間の姿は、それを近世民衆の用語をもってすれば「ばけもの」以外ではないのである。「人はばけもの」とは、まずさし当って、そのことをいうのである。で、そうした意味での化物としての人間――理性的・実践的人間への期待が、さらにまた、たとえば、『公事は破らずに勝つ』(巻一・一)のような、相手の出かたを見こして人の意表を突く学僧の《知恵》について語る一編を生むことにもなり、人の一念、非人間的・反民衆的なものへの報復を語る『水筋のぬけ道』(巻二・三)の一編を、そこに生むことにもなっている。 さらに、そのような人間の可能性は、あらゆる側面にわたって実証されねばならぬと同時に、実証されえぬ面については、それを仮説と実験によって確かめられなくてはならない。たとえば、『忍び扇の長歌』(巻四・二)における「さる大名の姪御様」と浪人者との《恋》の設定の仕方などは、まさにそのような実践的試みによるものと考えないわけにはいかない。 武家の娘が自己の“人間”を回復するためには、現実の固い壁とどう対決せねばならぬか? 民衆の娘――町娘のもつ、あのひたむきさが、まずそこに求められる。いってみるなら、お夏やお七のあのひたむきなものが、である。加えて、いっそうの理性的なものがそこに求められるのである。さて、しかもなお、この巨大な封建的現実の壁を突き破ることは、ついに不可能というほかないのであろうか? で、もし、それが不可能であるとすれば、彼女の選び得る道は、いかなるものであるということになるであろうか? 実験である。それこそ実験の名をもって呼ばれるべきものである。「これは現実にありえぬような事件の設定とともに、エクセントリックな女性を描いてみせることで、読者に向ってお笑いを提供したにすぎない作品である」とする見解が一部に行われてもいるが、ともあれそこに示されている作家の姿勢は、そのような作品理解の仕方を拒んでいる。 で、こうした実験によってそこに確かめえたものは、人間を疎外する現実の力は何か、ということに関してである。また、現実に行われている人間疎外の仕方と、疎外された人間のみじめさについてである。そのことを、いわば他を疎外することで自分自身をも人間疎外の極限状況を追い込んでいる、宿命の階級の人間について仮説的実験を試みることで、実は民衆自身の問題をそこに掘りさげているのである。『忍び扇の長歌』のヒロインの姿は、民衆女性と武家女性の二重の意味における時代の典型にほかならない。 疎外された人間の姿は、いたましくかつ哀れである。あるいは、その人間疎外のありようによっては、ひとは、あざとく醜い姿をそこにさらすことにもなるのである。「人はばけもの」――化物とは、また、疎外された人間のこのような醜さをいいあらわすことばでもあるらしいのである。「四十一迄大振袖の女」の姿は醜い。その醜さは、吐き気をもよおすか、あるいは滑稽感を伴なうかのいずれかである。すくなくとも、見た目はである。ともあれ、わたしが前に、この稿と同題の文章において、西鶴作品の人間像への感情異化をうんぬんしたのは、疎外された人間のこの醜さについてであった。 たとえば、『世間胸算用』などに登場してくるところの《金のことでは親子も他人》といったエゴイスト群像に対して、ひとは、ほとんどメタモルフォーズしえないのである。が、そこに同時に、あまりにもみごとなエゴイズムへの徹底ぶりに、読者はあえて哄笑する。その笑いは悪魔的ではない。むしろ、ヒューマンなものを前にしたときの、こころよい人間的な笑いである。それは、トランプ遊びのように、マイナスのカードもただそれだけを集め尽くせばプラスに変る、というのと同じことなのであろうか。 そこの秘密を、ついにわたしは明らかになしえないけれども、その笑いをしかし優越感を剥きだしにした笑いとして見ることはできない。描かれた人間像と読者との関係は、けっしてエゴイスト対モラリストの関係ではないからである。むしろ、読者は――すくなくとも西鶴文学をささえていた本来の読者は、そうしたエゴイスト群像のいずれかにおいて、ほかならぬ自分自身の映像を見てとったに違いないのである。 ある程度に優越感によってささえられていたかもしれない最初の哄笑は、このようにして、やがて一種自嘲の微苦笑に変らざるをえない。しかも、その自嘲は、ついに自嘲にとどまりえないで怒りに転ぜざるを得ない。自己の――民衆の“人間”を疎外した当の相手に対する、はげしい怒りへとそれは転じていかざるを得ないのである。「四十一迄大振袖の女」に対する嘲笑が、ついに嘲笑にとどまりえないのと同じである。「人はばけもの」――化物とは、この意味では、苛酷な封建的現実によって疎外されゆがめられた、否定面における民衆自身の姿にほかならないのである。 西鶴文学が民衆の“人間”へのかぎりない期待と信頼のうえに、疎外された人間の回復を課題とするものであったことが、そこにいわれてよさそうである。疎外され見失われようとしている人間を回復するためには、未知を知に、また無知を知に変えなければならない。相手を、そして自分自身を突き放して見る、という主知的な方法が必至的にそこに求められる。西鶴文学の笑いは、その突き放し方そのものの性質にみちびかれてくる笑いのようである。なお、この点について考えてみる必要がありそうである。 その非情さとヒューマニティー――『永代蔵』と『文反古』にふれて―― 『二代目に破る扇の風』(『日本永代蔵』巻一・二)の主人公の場合における人間疎外は、題名の示しているように、まことに二代目的である。八十八年の生涯を金に明け暮れた先代のように、また、わが子をペテンにかけて高利の金をふんだくる『鼠の文づかい』(『世間胸算用』巻一・四)のあの老婆のように、スペードの札だけを掻き集めたみたいな、徹底したところがないのである。つまり、そのことでマイナス変じてプラスとになるような、面白味というかうま味に欠けているのである。作品そのものがではなくて、この人物がである。いや、二代目というものにおける人間疎外のありようがである。たんに線が弱いというだけではない。 作品そのものとしていえば、逆にそのことあるがゆえに、喜劇的な面白味が倍加されているとも見られなくはない。笑いの量ではなくて、それの喜劇的な質の問題としてである。つまり、彼の手持のカードには、たった一枚だがハートが残されている。その一枚をいっそスペードに変えてしまおうか、いやスペードを投げだそうか、とこの主人公は迷いぬくのである。しかも、手持ちはスペードとハートだけではない。はじめから混乱しているのである。さて、ゲームの終ったとき、ハートはすでにスペードと取り替えられてはいたが、得点はゼロ。これが、この作品の筋立てである。 作者の喜劇精神がフルに発揮されるのは、迷いに迷う主人公の心理の動きを追ってである。拾った金を相手に返そうか返すまいかと「五七度も分別かへ」るあたりが、おそらくこの作品のヤマである。疎外された人間のなかにひそむ、“人間”の残映がちらちら顔をのぞかせる、その辺がこの喜劇の一つの焦点であろう。 疎外された社会を生きる人間に共通した、疎外された感情の持ち主であるという点で、彼もまた余人と異なるところはない。けれど、疎外されたそうした感情に甘えきっているという点で、彼はまた醜く疎外され尽くした人間――「ばけもの」でしかない。しかも、先代の親仁のあの徹底した姿における化物ではなくて、「この金子我が物にもあらず、一生の思ひ出に、此金子切に、今日一日の遊興して」という、妙に小ずるく勘定高い、そのくせなにか弱々しいよろめきぶりなのである。 こうした弱さを、ところでこの作家は、人間的な弱さ(人間なるがゆえの弱さ)として容認することができない。そこで、突き放すのだ。自分を突き放すことで、相手をも突き放すのである。あらいいい方をすれば、感情異化の対象点にこの主人公を移行させるのである。そのあとは、ただもう突っぱね通しに突っぱねてかかり、相手を徹底的に笑いのめしてしまうのである。 こうした非情さが、ところでこの作家の上層町人的な冷酷さによるものであり、民衆の(そして民衆的な)ヒューマニズムに背を向けた態度をいいあらわしている、というような評価を、時として招くことにもなるのである。が、それでは、いったい何が民衆的なことであり、また、何がヒューマニスティックなことであるというのであろうか。 彼は、たしかに非情である。たとえば、『南部の人が見たも真言』(『万の文反古』巻四・一)の結末などは非情そのものである。死を伝えられた夫が生還したとき、妻はすでに再婚してしまっていた。しかも、彼の弟と――という筋立てである。あげくの果て、当事者のこの三人が「三人まで命をうしな」った。というのであって、普通にいう意味での救いはそこには見当らない。 が、この作家は、どの一点かで救いのほしくなりそうな、そこのところを甘くならずに、非情な態度でおし通すことで、ヒューマニズムを保障しているのである。そこを突っぱねてかかることで、また民衆にとって泣くほかないこの現実を、泣かずに生きていけるようにとその条件を手さぐりしているのである。というのは、こういうことである。救いをそこに期待しようもないような、人間的不幸と破局の直接の要因が、しかしつねに人生コースの第一歩における、自己疎外による当事者自身の妥協(義理への屈服)にかかっていることを、そこで読者とともに考え合おうとしている、ということなのである。 すなわち、妻のこよしが、「此家たたねば二親への不孝と無理に(再婚を)合点させ」られたときに、破局はすでに約束されていた、とこの作者は見ているのである。テーマは、そこにしぼられている。破局をどう収拾するかではなくて、破局を未然に防止するために、人は自己の“人間”をどう守りぬかねばならぬかを、そこに考え合おうとしているのである。 そこで、結末を破局に終らせたことには二重の意味がありそうである。一つは、右にのべたことに関してである。もう一つは、こうして、ぎりぎりのところまで追い込まれることで、自己の“人間”を回復しえた三人の人間を描いている、という点に関してである。救いをそこにというのなら、疎外された人間を自己の内部にとりもどすことができた、ということが、ここでのせめてもの救いだということになろう。ともかく、彼らが“人間”として死んでいけた、ということができる。自己の“人間”にめざめたときは、しかし死のときである。ここに西鶴の非情なリアリズムがある。と同時に、彼のヒューマニズムも、またロマンチシズムもである。 ここの問題――結婚というところへしぼっていえば、それが家と家との結合としてだけでは現実に成り立ちえないこと、究極においてやはり“人間”がそこでの問題であること等々が語られている、ということになろう。それゆえの三人の死である。彼らは、死をもって人間をあがなったのである。だから、それは、死をもってするところの、民衆の人本主義(ヒューマニズム)の、《家》本位の人間疎外の制度や観念、その非人間的暴力に対する抗議である、といっていえなくはないのである。 が、そこでもう一度、この作品本来のテーマ――破局をそこにもちきたさないための人間疎外の拒否、というところへ目を向けかえる必要があろう。西鶴文学の課題は、しかしそれにもかかわらず、生きることを前提とした、人間の生き方そのものの探求にあった、という基本的な点を見失わないためにである。 |
(『文学と教育』bP70(1995.8)に同内容の論文が「西鶴の創作方法とその喜劇精神」として再録された。)
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‖熊谷孝 人と学問‖熊谷孝 昭和10年代(1935-1944)著作より‖熊谷孝 昭和20年代著作より‖熊谷孝 近世文学論集(戦後)‖ |