歴史の書換え      熊谷 孝
  
「法政大学新聞」181戦前版終刊号(1944.5.15)掲載--- 

 *漢字は原則として新字体を使用した。 *引用部分以外は現代仮名遣いに替えた。 *傍点の部分は太字・イタリック体に替えた。
*明らかに誤植と判断できるものは訂正した。
*難読語句(文字)には適宜、読み仮名を添えた。


 過去の歴史を規定するものが現在であるとすることに異論があるのではない。むしろ或(ある)意味では歴史は決定的に現在によって規定せられている、とさえ言ってよいのである。過去の或る種の行為なり事件が、歴史的形象としての一定の意味づけを得るのは明かに現在に於いてであり、決して行為それ自体に於いてではない。そのような行為を歴史的なものとして評価するのは現在に於いてであり、現代に生きるわれわれに依ってである。過去の歴史形象が、現在を基礎として成立って居ることは明かである。
 しかしながら、そのことは、歴史が時と場合に応じて気まぐれに或は任意に解釈されてよい、ということを意味しない。歴史的過去を規定するものは現在であるとしても、過去の歴史的事実が現在のわれわれの恣意(しい)的な主観によって歪められてよい筈(はず)はないのである。
 歴史的形象の客観性を確保するものは、むしろこの時代を正しく生き抜こうとするわれわれの主体的実践である。諸々の人間行為の中に在って、如何なる行為が真に歴史的行為と言うに値するものであったかという追求は、現在われわれが置かれているところの歴史的シチュエーションに対して、われわれ自身それを如何なるものとして受取り、それを如何なる方向に将来すべきかという、われわれの行為的実践の問題と結びついている。
 われわれは、単に歴史を探究せんがために探究するのではない。過去を、或は故人の業績を単に賛嘆し追慕し表彰しようがために歴史の探究に身を委ねるのではない。歴史の問題はむしろ現在に在るのであり、未来の可能に向って現実の問題をより正しく解決することに在るのである。
 『現実は過去からいへば動けないもの、而(しか)も未来的には動ける筈のもの』(田辺元氏)として在る、と言われている。われわれは、われわれ自身の『希望と要求に従ひ自由に未来を作つて行く事が出来るといふ事を予想してゐる』(同上)が故に、現在に生きることの意義を見出すのである。未来はまさに希望であり自由である。
 ところでこの場合、われわれが未来に対して抱くところの希望は現在の歴史シチュエーションから測定して可能とされる如きものでなければならぬのは言う迄もないことである。若(も)しそうでなければわれわれが未来に対して如何なる期待をかけようとも、それは遂に満足されることなき一個の夢として終らねばならぬであろうから。そのような夢を徒(いたずら)に追い求め、それを実現にそうとして努力することは、単にナンセンスであるという以上に必ずや歴史の歯車を逆転せしめる結果となるであろう。
 このようにして未来の可能は、現在が位置する歴史的シチュエーションによって測られねばならぬのであるが、しかも『現実は過去からいへば動けないもの』として在るのであり、従って歴史を主体的に捉えようとする限り、歴史的現在を規定するものとしての過去、客観的な歴史像が把握されてあらねばならぬのである。
 過去の歴史が、現代人の場当り的な御都合主義によって任意に書換えられるということは許されてよいことではない。歴史は主体的に捉えられるべきものであり、また主体的実践の場としてそれを考える限り、過去の歴史に対するわれわれの視角は、恣意を交えざる客観的な態度に依って一貫されてあらねばならぬのである。歴史の書換えということは、本来歴史形象の客観性を確保せんがためにのみ、更にいえば現実をよりよきものに押進めようとする、実践するわれわれ自身の主体性を確立せんがためにのみ行われる筈のものである。
 現在文化の各分野に亘って行われつつあるところの『歴史の書換え』が、果して歴史の現在的要求にかなうものとして現れているか、熟慮を要するものがあるように思われる。

 
 熊谷孝 人と学問熊谷孝 昭和10年代(1935-1944)著作より