新体制の論理――田辺元博士の近著「歴史的現実」をめぐって      熊谷 孝
  
「法政大学新聞」123(1940.10.5)掲載--- 

  *漢字は原則として新字体を使用した。*引用部分以外は現代仮名遣いに替えた。*傍点の部分は太字・イタリック体に替えた。。。  
*明らかに誤植と判断できるものは訂正した。*難読語句(文字)には適宜、読み仮名を添えた。
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 さきごろ浅野晃氏が、セルパン誌上で「いままでは低調な情痴の世界ばかりを書いていた作家が命令一下、戦争ものでも、英雄ものでも、何でも書いてのけるだけの力量を有(も)っているというところに現代文学のつまらなさがある」という慨嘆を洩らして居られたが、これはあながち、文芸の領域に限らず、今日の文化のあらゆる面について言われてよいことではないかと思われる。むろん浅野氏の言われる「力量云々」はパラドクスと解すべく、それはおそらく今日の作家のもつモラルの低調さ脆弱さ、その無論理性を指摘されたものなのであろう。
 ひとびとの個人主義に対するこれ迄の信仰がそれ相応に根深いものであるならば、自らの足場の動揺は、当然彼等をして不安と懐疑に導き、そこに現代文芸は危機意識表明の文芸としてあらわれを有つに至ったに違いない。いわゆる新体制のすみやかなる樹立が、彼等にそうした余裕をすら与えなかったというのなら、少くとも彼等は沈黙の一時期を経験せねばならなかった筈(はず)である。一片の懐疑の表白すらなく、それこそ「命令一下」何の躊躇もなしに戦争ものでも、大陸ものでも、何でも書いてのける「力量」を示し得たというところに、嘗(かつ)法政大学新聞123号て彼等が堅持していたかに見えた自由主義。・個人主義のモラルが、所詮は借り物に過ぎなかったということを雄弁に物語っているし、それはまた、彼等作家たちの新体制への対応が、実は単なる時流便乗にすぎないという事実を如実に示すものと邪推されても仕方があるまい。現代文学の貧困はこの点に根差し、現代文化一般の貧困もまた同様の根拠によって生起している。現代文化は、かかる形において、危機を表明しているのだとさえ言えるのではあるまいか。

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 文壇職業人の場合は知らず、世の善良なる知識人たちは、この問題について深刻に悩み、自ら拠るべき世界観的基礎を求めて模索している。この悩みを、単にその外見からのみ判断して、蒼白き自由主義的インテリの非建設的な苦悶の表現という風に見做(な)すべきではない。なるほど外部から見れば、一向はかばかしい進歩を誇示し得ぬ彼等の動きは、はなはだ頼りなくも歯痒(はがゆ)いものでに思われるかも知れないが、ひと頃の冷笑的な判断中止や破壊的な楽屋落ち的毒舌と同一視されてはならぬ。それは新体制樹立へのもっとも良心的な、もっとも忠実な積極的参加を意図する知識人の態度を示すものなのである。彼等の真の更生は、彼等が彼等自らの論理を誤魔化しなしに行き尽すことによってのみ自らのものとなるのでなければならぬ。
田辺元 述 『歴史的現実』 (1940.6 岩波書店刊) このとき、田辺元博士によって、新体制の論理の示されるに至ったことは、われわれひとしく欣(よろこ)びとするところである。
 「歴史的現実」がそれである。尤(もっと)も、この書は、氏の京都帝大における講演の速記にすぎず、文責は氏にないといわれているけれども、ともかく文部省推薦図書であり、またそれ故に日ならずして初刷(しょずり)売切(うりきれ)となったものであって見れば、この大きな反響から見ても官民共にその出現を求めて止まなかった指針を示すものと見なければなるまい。そこで煩をいとわず、一応この書の内容を紹介し、二三感想をのべることにしよう。
 氏は先(ま)ず、時間の構造について分析を試み「時の過去・現在・未来は交互的統一をなす、三位一体的な関係をなす」と言われる。なぜなら「時は過去と未来とが互に対立しながら結びついてをるものであり、その転化し合う所が現在」なのであって「川の流れのやうなもの」ではない。「我々は普通に歴史的現実を因果関係でもつて考へ」ようとするが、「併(しか)し矛盾的であり、循環的である歴史的現実を考へる時は、単に因果の様に一方向き的なものでは考へられない」。「歴史は直線的でなく、交互関係にあり従つて円環的となる」「因果とは因が果を決定する事で、結果が原因を決定する事はあり得ない。所が交互関係に於ては一方は自己の結果であるところの他方によつて決定されるから、それは最早(もはや)因果ではない。自分が自分を決定するといふ自発性がそこにある」が故である。そこで「『なる』事を通して『なす』、『なる』と『なす』が結びつかねば」ならぬということになり「歴史の外から批判する」単に因果論的な旧歴史観は、持てる国の立場を合理化し、持たざる国の立場を認めないものであるという理由から氏によって斥(しりぞ)けられることになる。

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 更に氏は、現在、未来の過去への働きかけの実例として、「例へば私が或る過失を犯したとして、それは自然現象としては私の閲歴から消す事の出来ないもの、変らないものとして一方向きに現在をも未来をも規定してゐる。併しその過ちが歴史的現実としてどういふものであるかは、私がそれを現在の自分に如何(いか)に働きかけさせ如何に自己の行為の媒介にするかによつて定まり、又この現在は私が未来に於てどういふ事を為し得るかによつて意味を変ずるのである」と言われる。
 これは全く氏の言われる如くであるが、この場合注意すべきことは、氏が単に過去の行為の現在に対する現在的意味の変化を指摘して居られるに過ぎないという点である。すなわち、過去における事実そのものに変化のあろう筈はなく、いわんや無視し得る筈もない。却(かえ)って事実が変化しないからこそ、意味の変化が意味を有って来るのである。現在及び未来の過去におよぼす影響というものが、過去の事実を無視することにかかっているとすれば、今次聖戦の意義は如何にして確保されるであろうか。更にまた「過去に泥(なず)まず」という命題すら単なる御都合主義と選ぶ所がない。
 この点に関する氏の認識の如何なるものであるかは、因果論的な見方が全部的に誤謬なわけではなく、唯(ただ)単に「一方的な抽象」なるが故の偏りに過ぎないとされ「歴史は勝手に作られるものではない」とされているのを見ても明(あきら)かであるが、唯惜しむらくは、この客観的因果論的な歴史観と主体的飛躍的なそれとの統一の仕方が甚(はなは)だ抽象的に扱われ、また特に飛躍的な面が余りに強調されすぎている結果、或は上記の如く読み違えられる惧(おそ)れなきやを憂うるものである。

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 更に、「五月十七日といふのは私にも皆さんにも同じ日付けである。私なくしては時間は考へられないが私だけで時間は考へられない。主観と客観とが結びつかねば時は成立しない」とまことに適切なことを述べて居られるのであるが、にも拘(かかわ)らず結局時間の主観的な側面を説くに急なるの余り、時間の公共性の歴史に対して分け有つところの積極的な役割を軽視して居られる如く感じるのはひとり私のみであろうか。かくては、われわれの共有財産たる光輝あるわれわれの歴史を貫く軸としての時間の客観的な面を明かにすることは出来得ない。
 尤も、氏は建設されるものとして歴史を考えているために、いいかえればこれを建設する人間の主観的な面に注目するが故にその時間論も主観的な面を強調される結果にたち至ったのであろうが。それにしても、歴史はわれわれが建設するので、私が建設するのではない。茲(ここ)に皇紀二千六百年は意義を有つ。更にいえば、この点において既に、「個」というものに対する氏の説得力の弱さが萌(きざ)していると見られなければならぬのである。
 次いで氏は、個人、種族、人類の三者を、時間の三位一体的構造からのアナロギィー[類推]によって関係づけ、「歴史的社会の構造を時の構造に引き合せて考へると、種族固有の方向が過去に当り、個人は計画を立てて未来に働くものであるから未来に対応する。過去と未来が方向を異にする様に、種族と個人は方向が逆である。この方向の逆なものを統一するものとして現在に対応するものが人類である」と考えられる。

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 ここに言われる「種」とは、具体的には「今日では民族といつてもよい」ものであり、「ギリシヤのポリスの様に小さな都市国家」や「東亜盟協体など」の盟協体或(あるい)はブロック等を指すものであって、それは「閉ぢられた社会」にすぎない。而(しか)して個人と種族との関係は「未来と過去との対立に応ずるものとして」「はつきり対立」しているものなのであり、したがって「種族が個人の自由を全く否定し窒息させる時はその種族は決して長く歴史の舞台に自己を維持する事が出来ない」という具合に、全く同一平面上における二つのバラバラのものの相剋という観を呈している。
 このあたりの論述に、われわれは「個」というもの――ポリスにおける個人、近代国家における個人――の発展を覗(うかが)うことはできない。それ故に、氏が国家というものを説き「国家は単に種族ではない」と言われる場合、何故それがポリス(これは上述の如く単なる種族である)と異なるのか、唯徒(いたずら)に手を拱(こまぬ)くのみである。氏によれば、国家とは「三者――個・種・類――が三一性的な交互媒介的な関係を形作って」いるものであって、「閉鎖社会は一方に個人に束縛を加へてその自由な働きを限定し、個人は他方この社会と方向を逆にするものであり乍(なが)ら然(しか)も両者が調和された時、即ち個人が種族の中で一々自分の行為の目的を実現出来るやうになり、又個人が種族の進む方向に自己の行先を認め、閉鎖社会の規律や統制がそのまま個人の自由な行為と媒介され統一された時は、種族は閉鎖性から人類的開放性に高められる。これが国家である」、(圏点筆者)[ママ 圏点見当たらず]とされているのである。
 然らば国家は、時間の概念でいうならば、どういう事になるのであろうか。この最も重要な点における論述の手薄さ(或は説得力の致命的欠如)は、われわれをして甚だ失望せしむるものである。
 われわれは、われわれの光輝ある国家理念が、氏のあくまで透徹せる論理によって究明されることを期待していたのではなかった。が、そう言っても、この種の問題をとり上げた書において往々見受けられる如き性急なる速断も、この書には皆無だと言ってよい。新体制の世界観的基礎が、他日氏によって、より整理せられた形において闡明(せんめい)されんことを望むものである。

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 ところで、種々の点から推して、この書が学生層によってより多く読まれたと考えられる節が少(すくな)くないが、これはたしかに、現代学生大衆の、新体制に対する積極的な関心を示す一証左となり得るものである。しかしながら、一部学生間において見られるような他力本願的依頼心が、この書の瑕瑾を予想外により大きな欠陥として逆作用することを惧れる。
 最近新聞の読者欄に見受けられる所の学生の投書には、とかく顧みて他を言い、懐手(ふところで)で御膳立(おぜんだて)を待つ式のものが多い。同情すべき点多々あるにもせよ、それは「考える」という自らの責任を回避し易きにつこうとする、リベラリズムの最悪部分の残存を物語る以外のものではない。まさに辿らるべきリベラリズムの超克の途(みち)は、実は全く反対のものでなければならぬ。すなわち、自らを信じ、自らの責任において自らの行為を決するというリベラリズムの長所は、却ってより高き秩序において全体主義の中に生かさるべきであろう。自らの責任を「全体」に転嫁し、これから切り離れたものとして、ひとり易きにつこうとするのこそ、最悪の意味における個人主義ではあるまいか。

 
 熊谷孝 人と学問熊谷孝 昭和10年代(1935-1944)著作より