T
謂(い)うところの純文学が純文学として自らを他との対立において区別づけるに至ったのは、無論のこと、大戦後――二十年代末[第一次世界大戦後、1920年代末]のことであったと見ていいが、それはつまり、自然主義の破綻に伴って目標を見失い、いきおいスケプティッシュな[skeptisch 懐疑的な]混迷に陥った当時の文学的インテリゲンツィアが、自らの拠るべき世界観的基礎を模索しつつも、新らしいジェネレーションの逞(たくま)しさに蹴圧(けお)され、ついに生きた現実の問題との対決を回避し、芸術のための芸術の態度に赴(おもむ)いたということを言いあらわすに外ならなかった。爾来(じらい)、純文学は、「蒼白きインテリ」「迷えるインテリ」の文学として読者層を一元化し、いとも「純粋に」「文学の本道」を歩んで来ているという次第だが、それにしても、身辺雑記的情痴の世界への韜晦(とうかい)や旧弊なデカダンスへの惑溺(わくでき)やの中にのみ、彼らの輝かしい「文学の純粋性」が保証されて来たということはかなり悲劇的だった。
尤(もっと)もそうは言っても、彼らの心情にも掬(きく)すべきものあるを認めないわけには行くまい。余りにも公式的な、余りにも没個性的なプロ・リアリズム[プロレタリア・リアリズム]論の跋扈(ばっこ)と、それを鵜呑みにしたかの如き作品の氾濫に対して、彼らは「芸術の花園を荒らす者は誰だ」と憤激せざるを得なかったのだ。自然主義的リアリズムが、社会的連繋(れんけい)から切り乖(はな)された個性の探究に行き過ぎた代償として、今度は環境の動的批判のみが前景に押出され、――中世芸術における人間が自然的シチュエーションの構成の一小道具として位置づけられたように*――人間は再びそれを構成する単子の位置にまで貶(おとし)められたのである。つまり、ここでは、人間はまたもや個々の類型として把(とら)えられ、単にある社会的機構を表現する道具として、いわば個々の地位を端的にあらわすマスクを以て把握されるに至ったのだ。
* 拙稿「近世演劇における写実の限界」(本誌・昨年四月号)参照
人間を社会的連繋において把握せよ、という主張に「一面の真理」を認める彼らは、けれど単に概念的に、個性そのものを対自的な社会性そのものの中に解消し去ろうとするその偏りに対しては敢(あ)えて反発せざるを得なかったのだ。人間の社会性は充分これを認めねばならぬにしても、人間は社会的本質に解消されてしまうようなものではない。人間は、単なる個人でもなく、また単なる社会でもないのだから。だから、そうした偏合理主義的な態度は、文学を枯渇に導く以外のものではあり得ない。文学のために、文学の純粋性のために、――かくして幾多の「芸術派宣言」は物されて行ったのだった。
だから、少くとも主観的には、彼らは潔癖だったと言っていい。(であればこそ、また彼らは、彼ら謂うところの「低調卑俗な」大衆文学とも手を分かつことになったのだ。)だが、それは所詮(しょせん)社会的連繋を見失った個性の探究への逆行を、つまりはディレッタンティズムへの偏向を用意する結果となったにすぎない。
エスプリのない、その日暮らしのデカダンスに、なにか新しいモラルへの動きが潜んででもいるかの如く振舞ったり、「現実は暗い」と如何にもシンコクげに呟(つぶや)きつつ、しかもそこになにらの解決を提示するではなく、むしろ「物を言わぬ」ことに自らの純粋さを認めさせようと腐心したり、という今日この頃の純文学の混迷の姿は、かくして因由すでに当時に端を発するものと見なければなるまい。
U
現実は暗い…
いかさま現実は暗い。けれど、暗ければ暗いで、いや現実が暗くあればこそ、作家達は、今日この絶望にあえぐ人々に希望を与えなければならぬのだ。一時のまやかしや気休めに、人々は倦(あ)いている。暗さを突き抜けた希望、ニヒルな気持に徹した明るさ、――ひとはそれをどんなに待ち望んでいるか知れない。ニヒリストのポーズや思わせぶりなジェスチュアだけでは、もうどうにも動きのとれぬ現状なのだ。誰しもが作家達に求めていること、それは文学的実践において問題の解答を示してくれること、唯そのことだけである。
が、実際、諸君は誰のために文学するのか?……そう訊(たず)ねたら、この問に躊躇(ちゅうちょ)なく答え得る作家が一体いくたりいるだろう。居直って「われとわが身を偽(いつわ)るために」とでも答えるか、おそらくは伏目がちにそっとこう呟くだろう、『誰のために書くのか、も早(はや)僕たちには解らない。そしてそのことが、今日の作家の悲劇であり苦悩である』(J.R.ブロック)と――。
この唯今の時期において、古典論の製作せられることになにらか意義ありとすれば、それはおそらく、かかる混迷に光明を投ずるものでなければなるまい。つまりは、製作という文学的実践のための、――終局において歴史を創るものの立場、主体的行為の立場からの古典の再評価 でなければなるまい。そうした意義を欠いて、百千の古典論も遂に無益のわざに過ぎぬであろう。だから、今日、古典批評に携(たずさ)わろうとする程の人は、自ら生きた現代の血に触れ、現代的な問題の在り方を正しく把握しているのでなければならない。
少くとも現代文学のこの混迷が何に基因しているかを突きとめようとするだけの誠実さを欠いてはならぬ筈(はず)である。古典の評価は、まず現在の問題に出発する。それは生きた現実の問題の整理のための古典の再評価でなければならない。したがってまた、古典そのものが、現代的要求にしたがって整理されその文脈によるアクセントづけを必要とするのである*。
* いわゆる文献学的批評が、批評の欠くべからざる前段階であるにも拘(かかわ)らず、それ自身遂に批評たり得ぬのもこの故である。
だが、そのアクセンチュエーションなるものも、嘗(かつ)てのあの「社会的観点」による類型的・公式的な把握の下に行われるとすれば、それは所詮「歴史的逆行」を意味する以外のものではあり得ないだろう。なぜなら嘗てのそれは、読者大衆の成熟に先行して芸術作品の逆作用を急がざるを得なかった当時の困難な事情に基(もとづ)くものであり、従って、与件を異にし事情を全く異にする今日――おそらく嘗てと同じ立場を固執する人々にとってすら――斯(かか)る偏りは当然揚棄(ようき)さるべきだからである。僕たちにとって必要とされるのは、寧(むし)ろ合理的なものと非合理的なものとのディアレクティッシュな[dialektisch 弁証法的な]統一として人間を把握するということであろう。尤も、人間的存在の根本規定をそうした点に求めるという事が、世のえせ ヒューマニスト共のように、過渡的な矛盾を永遠のそれとスリ替え、反合理主義への道を用意する如きものであってはならぬ。イラショナルな[irrational 不合理・非合理な]ものを除外して人間を考えようとする偏合理主義が誤(あやまり)であると同様、それを認めることが合理主義そのものの否定を意味することもまたナンセンスに過ぎぬであろうから。
V
しかし茲(ここ)に、古典は本来批評さるべきものではなく、規範として、生きた伝統としてわれわれに継承さるべきものである、とする立場が予想される。なぜなら――と論者はいう――古典は歴史においてミュトス[Mythos 神話]として浄化されたものであり、単に批評によって定まったものではない。若(も)し古典というものが絶えず何等かの批評によって定まるものであるとしたならば、歴史の世界は遂に無秩序なものと化さねばならぬであろうから……
ここに言うところの「古典」とは、単に過去の製作のことではなく、過去において価値高い作品として是認され、同時に同じ文脈における 価値を現在に至る迄(まで)、そしておそらくは未来永劫(えいごう)持続するであろう、その種の作品の謂(いい)である。古典を不滅なものとする一般の通念が何にもとづくかということについては後に述べるとして、しかし価値とは果(はた)してそうした超時間なものであろうか。デュルケーム派の人達(たとえばブーグレ)によれば、個々人の好悪や気紛れな印象から優越し、却(かえ)って個々人を拘束し命令するという、その性質において価値は物乃至(ないし)実在と同じものでなければならぬ、とされる。彼らにとって、価値は新カント派の人々の考えるような当為のことではなく、個々人の要求に抵抗し、却って自己の要求を強制し命令するものとして、それ故に「物」なのである。価値のこうした拘束性、したがってまたその客観性は、個々人の能力からは説明され得ず、実にそれが社会的な集合意識の所産であることに基く、とブーグレは考えた。価値は単に客観的なものでないにいても、本来それが集合的・社会的であればこそ、個々人にとって規範であり法則であり得るのである。ところで、集合意識そのものが、それの属する時間系列にしたがって在り方を異にすることは言う迄もないし、だからまた価値の基準も可変的・動的なものとして考えられざるを得ないだろう。リッケルトに於(おい)ても、無論異質的・不連続的なもの、反復を許さぬ個性的なものとしてのみ、それははじめて価値であり得た。価値は、このようにして、繰返さぬもの・一回的なものであらざるを得ない。このようにして又、一系列における価値が、文脈を異にしたほかの時間系列において規範・法則たることはでき得ない。(尤も、リッケルトの場合、あらゆる個性的なものはつねに不滅の価値を有するのであったが。)価値は、したがってまた価値評価の基準は歴史と共に変化する。そこで些(いささ)か逆説的ではあるが、時間の軸を切捨てることによってのみ(いいかえれば評価の軸を切捨てることによってのみ)価値は不滅であり、永遠であるのだとも言い得よう。
尤も、価値として考えられるものが、つねに必ずしも合理的なものであるとは限らない。これは価値が集合意識の所産であるということと矛盾しない。実は却ってそれが集合意識に基くが故にそうなのである。というわけは、集合意識がつねに合理的なものと非合理的なものとの統一として現在するということに基いている。だからそれはまた、人間存在の本質規定に基いていると言い換えてよいのかも知れない。だが、これはあながちプレ・ロギッシュな集合意識について言っているのではない。そうではなしに、新しい世代のイデオロギィーが未だ単に知識として作用し、それがモラルにまで肉化され得ていない状態、つまり論理的なものと倫理的なものとが未だ矛盾し対立しているような状態を指しているのである。前時代の作品が、それこそ「古典」として、生きた伝統として支配的であるなぞと言われる場合の一つは、おそらくこうした状態を示しているのだろう。けれど、そうした場合にあってすら、それは真に価値的なものであることはでき得まい。なぜなら、たといそれがある種の集合意識の所産であるにしても、その集合意識の在り方が問題にされねばならず、自明な如く、それは真に新しい時間系列に属する意識ではあり得ないからである。だからまた、それが現実的意義を喪失しつつある文化への溺愛を言いあらわすに過ぎないという意味において、この種の古典評価は歴史を創るものの立場に立つものではなく、むしろ観想の立場に止るものと言わざるを得ない。しかし僕たちが必要とするのは、歴史を創るものの立場からの古典評価であった。歴史を創るものの立場とは、現実の要請にしたがって、歴史の世界の中に新しい秩序を建てようとする者の立場である。ルネサンスに特徴的な古典の復興という現象も、いわばこうした立場からの古典への復帰を言いあらわすものであり、新しい秩序における古典の再生を意味するものであったということ、それは決して古典本来の文脈における価値の復帰・再生ではなかったということが見落されてならぬのである。
W
ところで、古典の現代的意義に対する反省を欠いて、真に現代的意義ある古典論は製作され得ないだろう。つまり、その作品を問題とすることの現代的意義の評価が予(あらかじ)めおこなわれるのでなければ、僕たちの言う意味での古典論は遂に成立ち得ないであろう、ということなのだ。
時評的な文脈なしに古典的資料を模索することはナンセンスにすぎない。これは言うまでもないことだ。だがしかし、文芸の本質についての知識なしに文芸時評はおこなわれ得ないし、その本質は、文芸が現実に遂行し来(きた)った役割を跡づける文芸史の知識なしには解明され得ないだろう。だから、より正確に言えば、古典論は、この三つの文脈による整理を必要とするのであって、その文脈を混同し混乱した考察は断じて許され得ぬところなのだ*。
* しかし見落されてならないのは、それが一つの法則にしたがって発展する一つの流の、三つの方向からの分析だということである。
たとえば、時評の文脈による古典批評にとっては、それが何十年何百年ムカシの作品であろうと差別が無いのであって、つねに現代人の鑑賞の対象としての作品の在り方が問題なのである。だから、ここでは娯(たの)しみの中に生への認識を深めようとする現代の享受者大衆にとってさまで意義ない作品は、たといそれの歴史的意義が大きかろうと前景から却(しりぞ)けられねばならず、それとは反対に、たといそれが歴史的意義において高く評価され得ぬ作品であったとしても、鑑賞されることになにらか現代的意義が見いだされるような場合、当然前景に出されなければならぬのだ。文芸時評にとって問題はつねに現在に在るのであり、それの解決としての作品の在り方を求めることにあるのだ。
ところが、文芸史の文脈による場合にあっては、当時の人々によって鑑賞された対象としての作品の在り方が問題なのであり、現代人の一身上の立場からの鑑賞は、無論の事、ここでは除外されねばならぬのだ。したがって、芸術性の有無ということも、当時の読者の鑑賞を基準として語られねばならぬのであって、その作品から、今日僕たちがどれだけの客観的な真実を読みとり得るにしても、またその作品が、どれほど僕たちに深い感銘を与えたとしても、それが直接作品の歴史的意義を大いならしめるものではなく、また芸術性に浸透した作品であることを指し示すものでもない。われわれに感銘を与えた作品が偶然同時に歴史的に高く評価され得たとしても、それは別の理由からでなければならない。それとこれとを混同し混乱するのは、全く評価の座標軸への無理解によるのであり、同時に作品をそれだけで完結したものと考えて、それの働きを読者と無関係に考えていることに基因している。禍根は、一に表現の媒体(形式)をそれだけで完結したものと考え、それが読者の体験の裏づけ(鑑賞)を俟(ま)ってはじめて完結する(内容づけられる)という点の見落しにある*。たとえば、当時の読者が鑑賞した源氏物語の表現と、現代の僕たちが一鑑賞者として受取った表現との間には、質的な相違の存すること、つまり僕たちが源氏の中に見出す内容は、決して過去の読者の見出したそれではないということだ。では、古典論は相対主義に陥らざるを得ないであろうか。そうではない。当時の彼らにとって真に価値高い作品だと思われたものも、彼ら自身の担う歴史的役割にしたがって、客観的にはプラスにもマイナスにもなるのだ。
* 拙稿「源平盛衰記論序章」(本誌・昨年六月号)参照
そこで、こうした文芸史の整理に基き、現実の要請にしたがって、在るべき様の文芸の在り方を明かにし、古典の諸類型をそれぞれその本質的な時間の系列によって排列しなおし、その各々の果した歴史的役割を判定する、――これが文芸本質論の任務とする所なのである。だが、この歴史的役割の評価ということも、現代作品の在り方を正しく把握するための手段なのであって、評価すること自体を目的とするものでないこと、前に述べた如くである。したがって、当時その作品がどの位読まれたかというようなことは、むしろ資料として文芸史に問題を提供するものなのであって、直接ここでは問題たり得ない。同様にして(一応すぐ前に触れたように)、当時価値高い作品だと評価された古典も、それが如何なる集合意識に基く「価値」を言いあらわすものなのか、それの属する本質的な時間系列にしたがって(つまり歴史的に)再評価されねばならない。無論のこと、この歴史的意義の評価ということが、作品の芸術性を無視しておこなわれ得るものではなく、また単にいわゆる「イデオロギィー的内容」によってのみ判定され得るものではない。作家の意図がたといどれほど正しいものであったにしても、またその正しい意図がどれほど縷々(るる)と述べられていたにしても、作品そのものが芸術性に貫かれているのでなければ――つまりその作品の在り方が文学以前の段階に止る限り、結局芸術作品として機能し得ず、所詮は評価の圏外に置かれねばならぬであろう。(往年流行したイデオロギィー批評が、自然主義を過去に経験した芸術派の人々の間で不評だったことも、こうした意味では敢えて理由の無いことではなかった。)だから、ここで歴史的意義の評価というのは、無論芸術作品として それが実際に遂行した歴史的な役割の評価のことなのだ。唯、この場合大事なのは、芸術性の有無ということも、飽くまで当時の読者の鑑賞を基準として語られたそれでなければならぬ、と言うことなのだ*。
* 芸術性に貫かれた作品にしてはじめて評価の対象たり得るが、しかし評価の対象たり得たもののすべてが価値ある作品だと考えるのは愚劣である。
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そこで最後に、従来ともすれば混同されがちだった、研究されることの現代的意義と、鑑賞されることのそれとの違いを明かにしておく必要があろう。
普通に古典の現代的意義といえば、それは大抵古典の不滅性(永遠性)に対する自己の信念を披瀝することで終るのを定石としている。そこで、古典の生命が永遠であると言われる場合、たとえば歌舞伎が現代に生きているなぞと言われる場合も、実はそれが今現に都下一流の大劇場で上演されているとか、不況を伝えられるにも拘らず、依然として一定の顧客を失わずにいるとかいう程の意味らしい。このロジックで行くと、軍需景気のおこぼれでこの処(ところ)演舞場も歌舞伎座も職工さん達の総見で満員の盛況だなぞいうニュースも、歌舞伎が勤労大衆にまで喰い入ったことの証拠であって、いよいよそれの現代的意義を大ならしめる所以(ゆえん)だということになりそうだ。けれど問題は、写実を生命とした近世歌舞伎が、本来の文脈における写実劇としての 意義を今日になお持続し得ているか否かにあるのでなければならない。更にまた、それが現にどういう層の人々によって、またどんな意味合からもてはやされているのか、ひいてはそれが現代の生きた問題(典型的な問題)に触れるものを有(も)っているのかどうか、それが問題なのだ。類型的な真実が真実であり得たのは近代主義誕生以前のことであった。歌舞伎の表現する類型的な人間把握が(したがってまた近世的町人的な問題の整理が)現代人のリアリティーにかなうもので無いことは言う迄もない*。それにまた、退嬰(たいえい)的な一部の通人達**の間で、それこそ御隠居の骨董(こっとう)いじりとどっちこっちの態度で愛玩されているということが、歌舞伎劇の生命の永遠なぞいう結論にならぬことだけは確かである。(僕たちにとってつねに問題とされねばならぬのは、享受者層そのものの歴史的性格である。)したがって又、それの現代に鑑賞されていることの意義は、所詮否定的・消極的なものだと言わざるを得ないだろう。然(しか)しだからと言って、その事からしてすぐさま、歌舞伎を研究することの無意義であるという断定は下し得まい。現代の新劇と雖(いえど)も、歌舞伎の完成された様式なり、名優的なその演技なりにはなお学ぶべき多くのものを見出すであろうし、特に、インテリ独善的糞(くそ)リアリズムに堕しつつある新劇当事者にとって、建設期の写実劇・元禄歌舞伎を歴史的に考究することは、必ずや大きな示唆(しさ)を用意する結果になるだろう。
* 前掲拙稿「近世演劇における写実の限界」参照
** 彼ら通人達と雖も今世紀に生きているという意味で「現代人」には違いないが、尠(すくな)くともスタンダードな意味での現代人でないことだけは確かである。
そこでまた逆に、研究されることに意義のある古典が、必ずしもつねに現代の大衆に鑑賞さるべきだとは限らないということも自然明かにされたろうが、同様にして、鑑賞されることの現代的意義の多寡(たか)が、直接それの歴史的意義の大きい小さいを決定するもので無いことも略々(ほぼ)明かにされたかと思う。古典の現代的意義の問題も、ここを起点としてより具体的に検討さるべきであろう。 |