法政中学校学友会発行「法政」創刊号(1939.3)掲載--- 

    *漢字は原則として新字体を使用した。*明らかに誤植と判断できるものは訂正した。
*本文に添えられている振り仮名以外にも、難読語句(文字)には適宜、読み仮名を添えた。
*文中に、現在の人権感覚からすれば問題のある表現がみられるが、原文の歴史性を考慮してそのままとした。


 神 々 の 園

これは、今書きかけている短篇物の中から、ほんのあら筋だけをひろつてもたものです。お伽噺の梗概とでも思つてお読みください。
熊 谷   孝。。。。。。。。。。。。

 人間は人間となる前にまず神様になった。それは、チンパンジーの何代目かの後裔(こうえい)が火の精サラマンダを擒(とりこ)にし、彼を自らが下僕(しもべ)として使役するに至ったあの時代、すくなくともそれを距(へだた)ること余り遠くない頃のことである。が、さうした穿鑿(せんさく)は、この話にとつて実はどうでもよいことなのである。人間がまだ神様であつた時分のこと、――読者は漠然と唯さうしたことを意識してゐてくれれば充分である。掲載誌「法政」創刊号(熊谷文庫蔵)表紙
 満天の星屑にも類(たぐ)ふべき神々は、その頃、野に山に、湖に森に、地上の到る処に自らの生をいつくしんで居られた。諸々(もろもろ)の精霊を、すべて己(おの)が意の儘(まま)に駆使する術(すべ)を体得してをられた神々は、口々に呪文をお唱へになつては火の精・水の精たちを踊らせ、彼らの捧げる幸(さち)多き供物(くもつ)によって生計(たつき)の業(わざ)を営んでをられたのである。土の神が何やら呪文らしいものを呟(つぶや)きながら、
 「土の精コボルトよ、励め」
さう仰せられると、稲は見る間にすくすくとはぐくまれて行くのであつた。吹き荒(すさ)ぶ二百十日の嵐も、
 「風の精シルフエよ、後(しりへ)に退(しりぞ)け」
といふ風の神の一喝に遭つては、あたふたとその姿を消し去るのである。神々の園はなんの屈託もなかつた。
 神々の園はなんの屈託もなかつた、と今私は書いた。が、それは私共人間の、さもしい下俗の眼から眺めての話であつて、おそらく当の神様の身にしてみれば、さまで羨(うらや)まるべきことでなかつたかも知れない。セムの神も、預言者セレムにお与へになつた御神託の中で
 「われは智恵の泉である、われに能(あた)はないことはない、唯徒然(つれづれ)を慰める術(すべ)だけは心得てゐない」
といふ意味の嘆息を洩(もら)して居られる。それは啻(ただ)にセムの神おひとりの呟きではなかつた。全智全能なるが故に、すべてを知りすべてに満ち足りてゐるが故に、神々は仕様ことない退屈を持てあぐんで居られたのである。神様のなさる仕事といつては、せいぜい怠惰に陥りがちな精霊たちの見張りをなさる位のもであるが、それも全能であられる神様にとつては「あゝ水の精の奴め昼寝をしをるな」といつた風に居ながらにしておわかりになるのだから、閑(ひま)つぶしにさへもならないのである。尤(もっと)も、このすべてを見透(みとお)して居られるといふこと、勘の鋭いといふことが、神様にとつては却(かえ)つて悲しむべきことでもあつたのだが。が、まあーその話は後でしよう。――そこで神々は、明けても暮れても、「どうしたらこの恐るべき退屈から救はれるか」といふ事ばかり考へ続けてをられた。
 神々の中には、さうした退屈を音楽や詩歌によつて紛らさうとされる方も少(すくな)くなかつた。神々の園は日夜ホルンとハープの交響に賑(にぎ)はしかつた。妖女の精ニンフは、神々の退屈を癒すやうに、神経を疲らすやうにひたすらその為に踊ることを命じられた。そして、自分自身疲れ果て崩落(くずれお)ちる迄その妖艶な踊を踊り抜くのであつた。また、歌合(うたあわせ)の前夜の女神たちは、星の精にお呼びかけになつてはその対話を綴られたり、わけもない怒りに踏みにじつた花の精の惨(いたま)しい姿に、今更憐(あわれ)みを感じると共に、ふとそこに詩情を喚(よ)び覚(さま)したりなどなさつて、夜の更けるのもお忘れになつて居られた。あえかに麗(うる)はしい詩のいくつかは、そのやうにして物されていつた。芸術こそわれわれの救ひだ、芸術は永遠だ、――そんな叫びが歓喜と倶(とも)に神々の口にのぼせられたのもかうした時分のことである。
 また或る神々は、こんな妄想を続けることに退屈を紛らす手段を見出された。――
 「われわれはすべてを知り悉(つく)してゐる。すくなくともさう思つてゐる。が、それは唯さう思ってゐるだけのことかも知れない。成程(なるほど)世界はわれわれの思ひの儘に動いてゐる。が、それも実はさう見えるだけのことなのかも知れない。われわれの知る能はざる、見る能はざる、何かが在るのではないか。いや、在ることにしておかう、さういふことに決めよう。でないとどうも工合(ぐあい)がわるいて、それに第一たいくつしのぎにならん。われわれが退屈するつていふのも、われわれの前に不可知な秘密がないせいなんだから。えゝと、それでと……」
 寝床の上に腹這(はらば)ひになられた神様は、吸ひ込んだ煙草の煙を輪に吹いたり波形に吹いたりして娯(たの)しんで居られる。
 「われわれのほかにヨリ以上に偉大な存在がある。兎も角あるとするんだ。」
 「で、彼は見る能はざる所の神である。彼は世界を、いや、このわれわれをも支配するところの神である。神以上の神である。だから――
 「だから」さう心の中で繰返してみて、神様は急にまじめな顔をされた。
 「だから――だからこの見えざる神にとって、必然はも早(はや)一つの偶然にすら価しない。」
 想像の糸はそこでぷつりと断ち切られてしまつた。
 「若(も)しも、見えざる神が実在されるのだつたら――
さう口走つたかと思ふとまるで気狂(きちが)ひのやうにわけもなく、その辺をかけ廻つたり、床(ゆか)に坐り込んで何か意味もないことをぶつぶつ呟(つぶや)いたりして居られたが、やがてぐつたりとして深い溜息(ためいき)をつかれた。
 全智全能であられる所の神々は、近い将来において、神が人間にまで堕落――「堕落」さう神々は呼んでをられた――しなければならぬ、といふ運命を充分見透して居られた。さういふ運命はどう仕様もないものであることも、またさうした必然に殉じることが神の道であることも、無論わかり過ぎる位わかつてをられた。が、若しもさうした必然から免れることが出来たら、そんな思ひが神様のお心のどこかに潜んでゐたことも争へない事実であつた。
 なにか厳然たる事実に対峙せしめられた場合、たとひそれが自分にとつて都合の悪いことであらうと、事実は事実として飽くまで肯定しなければならぬといふ気持、現にさうした気持がある半面、それが事実でなくてくれたらと希(ねが)ふ気持、それが事実だといふことさへ否定してしまひたいやうな気持、そんな思ひに閉(とざ)されてしまふことの多いのが私共の日常である。謂(い)わば頭で肯定して胸で否定する気持、さうした割切れなさがやはり神々のお心に蟠(わだかま)りをつくつて居たのである。倦怠を持てあぐんでをられた神々も、身近に迫り来るこの現実の問題にゆき当るとき、深い憂鬱(ゆううつ)に陥つてしまはれるのが常だつた。それもニンフの踊にすべてをわすれてゐる――すくなくとも忘れたつもりになつてゐる――瞬間は未だしも幸福な瞬間だつた。現実には眼を覆うて、たとひそれがうつろな叫びであらうと「芸術は永遠だ」なぞと喚(わめ)き散らすことのできる神々は充分「幸福な」存在だつた。
 が、さうした安価な「幸福」に浸り切れなかつた神々は、いきほひニヒルにならざるを得なかつた。そこには、解決の無い解決があるだけだつた。「判断中止」そんな言葉が苦笑と倶に神々の間に語られはじめたのもこの頃のことである。「若しも、見えざる神が実在してゐられるのだつたら……」さう空想してみた神様も、やはりこゝで判断を中止しなければならなかつた。が、この神様のほかに、やはりかうした空想を空想し続けることの中に(それこそ手品師の器用さをもつて)必然を偶然に変へることのできる神――「見えざる所の神」――が実在する、とさう思ひ込むことに成功したいくたりかの神様があつた。無論それらの神々は気が触れてをられたのである。「芸術は永遠だ」と思ひ込むことに成功した神々がとうに気が狂つて居られたやうに――。神々は、さうしたマニア的な状態を「信仰」と名づけた。そして憐れんだ。
 ところが、またいくたりかの神々は、気が狂つてもをられなかつたのに、見えざる神を信仰してゐるかに見せかけようと努められた。突然街頭にひざまづいてお祈りをお始めになられたり、神々や諸々の精霊たちを前に、如何(いか)にも有難さうな身振りを用ひて説教をされたりなどした。「われわれのこの行為は、やがて世の神々を暗いニヒリズムの渕から救ひあげることにもなるのだ。少くとも救はれたやうな気にさせることだけは出来る。だとすれば、他を偽つてゐることもあながちに責めらるべき行為ではないのだ。」さうした言訳(いいわけ)の言葉を絶えず心に繰り返しながら神々は布教にいそしんでをられた。
 神々をニヒリズムから解き放つこと、それは所詮自己弁護に過ぎなかつた。いや、ほんの名目に外ならなかつた。ともすれば外道(げどう)の言葉に惑はされがちな、弱い愚かな精霊たちを、悪魔の手から救つてやりたい、護つてやりたい、さうした温(あたたか)いお心持がそこにはあつたのである。が、そのとき神様の耳もとでかう囁(ささや)く者があつた
 「ひとを偽つたお前たちは、も早神であることを止めたのだ。慈悲心からさうした、といつたことは弁解にはならない。しかし欣(よろこ)べ、お前たちはお前達が最も厭(いと)はしく思つてゐる人間にもう堕落しなくとも済むのだ。もう怖れる必要はなくなつたのだ。偽(いつわり)の証(あかし)をたてた功労はお前たちにわれわれのなかまとなるだけの資格を与へたのだ。」
それが悪魔の囁きであつたかどうかを私は知らない。これらの神々がほんたうに悪魔になつてしまはれたのか、それともやはりいやでいやでたまらなかつた人間になられたのか私は知らない。
 これは、人間がまだ神様であつた頃の話である。

 
 熊谷孝 人と学問熊谷孝 昭和10年代(1935-1944)著作より