最近に於けるヒューマニズムの本質は何か    徳永 泰 (熊谷孝の筆名と推定される)
  
唯物論研究会発行「唯物論研究」48 (1936.10)掲載--- 

    *漢字は原則として新字体を使用した。 *仮名遣いは新仮名遣いに拠った。*傍点の部分は太字・イタリック体に替えた。
*明らかに誤植と判断できるものは訂正した。*難読語句(文字)には適宜、読み仮名を添えた。


     「唯物論研究」48表紙
 この稿を草するに至った直接の動機は文学界(九月号)の連評「ヒューマニズムの現代的意義」にある。他に書かれたものを広く読んでいないので、これを以って直ちにヒューマニズムに関する今日の代表的な意見と見ていいかどうかは分らないが、併しこの森山[啓]、阿部[知二]、岡[邦雄]、三木[清]四人の執筆者の顔振れから云っても大体の帰趨はうかがわれるのではないかと思う。それにしても編集者からの注文によって、また四人の中の最初の執筆者の問題提起の仕方によって自(おのずか)ら論点が制限されているかも知れない、と云う事情も考慮しなければならない。また私自身もそれに引ずり込まれて、他の重要な問題に考え及ばないと云うこともあり得るので、読者は予(あらかじ)めそれらの点を注意して読んで貰いたい。

 先ず連評の形式だが、前者の原稿を次々に後の者が読んで、それを批評し、締めくくり、展開させて行く、と云うやり方は、オリンピックのリレーレースから思付かれたのかも知れないが、試みとして面白い。併しこれには執筆者の顔振れと共に、その順序に余程注意を要する。今顔振れは一応これでいいとして、順序から云うと、岡氏を三番目に、三木氏を最後にもって来た所は、世間的に云えばいいかも知れないが、厳密に云えば当を得たものとは云えない。事実、三木氏は岡氏の提起した問題を深化し或は展開していないばかりでなく、問題をずらしている丈(だ)けで、本質に於ては森山、阿部氏の所に停滞していると云う他はない。その限りに於て、或新聞の短評にあるように「ヒューマニズムの前進」とは云えない。唯物論者として最も確かだと思われる岡氏が最後に来なくてはならぬのだ。

     
 そこでヒューマニズムがここで如何に取扱われているかと云うと、岡氏を除き、他の三人には共通したものが認められる。そして個人的、部分的相違よりも、この共通点が今大切だと思う。第一にヒューマニズムはモラルの問題として取扱われている。即ち社会科学観念としてではなく、それから機械的に引離された単なる文学的観念として、戸坂氏の所謂一身上の問題として、更に率直に云えば、狭義の文壇人の問題として扱われている。三木氏のは必ずしもそうだとは云えないが、社会科学の問題として取扱われていないと云う点に於て、森山、阿部両氏と共通している。
 このことは編集者からの注文による点もあろうし、その他種々止むを得ない点があるかも知れないが、併し問題は決して一文壇人の問題ではない以上、それに止まっていては問題展開、或は解決は期待され得ない。右三者は少くともそのことを暗示位してもよかったのだが、それをすらやっていないのだ。尤(もっと)も森山氏「死の思想との袂別」も、例えば今日のヒューマニズムのルネッサンス的それと異なる所は、社会運動との関係と接触とに於て問題にされている点にあることを先ず指摘してはいるが、ただそれ丈けに止って、その関係と接触とについて何等具体的説明を与えていず、従って問題の本質も明かにされてはいない。彼はまたしてもここでかの「何の為の芸術か」に対する駁論に対して、無意義な自己弁明を繰返しているに過ぎないのだ。この人達によるとヒューマニズムとは単に本能的なヒューメンであることに過ぎないらしく、嚮(さき)にエンゲルスの宇宙と人間との生滅に関する自然科学論を不用意に且(かつ)誤って(何処がどう誤っているかについては「唯研」七月号石原氏の所説が懇切に説明している)著しく涙っぽくヒューマナイズし、宗教的無常化したように、ここではゴーりキイをヒューマナイズしている。そしてルネッサンス期の巨人がヒューマニストであったように、ジイドやロマン・ローランもヒューマニストであり、またゴーリキイもヒューマニストであった、と云うのである。加之(しかのみならず)ソヴェトの改正憲法も従前のそれに比してヒュマニスチック・デモクラチックになった、ということにもなるらしい。こう云うことをいくら繰返していても、そこから何も生れて来る筈はないのだ。そんなことを云えば凡(およ)そヒューマニスチック(=ヒューメン)でない人間なんてある筈はないので、ヒットラーでもムッソリニイでも仲々ヒューマニスチックな所があると云っても一向差支えはないのだ。
 こう云ったからとてもとより、何も涙っぽいっことがいけないとかいいとか云うのでは決してない。森山氏はここでゴーリキイの死にあたって世界の人類が慟哭したではないか、それが何故いけない、とでも云うように、向きになってまくし立てているが、これは一方ソヴェトでダンス解禁になったと云うので疑問視するのに通ずるもので、およそこれ程見当違いなことはない。慟哭も大いに可。併し慟哭丈けが何も能ではあるまい。私は今ヒューメンを涙っぽいことの同義語に用いたが、併しまた場合によっては泣かないこともヒューメンであることを忘れてはならない。いずれにしてもヒューマニズムとヒューメンとを混同して問題を徒(いたずら)に混乱させるもの程始末に終えないものはない。乞う、暫くヒューメンであることを止めよ。
 で理論を実りあるものとするために大切なことは、ルネッサンス期とヒューマニズム、十九世紀末葉から二十世紀初葉にかけてのヒューマニズム、そして今日のヒューマニズムが、同一であると共に如何に異るかを、歴史的・社会科学的に規定することだ。先ずこの点についても、岡氏の「限定への要求」は正しい要求であると云わざるを得ない。戸坂氏も別にセルパン九月号で限定の必要を説き、且彼にその抱負のあることを示唆している。
 所でモラルの問題と云えば、当然戸坂氏のモラル論が問題になって来る。戸坂氏のモラル論の最大の意義の一つは、モラルを常識的、倫理学的及び社会科学的観念から解放して、文芸的観念として規定した所にあると云えよう。このモラルは、プロレタリア文芸に限らず、それと共に従来のブルジョア文芸にも通ずる所の一般に文芸の特殊的目標乃至(ないし)文芸境であると云えよう。文芸の観念がここに新に解釈し直されたわけである。ここに彼のモラル論の画期的な意義がある。
 併しこれを今日の文芸情勢について見るとどう云うことになるかと云うと、一方、今まで何か単に外的と思われていたもの、例えば政治的拘束から解放された転向後のプロレタリア文芸の特質の一つたる内向的、自己告白的傾向の理論的許容であり、他方従来のプルジョア文芸の許容である、と断言するには異論があるとすれば、少くとも、そうとられうる惧れがある、と云うのは従来のブルジョア作家も云うことだろう、そのモラルこそもともと俺達の探究していたものだ、プロ作家も俺達と同じくやはり人間だった、と。そこで余事は兎に角、人間のモラルの探究と云う一点に於て両者の握手がスムーズに行われても、一向差支えないことになる。戸坂氏のモラル論によって、作家は愈(いよいよ)安心して何の気兼ねもなく向きに創作を続けられると云うものだ。尤も「真摯な」長い且複雑な文芸発展の途上、特に今日の転向文芸について早急の判断は慎まねばならぬだろう。併し何れにしても、転向文芸、それから立直ろうとしているもの、戸坂氏のモラル論、岡氏の恋愛論、これらの間には一脈の連関があって期せずして、何れも現下の社会情勢を反映するものなることは、私が繰返すまでもなく明かなようである。
 そこで戸坂氏の「一身上」は、個人的、私的とは異(ことな)り、もっと直接的なもので、個人的のように科学的に概念化され得ないものだそうで、岡氏もここでそれを受入れて、森山、阿部両氏について云う。「森山、阿部両氏の言説(殊に森山氏の生死観を想起せられよ―徳永)は各自の心境を語って自(おのずか)ら一般論に通じている。それは従来の心境小説とか印象批評とかの特質を成す個人主義乃至個人的心境を揚棄している。それは主体的ではあるが、決して主観的、独断的ではない。……」このことは三木氏の言説についても当てはまるであろう。
 併しそれにも拘わらず、これらの人達の言説と、例えば、はっきりさせるために引合に出すのだが、徳田秋声氏あたりの言説と果たして本質的にどれ丈け違うと云うのか。若(も)し前者の言説が、「一般論に通じている」とすれば、その人達が比較的若い世代に属しているために、その人達の個人的、私的言説が我々にも、共通な問題として触れて来る所が多い、然るに老人の個人的、私的言説は、必ずしも個人的、私的なるが故にではなく、老人の言説なるが故に一般性を持ち得ない、と云うに過ぎないのではないか。そう云えばまた異論があるかも知れないが私は、世代の老若と云う以外に、その間に本質的相違を見出すことは出来ない。
 岡氏は森山、阿部両氏のヒューマニズム論に限界性のないことに、戸坂氏のモラル論の領域的な意味の排拒と共通したものを見ている。戸坂氏の領域的な意味の排拒はそのモラルが就中(なかんずく)社会科学的観念から未だ切離されたままになっていることを意味する。宛(あたか)もそのように森山、阿部両氏そして三木氏のヒューマニズム論は限界性が欠如している。ヒューマニズムの本質(階級的)が不明なのは正にその事と関係がある。

     
 次に今日のヒューマニズムは、主として、漠然と封建的なものに対する反抗、封建主義からの人間の解放、と云う意味でこれまた漠然とルネッサンス的ヒューマニズムだとされている。三木氏「東洋的人間の批判」はこれを東洋的人間、東洋的自然主義に対する反抗として、一応問題を限定している。
 東洋的自然主義の概念規定は、三木氏がここで現代のヒューマニズムのより一層の限定を約束するとき、必然的に約束されていることであろう。東洋的自然主義の概念規定は、私も他の所で多少之を試みておいたが、それについて今日最も必要なることは、それの抽象的な概念規定と共に、今日の我々日本人の生活を[ママ]文化が一般に西洋の先進国のそれに比して如何に低劣であるか、人間の自由が如何に拘束されているか等を実証的に指示することであろう。例えばドイツの文化野蛮は周知の事実であるが、或帰朝者の話によると、それですら日本のそれと比べると未(いま)だ増しな所があると云う。かような実証的指示がより一層敏活になされることによって、ヒューマニズム運動も益々広汎な層に浸潤して行くことになるであろう。
 だが、一方にはどうしても過去の問題としてではなく、今日の日本の問題としての厳密なヒューマニズムの概念規定が必要なことは云うまでもない。三木氏が反封建的を反東洋的自然主義或は反東洋的人間と規定したことは、ここでは未だ具体的な内容規定には立入ってはいないにしても、併しここだけから見ても既に、問題を単に一歩ずらしたに過ぎないと云うことは略(ほぼ)明かである。「ヒューマニズムの前進」はそうすることによってではなく、既に知られているように、政治的な人民戦線活動に対応する文化活動として規定し、展開されることによってなされるであろう。当面のヒューマニズム運動が政治運動から相対的に独立して行われる他はないのみならず、必要でさえあっても、このことは大切なことである。
 だが、人民戦線と云っても、無産諸団体のそれから、馬場恒吾氏式のブルジョア諸政党の「捨身的」復活運動としてのそれもあって極めて広汎なものであるように(両者の提携の能不能はここでは問題にしない)、今ヒューマニズム運動も、反封建的、反ファッシズムと云う丈けなら、官学の比較的自由主義的な教授、殊に比較的堅実なカント主義者も包括し得るわけだが、かように広汎なものであること、換言すれば凡(あら)ゆる反封建論者、反ファッシストの握手が今日のヒューマニズムの特質であり、且それは必要でさえあろう。それは文壇の一現象としては「文学界」の成立に於ても見られる。また、あまり未だこれと云う活動を示していないが「東京学術協会」などもかような一つのヒューマニズム運動と見られないこともない。
 併しこうなるとヒューマニズムも愈々漠然となると共に宙に浮いて来る惧れがあるわけで、一方にはどうしても明瞭な限定が必要になって来る。即ち、ヒューマニズムは、岡氏も指摘しているように、単にインテリゲンチャや一部文壇人丈けの問題でなくて、広汎と云えば、それこそ広汎な人民自体、殊にプロレタリヤの問題である、と云うはっきりとした認識が必要である。これと関連して、かのルネッサンス期(曖昧にルネッサンス的でなく)のヒューマニズムが当時の新興ブルジョアジー人間の解放であったように、今日のヒューマニズムは、本質的にはプロレタリア人間の解放であることがはっきり認識されねばならない。ここにこそ今日のヒューマニズムの本質的意義があるのだ。そしてこのプロレタリヤの解放によってのみ、我々インテリゲンチャの解放も自由も可能であると云うことが更(あらた)めてはっきり認識されなければならない。
 かような認識から必然的に出て来ることは、今日のヒューマニズムは決して復古的、懐古的なものであってはならず、またあるを要しない、と云うことである。「文学界」の連評の限りでは、その点はあまり目立たないが、併し、今日のヒューマニズムの主要なものはルネッサンス的ヒューマニズムだと云われている(阿部、「ヒューマニズムと文学」)裏面には多分にその危険を包蔵している。「文学界」以外の言論に於ても一般にそう云う危険は多分につきまとっている。例えば、本荘可宗「インテリの再啓蒙」(読売八月二二-二三日)もそれである。かのルネッサンス期ヒューマニズムの復古主義は、一つのきっかけ ではあっても、その本質ではなかった。その本質は彼等が現実の彼等自身をはっきりと把握し自覚したことにある。例えば、レオナルドが、フロレンス市のために、当時未だ一般にそうであったように、過去の伝説或は聖書に関するものでなく、フロレンスにとって記念すべき当時の実際のアンギエリに於ける戦を描いたのも、その一つであると見てよい。そのように我々は今日の日本に於ける我々自身とその本質を現実的に把握すればいいので、その意味に於て中世への復帰と共に、ルネッサンス期への復帰も無意義であるばかりでなく、屡(しばしば)有害である。尤も、ルネッサンス期とその巨人達を顧みることは確かに我々を鼓舞する。併しそれに劣らぬ巨人がルネッサンス期でなくとも我々の時代の真近くに居たしまた居るではないか。加之(しかのみならず)我々はルネッサンス期の巨人の歴史的・階級的限界を既に知っている。単に伝説的な巨人と云うのなら、今更ルネッサンス期の巨人を持出して来る必要は毛頭ない(我々自身の頭と足で結構だ)。それらは過去の亡霊に過ぎないのだ。ルネッサンス期の巨人の想起について必要なことは、彼等が単に巨人であったからではなく、彼等が未だ分業の奴隷になっていず、就中(なかんずく)「自己の時代の全利害に生きて、実際の闘争に参加し、その味方となり、一定の党派に属し、或者は言葉とペンを以て、また両者を以て共に闘争に参加したことによって、彼等巨人が実際上の巨人として鍛え上げられたと云うことの認識である。

     
 今日のヒューマニズムの本質を認識するために更に必要なことは、反封建的とは一体どう云うことかと云うことに対する認識を深めることである。今日の日本が多分に封建的残滓を留め且強化しつつあることは「連評」を俟(ま)つまでもなく明かな事実であるとしても、併しそのことは一体どう云うことであるか。このことこそが重要な問題である。今日の日本が如何に封建的であっても、それは決して封建主義ではなくて、資本主義であるばかりでなく、質に於て充分に世界的水準に到達せる高度の資本主義であることは云うまでもない。それに対応してプルジョアジーは、西洋先進諸国とは程度の差こそあれ、既に相当の文化をもち、人間性も自由も個性も今日の資本と文化が許す限りに於て充分に享楽し満足させていることを、更(あらた)めて云うまでもないことだが、我々は知らねばならぬ。プチ・ブルジョアの代表をして我々インテリゲンチャも、或程度その恩恵に浴しているわけである。人間の解放はブルジョアジーのそれである限り、既に一応実現されていると見て差支えない。この意味に於て、明治期及び大正期の自由主義と連関して云われる日本「ルネッサンスの中断」も、実は中断どころでなく、一方的には進展して今日に至っていると云えよう。
 そうすると、今日解放を最も必要とする人間は誰であるかと云うこと、ヒューマニズムの主体は誰であるかと云うこと、ヒューマニズムはもとより我々インテリゲンチャの問題であると共に、決して単にそれ丈けの問題ではないと云うこと、は自(おのずか)ら明かであろう。「連評」にも欠如しているものの一つはこの点に対する考慮である。
 次に日本がルネッサンスの中道にあると云われることについての今一つの危険は、社会主義はヒューマニズム・自由主義・個人主義の止揚なるが故に、我々も亦(また)先ず以て先進諸国と同じようなそれを獲得せねばならぬ、と考えられ易いと云うことである。これは先進諸国と同規模同程度の資本主義に到達しなければ、そう云う過程を軌道通りに踏んで行かなければ、経済的・政治的に次の段階に到達し得ないとする誤れる機械論に相応する所の誤れる思想であると云う他はない。
 次に「連評」について注意すべきことは、今日のヒューマニズムを、「二十世紀初頭に起った主知主義文学、全体主義、社会主義に対する一反動」として、或はファッシズム及社会主義に対する「第三の思想」として把握されていることである。もとより言葉はどうでもいいようなものの、かかる表現に伴い易い誤謬を予め清掃しておくことは、現下のヒューマニズムの正しい認識のためには必要なことである。
 これはどう云うことかと云うと、今日のヒューマニズムは、二十世紀初頭の主知主義文学、全体主義、社会主義が、ルネッサンス的ヒューマニズムの感情的、不合理的、退廃的になったものとしての十九世紀的ヒューマニズムの一反動であるように、二十世紀初頭の上記諸思想に対する一反動であると云うのであって、これで見ると何んでもかんでも次に来るものは反動であるばかりでなく、今日のヒューマニズムは、二十世紀の初頭以後美術界に於ける「イズムの氾濫」流行と同じように、また日本の行動主義やロマンチシズムと同じように且それに対する一流行現象に過ぎないものであるばかりでなく、結局に於て社会主義に対立し、且それとは別個の独立した一範疇であるかの如く思われる。ヒューマニズムのかかる把握の仕方は、根本に於て、独裁・統制と云う形式的・外観的類似によってファッシズムと社会主義とを同視し、その本質的相違を抹殺するものであって、これは云うまでもなく明かに誤りである。そしてここでもまた社会主義もファッシズムと同じく、ヒューメン・感情的及び個人の自由に反するとされている。また今日のヒューマニズムが主知主義の反動だと云われる場合にも、やはりヒューマニズムとヒューメン・感情的とが混同されている。
 前にも述べたように、およそかようなヒューマニズム規定程無駄なものはないだろう。今日のヒューマニズムをヒューメン・感情的、反主知主義的と見ることは、やがてかのルネッサンス期ヒューマニズムもそうだと見ることにもなるであろうが、それはルネッサンス期ヒューマニズムの周到なる歴史的把握によって否定されるであろう。ここではただ、ルネッサンス期ヒューマニズムの特質は感情の解放であると共に、主知主義にあること、否むしろ、主知主義、科学の精神を他にしてかのヒューマニズムは存在し得ないことを指摘しておこう。今日芸術家と感情家とは屡(しばしば)同義語であるが、ルネッサンス期の芸術家について云えば、「職業的には芸術家にして気質的には学者である」(ベルグソン)ばかりでなく、多くの偉大な芸術家は実際に於て同時に学者であった。他のヒューマニストと同じく芸術家はよく云われるように、他方面的な云わばエンチクロペヂストであったのだ(芸術家に限らずあの時代の巨人が如何にして巨人になり得たかについては前に一言した通りである)。今日のヒューマニズムもこれと同じで、主知主義、科学の精神に反すると云うなら、むしろ笑止の限りであろう。
 次に社会主義とファッシズムの同視については、全然理由なしとも云えない点がある。と云うのはソ連邦が過去の闘争期に於て、加之現在に於ても、政治的・経済的事由によって「不自由」であろうことも想像されるからだ。併しファッショ諸国とは反対に、漸次「自由」に向いつつあるようだし、そう心配するにも当らないようである。近くは憲法の改正は云うまでもなく、かのダンス解禁もその一つの現れに他なるまい。ただここで大切なことは、かような「自由」な状態には「不自由」な過程を経ないで、一足飛びには到達し得ないだろう、と云うことこれである。
 最後に我々は、今日のヒューマニズムを一反動乃至一流行現象或は社会主義から独立した独自の一範疇と見る見方と関連して、ルネッサンス類型論のあること注意しておこう。前述本荘可宗氏のルネッサンス論が正にそれであって、彼によるとルネッサンスは如何なる特定の歴史的時期の特定な現象でもなく、単に、歴史変革の一類型であるに過ぎず、加之それは「革命型」に対するものとされている。これで見るとルネッサンスは、何の摩擦もなく全くスムーズに行われたし或は行われるかのように思われるが、かようなルネッサンス観はそれこそ全く本荘氏の独創的歴史観と云う他はない。我々は、かかるインテリゲンチャを我々の同類として持つことを恥じる。
 我々のルネッサンス観、ヒューマニズム観は、既に上述の所からも略(ほぼ)明かであると思われるが、詳しくは別な機会に譲る他はない。

 「連評」のヒューマニズム論について、この他にも問題にすべき点があるかも知れないが、今はこれ丈けに留めておこう。所でそれはそれで一応いいとして、次に殊に作家にとって最後的に問題になるであろうことは、それでは一体作家はどうすればいいかと云うことである。こうなると今私には極めて一般的なことを云う丈けの準備しかない。右に述べ来った所から自(おのずか)ら明かであるように、作家も今日のヒューマニズムは、極めて広汎なものであり且つ漠然としているように見えても、そして政治的人民戦線活動から一応独立し、或は先回りしたものであっても、殊に下からの人民戦線活動に対応し、その一翼たるべきものだとの意識を深め且確実にするならば、そこに自ら創作のテーマも方法も複雑・豊穣化すると共に一定の制限を受けざるを得ないであろう。この一定の制限とは即ち岡氏も云うように従前の社会主義リアリズムに他ならないのだ。従(したがっ)て創作活動乃至方法としてのヒューマニズムは、単に行動主義やロマンチシズムの次に来(きた)った一流行現象とか、或は社会主義的リアリズムの反動とか云うような性質のものでは決してなく、むしろそれは社会主義的リアリズムの一環として把握されざるを得ないであろう。社会主義的リアリズムのより一層の積極的な徹底化・深化・複雑化、これを他にして創作活動乃至方法としてのヒューマニズムはあり得ない。

 
 熊谷孝 人と学問熊谷孝 昭和10年代(1935-1944)著作より