ファシズム体制下、ドイツの教育誌 『教育科学』 の1935年2月号に掲載されたペーター・ペーターゼン(教育学者/実践家)の論文「道徳性の国民政策的陶冶」。これはその “大意の抄録” である。(本文末尾の注記参照)
  
  〈海外教育思潮〉 道徳性の国民政策的陶冶     熊谷 孝
  
岩波書店発行 『教育』 (1935.9)掲載 

    *漢字は原則として新字体を使用した。 *仮名遣いは新仮名遣いに拠った。*難読語句(文字)には適宜、読み仮名を添えた。

 道徳教育国際会議は、十八世紀以来ヨーロッパ文化の明星として輝いた近世の啓蒙思想のまがいもなき発展であり帰結である。それは正しき意義を以て生れ、十九世紀のヨーロッパが問題として遺した所の国際的道徳的危機を明白ならしめる目的を以て現出したのである。然るにその精神はこの十年来殆[ほと]んど萎靡衰褪[いびすいたい]してしまった。一九〇〇年の頃既に全ヨーロッパ民族の文化情勢は、小説に於て、劇作に於て、哲学に於て、而してまた教育に於て、等しく強度の悲観的な観測を下されたのであった。在来の学校組織・教授法は固[もと]より、就中[なかんずく]その教育的効力が疑われ、道徳性と性格の陶冶能力が否定されたのである。かかる状勢の下に於て生れた道徳教育国際会議は、当時徹底的に破綻のどん底より新しきものを育成すべきだったのである。然るに最初の五回の会議に於て早くもヨーロッパ精神の世界的危機を反映した。一九〇八年ロンドンに於ては、自由主義に立脚し、それに関連する人間性、寛容、人格、権威といったような概念に固執して、道徳教育の課題と方法とに自信と確信とを見せたのであるのに、一九三〇年のパリ―会議に於ては最早[もはや]そのような自信と確信とは確保され得なくなったのである。
 蓋
[けだ]し、一九三〇年のパリの会議に於ては、権威、自律、訓練の問題が論議されたが、あらゆる道徳教育の中心問題は、要するに十九世紀のヨーロッパの国際政策、その根底をなす世界観、並[ならび]にキリスト教が、国際関係の法廷に引出されて神の審判を受けその危機を暴露するに至った一点に帰するのである。この古きヨーロッパ精神は、今や権威の外貌も、又曾[かつ]てそれが誇示した一切のものをも喪失してしまって、それは最早若き世代がとって以て規範とすべきものではあり得なくなった。
 ドイツに於ける変化に就て云えば、それは他の諸国に於ても同様にみられるところである。自由主義の危機は其処
[そこ]では理想主義の危機と軌を同じうする。カントの先験哲学から発し、フィヒテ・ヘーゲルを経て展開された通俗的理想主義は、ドイツ固有の合理主義の一形態ではあったが、亦[また]同時にデカルトの流を汲むフランスの合理主義と呼応するものでもあった。理想主義は、今世紀初頭に於て、それが多くの大学・高等学校に於て講ぜられたことのために知識階級をつよく支配したのである。理想主義は、またつねに諸外国の人々によってドイツの誇るべき業績の一つとして称賛され来[きた]った。けれども、それは漸[ようや]く凋落しはじめ、一九二〇年以来、新しき教育科学の体系化と共に、それの終末は決定的なものとなったのである。新しき教育科学は、その首途に当って通俗的理想主義に対し、また旧ドイツ的形態の合理主義・主知主義に対して執拗な闘争を続けたのである。
 顧
[かえりみ]れば、文芸復興・人本主義と共に、全ヨーロッパは自我の時代・高度の個人主義の時代を現出した。それは、疑いもなく輝かしい一時期を画し、そして、われわれの知る限り、科学と哲学とに於ける天才的な発明・発見の最も豊富な時代を展開した。それは人々に限りなき自由と力との感を与え、人間は科学的・哲学的認識をもって全世界を支配し、変革し、文化の創造者であると共に、自然の立法者でもある、従って自由の獲得は道徳の完成であるとされた。かくして「自由な自律的な人格」が最高の教育理想とされ自発的活動性の発展と育成とが不可欠的な前提とされたのである。とれと共に又無神論が萌芽して知識階級の間に流布すると共に、十九世紀末以来大衆の間にも浸潤するに至った。宗教は人間の生活から完全に離脱してしまったのである、しかし乍[なが]ら、かかる人間性は、畢竟[ひっきょう]動物的な段階に迄顛落したかにみえ、生活機能の健全な発達を阻止し、就中[なかんずく]道徳的意力を委縮せしめるけっかを齎[もたら]したに過ぎなかったのである。買うて、人々の考[かんがえ]は極端に抽象的となり、実在についての考え方が極めて観念的となったのである。之[これ]に対して今日の教育科学とそれに関連する現実哲学(Wirklichkeitsphilosophie)は、飽くまでも存在と人間とに問題の中心を置いたのである。
 かかる意味の人間学的問題は、また若きドイツの社会学・心理学、就中プロテスタント的神学を強く支配した。一九二〇年以来新しい精神的ドイツが創造されたのであった。一九二〇年までは気にもかけられなかったレアリズムの思想がこの十四年間に於て萌芽し、わけても一九三〇年から一九三一年にかけて見まがうかたなく明
[あき]らかな形相をとるに至った。それは北ドイツ的精神の輝かしさは今日程の如きはない。彼らの最も優れた詩人ハンス・フリードリヒ・ブルンクが最近『合理主義の昔にあっては北ドイツは沈黙していた』と書いている。それは現実性が要求されている今日、力強くひびくのである。
 われわれは、人間の存在について、理想主義の意味するとは別の「人間性」の概念を把握する。理想主義の意味する人間性は、民族を超えて普遍的に妥当する人間の理念であって、かかる理念は現実の生ける文化と民族との教育並
[ならび]にその実践を破綻に導くものであった。何故ならば、それは理念としての普遍性はあっても、現実の民族を抽象し、国民の又民俗の現実の問題と結束とを軽視し希薄にするからである。即ち今や知識階級の人々は、農夫・労働者・手工業者、彼等の文化、彼等の道徳によって民族が生存し、堕落し、頽廃するということを知り、民族の生活も民族の歴史も一定の土地と景観とによって精神的肉体的に形成され規定されるということを知った。これは民族と民族文化とに対する包括的な見解と態度とを必然的にとらしめるのであって、この見解と態度とを吾々は「国民政策的(ナチョナルポリティッシュ)」というのである。
 人間の社会的結合関係は、教育科学的実践の目的から見て、之
[これ]を三つに分けることが出来る。その結合の中に於て各人はつねに存在し、且[か]つその結合関係によってのみ各人は生活し、人間としての価値・運命を享受することが出来るのである。その第一は、まず家族・親族・氏族のように「血」の関係によって結ばれる共同社会(Gemeinschaft)である。第二は友情関係、男女の恋愛関係等の親愛の情によって結ばれる結合関係である。あらゆる共同社会は、元来一定の地域と自然に結合し、同一の地域に於ける共存・共栄の生活は、各人をその生涯にわたって決定する経験なのである。第三は、「精神的社会」としての言語・風習(道徳)・法律・神話等々である。以上は、民族の萌芽の有機的な健全な成長をはかるために、すべての陶冶・教育がそこから生れて来なければならぬところの三つの民族政策圏であって、一九二〇年ぃ来、あらゆる教育科学の体系は、意識的にこの根源的な結合関係に、すなわち個々人の「原始共同社会」(Ursprungsgemeinschaft)に立ち戻ろうとしている。われわれは二三年このかた、未だ体系的には企てられたことのなかった一の新しい科学、すなわち「民族学」をもっているのである。

 心情と実践との分裂は、道徳を必然的に頽廃に導く。ひとの善意、高尚な志向、純粋な心情は、それ自身としては美しきものである。けれども、各人の価値はその行為によってのみ測られる。人は生活に於ける行為と行動とによって評価され、地位を与えられ、而して子女として、両親として、友人として、主従として、各
[おのおの]その職責を果すことによって社会の又国民の尊敬を受ける。即ち人の道徳性は生活に於ける行為の連続に於て具現し展開する。従って行為に於て価値を実現せざる純粋意欲・純粋心情というようなものを主張することは出来ぬ。道徳生活の尺度は、地上の正確さを固有する者であって、「心情と自由の倫理学」(Gesinnungs-und Freiheitsethik)の如き巧妙なからくりを蔑視する。通俗理想主義は、人は自由によって道徳性を基礎づけると主張する、例えばフィヒテの如きは理想主義の声に和して、真の宗教にとっては『現象の世界に於けるおける行動の結果は何ら問題ではない。』と放言した。これは彼の良心の叫びであるに違いないが、凡[およ]そ良心なるものは可塑的にして、元来隣人に対する行為の自己反響に他ならぬ。即ち良心は吾々に隣人が何を要求しているか、又吾々はそれに対して要求を充足しているかということを告知する。従って良心は人間社会に何が要求されているか、われわれが正しい共同社会的連関の中に生活しているかどうかということを告知する機関(organ)に過ぎぬのである。自由は良心の属性ではなくて、隣人に対する義務遂行が人間性を展開する形相に他ならぬ。今日の教育科学、現実哲学、国家学は、それ故に寧[むし]ろ、「拘束された自由」(gebundene Freiheit)を問題にする。「拘束された自由」が問題になり、教育が之を取扱うとすれば、教育は必然的に上述の社会的結合関係の根源的形態に遡及せねばならぬ。そして社会的結合関係の根源的形態としての「民族」「国民」に立脚して民族政策的教育を採らざる限り、道徳性の陶冶は望み薄きものとならざるを得ない。
 「一般理性」・「一般道徳性」・「自然宗教」等は普遍的悟性の最後の思弁(シュペクラチオン)という意味に於てのみ意義を有
[も]つが、それは個人に対しても亦[また]国民にとっても具体的な人間と人間の価値を基礎づけるものではない。国民が国民政策的陶冶の見地に立って之を遂行することによって始めて道徳性の陶冶は具体化し実現される。
 (以上は Peter Petersen, Nationalpolitische Bildung der menschlichen Sittlichkeit,
 "Die Erziehung" Feb. 1935. の大意を抄録したものである。)
 
 ‖熊谷孝 人と学問熊谷孝 昭和10年代(1935-1944)著作より