「五人女」に関する断片的ノート 熊谷 孝 |
法政大学国文学研究室「国文学誌要」2-9(1935.2)掲載--- |
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*漢字は原則として新字体を使用した。 *引用部分以外は現代仮名遣いに替えた。 *傍点の部分は太字・イタリック体に替えた。 *明らかに誤植と判断できるものは訂正した。 *難読語句(文字)には適宜、読み仮名を添えた。 |
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近世レアリズムの文学が、近世社会の特殊性に制約された町人階級の宿命的な政治的位地を反映することに依って、取材的には町人の好色生活・経済生活の二(ふたつ)の現実面に局限されてくると同時に、それと結びついて遂に類型描写の範疇を超え得ないという歴史的な制約――宿命を負うものであったということ、従ってそれの発展はも早(はや)創作技術上の問題でしかあり得なかったということ等については前に述べたのであるが(前号・拙稿「永代蔵」小論)、この関係は「一代男」から「五人女」への発展の様相を追求することに依って一層具体的なものとなってくる。 即(すなわ)ち「一代男」から「五人女」への発展は、何ら内容的なそれ――現実に対する視角の深化を言い表すものではなく、換言すればレアリズムそれ自体の発展を意味するものではなく、前者の素材・手法に形式的な秩序・統一を与えようとする技術的関心が、「二代男」を生み、やがて「五人女」の成立を触発する動力となっているのであり、従って前者から後者への発展は全く技術的な意味に於けるそれ に過ぎない。換言すれば「一代男」の短篇的説話構成に統一を与えることに依って、一定の制約を負う好色物として可能な限りの発展・形式的な完成を期待しようとする創作態度が、「五人女」に恋愛小説としての一応の纏(まとま)り を与えているのであり、そこに「一代男」から「五人女」への発展が短篇物から長篇物への動き――姿勢を示すことになったのである。(この関係は「一代女」に於いてより具体的な形をとって現れている。) 例えば「五人女」の巻一に就いてみても、第一話の遊里の生活・遊女みな川の描写、第二話のおなつの恋愛に入る動機を示した個所のそれ、第三話の清十郎とおなつのとの交渉のそれ等全く「一代男」と共通の素材・手法に依るものであることは明かであり、就中(なかんずく)この巻冒頭の清十郎の生い立ち・好色的経歴の叙述の如き「一代男」の巻一・第一話及び第四話の世之介のそれ の描写から脱化したものであることが指摘されるのである。 かくして「五人女」は、「一代男」に於ける素材をその作品構成の裡(うち)に緊密に織り込み、それに手法的な統一を与えることに依って、恋愛小説としての脚色を一応完成することになったのであるが、次に恋愛物としてのその特質を巻一「姿姫路清十郎物語」に就いて、それと所謂(いわゆる)好色的仮名草紙の代表作と見られる「恨之介(うらみのすけ)」とを比較することに依って明かにして行こう。この両者の比較は、自ずと「五人女」の歴史的意義にも触れてき、従って近世レアリズムの特性をも明かになし得るものと考える。 まず、「恨之介」の梗概を述べ、恋愛物としてのその特質を明かにしよう。 葛の恨之介 なる青年が清水詣(きよみずもうで)の折(おり)美女を見染め、彼女の身許(みもと)を知ろうとして観音に参籠する。やがて枕神(まくらがみ)の託宣の導きに従って下京(しもぎょう)の尼の許(もと)を訪れる。この尼にも観音の託宣があったので話は極めてスムーズに進んで、彼女が木村常陸の遺児雪の前 であることが尼の口から知れる。かくしてこの尼と雪の前の親友とが橋渡しをすることに依って、やがて二人の恋愛は成立するのであるが、逢う瀬の侭(まま)ならぬことをかこって恨之介は悶々の中で病死する。恨之介の末期(まつご)の文(ふみ)を手にした雪の前は悲嘆の余り自害し、尼も侍女もその後を追う。かくて二人の遺骸を黒谷(くろだに)に葬ったが、仏の利生(りしょう)で彼らは極楽に往生することが出来た、という筋。叙上の梗概で明かなごとく、「恨之介」に於ける恋愛の取扱い方は、全く中世的仏教思想と結びついたそれ であり、恋愛の成立・発展の行程悉(ことごと)くが仏神の超絶した力に依って決定されて行くという構想に依るそれ なのである。以下「五人女」の巻一とそれとを比較しつつ、両者の相違点を随所に指摘して行こう。 「恨之介」に於ける主人公の恋愛の動機が所謂(いわゆる)見染め の形式に依るものであることは叙上の梗概で明かであるが、しかもその見染めが つらつら物をあんずるに、我等いかなる因果にや、か様の姫を見参へらせ(下略)というそれが前世の宿縁に依るものであるとする思想がそこには見出されるのである。謂(い)わば恋愛の動機をも仏教思想に結びつけようとする態度がそこに看取されるのであるが、こうした恋愛を仏教的に合理化することに依って意味づけようとする態度はこの制作に一貫したそれなのであり、また好色的仮名草紙一般の姿勢を示すものなのである(1)。尚、この点の傍証を示すことに依って「恨之介」の特質を明かにして行こう。 仏神の御引合せ、我なす事にあらざれば、文(ふみ)計(ばかり)の音便はなしてみんというのは恋の橋渡しを引受けた上臈(じょうろう)の態度なのであり、 たとひ此事もれきこえ、ものゝふの手にわたり、しざいるざいの身となるか、又はすいくわのせめをうけ、くつうくげんをみるとても前世のごうとおもふべし、たゞし千手の御ちかひ、不可称不可思議の、くどくは行者の身にみてり、かくのごときを御じひの、あまねく世界にふかきときく、ことに御ほとけの引合せましませば、其なんものがるべし、きゝ入れたまへ雪のまへ、というのがヒロインを口説(くぜつ)するこの上臈の言葉なのである。かくして雪の前は、 くわんおんのおつげといひ、一にはそさまの仰(おおせ)といひ、そむきがたくやおぼしけんとここに恋愛が成立するのである。 ところで「五人女」に於いては、おなつの恋愛に入る動機を彼女が清十郎の帯の中から現れた遊女の恋文を読むことに依って、 又この男の身にしては浮世ぐるひせし甲斐こそあれ、さて内證にしこなしのよき事もありや 女のあまねくおもひつくこそゆかしけれといつとなくおなつ清十郎に思ひつきというおなつの好色的情熱に求めているのであり、かくして二人は情熱の赴くが侭(まま)に行動し、やがてその情熱のために身の破滅を来(きた)すという取扱い方となっているのであって、ここではも早恋愛を飽く迄地上のもの、人間的なもの として眺めているのであり、従って恋愛を発展させるモメントは決定的に個人の情熱 にあるのであり、超人間的・非人間的なものに筋を発展させる要因を求めることを必要としていないのである。謂わば「恨之介」に於ける恋愛は現実を逃避しようとする生活態度の一表現なのであり(この点に就いては後に纏(まと)めて論ずる)、「五人女」に於ける恋愛は町人の現実主義的生活態度を言い表すそれ なのである。換言すれば後者にあっては、恋愛を自己の一生活現実として取上げ、それと四ッに組んだ描写を行っているのである。「恨之介」にあってはオールマイティであったところの神がここで 老翁枕神に立(たた)せ給ひあらたなる御告なり汝我いふ事をよく聞べし惣じて世間の人身のかなしき時いたつて無理なる願ひ此明神がまゝにもならぬなり (中略)その方も親兄(おやあに)次第に男を持(もた)ば別の事もなひに色を好み其身もかゝる迷惑なるぞ汝おしまぬ命はながく命をおしむ清十郎は頓(やがて)最後ぞと自らの無力を宣言し、おなつの願いを拒否する神として取扱われていることは全く当然である。 更にこうした両者間の相違は、「恨之介」の 雪のまへ宣(のたま)ふやう、けふを名残のかぎり也、それをいかに申に、世中の有為無情、朝に紅顔有し身も、いつのまにかはもとの雫(しずく)、末の露ときえ、夕には白骨となれる身、是(これ)皆ゑどの習(ならい)也、(中略)未来永々たらん時にこそ、かさねて又まみえ申さんと、おさふる泪(なみだ)に袖湿れて、よその人めも恥かしきという雪の前の来世に於いて恋愛を完成させようという言葉を前提として、やがて恨之介が逢う瀬の侭ならぬをかこって死を遂げ、後を追って自害した彼女と極楽往生するという結末と、「五人女」に於ける清十郎の 其日より座敷籠に入て浮難義(うきなんぎ)のうちにも我身の事はなひ物にしておなつはおなつはと口ばしりて其(その)男目(おとこめ)が状箱(じょうばこ)わすれねば今自分は大坂に着(つき)て高津(こうづ)あたりのうら座敷かりて年寄たかゝひとりつかふて先(まず)五十日計(ばかり)は 〔十五字伏〕おなつと内談したもの 皆むかしなる事の口惜(くちおし)や誰ぞころしてくれいかしさてもさても一日のながき事世にあきつる身やと舌を歯にあて目をふさぎし事千度なれどもまだおなつに名残ありて今一たび最後の別れに美形を見る事もがなと恥も人のそしりもわきまへず 男泣とは是ぞかしという飽く迄現世に執着し、現世の享楽に生きようとする態度、とを比較した場合、それが来世主義と現世主義との――没落的浪漫主義と現実主義との――対立を言い表すものであることはも早明かである。 以上「恨之介」と「姿姫路清十郎物語」との比較からして結論されることは、前者が恋愛物としての構成上仏神の超絶した力を不可避的に必要なものとしているという点からしても明かな如く、そこには個人の力を否定する思想 が見られるのであり、このことが当然恋愛に対する消極的・無気力な態度(この制作のそうした恋愛の取扱い方)を決定しているということなのであり(2)、後者にあってはおなつ・清十郎の恋愛的情熱という個人的なるもの の中に筋を発展させるあらゆる契機を見出しているということ、従ってそこには強い現世享楽的・人間的(個人的)な恋愛が取扱われているということなのである。 「恨之介」に現れた個人の力を否定する思想は、過去の階級として歴史的に宿命づけられた没落的貴族の悲観主義的な階級心理――現実に対する希望を喪失し果てた彼らの現実逃避的な生活意識(態度)の反映に他ならず、彼らの観念的支柱である中世仏教のそれ を代弁するものなのである。しかもこの制作が、近世初期に於ける町人の恋愛感情(生活感情)を反映したものであるという重大な事実を吾々は見遁(のが)してはならない。草創期にあった町人は、その階級的未熟の故に未だ彼ら独自の文学を創造し得る迄の文化的能力・技術を獲得していないのであり、従ってかかる前時代的小説の中に、僅(わず)かに自己の階級感情の表現を求めざるを得なかったのである。(そこに未だ中世的ペシミズムに縛縄(ばくじょう)されていた「町人」が見出される。) されば「恨之介」と「五人女」との相違は、全く町人の階級的発展の姿相に根柢を有(も)つ歴史的な相違 を言い表すものなのであり、従って後者に於ける恋愛を飽く迄自己の生活現実として取扱っていくというが如き態度は町人階級が商業ブルジョアジーとしての結成を遂げることに依って、そうした発展段階に到達することに依ってはじめて可能なものたり得たのであった。 即ち町人階級が兎にも角にも商業ブルジョアジーとしての結成を遂げ、自由競争の段階に踏み込むことに依って、今や町人的個人――市民的人間の発見 が一応可能なものとなったのである。(自由競争的段階にあった彼等町人は、ひとしく根差(ねざし)なき人間――個人であった筈である。)「五人女」に於ける恋愛を飽く迄地上のものとして眺め、個人的なるものの中にそのあらゆる契機を見出し、謂わば個人の自由への要求(その生活的・具体的な表現が町人にとっては恋愛であった筈である)の上に筋を発展させて行くという取扱い方は、個人主義的意識の生長なくしては実現され得べくもないものであったのである。 近世レアリズムの文学は、あらゆる中世的・前時代的桎梏(しっこく)からの人間解放の、町人階級の個人の自由への要求の上に打ちたてられた文学であったのだ。吾々は前に「五人女」に就いて、それと「恨之介」とを比較することに依ってこの事実を一応明かになし得た筈である。「五人女」に於いては兎にも角にも解放された人間の姿(そうした人間の間に行われる自由な恋愛・新しい恋愛の様式)が、換言すれば市民的人間の姿が描かれているのである。吾々は、そこにこうした社会的要求を反映した近世レアリズムの市民的性格を見出し得るのである。 けれども近世社会の特殊的な政治的条件は、町人にとって本来的な、個人の自由への要求を阻止し、歪曲し、従ってまた個人の発見は遂に個性的なるものの発見を意味するものではなく、そこに近世レアリズムの文学が類型描写の埒内(らちない)に止(とどま)らざるを得なかったことの事由を決定してくるのである。「五人女」は、全くこうした近世レアリズムの歴史的宿命を言い表す制作であったのであるが(吾々は前に「一代男」から「五人女」への発展の様相を追求することに依ってこの事実を一応明かになし得た筈である)、しかもその限界内にあって可能な限りのレアリズムを最大限度迄発揮し得たのがこの制作――一般的に言って西鶴の浮世草紙であったのである。謂わば近世レアリズムの最も積極的な面を代表するのが西鶴の文学であったのである。(このことは他の文学形態――例えば近松の浄瑠璃の制作とそれとを比較することに依ってより具体的なものとなってくる(3)。) 恋愛を市民的角度から取上げ、それを小説の領域に実現させた最初も制作であるという点に吾々は「五人女」の恋愛物としての特質をみ、その歴史的意義を考えるのであるが、こうした画期的な制作のこの時期に於いて現れたことの意義は飽く迄上述の物的根拠の上に理解されねばならない。「五人女」の、従って又浮世草紙の生成を以て歴史的関係から切り離された単なる西鶴の芸術的天分――個人的条件――に帰するが如き見解は、吾々の研究を一歩も前進させるものではなく、それはまた決定的に誤謬でさえもある。 ――1935.1.5稿 (1) 例えば「薄雲物語」では見染めから結婚に到る恋愛の全行程悉(ことごと)くが明神の摂理のうちにあるという取扱い方になっている。 |
‖熊谷孝 人と学問‖熊谷孝 昭和10年代(1935-1944)著作より‖ |