文体 その1 【文教研・文学教育研究基本用語解説 Ⅲ】から |
ここでは文体の概念規定と、文体教育についての必要性について書くことにする。
「文体」という言葉は、語義的には「文章の風体」「文章のすがた」という意味だろう。イギリスの文体論で、Literary Style といっているのも、それだろう。リタラリー・スタイル、つまり「文章のスタイル」「文章のすがた」である。
もっとも、ドイツ語やフランス語にはこのリタラリー・スタイルに該当する言葉は見あたらないようである。たんに Stil といい、またたんに
Style とだけいって、スタイル一般と特に区別していないようである。
が、実は、ドイツ語なりフランス語のこうしたいい方のほうが語源に近い用法だ、ということになりそうである。語源は、ラテン語のスティルス (Stilus)
であるが、それは、ろう 板に字を書くときに用いた鉄筆のことだ。スタイルとは、もともとペンのことだし、ペンによるところの文字、言葉のすがたのことであった。それが、やがて、しだいに他の文化事象や生活事象の様式を示す言葉に転用されるようになって、今日の「スタイル」という言葉が生まれたわけだが、その概念内包が拡大されることで逆に、文体概念そのものがある充実をみるようになった、というふうにいえるのかもしれない。というのはこういうことだ。文章のスタイルとしての文体のことをも含めて、一般にスタイルとは何かがそこに問われるようになることで、文体についての多角的な展望も可能になってきた、ということである。
そういう意味で何人かの「スタイル」論を記してみることにする。
ショーペンハウエルは「精神の顔つき」と定義した。「人間の精神的創造的活動を、その感覚的対象的形態において把握するところに成り立つ」という意味でなのだ。顔つき――表情ともいえる。表情はじつに可変的なものである。ビュフォン (Buffon) の「人間そのものだ」という定義も、可変的であるという面で人間をとらえたからであろう。シュライエルマッハーは、「対象的に顕現した個性的法則性」と、個性に眼を向ける。フォルケルトは、この個性を持続性の面で強調する。すなわち「個性的形成の多様性の中に存する統一的特徴・持続的な形式構造」と、スタイルは可変的であるが、毎回それが変ってしまったら、個性とはいえない。可変的ではあるが、その人らしさを感じさせるのは、ある持続性を必要とする。ルッカは、「独創的想像力の一定の材料への投影」といい、材料との関係に目を向けている。
この材料を言語と考えたとき、文体論となるといえよう。波多野完治氏は、次のように文体を定義している。「ものをいいたい人、またはものを書きたい人が、一定の既存の言語体系
(たとえば現代日本語) のなかから、ある選択をします。その選択 (表現手段の) 言主や書主の性質および意図によって規定されたものだという前提のもとに文章をながめると、それがスタイルということになります……」 (『新文章入門』P.24)
この定義はいわば算数的な定義であるといえる。が今日、まず算数的定義を明確にする事が必要である。この定義にしたがって文体を考えることが確認された上で、次の問題に進むことにする。
『文学と教育』№46をお持ちの方は、「文体喪失時代の文学教育」という熊谷論文をご一読願いたい。その中で氏はこんなことをいっている。
現代は文体喪失の時代である。画一化されステレオタイプ化したマス・コミ的文体の氾濫である。思考の発想そのものが、マス・コミに飼いならされている。つまり、借り物の発想でしかものを考えることをせず、ものを書くことをしないようなところに、文体があるはずはない。文体の画一化は、まさに独占資本による疎外をいいあらわす以外のものではない人間の画一化、規格品化、そしてそのことによる人間の主体性の剥奪・喪失と見合う現象のようである。
が、相手にどうしても納得してもらいたい、相手を何とか説得したいと思ったとき、つまり、本気になって考えるときその人はふだんの借りものの思考をやめて、「自分の言葉」で思索する。相手の気持ちを考え、相手の感情をくぐり、その場にもっともふさわしいことばで相手に語りかけようとする。そこでの思考の発想は、彼自身の本来の言葉操作の文脈にしたがって、生産的で、いきいきとしている。実際的で実践的で具体的なのである。場面規定に支えられて、ことば操作がいきいきとされている。つまり、第二信号系としての生産機能が発揮されているとき、そこには文体 があるといってもよい。その人らしさを感じさせる語り口、文章になっているのだ。
人間は自分の文体というものをもっていてこそ、主体的に個性的に、ものごとを考えることができるのだ。ところが、改訂指導要領の方向は、従来に輪をかけて文体をもたない
(もてない) 人間に子どもたちを仕上げようとする。読解スキル、読書スキル、作文スキルという、スキル一点ばりの言語技術という教育を通して。(くわしくは機関誌参照)
国語教師の二十坪のなかでの闘いは、文体のある文章を、文体を感じさせる方法で、子どもたちに与えていくことである。教師その人がハッキリした文体意識と文体教育意識をもって、子どもたちの主体の内側にすぐれた文体の素地 をつちかうことである。
今とりくんでいる「文体教育の方法としての総合よみ」や「教材体系」の仕事をすすめる中で、文体 はさまざまな切り口からつかみなおされると思う。その意味でこの稿をその1 とした。(T.N)
文体 その2 【文教研・文学教育研究基本用語解説 Ⅲ】から |
「文体 その1」において、スタイルとは「精神の顔つき」であるというショーペンハウエルの定義を紹介した。この「精神の顔つき」は悲しみやあせり、喜びなどの内なるものと一定の函数関係にあるといえよう。内なるものがすぐ顔にあらわれる人か、「顔で笑って心で泣いて」式の人かなどの判断を経た上でのことだが、私たちは外にあらわれたものを手がかりにして、内なるものを知ることができる。
作家の精神の顔つき=文体と函数関係にある内なるものは、「リズム感覚」である。私たちは文体を通路として、その人のリズム感覚を知ることができ、それを学ぶことができる。
リズム感覚については、熊谷孝『芸術とことば』、波多野完治『創作心理学序説』にくわしい。
「自分をふくめての自己と函数関係にある複数の人間の体験、・・・・・・ナカマ体験を、自分自身にどうまるごと に媒介させるかという、その点のつかみ方が、天才の場合すぐれて個性的である。そういうことを実現するためには、作家の内部がすでに『管絃楽的』にしかも『つぎつぎに多種多様な音階を自分のものになし得る』ような、動的で個性的でなければならない。そこにみられる個性的なものは、リズム
(リズム感覚) である。」 (『芸術とことば』P.119)
不可知論の横行している時代、天才の本質はリズムだといいきったハーディングの功績を認めてのことだが、彼女の「天才のリズム感覚は不変である」という説を越える必要がある。横光利一や西鶴の場合を考えても明らかであるし、もしリズム感覚が不変なものであるなら、私たちはそれを学べないことになる。
今日の私たちが必要とするのは、個性的なリズム感覚なのだ。が、リズム感覚はスタイルという形でしかあらわれない。スタイルという外的なものを通して知ることができる。スタイルはまねることができる。スタイルをまねることで、自己のスタイルを変える。そうすること、つまり外側から刺激を与えることで、内なるものを触発することになるわけだ。自己の文体をもつということは、自己が変革されないかぎり不可能といえる。
文体づくりの教育は、外側からの刺激で内なるものを変革して行くということで大きな意味をもつ。フンワカしたつかみ方で対象に接している人が、かわいた文体にふれたとき、ハッとする。現実の把握の別の発想があることに気づき、それまでのフンワカムードにひとつの反省が加えられる。かわいた文体で現実をつかもうとするには、発想そのものを変える必要がある。文体を文学の次元で言いかえると、「現実把握の発想のしかた、展開というきり口でつかまれた文章のあり方」
(熊谷孝) ということになろう。(T.N)
【文教研・文学教育研究基本用語解説 Ⅵ 】から
文体 言表のありよう(一定の語り口による一定の言表)を規定するものは、言表者の一定の母国語体験と、具体的なその一定の言表場面に制約された、言表者その人の現実把握の発想法(したがって問題の解き口)である。第一次的には、解き口が語り口を、第二次的には、語り口が解き口を規定する。このようにして現実には、その発想・発想法は、一定の語り口として言表において具体化され顕在化される。
発想と語り口とのこのような相互関係の統一的把握に立った言表把握が、言表の文体的把握ということである。すなわち、文体とは、「各人の認識過程における現実把握の発想・発想法という切り口でつかまれた言表のありよう」のことである。
語り口=文体的発想 文学作品の面白さは文体にある。 ということは、語り口として文体に定着した一定の発想=文体的発想の面白さがその作品の面白さだ、ということだろう。読者各人の、作家・作品に対する好悪も、主としてその語り口に関係している。
各人各様の語りぐせ・書きぐせがその当人の「文体のイースト菌」だと安岡章太郎は言っているが、語り口という点で文体を押えて考えれば、そういうことになるだろう。自分の「くせ」の持つプラス・マイナスの言表効果を自覚して自己規制を行なうという形で、それが一定の語り口として言表に定着を見せたとき、文体という名のパンが創られた、ということになる。この、語りぐせから語り口へ、ということを私たちは、文体づくりの国語教育の基本的・具体的な方法形態と考えている。
文体と文体論と 【文教研・文学教育研究基本用語解説 Ⅶ 】から |
文体ということ、また、文体論ということについて安岡章太郎は次のように語っていたが、私にはとてもおもしろかった。
「文章論とか文体論とかいったものは、それが必要なことはよく知られているが……それに手をつけることは難かしいし、 ほとんど不可能なのである。(中略) つまるところ、文は人なり、それだけである。
それにしても、文芸批評や評論に、もっと文体で作品や作家を論じたものは出て来なければならないはずだ。いや、むしろそれが批評の根本にならなければ嘘だろう。にもかかわらず、それがほとんど見当たらないのは、ひと口にいって、われわれの文章と思想とが、別々のものに考えられているためだろう」云々。
以下、ある程度この安岡氏の文章に即して、またある程度に、自分がいま実際に感じていることにこの文章を引きつけて話題を組むことを考えているわけだが、読んでまず思ったことは、こういうことだ。文体論の必要と困難――実践的に有効な文体論を出発させることの必要と、それを実現させることのむずかしさ――について、その理由というか根源をこれほど明快直截に語っている文章に接したのは初めてだ、ということである。
もっとも、文体論の必要なことは誰でも感じていることだ、と氏が言っているのは言葉のあやか故意の発言だろう。そう考えないと、話のツジツマが合わなくなる。誰もがその必要を感じているようだといいのだが、実際は違うから、ぐあいの悪いことになっているわけだ。
早い話が、職業柄(がら)人一倍その必要を自覚していなければならないはずの国語教師の場合はどうかというと、それがその文体という言葉に対してさえ、多くの国語教師はソッポを向くのである。文体という概念(思考の形式)を最初から持ち合わせていないのだ。文体概念を――文体という言葉をではない、文体という概念をその発想ぐるみに考えるという思考方法をである――身につけるような教育を人々が過去において受けて来なかった、ということだろう。
それは、文体論の従来の不毛が国語教育面にもたらした悪因悪果の一事例である。この悪果が、今また逆に悪因となって文体論の不発と不可能を結果している、という悪循環がそこに見られるわけなのだろう。
ところで、安岡氏が文体論の困難について、それを「ほとんど不可能」に近いまでの困難さだ、というふうに受けとめているのは、実は氏ご自身が文体論の必要を痛感しているからのことだろう。実感において――というのは実践的な意味において――その必要を思う人であってこそ、またそれの実現のむずかしさを知っているからである。
そうした困難をどこから突破していくかということなのだが、文体論研究者の場合かつてR.M.マイヤーなどがそうであったように、人間の気質の類型・類別との対応の中で散文の文体の十種の分類を行なうといった、ごく形式的な問題処理に終始しているような例が今でも少なくない。たとえば、H.ザイドラーのように、従来の言語哲学的な
(つまり前科学的な) 発想から文体論を解放することに熱心だった (と思われる )研究者の場合ですら、実際に文体論を構築する上の処理のしかたは、やはり形式的に過ぎるようである。
どうも安岡氏や私たちが求めているような文体論と、専門家たちの実際の研究作業との間には、課題意識がまるで違うというか、接点を見つけることがむずかしい状況が横たわっているようである。
とはいえ、スペシャリストのそういう研究が無意味だなどと不遜なことを言うつもりはない。そんなつもりは私にはないけれども、しかし文体論の研究がこうした方向をたどりながら、それがさらに細分化し、より微視的な「精密化」の一途をたどるだけだとしたら、それは、文体論の最も現実的な課題を棚上げした格好の、だだのペダンティシズムとディレッタンティズムに堕して行くことは明らかである。
アカデミズムが、アカデミー・オンチのペダンティシズムに転落して行くという、そういうことが実は、文芸批評界なり教育現場なりに、実にいいかげんなえせ 文体論のバッコ、チョウリョウを許す要因ともなっている。その一方では、(教育面に例をとれば) 「国語教育に必要なのは文法であって、文体や文体論ではない」式の暴論に口実を与えるような結果もつくり出している。
そこで、話をもう一遍もとへ戻して、問題のカベをどこから、どう切り開いて行くかということだが、現状では、実際にその必要を感じているような人々が相互に、めいめいの持ち場というか仕事の現場から、ここが自分にとっての問題点だというものを出し合うことが多分、先決だろう。安岡章太郎氏が文学者としての持ち場・立場から、上記のような発言を行なっているように、である。
それと同時に、やはり安岡氏が提示しているように、自分にとってこれが文体概念の原点だというものを相互に提示し合って検討することが必要だろう。文体論というのは、つまるところ、実際のいろんな文章をデェタとして扱いながら、文体概念を次元を高めながら明らかにしていく学問作業なのだから、文体概念の原点はかくかくのものだということを作業仮説として用意しないことには、この作業は出発しないわけなのである。安岡氏による原点の提示は、ところで文章と思想とを別々のものとして考えない、ということである。文章と思想との二元論からは文体論は出発しない、不発に終わる、ということである。
その点、私たちも大体同様の考えかたをしている。大体と言ったのは、氏が思想がそれだと考えているものを、私たちは、場面に応じて見せる思想の表情というか具体相としての<発想>をそこに位置づけて、〈人間の認識過程における現実把握の発想――そういう発想の切り口からつかまれた文章のありかた〉 が文体ということの原点だ、と考えているからである。
その点に出発して、言葉の概念的操作による<説明文体>と、形象的操作によるところの<描写文体>との文体の二大別をそこに考えている。また、文体〈への定着を求めている、ある確実さを持った発想や、またどのような意味にもせよ、ある文体への定着を見せている発想のことなどを<文体的発想>と私たちは呼んでいる。(文体分類の問題は、認識過程全般の問題にかかわっている。『芸術の論理』Ⅰ・5参照。)
こうした私たちのつかみかたの根底にあるものは、第二信号系の理論である。あるいは、コミュニケーション理論やイマジネーション理論に組み込まれた、第二信号系の理論である。(Q)
●文 体 【<文学と教育>ミニ事典】から
○文体 というのは、(それの根本的契機について言えば) 思考の発想、想像の発想などといわれる、現実把握の発想・発想法との関連においてつかまれた“ことば”
(=文章) のありかたのことだ。知覚・思考・想像などの意識作用による、個々人の認識過程において展開する、その人その人の個性的な現実のつかみかたが、それと見合うような個性的な文章――つまり文体だ――を要求するのである。そういう文章――文体のある文章――を見つけることはたいへんなことだけれども、ひとたびそういう文章が身につけば、そういう文体が自分のものになる。したがって、そういう文体的発想――ことば=文章において保障された発想、顕在化された発想――が自分のものになるのである。その代わりに、その発想なり文体がスタティックなものとして固定化して、思考や想像のステレオタイプ化をもたらす危険性もそこに伴なう、ということなのである。
〔1969年、熊谷孝著『文体づくりの国語教育』p.192〕
○ 文体というのは、それを一口で言えば、文章に保障されている発想のことだ。現実をあるつかみかたでつかむ、その発想・発想法のことだ。その発想が文章表現において保障されている、ということが大事な点だが、肯定・否定は別としてその発想がその発想の高さにおいて理解できなくては、その文章 を文体 としてはつかめないのである。つまり、その文章が表現――文章の表現――として受け手に訴えかけてこないのである。
(思えば、分類のための分類みたいな、発想 ということを抜きにした形式的な文体論くらい、創造にも鑑賞にも役に立たないブンタイ論はない。これは和漢混こう 体でござい、またこれは・・・・・・といった、あれである。それは、ネコの足は四本だ、と言っているみたいなものだ。けっしてまちがってはいないけれども、自明のことのただのオウム返しにすぎない。)
で、その文体が読者の理解を越えているということは、根源的には、双方の発想の次元がどうにも結びつきようがないぐらいに食い違っている、ということにほかならない。食い違うのが当たり前、というより、そんなふうに“子どもっぽい”ことがむしろノーマルである発達段階の少年を、ヘンに頭でっかちのトッチャン小僧にしこむことには賛成しかねる。
〔1969年、熊谷孝著『文体づくりの国語教育』p.299-300〕
○ ふっと思い出したのは近藤日出造の次のような発言である。「私はただ、自分が感じたことを自分に納得がゆく表現で書き綴っているだけのことだ」云々。ところで、自分に納得のいく文章を書くためには、「およそ誰かが書いたことを、再び俺はいうまい書くまい」という決意が必要だ。それが「人間の根性というものだ」云々。(
「文学「」一九五四・一 所掲のエッセイ)
文体と言えるような文章は、そういう「決意」があってこそ生まれうるのではないか。また、文体のある文章とは、(論理のオチは覚悟の上で感覚的な言いかたをすると) 近藤の言う意味での根性のある文章のことだろう。そういう根性を持った文筆家は今でもいるし、昔もいた。この、昔もいたということを前提として言うのだが、今日、必要としている文体がどういうものかということと、文体が一般にどういうものであるか、ということとは区別して考えられなければならない。
今日的必要あるいは要求にかなわないからといって、過去の文体を無文体と考えるのは、文体の論理、文学の論理に抵触する。あるいは、文体史、文学史の論理に抵触する。ことさら、アヴァンギャルトの発想によるところの、また、その発想にとって切り取りやすいというか料理しやすい文章だけが「文体のある文章」だという想念には、わたしとしては同調しかねるのである。(・・・)[江藤淳の言うように]大江の文体なら大江の文体が、「われわれの求めてきた文体」であり、それが「作者の小説への参加によってのみ、はじめてつくりだされた」ものであることを、わたしは否定するものではない。ただ、ハッキリさせておきたいことは、「作者の小説への参加」による「文体のある文章」が、あながち戦後・現在をまって創始されたものではない、という点である。
〔1973年、熊谷孝著『芸術の論理』p.160-161〕
○ 熊谷 たとえば、唯円の書いた『歎異抄』など、唯円その人の執筆のモティーフなり意図なり、その制作の意識から見て行ったら、あれは芸術でも文学でもない。少なくとも、いわゆる意味の芸術意識の産物ではない。にもかかわらず、『歎異抄』の文体は、まったく真(ま)新しい、独創的な、中世散文の中でも最高の達成を示した描写文体、文学的描写文体なのですね。ランガーの言葉をかりて言えば、「ただのイメージ」ではない、まさにショッキングな「ダイナミック・イメージ」を受け手に喚起するような文章のありかたになっているわけです。
唯円の気持からすると、多分、次のようなことなんでしょうね。亡師親鸞の説(せち)教の言葉は、同門の人びとの間に行き渡っている。けれども、その言葉に託した師の発想そのものはだれにも理解されていない。ばかりか、それが別個の低次元の発想でつかまれて師の説が誤り伝えられている。・・・・・・・一つの誤伝・誤解が、また別の新しい誤解を次々につくり出している。・・・・・・という、そうしたことへの憤ろしさと、もどかしさ、いらだちが、(その名も異説を歎く断章という意味の) 『歎異抄』を唯円に書かせることになったのでしょうね。いかにかして師の説の真実を伝えようとする、その切々たる想いが、予想される限りの、ひとりひとりの読者の心からの納得をかちえようとして、その体験と感情のありようを潜りつつ、むしろ彼らの言葉によって言表を行なう、という、この作者の姿勢を決定しているように思われるんです。それだけじゃないので、この、予想される読者というのは所詮“可能性において予想される読者”以上のものではないわけですよ。
つまり、実際の読者は、想像に絶してまったくの別人なのかもしれないのですよ。そういう意味での不安というか、いらだち、・・・・・・それに、ひとり異説を歎くという孤独感ですね、そういうものが一度に彼の心をとらえ、彼の言表行為なり思索の過程にまつわりついていたのでしょう。一見、たいへん明快な『歎異抄』の論理的、論証的な文章には、何かどこかにあるかげり が感じられるんですけども、作者のこういう不安やいらだちが影を投げかけているせいだろう、と思います。
それは、視点を変えて言うと、この作者のすごくきびしい精神の緊張が文体に反映している、ということなんでしょうね、その現われなのでしょうね。おそらく、この文体に反映された精神の緊張が文体刺激として、ダイナミック・イメージの喚起を受け手に保障する条件をつくりあげているのだろう、と思われます。このダイナミックス――精神と文体のダイナミックスは、発想のみずみずしさと文章のありかたの真新しさとの、隙間のない、みごとなダイナミックスですね。
『歎異抄』の場合、つまり、文学の創造にとって必要な条件が、こんなふうに結果として そこに働いているわけですが、送り手の意識としては、どうなんでしょう、それは今日考えられるような意味での芸術意識による作品の制作ではなかったわけでしょう。しかし、文学史を構も想する立場からは、むしろ結果として そういう条件が制作の実際にはたらき、結果として 何らかダイナミック・イメージを受け手の主体に触発するような形象的媒体になりえている、という、そういう点に目が向いて行くわけですね。ぼくが口ぐせみたいにして言う、「従来の文学史は、作家(作家の意識)中心でありすぎた。文学史は、読者――本来の読者中心に構想し直される必要がある。」という、ぼくの持論というか考えかたの拠って来たるところも、だいたいその辺のところに発しているわけです。ランガーも言ってますね、「芸術作品によって喚起されるイメージは、感情をチャージした何かだが、その感情は作家その人の感情であるとは限らない。その感情は、作家・芸術家にではなくて、芸術そのものに属していると考えられるべきだ。」という意味のことを言っていますね。
〔1973年、熊谷孝著『芸術の論理』p.180-183〕
●文体的発想 【<文学と教育>ミニ事典 から】
人間は自分の文体――自分なりの文体といってもいいが――というものを持っていてこそ、主体的に、個性的にものごとを考えることもできるのである。クリエティヴな発想も、文体をを持った人間にしてはじめて可能である。ということは、(思考なり想像なり)人間の認識過程におけるその現実把握の発想が顕在的なものとなるためには、その発想は、その発想と見合うことば を見つけねばならない、ということに根源を持っている。ことば ? ・・・・・・その発想・発想法と見合うありかたのことば、という意味である。
この切り口からすれば、そういう発想においてつかみとられた“ことば”――“ことば” のありかた――が文体 だ。また “ことば” において保障された発想 (顕在化された発想) が、わたしのいう文体的発想 ということなのである。発想が異なり、また発想法が変化すれば、当然、文体が異なり、また変化するわけだ。人間の発想法はなかなか変わりにくいものだという意味で、文体は変わりにくい。と同時に、発想のしかたは変化しうるものだという意味で、文体は可変的である。それが可変的なものであるからこそ、わたしは、“文体づくりの国語教育”という構想に立って、国語教育そのものを考えなおそうとするのである。それは、一口で言えば、“文体づくり”というより、子どもや若者たちの“文体的発想づくり”と言ったほうがいいのかもしれない。ともあれ、文体づくり ないし文体的発想づくり ということを措(お)いては母国語の教育は成り立たない。というのがわたしの考えかたである。
〔1969年、熊谷孝著『文体づくりの国語教育』p.181〕 |