文学と教育 ミニ事典
  
プロレタリア文学
 日本の近代リアリズムを出口のない袋小路に追い込むことで、それを半産に終わらしめたもの――『浮雲』のリアリズムを挫折させ、透谷を死に追いやり、『破戒』の客観的ロマンへの道を阻んでそれを『家』の方向に屈折させたもの――の正体を見きわめ、それと対決することに、プロレタリア文学はみずからの課題を見いだすのである。あるいは、本来、その点に課題を見いだすべきものとしてプロレタリア文学は誕生した。それは、人間の内部と外部との通路を求めて、という、近代リアリズムの課題に最終の解決を与えようとするものであった。言い換えれば、近代人の実人生を限りない矛盾と混迷と桎梏の中に暗く閉じ込めているものが、搾取・被搾取の階級関係にほかならないという認識に立って、プロ文学は、いっさいの階級的対立をプロレタリアートの独裁において終結させるための闘争に自己の文学的課題を求めたのである。だから、ある切り口からすればそれは、木下尚江や石川啄木などにおいて志向されたものの、新しい次元における具現をめざしたもの――というふうに言えるのかもしれない。
 第一次大戦後の資本主義の繁栄と行詰まりに伴うプロレタリアートの大幅な成長と階級的自覚にささえられて、『種蒔
(たねま)く人』(一九二一〜二三年)から『文芸戦線』(一九二四年創刊)へ、ついで『戦旗』(一九二八〜三一年)へとプロレタリア文学は多難なジグザグのコースをたどるのである。そうして、今世紀の二〇年代には、ともかくもプロレタリア文学時代ともいうべき一時期をつくり上げたのである。
 が、このようにして近代リアリズムの批判的・発展的継承者として出発したはずの
プロ文も、実質的には、近代リアリズムをまっとうに受け継ぐ代わりに、それと機械的に対立してしまうことで、単なる傾向文学の域にとどまってしまっているような作品も数多く生産してしまった。人間自我の内面が切り捨てられ、単に階級や制度のマスクをつけた、資本家というもの・地主というもの(以上、悪玉)、労働者というもの・農民というもの(以上、善玉)……の類型把握にとどまることで、その限り『浮雲』以前に逆行したような作品も決して少なくはなかった。
 (…)
 
[太宰治の言うように]無理な、ひどい文章――というのは本当のことだと思う。文体的には自然主義の文体から抜け出ているものが、いったい、どれだけあったろうか。その限り、「人間が描けていない」という“ブルジョア”文学の側からの批評は、プロ文のこの現実を直視した場合、むしろ当を得ていたと言っていいだろう。しかし、プロ文の持つそういうマイナスも、『文芸戦線』時代の青野季吉の内部批判(『調べた芸術』、『自然成長と目的意識』)につぐ、蔵原惟人のめざましい批評活動・理論活動(『プロレタリア・レアリズムへの道』『芸術的方法についての感想』その他)などに否定的に媒介されて、『戦旗』時代にはおいおい克服されて来ていたと言えそうである。
 なかでも、蔵原理論の最も忠実な文学的実践者であった小林多喜二の逞
(たく)ましい創作活動は、日本近代リアリズムがその地点をめざして歩みを進めてきた、その数歩手前のところまでプロ文をおし進めたもの、ということができよう。むろん、問題のすべてがそこに解決への道をたどらされているわけではない。ばかりか、さまざまの誤謬もそこに指摘されるのではあるが、多喜二たちの手によって開かれた「窓」は、まさにそこのところで『浮雲』や『破戒』のリアリズムが挫折し屈折してしまった、人間自我の内部と外部との遮断された「通路」に、一条の明るい光を投げかけるものであったとは言えるだろう。〔1971年、熊谷孝著『現代文学にみる 日本人の自画像』p.179-182〕

    
〔関連項目〕
近代主義
自然主義

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