文学と教育 ミニ事典
  
教養的近代
教養的近代の意識における、全体(国家)に対する個(個人)の優先の想念、個人の自由と人間の尊厳の想念が、たとえその根を資本主義的利潤追求の自由(個人の自由)の観念の中にもつものであるにせよ、その想念自体は、すでに浄化された別個のものである。いわば教養(カルチュア)の濾過装置を幾重(いくえ)にもくぐり抜けることで浄化作用の行なわれた、その限り、利潤追求の自由という搾取の論理とは別個の論理と倫理感覚に立つ想念である。利潤追求の自由を根本義とする“近代”の、いわば一種の自己否定としてそこにもたらされた“近代的教養”が実はこの“教養的近代”をつくり上げているのである。
 そこで、今、前近代との抱合において成立した日本的近代の最初の一時期――前世紀の八〇年代末から九〇年代――において、日本近代文学がこの教養的近代による前近代との対決ということに自己の課題とテーマを求めたということは、当該社会と文学の成立事情から見て必然的・必至的であったと言えよう。〔1971年、熊谷孝著『現代文学にみる 日本人の自画像』p.8〕


○ 歴史の現実は、前近代と近代との抱合による日本的現実の中での、前近代に対する教養的近代(近代的自我)の対決という形で現象した。そこに志向されているものは、いかなる意味にもせよ近代であった。あえて言えば、西ヨーロッパ的近代を理想像・範型(イデアール・ティプス)とするような近代であった。その場合、人々のイメージにおける西欧的な近代が多分にその実像から遠いものであったことは別として、そこに志向されているものは、
“教養的近代”を許容し包括しうるような近代市民社会であった、ということができそうである。そのような人々の志向は、上記のように、この場合、人間の意識の成長・発展にとって必至的――むしろ、必然的――な過程であった。言い換えれば、前近代プロパアな歴史状況の中で近代を志向しつつ行動を選び取ったような人々が――そうした人々の中に、左派民権運動の最後の反撃である一八八五年の大阪事件に関係をもった北村透谷などが数えられる――、その時期に続く日本的近代社会成立の一時期において、自己の教養的近代(近代的自我)と対比・対決させる形で、疎外の根源を依然“前近代”に求め、それを封建的遺制・封建的残滓と見なしたことは当然すぎるほど当然であったと言えよう。
 また、そうした対決は、歴史との相対関係において、(少なくとも結果的には)、日本的近代が内包する諸矛盾を、実人生を生きる具体的な人間(個人)の場に即して統一的・全体的に剔抉するものになり得ている。そこのあるのは、まるごと の人生である。実人生の全体的把握である。ということは、実人生を生きる人間自我(近代的自我)の志向に従って必要にして可能な人生がそこに探られている、ということである。たとえば、『浮雲』の内海文三
(ぶんぞう)の生きかたは、そうしたものだろう。彼が求めている外側の行動・生活は、彼自身の自我(近代的自我)内面の要求と一致した行動であり生活である。自我内面の要求に従って、そこにいささかの妥協もなく、そのような要求具現の可能性を求めて彼の生活の探究が始まるのである。
 北村透谷が探り求めたものも、やはり自我の内部と外部との(内部に原点を求めての)統一であった。


(中略)


 それは、だから、自己の全存在、生命をかけての近代的自我とは何かという存在証明、自己証明であった。その思索の進め方は観念的であるかに見えて、実は人間の実人生に即しての全体的・統一的な――自我の内部と外部とに関して全体的・統一的な――問題の追求であった。彼は彼自身の虚構した宇宙における想世界の充実、内部生命の感応という論理に満足し得なかった、ということになるのである。透谷という近代的自我主体の存在証明、自己証明は、このようにして失敗に終わったのではなくて、全体的な統一体――ひとまとまり のもの――として見る限り、それの非存在が言われねばならないことを、そこにみごとに証明し得たことになるのである。
 言い換えれば、透谷による近代的自我のこの存在証明は、教養的近代が志向する真実が部分的真実性をしか保障し得ないものであることの証明につながり、実人生における全体的真実へのその志向は、近代的自我それ自身の自己否定――否定的媒介――による自己変革を措
(お)いてないことの証明へとつながっている。そこで、私見に従えば、少なくとも論理的には、近代主義の使命と役割は透谷をもって終わった、ということになるのである。〔1971年、熊谷孝著『現代文学にみる 日本人の自画像』p.10-12〕


○ 通俗への反逆を生命とする文学の営みは、いまやこの衰弱し切った近代主義との絶縁において、別個の原理による人間回復の作業とならざるを得ない。それは、教養的近代へ向けての人間回復などではもはやなく、教養的近代がつちかってくれたものは踏まえながらも、それを越える形での作業とならざるを得ない。きれいごとでは、もはや、どうにもならないのである。教養的近代がもたらした教養の眼は、おそらくはそれを正視することは回避するであろう人間のどろどろ なものを、まばたき一つしないで凝視しようとする。六〇年代の文学はそのようなものとして出発し、また、そのようなものとして結晶した。〔1971年、熊谷孝著『現代文学にみる 日本人の自画像』p.266〕


   
〔関連項目〕
近代主義
教養/教養主義

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