文学と教育 ミニ事典 |
●〈現代史としての文学史〉 | |
○ この仕事(『現代文学にみる 日本人の自画像』)が文学史に属するものなのか、それとも文芸時評の仕事に属するものであるのか、自分でもよくわからない。ともかく、私が長いこと漠然と考えていたのは文学史と文芸批評との統一ということであった。 それは、いわば、“現代史としての文学史”というふうなものである。現代の小説が一面、現在を過去につなげて未来を展望するという“現代史としての小説”の視角を鋭角的にうち出しているが、この作業は、いわばそのこと――その必要と――照応するものである。過去の文学に対する知識そのものが関心事なのではなくて、現代の実人生を私たちがポジティヴに生きつらぬいて行く上の、日常的で実践的な生活的必要からの既往現在の文学作品との対決ということである。 対決? ……むしろ、対話である。作品を媒介として、過去の読者、現在の読者と対話を行なう、ということである。究極において、私たち現代の読者相互の現代のテーマに関しての対話の場を用意することである。そういう作業を、いつのころからか私は私自身の課題として考えるようになっていた、ということなのである。 で、その場合、小説に例を求めれば、個々の作品の作中人物のいだく想念や想念の推移、その行為の軌跡を、現代の実人生とかかわりを持つ限りにおいてお互いの話し合いの材料として選ぶ、ということになるのである。また、もろもろの作品相互の関連を、それらの作中人物に関して、その人間主体の、同世代あるいは次の世代の他の人間主体との精神の関連という、人間精神の系譜の問題として考える、ということになるのである。例示すれば、「どうしたものであろう?」という懐疑の言葉を残したまま姿を消し去った内海文三(『浮雲』の主人公)が、再び読者の前に姿を見せたときには間貫一(『金色夜叉』の主人公)と名前をかえ、また瀬川丑松(『破戒』の主人公)と名前を改めていた、というふうな押えになるわけである。 それは文学を文学たらしめる虚構の営みが、体験的実人生の否定的媒介による、人間の可能な、多岐的な生き方を求めての不断の人生探究以外のものでないとすれば、貫一や丑松の人生も、異なる条件と状況のもとにおける文三の――文三にとっての――可能な別個の生き方を示すものである、と考えるのに十分な文学的・文学史的な理由を見つけることができるわけである。つまり、この本は、そういう発想における問題の切り取りかた、つかみかたによって叙述が進められている、ということなのである。〔1971年、熊谷孝著『現代文学にみる 日本人の自画像』「あとがき」p.274-275〕 ○ 〈文学史を教師の手に〉ということを合い言葉に*、わたしたちは、近代主義的な〈絵解き〉の文学史からの芥川論の解放を、文学教育の場で実験的、実践的に一歩ずつ実現させたいと願っているわけである。(…) *文学史を教師の手に、云々〜 文学教育研究者集団の一つの合い言葉である。ちなみに、集団の機関誌「文学と教育」一九七一年十一月号に、同集団常任委員会アピールという形で次のような記事が掲載されている。「私たちが求めているものは、文学がそこに息づくような指導過程論である。文学がそこに息づくということが絶対の条件である。そこで、私たちに必要とされるのは〈文学史を教師の手に〉という姿勢によるテェマと課題へのアプローチである。文学史を教師の手に――それは、文学史を、近代主義者(近代主義的文学史家・文芸評論家)たち――彼らは今や、体制内知識人の前衛である――の手から私たち教師の手に、という意味である。子どもや若者たちの未来に対して責任を負うところの、文学教育の実践的必要に敏感に反応できるような文学史を、私たち教師が協力してつくり出す努力をしよう、という意味である」云々。 上記〈絵解きの文学史〉に対する、わたしたちの言う〈現代史としての文学史〉の方法は、いわば〈総合よみの発想に立つ文学史〉ということである。(…)佐々木基一の語っていることが、たまたまわたしたちの方法意識に関する発想を、わたし自身の課題(芥川文学の成立に関する証言)とも重なり合う形で語ってくれている格好のものになっているので、賛意を込めて、そっくりそのまま引用しておく。 日本には文学史でもそうだが、作家の全体を眺める場合に(その作家の)失敗した帰結だね、そこから遡ってみるという傾向があるのですね。一般に出発点からたどって、その作家が一歩一歩何を実現してきたかを見ないで、結論のほうから逆に見る。しかしそれは大体挫折したり、失敗したりしているものだから限界ばかり目につく、ということになるのだ。きょうの芥川論も大体終わりのほうから見たという感じがするが、しかし、これはもう一度芥川の登場した初期から正常にたどって行って、作家の苦労なり努力なりを評価してゆく、そういう実践的な観点も必要な気がする。そうすると、ずっと評価が違ってくるのではないか。つまり、佐々木の言うように、「初期から正常にたどって行って、作家の苦労なり努力なりを評価」するということ、言い換えれば「その作家が――この場合、芥川が――一歩一歩何を実現」させて行ったか、そこに創造された新しさは何であったかということを、「実践的」に探る必要があるわけなのだ。それを逆に、三十なん歳かで自殺したというところから、〈後向(うしろむ)きの予言者〉的な絵解き の解釈をやってみたり、近代 作家芥川竜之介を現代 に引きずり降ろして無い物ねだりをするのは、これは文学史ではない。 たとえば、(…)寺田[透]の場合に代表されるような芥川の「古さ」(前近代性)に対する批判だが、芥川は言っている、「ある作品の持っているある思想の哲学的価値は、必ずしもその作品の文芸的価値と同じものではありません。(中略)現に、ショーなどは、シェークスピアの思想を一笑に付しているようであります。が、さいわいにも、そのために詩人シェークスピアまでも一笑に付してはいないようであります」云々(「文芸講座『文芸一般論』」)、と。その辺のことが、寺田たちの場合、どうなっているのだろうか。 芥川の思想のありようそのものに関して言うなら、その限界が目につかないようだったら、むしろその批評家は、現代の批評家として失格ということになるだろう。そのことに加えて、芥川の前近代性と言われているもののことだけれども、近代以前 なのか、それとも以外 なのか、もう一度問い直してみる必要のありそうな面もなくはない。第一、そこに進歩の規準みたいにして取り上げられている〈近代〉〈近代的〉というのが、いったいどういう〈近代〉をさしているのか、やはり問い直される必要がありはしないかと思う。〔1973年、熊谷孝著『芸術の論理』p.214-216〕 |
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〔関連項目〕 ○文学史 ○現代/現代芸術 ○対話/対話精神 ○虚構/虚構する |
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