文学と教育 ミニ事典
  
文学的イデオロギー/プシコ・イデオロギー

 [井伏鱒二のいう]生活上の斬新なイズムが、その儘ただちに創作上のイズムに転化しうるものではない、云々。創作上のイズムが変わるためには人間的な脱皮が必要だ、云々。私もそう思います。それは、只の観念や、単にイデオロギーの問題ではなくて、文学的イデオロギーの問題だからです。作家の人間主体を、したがってそのプシコ・イデオロギーや文学的イデオロギーを素通りした、創作のイデエやイズムの改変……それは、とうてい考えられないことです。〔1978年、熊谷孝著『井伏鱒二――〈講演と対談〉』 p.207〕


 
たとえば『炭鉱地帯病院』という作品、またたとえば『丹下氏邸』とか『川』というような作品のことなどを思ってみていただきましょうか。これらの作品は、気無精なこの作家が、それこそ無器用に、自己の主体を問い詰め問い詰めしながら、文学者――倦怠の文学者――として自分の中に掘り起こした文学的イデオロギーによって書いたものにほかなりません。
 王党派の保守主義者バルザックが、民衆文学ちゅうの民衆文学とも言うべき大作『人間喜劇』の作者であり得たことの謎についてエンゲルスは語っておりますが、私たちがここで問題にする必要があるのは、作家井伏鱒二の
文学的イデオロギーなのであって、必ずしも市民井伏満寿二のイデオロギーではないように思います。〔1978年、熊谷孝著『井伏鱒二――〈講演と対談〉』 p.209-210〕


 
○無規定に〈文学的イデオロギー〉ということを口にしてまいりましたが、ここのところでこの概念について、しぼったかたちでごく簡単に注記しておくことにしましょう。
 私は、
文学的イデオロギーを、プシコ・イデオロギーの特殊な一つのありかただと考えております。そういうことで、まず、プシコ・イデオロギーということから話し始めることになりますが、人それぞれの生活感覚や生活の態度・姿勢、あるいは生活のムード、それらは各人のメンタリティーのありかたにかかわっているわけです。ところで、そのメンタリティーのありかたを根源的に方向づけているもの、あるいはそれに制約を与えているものがプシコ・イデオロギーなわけです。直接的にイデオロギーが制約を与えているのではなくて、プシコ・イデオロギーが直接的に……ということなのであります。
 ところで、また、イデオロギーの間接性と
プシコ・イデオロギーの直接性という関係を、イデオロギーが常にプシコ・イデオロギーを媒介にしてメンタリティーに制約を与えている、という一方通行の関係として定式化して考えて貰っては困るのです。
 それは、いわば、イデオロギー⇔
プシコ・イデオロギー、という関係であり、また、プシコ・イデオロギー⇔メンタリティー、という関係にあるわけなのです。必ずしも、始めにイデオロギーありき、というわけのものではないのであります。
 ともあれ、直接的にメンタリティーに制約を与え、生活感覚や生活の態度・姿勢を左右するというかたちで行動の系につながって行く、という、そういう機能を持つのが
プシコ・イデオロギーというものなのです。先ほども申しましたように、私は、そのようなプシコ・イデオロギーの特殊なありかたの一つとして〈文学的イデオロギー〉を考えているわけです。どういう特殊なありかたなのかと言いますと、それを、プシコ・イデオロギーの言語形象的に客観化されたもの、という押さえかたで考えております。
 つまり、それは、イデオロギーに直結するものではなくて、
プシコ・イデオロギーの一つのありかたなのです。プシコ・イデオロギーの言語形象的客観化としての、文学的イデオロギー、ということなのであります。
 
文学的イデオロギーをそういう性質の、またそういう機能的性質を持つものとして私が考えているのは、概念的な整理としてはひどく未熟ですけれども、体験的な実感としてややエモーショナル(情感的)に、私自身、文学というものを次のような理由で必要としているからです。それは――というのは、文学はという意味ですが――、言語形象を通路とする(あるいは言語形象を通路に選ぶことを必要とする)側面において、自分が自分自身になるための(自分の人間を回復するための)主体的な、形象的認知・認識(=鑑賞による感動の喚起)の営みだから、という理由によるものです。
 ある 文学を、文学として 必要とするということは、ある
文学的イデオロギーによる文学を必要とする、ということです。それが〈私にとっての文学〉であり、〈私の文学〉だということなのであります。それ以外の他のもろもろの文学や文学的イデオロギーに対しては価値を認めない、などというのではありません。そうではなく、少なくとも今の〈私〉のメンタリティーとプシコ・イデオロギーにとって文学であるものは、そのようなある限定されたもの以外ではない、というだけのことです。
 ですが、〈私にとっての文学〉というのは――いいかえれば、文学と個人の関係は――、常にそういうものだと思います。志賀直哉も芥川竜之介も太宰治もそれぞれに立派だ、読んでみてそれぞれに面白い、というのは本当なのでしょうが、でもそんなふうなことを言っているときは、志賀も芥川も太宰もその人の〈私の文学〉にはなっていないのです。あえて申しますが、そのどれ一つもが文学として その人の胸に突き刺さって来てはいないのです。
 そういう発言は、発言者当人の読書量の大きさと、度量だか教養だかの広さを示すことにはなるでしょうけれども、大へん文学的ではありません。志賀は、芥川の『奉教人の死』を批判して、あれは文学の邪道だという意味のことを言いました。私自身はその意見には反対だけれども、でも志賀の発言の姿勢に、確たる自分の
文学的イデオロギーを持った文学者の姿勢を感じます。
 その志賀文学について、なんだ、あれは「日常生活の日記みたいな小説」じゃないか、「君について、うんざりしてゐることは……芥川の苦悩がまるで解ってゐないこと」だと真っ向からぶっつけたのは太宰ですが(『如是我聞』)、そこには折り合うはずもない二人の作家の全く異質の
文学的イデオロギーの違いが感じられます。それは、読者の側から言っても、太宰文学も〈私の文学〉であり、志賀文学も〈私の文学〉である、ということにはなり得ない(なりうるはずがない)ように思うのです。
 というのは、〈私の文学〉だということは、人間の交友関係に置き直していえば、その相手が心を割って話し合える相手だ、ということが底流にあるということでしょう。どこまで行っても自分は自分、相手は相手なのですけれども、メンタリティーと
プシコ・イデオロギーの面で深く触れ合うものがあるお互いの間柄……ということでしょう。そういう意味で自分の相手(対象)である文学、それが〈私の文学〉〈私にとって文学であるもの〉ということ以外ではありません。
 今の例でいえば、志賀の
文学的イデオロギーに心の触れあいを感じつつ、太宰のそれに深く共感する、というようなことはあり得ないことのように私には思われます。と言いますのは、どのような文学的イデオロギーに共感を覚えるかということは、読者その人のプシコ・イデオロギーにかかわる問題だからです。それと同時に、自分のプシコ・イデオロギーにある深まりと、持続的な一貫性を与えてくれるものが、この文学的イデオロギーだからであります。
 あれはあれでいいし、これはまた、なかなかのものだ式の、大度量の物わかりのよさは、言葉を重ねますが文学的とは申せません。お道楽の骨董いじりの姿勢での文学趣味……感情剥き出しの発言になりますが、私は嫌悪します。〔1978年、熊谷孝著『井伏鱒二――〈講演と対談〉』 p.210-215〕


 文学的イデオロギーというのは、文学もまたイデオロギー(観念形態/社会的意識形態)であるという意味での、〈イデオロギーとしての文学〉或いは〈文学のイデオロギー性〉というようなことをさして言っているのではない。文学がそれとしてイデオロギーであるというようなことは、いわば自明の理である。そのことは、だから言うまでもない前提だとして、各人のメンタリティー(心性・心的状況)、ないし持続的なメンタリティーとしてのプシコ(心理)・イデオロギーに内具的な言語形象的認識機能に対して、いま一定の枠づけを与えようとする。むしろ、その認識機能の側面におけるプシコ・イデオロギーに対する枠づけである。それを枠づける言葉(その言葉に託した概念)が文学的イデオロギーである。
 
文学的イデオロギーは、そこでそれ自体プシコ・イデオロギーであり、プシコ・イデオロギーの特殊な一つのありようにほかならない。それがどのような特殊がありようかというと、右の認識機能にかかわっている。すなわち、言語形象的に客観化されたプシコ・イデオロギー文学的イデオロギーなのである。このようにして、それが各人のメンタリティーにかかわり、持続性におけるメンタリティーとしてのプシコ・イデオロギーに属している、という意味において、文学的イデオロギーは個性的なものである。イデオロギーとしての文学――文学現象、作品形象が一般性に属するのではなく、普遍の中の個(典型)に属しているということの根源は、おそらくその辺のところに在るのではないのか。
 このようにして、文学はイデオロギーで書くものではないし、読むものではない、ということが(単に感覚的にではなく論理的に)判然とするだろう。文学は
文学的イデオロギーによって書かれるものであり、また文学的イデオロギーによって対話し対決するかたちで読まれるべきものだろう。まさにべき なのであって、現実の作品のありようは、書くこと(創造)に関しても、読むこと(創造の完結)に関しても、必ずしもそうはなっていない。近・現代文学作品の量産は目を見張るばかりだが、それがしかし「やせ馬の行列」にすぎなかったと誰かが言ったけれど、べきべき にとどまっていたせいだというより、べきべき として人びとの自意識にもたらされていなかったことによる、と言うべきなのだろう。〔1987年、熊谷孝著『増補版・太宰治――「右大臣実朝」試論』 p.21-22〕


〔関連項目〕
〈私の文学〉/〈私にとっての文学〉

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