佐藤嗣男 著 |
井伏鱒二 山椒魚と蛙の世界 |
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相互主観性の相手としての対象の声なき声にじっと耳傾けながら、そこに真の対話を、対話の精神を樹立させていった井伏の、〈文学史一九二九年〉の精神は、井伏のみならず、現代を生きる後続の世代のもっとも継承すべきものではないのか。
二十一世紀に向けて、思想の混迷と核に代表される巨大な現実の前に投げされた現代人にとって、まさに、井伏文学こそが必要不可欠な、われわれ民族の文化(母国語文化)の重要な遺産の一つなのではないだろうか。いま、なぜ井伏文学なのか。井伏文学こそ、現代の課題に答え得る現代文学の名に相応しい〈現代文学〉なのである。(本書「あとがき」より) |
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1994年3月24日
武蔵野書房 発行
四六判 287頁
定価 2500円 絶版
(ご希望の方は文教研事務局へ)
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著者:佐藤嗣男(さとう つぐお)
明治大学教授。文教研常任委員(編集部長)。著書に『芥川龍之介――その文学の、地下水を探る』他がある。 |
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◆ 内 容 |
第一部 井伏鱒二〈文学史一九二九年〉
第一章 『幽閉』から『山椒魚』へ――自然主義的表現方法との訣別――
- 『幽閉』と三つの『山椒魚』
- 観念的な倦怠の世界――『幽閉』(一)
- 自然主義的文体――『幽閉』(二)
- 「チエホフ的懐疑」から自己凝視へ――井伏とチエホフ(一)
- 〈教養的中流下層階級者の視点的立場〉と〈耐える文体〉と
第二章 『山椒魚』――井伏文学の成立――
- 〈物悲しさと人生への努力〉の発見――井伏とチエホフ(二)
- 『山椒魚』の表現――その改稿過程
- 二つの、別稿『山椒魚』
第三章 『幽閉』と『山椒魚』の狭間で――チエホフを下敷きにした『幻のささやき』――
- チエホフ摂取のプロセス
- ガーネット訳のチエホフ作『たわむれ』
- 少女物語『幻のささやき』
- 人間の愛への信頼
第四章 初期井伏文学の表現――『炭鉱地帯病院』を中心に、一九二九年段階の作品に即して――
- 井伏文学の時期区分
- リリシズムと小さな味を捨て、雑報的筆致を用いること
- 《狂言廻し》の設定
- 徹底した描写性
- 雑報的な文章への翻訳
- あり得べき日本語の模索
第五章 初期の井伏鱒二の文学観――「物悲しさと人生への努力」と「記述的表現」を中心に――
- 井伏文学の出発点
- 物悲しさと人生への努力
- おのが行路をつゞけるが第一なり
- 作品は感覚イオンの結成である
- 人間として生きる上のイズム
第二部 日中戦争下の井伏文学
第一章 『川』――心のふるさとの発見――
- 〈川〉と〈極端な貧乏人〉のからみあい
- 〈非情な現実〉の告発と〈なつかしき現実〉への眼
- 〈間のびした人間〉から〈人間として面白味のある人間〉へ
第二章 〈在所言葉〉と翻訳の方法
- 井伏鱒二の在所言葉
- 『「槌ツァ」と「九郎治ツァン」は喧嘩をして 私用語について煩悶すること』その他
- すこし言葉を違えて書いてみる
第三章 日中戦争下の井伏文体――『へんろう宿』を中心として――
- 『丹下氏邸』に見る〈反映の方法〉
- 『へんろう宿』の印象の追跡
- ナレーター兼狂言廻しとしての〈私〉
- 〈耐える文体〉ということ
〔付〕 井伏文学、初期の相貌――資料「散文芸術と誤れる近代性」を中心に――
あとがき
索 引
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