夏目武子 著 |
国語教育としての文学教育 |
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1987年5月15日
みずち書房 発行
四六判267頁
定価 1600円 絶版 (ご希望の方は文教研事務局へ) |
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自己の想念における国語教育の“何”と“いかに”について、根源的な問い直しに迫られる本である。そうした問い直しの中に、読者は実感することだろう、テスト体制によってゆがめられた今日の国語教育の再建の方途が、〈国語教育としての文学教育〉を日々実践する以外にないことを。著者はそのことを、現場人の臨床的な立場から情熱的に訴えている。(国立音楽大学名誉教授 熊谷 孝) |
著者:夏目武子(なつめ たけこ)
法政大学文学部日本文学科卒業。静岡県小笠郡大須賀中学校、横浜市立大綱中学校
横浜市立あざみ野中学校に勤務。日本文学協会会員。文学教育研究者集団に所属。現在、同会委員長。
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◆ 内 容 |
まえがき
T 母国語教師の条件
- 「荒れる中学生」今・昔
- 言葉による人生設計の実験期
- 人間は考えるらっきょうである
U 文学作品を読む楽しさを
――『空気がなくなる日』(岩倉政治)に即して
教室の一こま
戦後児童文学観
成人読者にとって、児童文学とは?
岩倉政治の児童文学観
〈資料〉岩倉政治から中学生への書簡
V 母国語と母国語文化への愛情を
自主編成の立場に立って
『啄木歌集』を中学生に
『最後の一句』と『一話一言』
『最後の一句』――印象の追跡
『最後の一句』――教材化をめぐって
漱石文学の教材化
W 近代散文の成立過程に眼を
言文一致をどうとらえるか
中学生・高校生が目にする「言文一致」論
明治三十年代の「言文一致」
「ホトゝギス」と言文一致
異端の系譜に位置づく「ホトゝギス」
言文一致の主張
坂本四方太の写生文論
X 自主編成の立場に立って
――『君死にたまふことなかれ』 (与謝野晶子)の教材化
晶子は反戦詩人か?
『みだれ髪』と『君死にたまふことなかれ』
この詩ををめぐる論争
桂月と剣南の論争
晶子の文学宣言――『ひらきぶみ』
教室の中の『君死にたまふことなかれ』
Y 平和教育としての文学教育
――『山椒魚』(井伏鱒二)を中心に
「考えるらっきょう」としての自己凝視
教科書の中の『山椒魚』
数字の訂正を
『山椒魚』末尾の削除をめぐって
基本型『山椒魚』の検討をこそ
Z 印象の追跡としての総合読み
――『高瀬舟』(森鴎外)に即して
一人の読者として
印象の追跡ということ
庄兵衛の意識をこそ
安楽死の問題をめぐって
解釈学への疑問
[ 黒島伝治『電報』の印象の追跡
文芸認識論への関心
主題展開の軌跡
\ 太宰文学と文学教育
『走れメロス』を教材化して
太宰・第三期の文学として
太宰文学入門をめぐって
『走れメロス』の素材的典拠
「もっと恐ろしくて大きいものの為に走る」
「明るい健康的な面」を代表する短編か?
怒濤の葉っぱの世代の文学として
] 「私の教室」から
■「祇園精舎」の暗誦
■『人間の歴史』――討論的授業をとり入れて
■中学生の選んだ啄木の歌
■平家物語『祇王』を読む
初出一覧
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