熊谷 孝 著 | ||
芸術とことば 文学研究と文学教育のための基礎理論 | ||
仕事に関して、僕に三つのねがいがあります。一つは、故戸坂潤先生が認識論の面で開拓された仕事を、文学理論ないし芸術理論の基礎的な側面において受けつぐことであります。さらにまた、近藤忠義先生が戦前、文学史家として果たされたパイオニアとしての仕事を、西鶴論や太宰治論の面で僕なりに受けつぐこと――これが、二つめのねがいです。三つめのねがいは、僕自身の文学教育の仕事に理論的な体系を与えることです。この本は、僕にとっては、そういう願望達成への瀬ぶみのような意味をもつものであります。(本書「あとがき」より) |
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1963年4月18日 牧書店 発行 A5版358頁 定価 980円 絶版 (「文学と教育」144号以下に分割再録) |
著者:熊谷 孝(くまがい たかし) 執筆当時、 国立音楽大学教授。文学教育研究者集団に所属。本書以前の著書に『文学序章』『新しい日本文学史』『文学教育』他、主編書に『文学教育の理論と実践』『講座日本語』『十代の読書』他がある。 |
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◆ 内 容 | ||
文学観・言語観の変革のために――序に代えて 観念のひずみ T 作家の内部
U 芸術の対象と方法
V 鑑賞体験
W マス・コミ時代の芸術家
あとがき |
『芸術とことば』の再録 (「文学と教育」144号〜169号に分割掲載) | ||||
回 | 『芸術とことば』項目 | 掲載号 | 掲載頁 | 標 題 |
1 | W マス・コミ時代の芸術家 | 「文学と教育」 第144号(1988.5) |
60-75 | 「マス・コミ時代の芸術家」 |
2 | 文学観・言語観の変革のために――序に代えて | 「文学と教育」 第145号 (1988.7) |
42-55 | 「文学観・言語観の変革のために」 |
3 |
T 作家の内部
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「文学と教育」 第146号 (1988.11) |
69-83 | 「作家の内部―自己凝視―」 |
4 | 2.内なる読者 3.内なるものと外なるもの(一) |
「文学と教育」 第147号 (1989.3) |
6-36 | 「作家の内部―その二―」 |
5 | 4.内なるものと外なるもの(二) | 「文学と教育」 第148-9号 (1989.7) |
71-88 | 「作家の内部―その三―」 |
6 | 5.天才とタレント | 「文学と教育」 第151号 (1990.3) |
46-65 | 「作家の内部―天才とタレント―」 |
7 | 6.精神分析 | 「文学と教育」 第152号 (1990.6) |
46-62 | 「作家の内部―精神分析―」 |
8 |
U 芸術の対象と方法
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「文学と教育」 第153号 (1990.7) |
56-71 | 「芸術の対象と方法」 |
9 | 3.第二信号系としての「ことば」体験(二) | 「文学と教育」 第155号 (1991.5) |
57-71 | 「芸術の対象と方法――第二信号系としての「ことば」体験」 |
10 | 4.表現と理解のあいだ | 「文学と教育」 第156号 (1991.7) |
36-51 | 「芸術の対象と方法――表現と理解のあいだ」 |
11 | 5.文学の機能的本質 | 「文学と教育」 第158号 (1992.3) |
54-63 | 「芸術の対象と方法――文学の機能的本質」 |
12 | 6.芸術的認識(二) | 「文学と教育」 第161号 (1993.4) |
61-74 | 「芸術の対象と方法――芸術的認識」 |
13 |
V 鑑賞体験
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「文学と教育」 第162号 (1993.7) |
62-74 | 「本来の読者の鑑賞体験――古典と現代(1)」 |
14 | 2.古典鑑賞の現代的意義――古典と現代(二) | 「文学と教育」 第164号 (1994.3) |
44-62 | 「古典鑑賞の現代的意義――古典と現代(二)」 |
15 | 3.発展的モティーフの発見 | 「文学と教育」 第165号 (1994.6) |
54-63 | 「発展的モティーフの発見 」 |
16 | W マス・コミ時代の芸術家 あとがき |
「文学と教育」 第169号 (1995.6) |
55-70 | 「 マス・コミ時代の芸術家――〔付〕あとがき――」 |
「文学と教育」第134号(1985.11)にも、〈資料〉として第一部第三章第三節が掲載されています。 |
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