熊谷 孝 著 | ||
井伏鱒二 〈講演と対談〉 | ||
井伏文学について、今はまだ手さぐりの状態である。そういう状況の中でだが、おぼろげに見えて来たのは、それがどういう系譜につながるのか、というようなことである。脱近代志向の反近代主義の文学系譜。それも教養的中流下層階級者の視点に立つ、異端の系譜の中にその本流 が位置づいている、ということなのである。 また、そういうつかみ方をすることの中で見えて来たのは、この作家がさまざまな流派の圏外にあって、いわば一人一党の独自の道をあゆみ続けて来ていることの文学史的な意味についてである。それは、たとえば、広い意味で同じ系譜につながる(と考えられる)芥川竜之介や太宰治などが、近代主義なりプロレタリア・リアリズムなりを主流とした文壇文学の渦潮の中で、あえて自己の異端を標榜することで破滅への道をあゆみ続けたことと、どうかかわるのか、ということである また、たとえば、大逆事件以後判然と脱近代志向の姿勢を示すようになった森鴎外が、『阿部一族』『最後の一句』などの抵抗の歴史小説の世界から、やがて一転して史伝物の世界への韜晦によって、異端者としての破滅から自己救出を試みていることと、どうかかわっているのか、ということである。 今の自分の判断を端的にいえば、それは、芥川や太宰とは違い、また鴎外とも違って、いわば最初か破滅に陥ることを極力回避しつつ、しかも終始異端の文学的イデオロギーをつらぬき通したところに井伏文学の真骨頂がある、ということなのである。(「あとがき――破滅の回避と異端であることと」より) |
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1978年7月 鳩の森書房 発行 四六判 322頁 定価 1500円 絶版 |
著者:熊谷 孝(くまがい たかし) 1911年、東京に生まれる。法政大学文学部卒、同大学院修了。専攻、文芸認識論・日本近代小説史。 法政大学助手・講師・助教授、 国立音楽大学教授を経て、現在国立音楽大学名誉教授。文学教育研究者集団に所属。 著書 『芸術とことば』(牧書店)、『芸術の論理』(三省堂)、『現代文学にみる日本人の自画像』(三省堂)、『文体づくりの国語教育』(三省堂)、『言語観・文学観と国語教育』(明治図書)、その他約十編、ほかに編著書十数編。 |
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◆ 内 容 | ||
T 井伏文学にどうアプローチするか(一) U 井伏文学にどうアプローチするか(二) 井伏鱒二の文章『朽助のゐる谷間』 『下足番』 『おこまさん』 『集金旅行』他 仮説・『山椒魚』の改稿過程 『幽閉』 と 『山椒魚』 と 第二の山椒魚 『厄除け詩集』 『山椒魚』 『丹下氏邸』 教養的中流下層階級者の視点 芥川竜之介・井伏鱒二・太宰治 V 井伏鱒二の文体――その成立過程 初期の井伏文学と倦怠の想念 W 井伏鱒二の文学的イデオロギー 〈井伏文体の成立〉というテーマに即して X 戦争と井伏文学 『多甚古村』前後 『山を見て老人の語る』 『お濠に関する話』 『川井騒動』 『増富の谿谷』 『佗助』前後 『経筒』 『佗助』 『追剥の話』 『当村大字霞ケ森』 銃後も戦場であった(一) 『橋本屋』 『山峡風物誌』 『復員者の噂』 銃後も戦場であった(二) 『遙拝隊長』 『かきつばた』 から 『黒い雨』へ Y 長編への志向――『かるさん屋敷』『安土セミナリオ』 長編にみる井伏文学の本流と傍流 作品構成にみる長編小説的必然性 〈人間として面白味のある人間〉を描いたことの意味 資料提供者一覧 井伏文学略年譜 あとがき――破滅の回避と異端であることと さくいん |