樋口正規 著 |
文学教育の主体 文学教師への模索 |
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氏が高校の教師になって、十七年。その間、教育の状況も確実に悪化している。
その中で氏は、「最も日常的な教育活動」である国語教育を主軸に、ねばり強く格闘を重ねてきた。そうした実践の中間総括が、本書である。(中略)
執筆順序が、必ずしもこの本の配列順序ではないが、目次から順を追って読み進めて行くことをお薦めしたい。全体を通しての「構成の妙」が伝わってくるはずだ。そして、何より実は、氏自身の「鑑賞体験の変革の歴史」が微妙に表われていて、興味深いのである。
例えば、「官僚的人間像、林外記」の中で、こういう箇所がある。「官僚鴎外の限界ということがよく指摘される。私自身も、そういう側面から鴎外をみていた時期が長かった。しかし、内側にいればこそ見えたもの、という面があったはずだ。官僚森林太郎としての苦悩や倦怠感が、文学者森鴎外の文学的イデオロギーの形成と展開にどう関与しているか、そういう点にこそ目を向けることが、今は必要なのだろう。時代の子としての鴎外のイデオロギーの古さと、それにもかかわらず獲得しえた文学的イデオロギーの高さや新しさとを混同してはならない。」
こうした「自己変革」の吐露は、たんなる他の研究者批判より数倍の値うちを持つ。読者の中にも潜在するかも知れない、「作家中心の文学研究」からの訣別過程が、説得力をもって迫ってくるのだ。(「文学と教育」148-149掲載の高田正夫氏による書評より)
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1989年4月15日
近代文藝社 発行
四六判251頁
定価1500円 絶版
(ご希望の方は文教研事務局へ) |
著者:樋口正規(ひぐち まさのり)
1950年生。東京教育大学文学部卒。千葉県立天羽高等学校教諭。大塚国語国文学会会員。文学教育研究者集団に所属。
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◆ 内 容 |
はじめに
第一章 文学研究と文学教育のあいだ
- 「青年」の周辺――「利他的個人主義」と「安心立命」をめぐって――
- 読みの主観性と客観性――『羅生門』の場合――
- 曲表とその理解――童話「太陽は四角!」を中心に――
第二章 印象の追跡と教材化――鴎外文学に即して
- 官僚的人間像、林外記――『阿部一族』
- 『佐橋甚五郎』の評価をめぐって
- 脱落する宇平――『護持院原の敵討』
- 『舞姫』の授業を終えて
第三章 芥川・井伏・太宰との対話
- 『羅生門』
- 『地獄変』と『戯作三昧』
- 『西方の人』/『続西方の人』
- 『「槌ツァ」と「九郎ツァン」は喧嘩して私は用語について煩悶すること』
- 『屋根の上のサワン』
- 『屋根の上のサワン』の文章表現
- 自伝的随想
- 犬と猿と人間と――『山峡風物誌』
- 「ひどくからい目」の意味するもの――『列車』
- 『如是我聞』
- 『如是我聞』のこと
- 太宰治の歴史小説意識――『鉄面皮』に見る――
第四章 文学史の再検討に向けて
- 『小説神髄』ノート
- 『楚囚之詩』
- 『稲熱病』と『空気がなくなる日』――岩倉政治
- 『三四郎』
- 暗い谷間の人間像
- 文学史〈一九二九〉の課題と継承
- 井伏鱒二『炭鉱地帯病院』/鶴田知也『コシャマイン記』/大岡昇平『野火』
第五章 媒介者としての教師
- 「国語T」を考える――経緯と課題
- 『自由について』(真下信一)の教材化
- 「国語表現」一つの試み
- 『平家物語』(小林秀雄)の問題点
- 日教組全国教研に参加して――「教室から飛び出した平和教育」――
あとがき
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