荒川有史 著
母国語ノート 〈国語教育叢書 20〉
  
荒川有史著『母国語ノート』  創造の契機において母国語を考えるという視点は、母語と母国語を機械的に区別し「母国語イコール国家権力から強制された言葉」と一義的に規定する立場からは、決して、生まれえないものであろう。
 「故郷の発見は、自己の誕生と成長の歴史の確認であり、未来の展望をたしかめる作業の一環である。幼い生命をいとおしみ、幼い生命の幸せを願って語りかける母親の一語一語は、同時に母親の民族の一員としての存在証明であり、自己確認につながっていく」。「母親はそういう意味で、ある〈言語共同体〉の中で生きている。しかし、母親の言葉は、、彼女の既往現在の体験の総決算を反映しているのであり、完結した〈母語〉一般を担っているわけではない。彼女の言葉の生産性は、民族の共通信号として機能したときに発揮される。私たちが、母語を母国語として考えるゆえんである」。(中略)
 〈母国語〉概念が、言葉を、その実際のありように即して場面との関係・関連の中で動的に把握していこうとする発想に基づいていること、そして、母国語文化の基盤となるもの、母国語文化の真の担い手は誰なのかということをも含みこんだ、豊かな広がりをもつ概念であることが見えてくる
。(「文学と教育」164掲載の山口章浩氏の書評より)
 


1993年9月20日
株式会社三省堂 発行

四六判 200頁
定価 2000円
  絶版
著者:荒川有史(あらかわ ゆうし)
1930年 宮城県に生まれる。1956年、法政大学日本文学科卒業。 国立音楽大学教授、文学教育研究者集団事務局長。著書に『文学教育論』(三省堂)
『西鶴世代との対話』(近刊)『文学教育の構造化』(共著、三省堂)『芥川文学手帖』・『井伏文学手帖』・『太宰文学手帖』(共著、みずち書房)などがある。
  内 容


第一部 母国語発見への道筋――〈内なる仲間〉との対話を基底に


第一章 母国語教育としての英語教育
  1. 透谷と藤村―死者との対話
  2. 熊谷先生との出会い
  3. 日本語への問いかけ――クマさんの英語の授業
  4. シェイクスピアの魅力
  5. 観客の視座をとおして思索する
  6. 口調・文調・文体の連続と非連続
  7. 発想を規制するもの
  8. 言葉と発想との二人三脚
  9. 部分と全体の弁証法
  10. 言葉遊びの世界へ
第二章 多様な事実と一つの真実
  1. 思想の相対化
  2. 感情の素地をはぐくむ――太宰治の文体刺激
  3. 言語感覚と歴史感覚
  4. すべてを疑え――しかし真実は一つ
  5. 文学は自分でわかるしかない
第三章 母国語とは何か
  1. 母国語意識の自覚
  2. 母国語としての方言――映画『息子』の世界
  3. 俗語の中に詩語を発見する――『一〇〇万回生きたねこ』の文体
  4. 現代史としての文学史――総合読みの発想に立つ文学史



第二部 母国語奪還


第一章 母語と母国語
  1. 平和を求める心性
  2. 母国語教師としての母親
  3. 母語の基盤――言語共同体
  4. 母国語概念をめぐって
第二章 対話の条件
  1. 言葉・発想・人間
  2. さまざまな経験主義を見すえて
第三章 歴史の曲がり角の証言
  1. 名著の魅力
  2. 民族の共通信号への胎動
  3. 〈地球〉の発見と人間の自立
第四章 日本人としての存在証明
  1. 二つの母国―― 十八歳の少女の苦悩
  2. 内なる母国の自覚
第五章 日本語の壁
  1. 言葉をとおして思索するとき
  2. 言葉と文化の問題
  3. 母国語奪還のために
第六章 私の教室・若い魂の文体反応――芥川文学を通路として
  1. 太宰治の発想に学ぶ――いやなら、よしな、である
  2. 素直に読むと――
  3. 語り口の特性
  4. 対話の重層性
第七章 私の教室・若い魂にみる文体反応の軌跡――ふたたび芥川龍之介作『地獄変』をめぐって
  1. 鑑賞体験の変化をうながすもの
  2. 対話による模索
  3. 文体反応のつまずき
  4. 残された課題


あとがき


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