「文学と教育」掲載記事 対象別一覧 |
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西鶴文学と どう取り組んできたか。 |
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J-STAGE 『文学と教育』 J-STAGE 利用法 | ||
■ことばと認識――文学教育の視点から………荒川有史(「文学と教育」第18号 1960.12) | ||
■“私の大学”文教研版………(Q)(「文学と教育」第31号 1963.12) | ||
■学習指導体系案(高校)井原西鶴『大晦日あはぬ算用』………荒川有史(「文学と教育」第32号 1964.3) | ||
■《文教研レポート》西鶴を読む会………鈴木益弘(「文学と教育」第84号 1974.1) | ||
■《座談会》西鶴の発見………熊谷孝、荒川有史、夏目武子、佐藤嗣男(「文学と教育」第115号 1981.2) | ||
■西鶴文学の課題………荒川有史(「文学と教育」第116号 1981.5) | ||
■透谷と西鶴――「『油地獄を読む』と「『歌念仏』を読みて」を中心に………芦部寿江(「文学と教育」第117号 1981.8) | ||
■《付録・第30回全国集会テキスト抄》西鶴抄………(同上) | ||
■西鶴『万の文反古』の現実像・人間像――「代筆は浮世の闇」に即して………井筒満(「文学と教育」第118号 1981.11) | ||
■《私の教室》『世間胸算用』巻三ノ三を読む………成川日女美(「文学と教育」第131号 1985.2) | ||
■《私の教室》異端の文学系譜をたどる中で………森山昌枝(「文学と教育」第132号 1985.5) | ||
■《資料》箔のついてきた西鶴論………熊谷孝(「文学と教育」第143号 1988.2) | ||
■連想・読書雑感………荒川有史(「文学と教育」第144号 1988.5) | ||
■印象の追跡――井原西鶴の『人には棒振虫同然に思はれ』を読む………編集部(「文学と教育」第145号 1988.7) | ||
■『人には棒振虫同然におもはれ』を読む――ゼミナールに参加して………山口りか(「文学と教育」第146号 1988.11) | ||
■《例会レポート》例会あれこれ………成川日女美(「文学と教育」第147号 1989.3) | ||
■《座談》全国集会の研究課題を展望する………熊谷孝、夏目武子、山下明、高田正夫(「文学と教育」第148-149号 1989.7) | ||
■印象の追跡――『長刀はむかしの鞘』………熊谷孝、山下明、他(同上) | ||
■『百三十里の所を拾匁の無心』について――春合宿で話題になったこと一、二………井筒満(同上) | ||
■《例会レポート》偶然と必然と………土肥秀高(同上) | ||
■書誌的・伝記的な年代史と、文学的イデオロギーの視点に立つ文学史と………高澤健三(「文学と教育」第150号 1989.11) | ||
■西鶴文学の階級的・世代的基盤――「新興町人」概念の動的なつかみ直しを………森山昌枝(同上) | ||
■西鶴文学の展開にみる、鑑賞体験の変革と文学的イデオロギーの深化………荒川有史(同上) | ||
■《再録 『芸術とことば』》 作家の内部――天才とタレント………熊谷孝(「文学と教育」第151号 1990.3) | ||
■文体意識の欠如と文学史意識のブレとひずみ………高田正夫(「文学と教育」第154号 1990.11) | ||
■《例会レポート》階級論としての世代論――文教研ニュースを中心に………山口りか(「文学と教育」第156号 1991.7) | ||
■《てい談》虚構論へのひとつの視点――西鶴文学にみる世代意識と虚構精神(一)………熊谷孝、夏目武子、金井公江(「文学と教育」第157号 1991.11) | ||
■《再録 『芸術とことば』》 芸術の対象と方法――文学の機能的本質………熊谷孝(「文学と教育」第158号 1992.3) | ||
■《例会ノート》西鶴文学の再検討………森山昌枝(「文学と教育」第159号 1992.7) | ||
■西鶴世代の発見………荒川有史(「文学と教育」第160号 1992.12) | ||
■学校文学教育の失地回復………高澤健三(同上) | ||
■雀色時………金井公江(同上) | ||
■文学史の中の近世と近代――西鶴と蘆花に即して……佐藤嗣男(「文学と教育」第161号 1993.4) | ||
■売り渡してはならないもの――西鶴世代との対話………森徹(同上) | ||
■《再録 『芸術とことば』》 本来の読者の鑑賞体験――古典と現代(1)………熊谷孝(「文学と教育」第162号 1993.7) | ||
■《再録 『芸術とことば』》 古典鑑賞の現代的意義――古典と現代(2)………熊谷孝(「文学と教育」第164号 1994.3) | ||
■安良城理論をめぐって(下)――「読者論ノート」番外編………井筒満(「文学と教育」第166号 1994.8) | ||
■《書評》荒川有史著『西鶴――人間喜劇の文学』を読んで………土肥秀高(「文学と教育」第167号 1994.11) | ||
■「平太郎殿」(『世間胸算用』巻五の三)を読む――詐欺師と嘘つきと………土肥秀高(「文学と教育」第169号 1995.6) | ||
■《例会レポート》西鶴『世間胸算用』――作品相互の照射を通して見えてくるもの………成川日女美(同上) | ||
■西鶴――人間喜劇の文学(その一)………荒川有史(「文学と教育」第170号 1995.8) | ||
■《再録》西鶴の創作方法と喜劇精神………熊谷孝(同上) | ||
■『日本の芸術論』を読む………樋口正規、芥川敏子、高沢健三、香川智之(同上) | ||
■近世文学と近代文学の接点を探る――太宰治と西鶴を例に………佐藤嗣男(「文学と教育」第171号 1995.11) | ||
■『平太郎殿』(井原西鶴『世間胸算用』)の印象の追跡………文責 井筒満(同上) | ||
■西鶴――人間喜劇の文学(その二)………荒川有史(同上) | ||
■対話精神と文学教育の重要性――荒川講演を聞いて………樋口正規(「文学と教育」第172号 1996.3) | ||
■西鶴――人間喜劇の文学(その三)………荒川有史(同上) | ||
■西鶴――人間喜劇の文学(その四)………荒川有史(「文学と教育」第173号 1996.6) | ||
■「平太郎殿」と「平太郎讃談」――近世初期の真宗信仰にふれて………土肥秀高(「文学と教育」第177号 1997.6) | ||
■西鶴と芭蕉――二人の俳諧師………荒川有史(「文学と教育」第201号 2005.5) | ||
■西鶴と芭蕉――ふたりの俳諧師〈その二〉………荒川有史(「文学と教育」第202号 2005.8) | ||
■西鶴と芭蕉――ふたりの俳諧師〈その三〉………荒川有史(「文学と教育」第203号 2005.11) | ||
■西鶴と芭蕉――ふたりの俳諧師〈その四〉………荒川有史(「文学と教育」第204号 2006.7) | ||
■《歴史社会学派》の西鶴論――熊谷論文に即して………荒川有史(「文学と教育」第204号 2006.7) | ||
■俳諧師西鶴の笑い………荒川有史(「文学と教育」第205号 2006.11) | ||
■井原西鶴『大晦日はあはぬ算用』………文責 樋口正規(「文学と教育」第205号 2006.11) | ||
■西鶴と芭蕉――ふたりの俳諧師〈その五〉………荒川有史(「文学と教育」第206号 2007.8) | ||
■西鶴と芭蕉――ふたりの俳諧師〈その六〉………荒川有史(「文学と教育」第207号 2007.11) | ||
■西鶴と芭蕉――ふたりの俳諧師〈その七〉………荒川有史(「文学と教育」第208号 2008.7) | ||
■西鶴と芭蕉――ふたりの俳諧師〈その八〉………荒川有史(「文学と教育」第209号 2008.11) | ||
■西鶴と芭蕉――ふたりの俳諧師〈その九〉………荒川有史(「文学と教育」第210号 2009.11) | ||
■西鶴と芭蕉――ふたりの俳諧師〈その十〉………荒川有史(「文学と教育」第212号 2010.8) | ||
■西鶴文学ガイダンス………荒川由美子(「文学と教育」第228号 2020.10) | ||
■《ゼミナール》「忍び扇の長歌」………椎名伸子(「文学と教育」第228号 2020.10) | ||
■《ゼミナール》「長刀はむかしの鞘」………橋本伸弥(「文学と教育」第228号 2020.10) | ||
■《ゼミナール》「人には棒振虫同然におもはれ」………椎名伸子(「文学と教育」第228号 2020.10) | ||
■《私の教室》「人には棒振虫同然におもはれ」の中の「江戸」………小出陽子(「文学と教育」第228号 2020.10) | ||
■《特別報告》飼い慣らされないメンタリティーの持続………夏目武子(「文学と教育」第228号 2020.10) | ||
■《特別報告》私は西鶴作品をこう読んだ………椎名伸子(「文学と教育」第228号 2020.10) | ||
■《特別報告》私たちは今、どんな文学を求めているだろう?………成川日女美(「文学と教育」第228号 2020.10) | ||
■西鶴文学を読む………荒川由美子・中野斉子(「文学と教育」第229号 2021.9) | ||
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