2012秋季集会参加者の声
 
2012年文教研秋季集会が11月25日(日)午後、東京下北沢・北沢タウンホールで開かれました。
テーマは《思索と行為と
――不可能を可能にするために∥森鷗外「最後の一句」を読む》
集会終了後参加者から寄せられた感想を紹介します。 (2012.11.28)
  
■今回参加できてよかったです。「思索と行為」を促された読みが出来ました。ありがとうございました。(O.K.さん 男性)

■たいへんエキサイティングな会に参加させていただき、ありがとうございます。改めて、「最後の一句」の奥深さに感じ入りました。(S.Y.さん 女性)

■初めて参加させていただきました。一読しただけでは読み落としてしまいそうな、言葉の細部にまで注目して読みを広げていく姿勢に驚かされました。最後の場面、「間違いはございません」「間違いはございますまいから」という二つの発言からいちの内面と役人の心理を掘り下げていく過程は、聞いていて非常に面白く、考えさせられました。言葉に対する感度、テクストに対する解像度を高めていかなければならないなあと、心底思いました。一人ではとても見えてこなかった部分が見え、「最後の一句」という作品が、私にとってとても豊かなものになりました。繰り返し読み、さらに考えを深めていきたいんです。また是非参加させてください。(S.T.さん 男性)

■例会でも分からないままに、秋季集会でもわからないままに終わりましたけど、すこしづつ解きほぐされてきているという実感もあります。それにしても鷗外をこんなに面白く読めるという大収穫があり、嬉しい限りです。(M.Y.さん 女性)

■ありがとうございました。深く考えさせられる機会が得られ、今回もとても良かったです。「疲れた!」が口癖になっている自分を反省! ありがとうございます。(N.S.さん 女性)

■私は今、学校現場で「平家物語」を教材として授業をしています。時代は違いますが、近・現代ではない作品を教材として扱うことのヒントを得たような気がします。「笑いの精神」「ユーモアの精神」、私にとってまだ分からないこと、課題がたくさんあると感じました。今次集会のことをもう一度振り返って、今の授業を考えていきたいと思いました。(M.N.さん 男性)

■久しぶりに「最後の一句」を読み合い、作品世界が豊かに蘇ってきました。いちの思索と行動、それを育み支えている人々のエネルギーに目を向けることで、現実の壁を打ち破る(あるいは回避する)知性と情意を回復できそうな気がします。鷗外の<意図>はどうあれ、結果として目の前にある作品を、大いに生かしていきたいものです。ありがとうございました。(H.M.さん 男性)

■やはり、なんといっても、一人で読んでいるのではまったく見えてこなかった世界がそこに立ち現われてくる醍醐味を、今日も感じました。たくさん感じたことがあったわけですが、中でも、「いち」は一人ではない――そのことを一番強く感じさせてもらいました。一人ですくっと立っているその強さと美しさ。それはしかし、民衆の過去と現在の闘いと、声なき声が支えているものでもある、ということ。連帯、ということは、決して目に見えて手をつなぎあっている者同士だけのものではないこと。それをすごく骨太に表現してくれているのだなあ、と思いました。日々、役所や学校の管理主義などとも小さな闘争?を実践している私としては、あまりにその論理とか「人」が見事に描かれていることにも改めて驚きました。立ちはだかる壁に立ち向かい、穴をあけていくことはたやすくはないけれど、守るべきもののためにあきらめたくない。生活苦や子どもをめぐる待ったなしのSOSに応じている日々のなか、これはまさに精神の自由を守るための闘いの日々でもあるのだと実感しています。今私が「最後の一句」を読むことで、「いち」を胸にあたため、「いち」につながる民衆を感じ、今を生きる自分の思索や行動が捉えなおせるのだと思いました。連帯を志向した思索や行動ができている自分なのか、ということを。例えば、あの大事な場面で、話をじっくり聴いて道を丁寧に教えていくあの名もなき「夜回りの爺さん」になれるのかどうか、と。最後に「笑い」のことが出ていましたが、鷗外の笑いってなんか独特だな~って思いました。うまく表現できないのですが。これから鷗外を読むときには、そんなことも意識しながら読みたいなって思ったことでした。 ほんとうに、今日も、ありがとうございました。」(A.R.さん 女性)

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