N さんの例会・集会リポート   2011.08.05-07全国集会 
   
   「文学の言葉」を、今こそ、発信しようよ――井上ひさしと太宰治

文教研のNです
酷暑と生活に追われて、第60回全国集会の報告をしないままに過ぎてしまいました。
時機を逸してしまいましたが、秋季集会へ向けて何かしらお伝えできることがあればと思い、書いてみることにしました。

今次集会のテーマは「『文学の言葉』を、今こそ、発信しようよ――井上ひさしと太宰治」
井上ひさし「父と暮せば」太宰治「眉山」の各作品の印象の追跡。全国集会会場風景
Iさんの提案で、基調報告二つは「井上ひさしと太宰治」(Sさん)とそれをめぐっての質疑応答というかたちでまとめて進められました。

Sさんの基調報告は、太宰文学からの受け継ぎという文学史的な視点に立って、井上文学の時期区分論へ踏み出す大きなものでした。
これは次号の機関誌に掲載されます。
ここでは、私自身が話題提供させてもらった太宰治「眉山」について、今次集会を経て、そして、秋季集会を迎えるに当たり、私の中で強く印象に残っている点をお伝えします。

それは「記憶」の問題です。

この作品は回想形式の作品です。
発表されたのは昭和23年、「れいの飲食店閉鎖の命令」が出たのが昭和22年7月、ですから23年時点における戦後直後の回想です。
「新宿辺も、こんどの戦火で、ずいぶん焼けたけれども、それこそ、ごたぶんにもれず最も早く復興したのは、飲み食いをする家であった。」
廃墟の中からの復興、戦時下からの解放。若松屋という店は、そうした商売人の根性と、金儲けだけではない気持ちの合う人間とのつながりを大切にするおかみの人柄とが感じられる店です。ここは歴史の中のこの時点に、記憶されるべき場所として選ばれています。
全国集会会場風景
そこで「眉山」という少女との関わり中に見えてくる「僕」はどんな人間だったか。
「無知と図々しさと騒がしさ」に我慢できない存在である「眉山」。
「あら、私、馬鹿じゃないわよ。子供なのよ。」という言葉に「しんから、にがり切った」自分であることを「僕」は記憶しています。
しかし、その時のイメージぐるみの記憶はどう再整理されていくか。

橋田氏から眉山のこと聞き、狼狽し地団太踏みたい思いに駆られる「僕」。
実はその時点を経て、自分自身を問い返す行為によって、眉山との生活を振り返っている「僕」であること、そうした形で再整理された記憶であることが見えてきます。
そのとき自分は何が出来たか。人生において大切なことは何か。
それは考え続けなければならないことだし、答えは簡単には出ません。
しかし、そこには人間の生き方の選択の問題があります。

「ほかへ行きましょう。あそこでは、飲めない。」
「同感です。」
 僕たちは、その日から、ふっと河岸をかえた。

では、この選択はどうなのか。
そのとき自分がすべきことはなんだったのか。
自身に問い返し続けることによって、記憶を過去へ追いやらない、「未来に生きる過去」として再生し直そうとするインプリケーションがこの文末にはある、そう感じるようになって来ました。
あの日のことを忘れない、それはどういうことなのか。
今回の「ナイン」の問題でもあります。


〈文教研メール〉2011.10.7 より

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