N さんの例会・集会リポート (鎌倉編) 
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 鎌倉・九条の会発足6周年
 「憲法のつどい2011鎌倉/井上ひさしの言葉を心にきざんで」  
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文教研のNです。
東日本大震災から一ヶ月、状況の深刻さは増していくばかりです。
皆様、各地でどのようにお過ごしでしょうか。

井上ひさし氏が亡くなって一年、鎌倉・九条の会発足6周年「憲法のつどい2011鎌倉/井上ひさしの言葉を心にきざんで」が4月9日(土)、鎌倉芸術館大ホールで行なわれ、以下の講演がありました。
1 内橋克人(経済評論家/鎌倉・九条の会呼びかけ人)「不安社会を生きる」
2 なだ いなだ(作家・医学博士/鎌倉・九条の会呼びかけ人)「靖国合祀と憲法」
3 大江健三郎(作家/九条の会呼びかけ人)「九条を文学の言葉として」

3階席まである会場は一杯で舞台にも客席を設けるほどでした。
本来この日は四月第一例会の日でしたが文教研首都圏会員は鎌倉近辺に住む方も多く、例会日を変更し可能な会員が参加しました。

東日本大震災からほぼ一ヶ月、都知事選、神奈川県知事選を含む統一地方選前日の講演会となり、各講演者のお話はユーモアを交えつつも悲しみを底に持つ、ある種の強い意志を感じさせるお話となりました。
いずれ活字にまとめられるかもしれませんが、私個人の印象に残った何点かをメモしてお伝えできればと思います。
(あくまで私の記憶によるメモですので、誤解もあるかもしれません。重要な誤認がはっきりした場合、後ほど訂正させていただきます。)

最初の内橋克人さんは大変明快な語り口で話されました。
今回の災害は「巨大複合災害」である。
自然災害に端を発していることは確かだが、構造としての「不安社会」をはっきり示した。
公的支援の実情を見ても、阪神大震災から一体何を学んだのか、といいたい。
原発の問題もなぜ狭い日本にこんなに原発があるのか、その経過をきちんと学ばねばならない。
(岩波書店「世界」5月号参照。http://www.iwanami.co.jp/sekai/)
「日本は強い国。日本の力を信じてる。」「がんばろう日本」「一つになろう日本」と連日連呼されるが、井上ひさしはこうした言葉を良くは思わなかったろう。
彼は大義を振りかざすのを嫌った。
彼が愛したのは、コミュニティーを失っていない人々だ。
その当事者たちはこの言葉をどう感じるか、彼は鋭い感性で感じ取ったはずだ。
「絆(きずな)」ということが言われる。
しかし、本来、「絆」というのは家畜である動物をつないでおくための綱のことだ。
モームが「人間の絆」を書いたのも、その人間を縛るものとしての絆のことを言っている。
はっきりとどういう文脈の中でこの言葉が使われているかを知る必要がある。
私たちはこの「絆」にしばられてこの「不安社会」につなぎとめられているのではないか。
曖昧な言葉に流されるのではなく、もっと批判的に問題を追及し続けていかなければならない。
云々。

続けて話された、なだ いなださんはいつものおおらかな話しぶりで会場をわかせました。
日本の社会は「肩書き」を求めたがる。自分は肩書きなど嫌いだから「人間」と書いておいてくれ、と頼むこともあるがたいてい没で、一度、「自由人」というので書いてもらったことがある。自分としては「精神科医」もしっくりこなくて「こころ医者」とよんでいる。
この大災害があって、今こそ「こころ医者」が必要だ。
被災者となった人たちの心のうちは、わからない。
それでも、「これからのために勉強させてください」という思いで人々の話を聞く。
(この辺から御本人の言葉では「年を取ると話がすぐ脱線する」という方向へ。「アルコール依存症の患者の専門医」だが酒が飲めず、患者さんから「酒も飲めなくて、アル中の気持ちがわかるか!」といわれたこと、そんな酒で家族を泣かせるような「非常識な人たち」に「常識ある人間」として立ち向かうのだが、作家仲間では「常識人」といわれるのはあまり褒め言葉ではない、などの話から「常識哲学」の話へ。
当たり前な「常識」を確認することで、観念哲学に対し反旗を翻したことなど……「常識哲学を知っている人、手を挙げて」といっても手が挙がらないので、「知らない人手を挙げて」などと会場は盛り上がるが、「お時間です」の紙が。)
今日は「靖国合祀」の話をする予定だったが、全くその時間はなくなった。「靖国合祀」といえばすぐ見つかる問題だから、自分で調べて勉強してください。
(「丁度時間となりました」という言葉とともに、退場される。)

最後に大江健三郎さんが登場、井上ひさしさんの思い出をユーモアを持って、あるときは“親父ギャグ”ともいえる二人の応酬を紹介され、大いに会場を笑わせました。
そして、「日本国憲法」を読んだ感想をお母様に話されたときのエピソードを語られました。

新しい憲法は素晴らしい、ということを母親に話した。
彼女は「何処が素晴らしいのか」と聞いた。「言葉が素晴らしい」。「どの言葉が素晴らしいのか」。
自分は考えて「『希求する』という言葉が素晴らしい。悲しい響きがある。」といった。
母は「悲しい思いをした人は、真面目になれる」ということを言った。
後に自分はハイデッガーを読み、同じことを言っているのを発見し、母に伝えた。
例えばそういうことが、自分にとって“文学的に読む”ということだ。

自分は原爆の体験というものは短編でしか書けないのではないかと考えてきた。
その強烈な体験から描いていくと切り取られたある時間の中でしか描けないのではないか。
しかし、井上ひさしの「父と暮らせば」は長編小説として、過去・現在・そして未来を見通して組み立てられている。
木下順二は「取り返しのつかないものを取り返す」ということを言った。
井上ひさしもまた、取り返しのつかないことを、しかし、子供たちのことを考えれば「取り返してやろう!」としている。
誰にも聞き取れるエッセンスを。
(「父と暮らせば」最後の部分を大江さんが「竹造」のセリフを担当し朗読。)
最後の美津江のセリフ「おとったん、ありがとありました」という美しい言葉は、「希求する」という言葉の響きと呼応して聞こえてくる。

私たちには「知る権利」がある。
今回のこの出来事について「これを教訓として」などという人間を私は認めない。
(大江さんは最後に厳しい表情でそのことを言われ、すっと演壇を去られました。)

集会の最後に、講演者からすると相対的に若い小森陽一さん(東京大学教授/九条の会事務局長)が、井上ひさしの生み出した「ひょっこりひょうたん島」の歌詞、また「きりきり国」の住人である誇りが、東北の人々を支えているエピソードを紹介し、強く真面目な調子で「生き抜いていきましょう」と呼びかけ閉会しました。

以上、2時間にわたる中身の濃い集会だっただけに、お伝えしようとするとただ冗長なものになってしました。
ただあえて私の印象を一言で言えば、お三方とも「もっと学び、自分の頭で考えなさい」ということを強くおっしゃったし、それを促す言葉の力でした。
(参加された方で、私の理解が間違っているようなこと、あるいはもっと重要な点をご指摘いただければ幸いです。)


〈文教研メール〉2011.4.13 より


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