N さんの例会・集会リポート   2008.12.26_27冬合宿・総会 
   
    湯浅誠著『反貧困――「すべり台社会」からの脱出』を読む

文教研のNです。
年末も押し迫った26・27日、冬合宿が行われました。
ここのところ年末は閑散としていた大学セミナーハウスですが、中学生のサッカーチーム、都立高校の冬季講座、そして、教員免許状更新のためのセミナーなど、利用者が様変わりして盛況でした。何はともあれ、我々としてもほっとします。『反貧困』カヴァー

今回は、湯浅誠『反貧困――「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書)を読み合いました。
例会でこの本を扱うことが決まった次の日、朝日新聞(2008・12・14付け朝刊10面)には第8回大佛次郎論壇賞受賞の記事が大きく載っていました。

どんな本なのか、リードの部分が簡潔に紹介してくれいますのでご紹介します。
 ますます深刻さを増す、この国の「貧困」の問題を、どうとらえ、いかに解決すべきか。
受賞作は、この課題に正面から取り組む。学問的な裏付けが確かな冷静な分析と合わせ、この本の主張をより説得力あるものにしているのは、著者が日々接してきた「貧困」に苦しむ人々から肌で感じた現場感覚だ。貧困は、社会と政治に対する問いかけであり、その問いを受け止め、立ち向かえる社会を作ろう、 という著者のメッセージに、選考委員会全員の強い支持が寄せられた。
そして、湯浅さんへのインタビュー記事の中に、私たちとしては一際眼を引く部分がありました。
かいつまんでその前後をご紹介します。
 東京大学の学生だった95年、東京・代々木公園の野宿者の支援活動を見に行ったのが始まりだった。現場に通い続けるうちに、一人一人の暮らしや背景が見えてきて、問題の難しさを学んでいった。
 並行して東大の大学院に進み、日本政治思想史を専攻した。哲学者の戸坂潤や作家の中野重治ら戦前の左翼が、後退戦を続けながらも「負けない」で、粘り強く闘ったことから学べないか、考えた。
 01年、NPO法人自立生活サポートセンター・もやいを設立し、事務局長になる。…… 「研究は今でも嫌いではないが、活動は穴をあけられない感じがして」03年、大学院をやめ、活動に専念した。
なぜ、文教研でこの本を取り上げるのか。それはこの本を読むことでこそ今日文学が取り組むべき文学的課題が見えてくる、という企画部の期待によるものでした。そして、この記事を目にしたとき、その提案のタイムリー性、また、真剣に現実に向き合って学ぼうとしたときに連なっていく学問系譜の連なりというものが見えてきて、心強く思ったものです。

冬合宿では、湯浅さんが問題提起している「溜め」の問題を中心に、様々な角度から話題が出されました。
「溜め」とは何か。
湯浅さんは、ノーベル経済学賞を受けたアルマティア・センの「貧困論」の概念、「基本的な潜在能力」にあたる言葉だとしながら、次のように言っています。

 “溜め”とは、溜池の「溜め」である。大きな溜池を持っている地域は、多少雨が少なくても慌てることはない。その水は田畑を潤し、作物を育てることができる。逆に溜池が小さければ、少々日照が続くだけで田畑が干上がり、深刻なダメージを受ける。このように“溜め”は、外界からの衝撃を吸収してくれるクッション(緩衝材)の役割を果たすとともに、そこからエネルギーを汲み出す諸力の源泉となる。(『反貧困――「すべり台社会」からの脱出』、78頁)
人間にとっての“溜め”、それは例えばお金です。
これはある意味、容易にイメージできます。しかし、湯浅さんは次のように述べてい ます。
 しかし、わざわざ抽象的な概念を使うのは、それが金銭に限定されないからだ。有形・無形のさまざまなものが“溜め”の機能を有している。頼れる家族・親族・友人がいるというのは、人間関係の“溜め”である。また、自分に自信がある、何かをできると思える、自分を大切にできるというのは、精神的な“溜め”である。(同、79頁)
これは「人間関係の貧困も貧困問題である」と位置づけ、貧困問題には「五重の排除」があるとして、貧乏との違いをはっきりさせているこの本の発想と見合う形になっています。貧困問題に立ち向かうためには、一人一人の人間の“溜め”がどうなっているのか、それを見る眼がなければならないというのです。

私たちの言葉で言えば、一人の人間の「私の中の私たち」がどうなっているのか、という問題です。
また「見えない“溜め”を見る」とは、人間を「場面規定」をして見る、ということです。
そして“溜め”をいかに豊かにしていくか、ということこそ、文学教育の課題です。

この本の中で湯浅さんによって生み出された概念とその言葉は、実にイメージ豊かに私たちのこの問題を考えさせてくれます。
それは現場に身を置き、同時に日本政治思想史、とりわけ戸坂潤のような「後退戦を続けながらも『負けない』で、粘り強く闘った」先人に学びつつ、考え続けてきたからに違いありません。

冬合宿の討論では、様々に興味深い切り口が提供されましたが、それはニュースに譲ります。
ただそこで、参加したメンバーが共通に感じたであろうことは、私たちにとって文教研が実に豊かな“溜め”を与えてくれる場である、という認識でしょう。
自分自身の“溜め”に気づく、これも文学教育の課題だと思いました。

〈文教研メール〉2009.1.8 より



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