N さんの例会・集会リポート 2004.02.14 例会 |
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日本型自由主義者のメンタリティー──『黄村先生言行録』(続き) 文教研のNです。
先日の例会は、前回に続き太宰治『黄村先生言行録』を読み合いました。黄村先生の山椒魚に関する座談筆記の印象の追跡からです。今回も前回に引き続き、頼りになるSさんが入試でお休み。しかし、その分、Iさんがグッとリードしてくれて、この時期における太宰のすごさが新たな角度から見えてきました。 私個人は、この例会で読み合うまで、黄村先生との距離感がどうもうまくつかめませんでした。まったくおかしな人だなあ、という思い、これは「私」も閉口だなあ、という思い、そして、これは時局への風刺だろうなあ、という思いはありましたが、しかし、愛すべき黄村先生、ということも感じ、最後は先生がかわいそうにもなったりで、それらがしっくり一体にならなかったのです。
しかし、今回、じっくり黄村先生の論理(?)展開を追いそのメンタリティーが解明される中で、
それが、Iさんの指摘された日本型自由主義者のメンタリティーとして見えてきたとき、黄村先生の人物像と同時に、問題のありかが鮮明になってきました。
次のところなどどうでしょう。
「……これぞまさしく神ながら、万古不易の豊葦原瑞穂国、かの高志の八岐の遠呂智、または稲羽の兎の皮を剥ぎし和邇なるもの、すべてこの山椒魚ではなかったかと(脱線、脱線)私は思惟つかまつるのでありますが、反対の意見をお持ちの方もあるかもしれません。別段、こだわるわけではありませんが、作州の津山から……なんだか、八岐の大蛇の話に似ているようなところもあるではございませんか。決してこだわるわけではありませぬが、……そのハンザキの大きさが三丈もあったというのですが、それは学者たちにとっては疑わしい事かもしれませんが、どうも私は人の話を疑う奴はまことにきらいで、三丈と言ったら三丈と信じたらいいではないか。(何も速記者に向かって怒る必要はない)……」 一見、すべて分かっている、人の意見も聞いている、という公平さを装うのです。しかし、その実、人の意見など何も聞いていないし、最後は感情的に「信じたらいいではないか」です。Iさんは岡崎義恵氏(「古典及び古典教育について」HPに掲載)が熊谷孝氏を批判していった経過、
本来リベラリズムであった人がそこから外れていっても気にならない、そうしたメンタリティーとの関わりも指摘されました。
国粋主義イコール東条英機、といったパターンではないわけですね。これは今日の新自由主義者の発言などと対抗していくときにも必要な視点でしょう。また個人的には哲学ゼミで読んでいる「期待される人間像」のレトリックとも繋がってきました。
こうして丁寧に読みすすめていくと、この座談の「奇異」さ、はたまた「ばかばかし」さというものが、はっきりとイメージされてきましたし、そのことが読者として黄村先生という人物とどういう距離で接したらいいのか、「読者の視座」がだんだん分かってきました。
さて、「ばかばかしい」と思っていた「私」もまた、その先生の毒気に当てられていくわけです。
「一坪くらいの小さい水たまりに一丈の霊物がいるというのは、ちょっと不審」と思いながら、それを「事実」をみた、と思ってしまう。わずかに見たという事実が、確信になってしまうのです。Sdさんが「メディア・リテラシーね。」と発言されていましたが、本当に冗談じゃないな、と思いました。「人間、大きいものを見たいというのはこれ天性にして、理窟も何もありやせん!」というメンタリティーは「もっと世界に認められる国になりたい。そのためには……」という今日の発想とも繋がっているわけですから。
これは山椒魚だから笑える話で、この「幻想」を権力者から押し付けられ、その犠牲にさせられたらたまりません。しかし、その論理構造は、権力者ではないこの黄村先生のなかにもはっきりとある。それを描ききっている太宰はすごい、と思わされます。
「とにかく黄村先生は、ご自分で大いなる失敗を演じて、そうしてその失敗を私たちへの教訓の材料になさるお方」とのこと。私たちも大いに「教訓」としなければいけないでしょう。この時期の太宰文学の強靭さに、おもわず「ううむ」と唸ってしまいました。
さて、次回は黄村先生シリーズ『花吹雪』の検討です。
【〈文教研メール〉より】
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