▼1972/1/29 8[前年9月、年度替り以降の号数]
第21次日教組教研 国語分科会参加
既報の埼玉、東京、神奈川のほかに、広島から会員のOさん、Kさんが参加し、平和教育の原点としての国語教育について訴え、参加者の共感をよびました。また、大阪のSiさんが進行についてタイムリーな発言を行ない、神奈川(N)、東京(A、Sa、F)両代表の発言をバックアップしました。民教連代表団にはS.Nさんが参加、「民教連の夕」の司会で活躍しました。
機関誌「文学と教育」の宣伝、販売にはF委員長を先頭に、Sa、Si、Suの諸氏が奮闘し、合計三百部近く売りました。
22日には同集会の報告会を
集会4日後、渋谷の勤労福祉会館で、報告会を開きました。問題別分科会の太宰ゼミの時間を一部カットして、限られた時間でしたが、国語分科会に参加した文教研会員の仕事が、仲間の共有財産として位置づけられました。母国語教育としての文学教育のありかたが追跡された感じです。
今回は、三役が全員参加したこと、新しいタイプの“ヤジ将軍”(?)が誕生したことなど話題になりました。
〈リポート〉文教研・宮城地区研究会
皆様 お元気でしょうか。
1月15日に宮城地区・第三回例会をもちました。丁度、甲府で教研が開かれていた時です。
三月までの例会の方向を、次のように決めました。
1月15日(第3回) ・冬季合宿(八王子)の報告
・『皇帝の新しい着物』 -その1- (『文学教育の構造化』第3部を中心に)
〜2月10日 ・教材体系の資料づくり(Y、E)〈仙台〉
〜2月10〜12日 ・指導プラン作成(Y、K、Yo)〈小竹浜〉
2月20日(第4回) ・『皇帝の新しい着物』 -その2- (指導プランの討議)
3月上旬 小竹浜小学校にて実践
3月中旬 実践の報告・検討
その後の方向としては“文体づくりの国語教育”へと進むことを確認。(A.Y)
▼1972/3/11 10
文教研ルール 第一条
月例研究会に欠席の場合は、前もって事務局に連絡するか、会場に連絡すること。
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