文教研史(含、前史)資料

資料 1】「文学教育の会」をつくる趣意書
【資料 2】私たちのしごと
【資料 3】サークル・文学と教育の会の成立まで
【資料 4】サークルのみなさんへ
【資料 5】研究集会案内
【資料 6】集団の自己紹介

[年表・文教研史]とあわせてご利用ください。


【資料 1】「文学教育の会」をつくる趣意書 (『講座・文学教育 2』荒川有史「“文学教育の会”成立前後」他による)  
 文学教育の発展のために

 教育をたいせつにする人びと、文学をたいせつにする人びとの間に、正しい文学教育建設の声があがってから、かなりな時間がたちました。そして、文学教育の理論や実践に関する発表・報告なども、しばしば世に出されております。しかし、全国的にいえば、文学教育はまだまだ低調だといわなければなりません。よりどころとする理論も、十分にはには明らかにされていませんし、その実践も部分的だとのそしりをまぬがれません。まして、学校教育以外での文学教育は、いっそう貧弱です。
 文学と生活、文学と教育、科学と芸術とのこのましい結びつきを願うわたしたちとしては、このありさまをだまって見ているわけにはいきません。文学教育に関心をいだく多くの研究家、作家、教師、学生、文化活動家、出版関係者、父母たちが手をとりあって、文学教育の発展のために、最善のちからをつくすべき時ではないかと思います。中央に、自主的・創造的で有力な研究・実践団体のない教育諸分野では、全国的に研究水準がきわめて低く、また実践もまずしいといえます。いま、わたしたちがあつまって「文学教育の会」をつくるわけも、ここにあります。
 文学教育の正しくゆたかな発展のため、ひいては日本の教育と文学の進歩のため、多くの人びとの参加をねがってやみません。〈昭和32年4月28日〉

 文学教育の会発起人

荒川有史 荒木繁 池田愛子 乾孝 いぬいとみこ 猪野省三 井上明雄 今井誉次郎 岩佐氏寿 岩同良子 巌谷栄二 江口季好 遠藤豊吉 大久保正太郎 岡部政裕 小川勇 小河内芳子 小沢雄樹男 落合聡三郎 片岡並男 金沢嘉市 川越怜子 川崎大治 菅忠道 木下敏夫 木村敬太郎 熊谷孝 久米井束 倉沢栄吉 来栖良夫 クロタキチカラ 甲賀富士雄 鴻巣良雄 香山登一 国分一太郎 後藤楢根 斎藤喜博 阪本一郎 寒川道夫 佐木秋夫 佐々木元一 佐瀬仁 佐藤和男 佐山済 重松敬一 渋谷清視 島田茂 上甲幹一 周郷博 鈴木喜代春 鈴木豊次 関英雄 高尾正 高山毅 竹内好 多田公之助 巽聖歌 千川原昭吾 塚原健二郎 塚原亮一 富田博之 鳥山榛名 長島勝浪 中村新太郎 南保文郎 西原康 野口茂夫 長谷健 羽仁説子 波多野完治 馬場正男 菱沼太郎 飛田多喜雄 福井研介 福田清人 福光えみ子 藤井亨蔵 藤井正道 古田足日 古田拡 松田いせ路 正木欽七 益田勝実 増淵恒吉 水野清 富永次雄 森久保仙太郎 森山重埠 八木橋雄次郎 矢沢広子 柳内達雄 山岡寛章 山崎央 山本敏雄 湯山厚 吉沢和夫 吉田瑞穂 与田準一 渡辺東雄 (敬称略 50音順)

【資料 2】私たちのしごと (1958年10月発行「文学と教育」創刊号掲載)  
 文学教育の必要を口にする人は多い。が、その必要が、一般に過不足なく受けとられているとは考えられない。なかには、それを、あらぬ方向にゆがめようとしている人さえ、ないわけではない。

 とくに、学校教育の面において文学教育がおしゆがめられようとしている、こんにち、私たちは、まず《国語教育のなかに文学教育を明確に位置づける》ことから、仕事をはじめていきたい。当面の課題をそこに求めて学習活動をつづけると同時に、一方では、たえず、学校教育のワクを越えたところで活動をおし進めることで、《明日の民族文学創造の基盤》を確かなものにしよう、と考えるのである。
サークル・文学と教育の会は、よりよい文学教育の実践をめざした《文学と教育の学習》のための集いである。他のサークルとの交流や、文書その他による対外的な活動も、先に予想している。
 一九五八年一〇月一六日                          サークル・文学と教育の会
    

【資料 3】サークル・文学と教育の会成立まで 木村敬太郎 (1958年10月発行「文学と教育」創刊号掲載)
 サークル・文学と教育の会が生まれた。
 会員の一人として、ひそかに自負しているものがある。その一つは、この種の会にありがちな、ごもっともではあるが、極めて抽象的な趣意書ではなくて、「私たちのしごと」を明確にかかげた点である。そして、サークルの進む方向・責任をはっきり示したことである。これは、今日この時において、大きな歴史的意義がある、と思っている。
 二つめのささやかな自賛は、「生まれた」サークルには違いないが、父親が誰の、母親がどうの、といった「親」のないことである。誰か特定の個人が作りあげたサークルではない。作りあげ、育てあげたのは、いまの会員であり、同時に、その会員が生まれた子どもである点である。
 だから、ここで成立の過程を書くことは、「生まれ出ずる胎動」のいくつかを拾いあげていくことになる。
 八月初旬、四日間にわたって、愛知県の河和で、「全青協」(全国青年教師連絡協議会)が持たれた。いうまでもなく、「勤務評定」闘争のさ中で、「道徳教育実施要綱」が出され、「新学習指導要領」の発表直後である。「新指導要領」の国語科は、まったく子どもをダメにしてしまう「内容」ではないか。この子どもをダメにしてしまう代物で、教育はできない。この代物が「評価の規準」で「勤評」されたら、たまったものではない。
 ここで、当然のこととして、昨年に引き続き、「文学の機能」が問題になり、「国語科における文学教育の役割」が、熊谷講師を中心として追求された。どんなに充実した会でも、四日間という限界はまぬかれない。お互に、「理論的追求」と、「積み上げ」を約束したのである。東京からの参加者は、定例の会を今後持とうと話しあった。
 丁度、時を同じくして全く同じ理由で、“ほんものの指導要領国語科を、みずからの手で組み上げよう”“文学教育の方法を客観化しよう”としている、幾人かの教師たちの動きがあった。
 と同時に、文学を愛し、民族の文学を育てあげようとしている人々が、これらを積極的にもり上げてくれたし、参加を希望してくれた。
 既にあるものの発展と協力、これが自画自賛の成立過程である。

【資料 4】サークルのみなさんへ (1960年1月[ママ]発行「文学と教育」第14号掲載)
▽サークルの改名
 (略)
 〔文学教育研究者集団 〕
と改称し、従前の学習活動と共に、より積極的な、文学教育運動へものり出そうと、決意いたしました。その一つとして、別記四月研究集会の計画もすすめています。
 サークル全員に相談する機会を得ず、いささか独断的な処置であったことを、おわびいたします。と共に、御諒解の程を、お願いいたします。

▽会員確認の件
 これを機会に、会員の確認をいたしたいと存じますので、御面倒でも同封の葉書に記入のうえ、返信ください。
 なお、会誌・会費・常時活動につきましては、会員確認のうえ、相談いたしたいと存じます。

【資料 5】研究集会案内 (1960年1月[ママ]発行「文学と教育」第14号掲載)
   文学教育研究集会    主催 文学教育研究者集団
                   テーマ 「文学教育理論の確立と よりよい実践をめざして」

 文学教育の大事さを、口にする人は、大勢います。文学教育を進めようと、いくつかの会も生まれました。理論や実践の著書も世にでました。
 しかし、それに見合うだけの収穫があったとは、思われません。国語教育のなかに、文学教育を明確に位置づける地点にすら至っていない現状です。
 個々人の、さまざまな良心的努力はあっても、バラバラのまま、存在し、有効な統一化に向かっていないと言わなければなりません。
 このすきに乗じて、文学教育を、おしゆがめてしまおうとする力もでてまいりました。
 ここに、戦前の理論を継承し、発展させ、理論と実践の結合をはかりながら、学校教育の中に、文学教育を位置づける踏み台としての集会を持つゆえんがあります。
 文学教育理論の確立と、よりよい実践をねがう方々に、会に参加する中で、それをおしすすめていくことを、願ってやみません。

【資料 6】集団の自己紹介 鈴木 勝 (1960年4月発行「文学と教育」第15号掲載)
 私たちの《文学教育研究者集団》は、一九六〇年二月二六日に出発した。が、その母胎は、すでに五八年の夏に出来上っていた。
 勤務評定・道徳教育実施要綱・改定学習指導要領等々の一連の文教政策が次々とうちだされた時期においてである。私たちは、《サークル・文学と教育の会》に結集し、次のしごとを設定した。
 ――「とくに、学校教育の面において文学教育がおしゆがめられようとしている、こんにち、私たちは、まず《国語教育のなかに文学教育を明確に位置づける》ことから、仕事をはじめていきたい。当面の課題をそこに求めて学習活動をつづけると同時に、一方では、たえず、学校教育のワクを越えたところで活動をおし進めることで、《明日の民族文学創造の基盤》を確かなものにしよう、と考えるのでる。」
 ――「サークル・文学と教育の会は、よりよい文学教育の実践をめざした《文学と教育の学習》のための集いである。他のサークルとの交流や、文書その他による対外的な活動も、先に予想している。」
 私たちが最初にとりあげた仕事は、改定学習指導要領(国語科)への批判である。改定が国民的自覚という視点からとりあげられているにもかかわらず、それが国粋主義につながるものであること、発達段階に即した系統性といっても人間を固定した角度から生物学主義的にとらえる基準にしかすぎないこと、しtがって、こうした視点、こうした論理のもとでは、文学教育は片すみへ追いやられ、人間形成・人間変革といういとなみは完全に無視されてしまうこと、等々が真剣に検討された。
 指導要領批判をきっかけとして、“国語教育の機能的本質と役割”“国語教育としての文学教育”“道徳教育と文学教育”“古典教育の視点”などのテーマで、《国語教育のなかに文学教育を明確に位置づける》仕事を追求しつづけた。また、文科と科学におけるそれぞれの認識表現の機能にまでわけいって教育のあり方を反省した。
 この活動の成果は、その都度、十四号まで発行された、ガリ版刷りの機関誌“文学と教育”に発表された。さらに、文学教育の会理論部会、全国青年教師連絡協議会文学教育部会、日本生活教育連盟国語教育部会などにサークルとして参加し、多数のナカマとの話しあいのなかで、わたしたちの理論を普遍化することに努力した。それらの参加報告は、「文学教育」「カリキュラム」「生活教育」「広場」に、あるいは『講座 文学教育』『生活教育の基礎と課題 第八集』に、正確にまとめられている。
 これらの報告に一貫していることは、文学研究の水準が文学教育の実践を豊かにもし、ひからびたものにもするという姿勢であろう。サークルを構成するメンバーの一人一人が利害をはなれて研究し実践したことが、サークルのこの姿勢を保障したと考えられる。
 (略)

 ――「文学を愛し、文学教育を大切にしていこうとしておられる方々に、一人でも多く参加していただき、広くご意見をいただくことを願ってやみません。」(集会案内より)

 
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