抜書き帖 言葉・文学・文学教育・その他 |
われら愛す――憲法の心を歌った“幻の国歌” |
生井弘明 『われら愛す――憲法の心を歌った“幻の国歌”』より =かもがわ出版刊 2005.2.10= (CD付き 1700円+税) 【参考サイト】 かもがわ出版 |
美しいこの国を平和の国として愛したい(近田洋一さん) 「さきたま抄」(埼玉新聞一九九〇年四月二日付)このコラムの内容は、勿論新国民歌「われら愛す」の賛歌といってもいい。「心を洗われるような美しい旋律」「日本の民主主義、人が個として重んじられる、精神の自由を大切にしたい、と願う人々にとって、」「勇気を与え、それこそ美しいこの国を平和の国として愛したいと願う心に響いてくる」歌であると書いている。 元埼玉新聞編集委員室長の近田洋一さんは、このコラムを書いた動機について次のように話してくれた。 このコラムを書いたころから、文部省の学校現場に対する「日の丸」「君が代」の扱い方がそれまでのゆるやかな指導から、義務に近い形をとった厳しいものに変わっていきました。新学習指導要領では、「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」という、それまでの「望ましい」から一歩も二歩も踏み込んだものになっていました。しかも、教師がこの要領に反して子どもたちを指導しない場合には、指導要領違反として処分の対象になるという罰則つきのものに変わっていったのです。 近田さんは沖縄県の出身である。 私が沖縄県立石川高校の一年生だった一九五六(昭和三一)年春休み、本土の玉川学園の生徒たちが「沖縄覿善使節団」を組織して来沖し、交流をもちました。そして、使節団の団長をつとめた学生の一人森口豁さんと知り合い、一緒に沖縄復帰支援運動を始めた近田さんは、学校を卒業して琉球新報社に勤務、そこで沖縄問題について取材活動を続けた。 その後、本土にわたって埼玉新聞社に入社、ジャーナリストとして活躍してきた。「日の丸」「君が代」が学校の教師や子どもたちに有無を言わさず押し付けられようとしている現実を目の当たりにしたとき、近田さんの頭の中には、四〇年前に玉川学園の生徒たちが沖縄で歌ってくれた「われら愛す」の新鮮な感動がよみがえった。 前出のコラムは、この感動をもう一度たくさんの読者の方々に伝え、共有したいという思いで、書かれたものだった。(p.108-113) [文中の森口豁氏は、2005年4月から日本テレビ(系列)で放映された「瑠璃の島」の原作者と思われます。] |
◇ひとこと◇ 「われら愛す」の歌詞とメロディーは、この下にあります。 |
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waru わ れ ら 愛 す |
メロディー(町田混声合唱団HP 町混の十八番より) 合唱(岐阜大学教育学部附属中学校卒業生) 岐阜大学教育学部附属中学校(愛唱歌) |
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作詞 芳賀秀次郎 作曲 西崎嘉太郎 |
(上の「メロディー」または「合唱」をクリックすると曲を聴くことができます。なお、左の歌詞を見ながら曲を聴くには、演奏が始まると同時に画面右上の「−」印をクリックしてその画面を最小化します。) | |
1. | われら愛す 胸せまる あつきおもひに この国を われら愛す しらぬ火(しらぬい)筑紫(つくし)のうみべ みすずかる信濃(しなの)のやまべ われら愛す 涙あふれて この国の空の青さよ この国の水の青さよ |
「しらぬ火」=「筑紫」にかかる枕詞 「みすずかる」=「信濃」にかかる枕詞 |
2. | われら歌う かなしみの ふかければこそ この国の とほき青春 詩(うた)ありき雲白かりき 愛ありきひと直(なお)かりき われら歌う をさなごのごと この国のたかきロマンを この国のひとのまことを |
「をさなごのごと」=おさなご のように |
3. | われら進む かがやける 明日(あす)を信じて たじろがず われら進む 空に満つ平和の祈り 地にひびく自由の誓ひ われら進む かたくうでくみ 日本(ひのもと)のきよき未来よ かぐわしき夜明けの風よ |
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【審査員】 《作詞》 堀内敬三・土岐善麿・大木惇夫・西条八十・サトウハチロー・佐藤春夫・三好達治 《作曲》 堀内敬三・山田耕筰・増沢健美・古関裕而・サトウハチロー・諸井三郎 |
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