学習指導要領の改定に想う―変わらぬ言語技術主義の横行 夏目武子 (『文学と教育』208 2008.7) |
指導要領改定とマスコミ 二〇〇八年二月十五日、文部科学省は小中学校の学習指導要領改訂案を公表した。翌十六日の定期購読新聞は、それを大々的に報道していた。一面トップ記事に取り上げ、また、他の面でも多くのスペースを割き、特集面も設けられていた。十年ごとの従来の改定と扱いがすこし異なる印象を受けた。文科省のホームページに案文が全文掲載されていることや、案に対する意見の提出締め切り期日も示されていた。さっそく、そのホームページを開いてみると、まず現教育基本法(〇六年改定)全文の掲載、続いて学校教育法(抄)、そのあとにいつも通りに総則、各教科……、という順に掲載されていた。教育基本法が指導要領案の前に掲載されていることは、今までになかったことだ。 私には異例尽くめに思われ、(三月二十八日官報告示前に)マスコミがどのように文化省の方針を媒介しているか、マスコミの報道(媒介)のありようを射程に入れる必要があると思い、定期購読以外の新聞にも目を通してみた。やはり、どの新聞も多くのスペースを割いていた。そして、その理由なるものが次のように記されていた。「これだけ社会の関心が高くなると、もはや指導要領は一部の関係者向けの文書ではない」(日経新聞、三面、編集委員コラム、以下引用はすべて二月十六日付)と。社会的関心が高まった事由について、日経のコラムは次のように説明している。「一九九八年改訂の現行要領は『生きる力』の育成を目指し、教育内容の厳選と総合的な学習の時間の新設を打ち出した。背景には初等中等教育が知識偏重の詰め込み型に陥った反省がある。だが新要領は世論の逆風を浴びた。内容の三割削減が学力低下の不安を招き、ゆとり教育批判が深刻な公立学校不振と大都市で私立ブームを呼んだ。指導要領が、これほど社会的関心になったことはない」云々と。 授業時間数増をトップ記事に 〇六年の教育基本法の改定後の最初の指導要領改定。教育が社会的関心を呼んでいるのは、まさに学力低下の問題であるといわんばかり。学力低下の不安を煽り、指導要領の改定により問題が解決するかのような、肯定的に受け入れる下地作りのような気がする。ともあれ、各新聞の一面のトップ見出し(日経は一面の二番目の記事)を拾ってみる。 授業時間数増を前面に出し、それを強調しているのは、朝日、神奈川、東京、日経、毎日、読売の各新聞。やはり、授業数増が、学力低下を解決するかのような錯覚を与えかねない報道である。授業時間増以外の見出しがあるのは、赤旗、産経。対照的な内容であるため、双方を紹介する。 赤旗は一面トップで「改悪教育基本法を全面に」(本見出し)「学習指導要領 文科省が改訂案」(袖見出し)「指導方法まで制約」(途中小見出し)「道徳推進教師を配置」(横見出しで大きく)と。記事の一部を引用する。「改悪教基法で『伝統と文化を尊重し……わが国土と郷土を愛する……態度を養う』ことが教育の目標とされたことを受けて、『道徳教育』をすべての教科や活動で行うことを明記。『道徳の教科化』は見送ったものの、各校に『道徳教育推進教師』を配置させるなど、国家統制を強めるものになっています。」 産経新聞。一面トップに、「『金太郎』『かぐや姫』そろばん 武道必修」(肩見出し)「伝統尊重鮮明に 新指導要領案 理数科の授業増」(横見出し)三面に「新指導要領案 改正教育基本法を反映」(袖見出し)「道徳心の育成重視」(横見出しで大きく)。記事の一部を引用する。「新指導要領案は、総則に改正教育基本法と学校教育法に対応したことを強調している。(略)再生会議が強く求めた道徳の教科化は見送られ、検定教科書は作られないが、文科省では教材を補充する方針で対処する。道徳以外の教科でも一体となって道徳性を養うよう強調した。(略)指導要領改訂を受け徳育充実を実現できるか学校現場は問われている」。 トップ記事に授業時間数増以外の袖見出しを付けているのは、東京新聞で「道徳教科化見送り」。毎日新聞が「理数や道徳充実 内容増も」。 文科省の方針と重ねて 赤旗以外の各新聞が、報道していることを裏付けるような記事に出会う。その一つとして、ここでは「クローズアップ2008」(毎日新聞)から引用する。新学習指導要領案のポイントとして次の六点が挙げられている。 ・主要教科と体育の授業時間を約一割増やす ・理数教科を中心に学習内容を増やす ・道徳教育充実のための「推進教師」導入 ・国語、社会、音楽などで伝統や文化教育の充実 ・記録や論述、討論などの学習(言語)活動の充実 ・小学校高学年に英語を導入 さらに、記者会見などでの文科省関係者の発言が掲載されているのを部分引用する。「六〇年ぶりに改正された教育基本法は、その理念に『公共の精神、伝統や文化の尊重』などをうたう。言語活動の充実について、文科省は『国語の力をつけた上で、説明、論述、討論などの学習活動を充実させる』(文科省教育課程課長)。」「改訂の特徴として改正教育基本法を挙げた上で、『もう一つは学力の問題。習得活用、学習意欲について、中央教育委員会での議論の結果が反映されていると思っている』。今回、『脱ゆとり』での学力向上は大きなねらいだ』(文科相)。 「学力低下への懸念は深刻だ。高校一年生を対象にした経済協力開発機構(OECD)の国際学力テスト『学習到達度調査』(PISA)で日本の成績は毎回下落し、学習意欲も他国に比べて著しく低いとの結果も出ている。このため、文科省にとっては学力向上対策が最重要課題。それが、学習内容を増やす改定につながっている」と文科省大臣官房審議官は本音をのぞかせる(以上前掲毎日新聞記事より抜粋)。 指導要領変遷史から、今回の改定をみる 多くの新聞が授業時間数の増にまず目を向けている理由もこれでわかった。「また『教え込み』強化か」(東京新聞)「詰め込みの復活? 懸念払拭が課題」(毎日)と危惧・警戒を発している記事もある。が、子どもの立場に立って、現実に解決すべき問題に取り組んでいる現場教師の悩み・意見を文科省はきちんと受け止めているのだろうか。一〇年ごとに改定し、黙ってそれに従えというのであろうか。「脱ゆとり」云々する前に、戦後教育の流れをつかみ、その中での今回の改定であるということを考えたい。その点、指導要領変遷史を昭和二二(一九四七)年にさかのぼって紹介している神奈川新聞の記事に好感を懐いた。読者自身が、改定ごとの意味を考えながら、変遷史をたどると、戦後教育の全貌が明確になると思う。そうした意味で大きな問題提起をしていると思うので、すこし長くなるが全文引用する。 時代状況、社会の要請反映大きな問題提起になっていると思う。私は読み終わって大きくいって次の二点について考えてみた。 その一。昭和二二(一九四七)年指導要領が「手引書」であったことの意味。それまでの国家主義的な教育への介入、画一教育の反省から、今までとは異なる指導要領の趣旨の宣言である。四七年文部省発行の学習指導要領「一般編」の序論には次のように記されている。「いまわが国の教育はこれまでと違った方向に進んでいる」。「これまでとかく上のほうから決めて与えられたことを、どこまでもそのとおりに実行するといった画一的な傾きがあったのが、こんどはむしろ下のほうからみんなの力で、いろいろと、作りあげて行くようになってきた」。「ただあてがわれた型の通りにやるなら、教師は機械にすぎない」。「これからの教育が本当に民主的な国民を育て上げてゆこうとするならば、まずこのような点から改められなくてはなるまい」。「この書は、……新しく児童の要求と社会の要求とに応じて生れた教科課程をどんなふうにして生かして行くかを教師自身が自分で研究してゆく手引きとして書かれたものである」。 文部省自身、自他共に納得できるものにしようとしている姿勢が、ひらがなが多くやさしいことばで書かれている文章からにじみ出ているようだ。 教師たちは自主的な研究を重ね、自主的な研究会があちこちで開かれていた。 それが五八年、指導要領が再び拘束性の強いものに変わる。日本民間教育研究団体連絡会(民教連)参加の多くの研究団体の誕生もこの時期に集中している。日本の教育に責任を持とうとするなら、四七年要領の方向(教師自身で考える)を強化してゆく以外ないと感じたからであろう。 文教研の誕生もこの指導要領批判から出発している。『文学と教育』創刊号(一九五八・一〇)は改訂指導要領(国語科)の問題点を、熊谷孝氏をかこんでの座談会で大きく取りあげている。「道徳」を特設し、「道徳性を高め、教養を身につける」国語教育や文学教育というのは、一本テコ入れが行われている。「読み物は文学作品に片寄らないで」とあり、「古典に対する関心を持たせる」云々。文学性を疎外し、国民的自覚と結びつけて考えられる古典とは? 今回の改定も同様。「道徳」のより強化、文学作品云々どころか、文学という文字がない文学無視の傾向の強化。 立命館大学人文科学研究会作成『総合現代史年表』は、五八年までを「平和と人権の教育の展開」から「教育の官僚統制の強化」へのいわゆる「逆コース」と位置づけている。この時期の歴史を、年表的にたどることでも、拘束性が強まった意味が歴然とする。が、今回はその紙幅がない。多くの人々と意見交換する機会がほしいと思っている。 その二。「時代状況、社会の要請反映」とあるが、具体的にはどんな人たちの要請なのだろう。たとえば、「高度経済成長を支える人材養成」を望んだのは、ほかならぬ財界、大企業ではなかったか。その要請で、過密カリキュラムになり、その弊害から「ゆとり教育」となり、学力低下云々から今回の改定につながっている。国家百年の計として教育が考えられているのか、子どもの発達の保障とは何をどうすることなのか、学力とは何か、こうした基本的なことがネグレクトされたまま、目先の要請に応じての改定ではなかったか、等など疑問が生まれる。また、四七年の反省はどこへ行ったのだろうか、と。 識者の意見 各新聞の社説の傾向や、各新聞の記事一覧表を作る予定であったが、今回は見送らざるを得なかった。各新聞掲載の識者の談話や意見などを拾ってみる。A「日本教育再生機構」理事長八木秀治・高崎経済大学教授と、B「教育基本法の改悪を止めよう!全国連絡会」呼びかけ人だった小森陽一・東京大教授と、対照的な二人の意見を掲載している朝日新聞から引用させてもらう。 A 「基本法改正の理想が骨抜き」 教育基本法改正で掲げた理想が骨抜きにされ、現行指導要領とほとんど変わっていない。「伝統と文化の尊重」や「我が国土と郷土を愛する」ことは、主に社会科で学ぶはずだったが、小学校で増えたのは縄文時代くらい。道徳教育も「全教科で行う」と書いてあるが、具体性に乏しい。国の質を高める戦略に基づいた教育が必要だ。教育再生会議はそのためにでき、確かな学力や規範意識を打ち出したが、メンツを守りたい文科省官僚による揺り戻しが起きた。安部内閣があと三ヶ月持ってくれていれば、と悔やまれる。 B 「主権者になる力育てぬ内容」 注意深く読むと、改訂案は国家統制的内容であることがわかる。特に、すべての教科に張り巡らされた言語教育は、上からも与えられたものだけを読み取らせ説明させるばかりで、自発的思考と表現を養う視点がない。「伝統と文化の尊重」では、「伝統音楽のよさを味わう」と国家の価値判断が前提とされている。改定教育基本法に入った「公共の精神」の名の下で、子どもを国家に従わせ、自らが主人公・主権者になる力はつけさせないという思想に貫かれている。大声で「愛国心」と叫ばれるより怖い。 Aのような意見が強く文科省に寄せられ、案が修正されたと聞く。こんなに異なる考えが存在する時代であることを改めて実感した。自分はどちらの立場で考えているのか? 多くの人々の意見を聞きたくなった。 「言語活動の中軸教科としての国語科」? 私は賛意をもって小森氏の談話を読んだ。二月一六日の各新聞に、「言語活動の中軸教科としての国語科」という言表がしばしば使われていた。そして朝日新聞には、二四面から二七面まで、「学習指導要領改訂案」が「言語力を育てよう」という見出しで、「改訂案のポイントと、すべての教科で充実がはかられた、言語力育成に向けた内容を整理した」記事が掲載されている。言語力はなんでも書かせれば、育成できるのだろうか。言語力とは何であろうか。二月一六日、小森氏と同じように私もここに注目した。 図書館で三月二八日の官報告示のコピーをとったことも私にとっては異例である。が、多くの方が新聞報道で知るということを考え(官報告示と対比して必要な個所は告示に従ったが)、記者の感覚で要点を押えた要約になっている朝日新聞記事をそのまま引用させてもらう。 学習指導要領改訂案=小学校(国語以外は言語力のみ)私はとにかく二月二六日の新聞でこの記事を読んだとき、小・中学生はこれから大変になるな、ますます勉強嫌いになるのではないかな、と思った。「教科書に載っていない文学作品を取り上げるよ」と告げた瞬間、「どうせ感想文、書かせられるんでしょう?」と悲鳴に似た声があがった。作品をみんなで読みあう楽しさと充実感をまず実感することからはじめようと思い、「当分感想文は書かなくてよい」と告げると、ほっと安心した空気が流れた何(十)年か前の授業の一こまを思い起こしたからである。中学生は書くのは苦手なのだ。中学生に限らず大人も。 この稿を執筆中の新聞に「『コピペ』論文許しません」なる記事が載っていた(朝日新聞五月二六日付)。大学で横行しているインターネット上の公開情報を引き写しただけの学生のリポート(コピペ)をチェックするパソコンソフトが開発されたということだ。安易にコピペできなくなれば、自分で文章を考えるから、学生のためにもなる云々。 未知のものを既知に変える喜び、驚き。それが学習意欲につながると思う。その驚き感動から生まれた新しい発想をことばに結びつけることで、その発想自体が確かなものになり、持続的になる。その驚き、感動を保障しつつ、ことばに結びつける作業を積み重ねてゆくのが国語科の仕事であり、また各教科の独自性の上に立つ作業であると思うのだが、そうした指導への配慮は指導要領のどこに記されているのだろうか。小森氏の指摘するように、「上から与えられただけのものを読み取らせ説明させるばかりで、自発的思考と表現を養う視点がない」。 とにかく言語能力を養うためだと、作業をしたあとには文章化が待っていると思うと気が重くなり、〈コピペ〉が横行するばかりか、学習意欲をそぐことになるのではないだろうか。ことばとは何か、認識とどう関わるのか、その問いが指導要領にはないのだ。いわば聞く、話す、読む、書くという言語活動主義に終始しているとしか言いようがない。それの延長として各教科における〈言語活動〉。 ことばと認識 文体づくりの国語教育 文教研ホームページはなんとタイミングよく、熊谷孝氏「文学教育の視点から」と題する指導要領批判を掲載してくれていることか。五九年一一月、明治図書出版『教育科学 国語教育』掲載論文である。他団体への寄稿である関係上、ことばとは何か、国語教育の原点を踏まえつつ、実際の授業のありようと関連づけ、問題を投げかけるという形の批判である。ここでの指摘は、悲しいことながら、今回の改定に対しても当てはまる。ごいっしょに国語教育とは何をどうするのか、考え合う資料として部分引用させてもらう。 《言語を音声言語と文字言語としてつかむことに、むろん、まちがいはない。けれど、言語(国語)学習指導の体系そのものが、読むこと・書くことの指導と、聞くこと・話すことの指導とを平行させ、あるいはそれらを組み合わせることの上に成り立つ、と考えることは、現実の事実(指導の実際)に反した、形式主義的な理解である。 むしろ、音声言語であれ文字言語であれ、そこを貫く言語(国語)として一まとまりのものを――つまりは「第二信号系という本質をつかみ出してくる能力としての言語能力」そのものを系統的に身につけさせることができるように、学習指導体系が組まれなければならないのだ。 だから、それはまた、言語の認識機能のもつ反映論的な意義において、言語コミュニケーションの現実のプロセスが省みられなくてはならない、ということでもある。あらい言い方をすれば、表現する(話す・書く)ことも、また理解する(聞く・読む)ことも、それは認識・思考のプロセスにほかならない、ということだ。思考する、考えるということは、ほんらい言語コミュニケーションによる、ナカマとの体験の交換・交流を意味している。また、認識するとは、ナカマの体験をくぐってするところの、客観的世界の反映のいとなみに他ならない。だから、言語のこの認識機能を見落とした学習指導体系では、〈国語〉の学習指導体系として現場の実践に役立つものにはなり得ないのだ。 認識(反映)というこの一点にしぼって考えた場合、言語認識の極は科学と文学とに求められるのであり(一般的認識と典型的認識と)、そこに少なくとも文学教育や文法教育が、それとして一まとまりの国語教育であるという位置づけ方を、国語教育の体系の中に与えられねばならぬ理由と根拠を持つのである。(略)、話しことばの指導も文字ことばの指導も、具体的な内容の裏づけをもって、体系的に一貫した一まとまりの作業として営まれるのである。(略)指導者自身、そのことを自覚しているといないとに関わりなく、現場の学習指導が、実はある程度に右のような指導体系を内に用意して進められている、ということである。 指導要領のような教育課程では現実に国語の学習指導が成りたたないから、文学教育への道を一部の現場教師は選んだのである。》(傍点=太字・斜体 は夏目) 教室の実際から 傍点部分の一人に私も入ると思う。実は、本誌二〇六号に「三八年前の〈私の教室〉」と題して、中学校一年生の「国語通信」(六九年四月〜六月の授業記録)を掲載してもらった。実際の授業記録であるが、私以外の人には何がなんだか意味がわからないものだったのではないか、と反省している。その反省から、中学校教師として、指導要領通りでは授業が組み立てられず、自主編成せざるを得なかった、その証拠資料として、とらえてみたいと思う。 一年の最初の国語の時間。「国語」の授業に関する方針というか、抱負を生徒にどんなふうに話されているのだろうか。私の場合は、「国語通信」に記したように、人間は「考えるらっきょう」であることを話す。「考えるらっきょう」という発想は、中学生に新鮮な印象を与えるようだ。母国語の学習を通して、「考えるらっきょう」になることが、生徒と私の間に生まれた国語学習の目的である。 「国語通信」はここから始まっている。教師である私が、生徒に「考えるらっきょう」についてどのように話したか、その記録はない。記憶をたどりながら、記してみたい。 「国語の勉強を、何年していますか」という問いから、あるいは、「ことばとは、何ですか」という問いから始める。前者の場合、押し問答の末、「十二年」ということに(母親の胎内から始まるということだが、この世に誕生後という意味で)。母親中心に自分の周りの人々が自分に語りかけてくれたことに反応して、声帯や口腔内の器官を働かして、アーとかウーとかいう音声を発したとき、周りの人々が関心を持ち、励ましてくれることが、ことばの獲得の第一歩。自分ひとりでは、言葉の獲得は不可能なのだ。 幼年期になり、友だちができる。友だちにも「おかあさん」がいることがわかったときの困惑。それぞれに「おかあさん」がいる。ことばを通して、自分が関わる世界のつかみ方が変わる。 「ことばは空気のような存在だから、ことばとは何か、と問われても答えられない」という生徒の答えを頭に置きながら、ことばとは何か、考えるきっかけを作る。熊谷孝『言語観・文学観と国語教育』(六七、明治図書刊)で梅干の話を知ってから、私も教室で話すことにした。口の中の唾液反応を確かめ合いながら、「ことばというものは、もともと、そういう反応を引き起こす条件刺激、信号、媒体なのです。“ことば”とは“ことば”信号なのであります。“ことば”というものは、そこにないもの――不在なものを観念やイメージとして呼び起こす信号のはたらきをする」(前掲書)という意味のことを話す。一年生には、信号、媒体という用語はあえて使わないことにしているが。 ことばの獲得は、生まれてこの方、父母、兄弟姉妹、友人、教師、本、テレビなど、対話の相手はさまざまであるが、その対話を通して他の体験を自己に媒介することで主体的なものとなっていく。自己の内部に主体化された“対話の相手”は言わば“らっきょうの皮”のようなもの。それぞれの“皮”には、固有の表情があり、固有のリズムがあるはず。一年がかりで、お互い、刺激しあいながら、いい“皮”を作り合おう、と。 授業の実際は、「国語通信」(本誌二〇六号掲載)に記してある。教室でしかできないことは、話し合いである。どんな発言でもよく聞くこと、うまく発言できない人の発言を笑うことは厳禁。補足しあい、みんなで深めていくのが授業であることを確認する。 「国語通信」は大関松三郎『山芋』の中から数編選んで、教材化したときの話し合いの記録だ。話し合いのプロセスを残すことと、話し合いの深まりを確認するためである。どんな意見も聞き入れ掲載していくうちに、発言意欲が全体的に高まったのだろうか。授業終了のチャイムがなると、発言予約を受け、次時の初めに発言を保障しなければならなくなった。他のクラスの意見も知ることができるので、刺激になるのか、授業への集中が強まったような気がする。 作品「みみず」について話し合ったとき、みみずへの同情だ、という発言から始まった。多くの生徒は同情することがすばらしいことと思っていたようだった。この最初の印象は話し合いの中で変わっていった。同情論とは異なる印象を持った生徒が、辞書的意味を調べてきたことに始まり、各自、詩を読み直したり、『山芋』の中の他の詩と関連づけたりしながら、同情でない人間関係とは何だろう、ということに話し合いは発展していった。考えが出尽くしたと判断したところで、私は「連帯」ということばを与えた。数日後、学級目標に「連帯」を掲げたクラスがあった。 ことばと発想の二人三脚が、授業という共同作業のなかで保障される。文体づくりの国語教育(熊谷孝『文体づくりの国語教育』一九七〇、三省堂刊。それ以前に文教研の研究例会で共同研究が進められていた)をめざして、一まとまりの国語教育として、こうしたことを積み重ねるのが、私の目指す授業なのだ。同書には次のようなことがまとめられている。《文体作りの方法としての総合読みとは、、@自己の文体、自己の発想(発想のしかた)を自覚する読みである。Aそれはことばに表すすべを知らない自己の発想・想念をことば(文章)に結びつける読みである。Bそれは、自己の発想をことば(文章)に結びつける過程で、自己の発想のしかたを点検し、確かなものにする読みである。言い換えれば、その発想のしかた自体を変革することで、究極においては発想そのものを変革する読みである。(略)》 文体づくりの国語教育に関して、昨年の全国集会での井筒満氏の基調報告が本誌二〇七号に掲載されている。ご参照願いたい。文体づくりの国語教育とは、ことばの教育を通しての〈主権者づくり〉だと思うが、何度読み返しても、そうした視点が指導要領には見られないのである。 |
‖デジタル・アーカイヴズ‖国語教育/文学教育‖ |