資料:鑑賞主義論争――「鑑賞主義」とは?
「人間」(鎌倉文庫刊)1948年11月号掲載

 文学における鑑賞と史観        近藤忠義

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 学としての近代国文学は、言うまでもなく、近世末期の国学(それにドイツ――ビスマルクのドイツに育った文献学が流れこんでいる)をうけついでいるのだが、近世末期の国学は、国学本来の文献学としての性格をおしゆがめ、高い目標を見うしなった考証のための考証の学と、科学としての資格を喪失した宗教的な独善とに分化した。明治以来の国文学は、こような国学の嫡子であった。
 併し、近世の国学は、元来、新たな歴史の担い手として誕生して来た近世市民階級の自由と解放との精神にささえられた健康な文献学的性格につらぬかれた学問であった。たとえ一古語の研究に際しても、その学的操作は高い目標につながったものとして、しっかりと学者自身に理解されていたのである。たとえば、荷田春満は、学問の自由をあらゆる中世的・封建的な束縛から学問を解放するために古学を唱え、そういう古学を確立するためにこそ一古語の研究の必要があるとしている。ちかごろの註釈家が古いことばのせんさくに無目標に没入し、いたずらに先輩の研究の揚げ足をとり、おのれの新見をひけらかすことに焦慮するが如きはとは、およそ雲泥の差異である。一つのことばの語義の解明が、文学研究全体にとってどういう位置を占めるべきか、さらに彼の文学研究が文化全般の前進のためにどういう役割を果すべきか、という見とおしと設計図とを持たぬ、それ自身が自己目的であるような瑣末的せんさくを以てすなわち学問だとする理解が、こんにち国文学における「文献学」を支えているのである。
 国文学が文学研究であるための最初の第一段階的な仕事であるはずの本文批評(本文校定)も、文学研究という目標と、研究の全規模の中で占めるおのれの位置とを見失って、あたかも本文の批評が国文学の主軸ないし全部であるかのような錯覚におち入る結果、文献資料の確保が国文学者たる最大の資格と誤信せられ、資料の独占・隠とく・争奪などをめぐるいかがわしい大小の出来事が間断なく発生する。学問的成果を公共の前に公有のもの・協働の足場として提出する、という考え方は毛頭無く、あくまでも個人財産として理解する以外の考え方を持ちえない。このような学界のふんい気の中では、本文批評の仕事が充分に結実するはずはなく、また事実はなはだ任意的・偶然的・非科学的で、個々の学者の精力を、きわめて不経済に分散浪費せしめ、研究の道を閉塞する結果をみずから招いているのである。
 国文学がこのような「文献学」の袋小路に偏向して行ったかぎり、それはついに研究の主部分たる文芸の学としての段階に一歩たりとも踏み入ることなしに凝固してしまわざるをえない。その当然の結果として、国文学者は、単なる文献資料操作の熟練工・技師――というよりも技手――としての意味で専門家の資格を獲得する。いちおうそれもよいであろう。がしかし、文学とは何であるかという問題、文学と社会的人間の全生活とのつながりの問題に対する大きな視野をともないえぬ専門人は、機械全体の巨大な構造を全く知らぬ鋲つくり専門の職人にひとしく、文学と人間との本来の関係、すなわち歴史・社会的なつながりの問題、つまりは文学の本質の問題を、ただしくおのれの生きた問題とする能力を持つことが全く不可能であり、そのような根本問題を問題とすることをも、なにか「文学以前」のないしは「文学の垣の外」のいとなみだとするような誤説におち入り、そのことで、文学研究の正しい成長を陰に陽に疎外する結果を、いやおうなしに招いてしまうのである。
 現代国文学の実体は、このような括弧付きの文献学であり、それは頭と胴体とを持たず脚部だけで徘徊する妖怪に他ならぬのであった。

     *

 およそ学問は、首尾一貫した、一つのまとまった体系を持つ構造体であり、よかれあしかれ独立した一つの世界を形づくっており、従ってその全機能をもって現実と対抗し、それを批判し・処理しうるものであるはずである。だからもし文献学としての現代国文学であるためには、文芸を批判しそのことで現実を批判する機能を、文献学という構造の中にひそめていなければならぬ。ところが、国文学における文献学には、すでに明らかなように、それが無い。そこにあるのは脚部だけである。従ってそれはその限りではまだ学問ではない。学として完了する以前の予備工作の一段階にすぎない。これを学の名で呼ぶところに、多くの誤りが発生する根拠がある。
 戦前に刊行された書誌的な日本文学史で、戦後ふたたび版を重ねたものに対する書評に、この書が戦前戦中戦後にわたるはげしい社会的・政治的変動を超えて、いま無改訂で刊行されえたところにこそその名著たるゆえんが示されているのであり、ひいては、すぐれた学問のもつ超政治性・超歴史性の確証がここに見いだされる、とする見解が語られていた。この種の文学書が、文学的諸現象の外面的に正確詳細な記述とそれらの年代順の羅列を旨とする書誌的な手法、いわゆる「文献学」的手法によって成っており、それを、上述のような、ことばの正当な意味での学と誤信するところからおのずと生ずる、結論の危険なゆがみを、ここにも見て取ることができる。たとえば、一つの作品の成立年時の認定にしても、それが誤りなき考証の結果になるのもであるなら、その成立年時は、不動のものとなり、時代や社会情勢の変化によって左右されることのないのは言うまでもないのであるが、しかしそのことがなんら学問 の超歴史性・超政治性を証明するものとなりえないことは、これまた言うをまたない。それは、作品の成立年時考証の操作が、それだけではまだ学としての体系を完備していないからである。
 所で、「文献学」としての国文学は、つねに必ずしも、そのような「文献学」的段階でみずから満足しえず、一歩をすすめて、文芸の学たろうとする場合もある。文献資料の捜査・蒐集・整理、異本校合、錯簡訂正、本文校定、年代考証、訓詁註釈、等々の諸てつづきの後に、いよいよ文芸作品としての内部にはいりこんで行かねばならなくなったとき、どのような方法をとるであろうか。それは国文学者としての彼の、「近代人」――なんという古色蒼然たる近代人であるか――としての資格(?)に手ばなしで凭りかかったまま、彼の趣味やこのみや常識や俗念――それらはすべて彼の現実に対する考え方とつながっている――を、そのまま物さしとして、作品の評価を計量する、というきわめて主観的な方法をとるのである。われわれはこれを
鑑賞主義と呼んで来た。
 文学研究に際して鑑賞主義と呼ばれるこの主観的・恣意的な方法は、じつは文学以外の学問研究の場合にもしばしば見られる。 …略…

 
(歴史学研究において)西田(直二郎)博士も北山(茂夫)氏も、当面は同一の古文献から出発しておられるのだが、結論は全く相反しており、それぞれもっともな考え方だなどというようなものではない。一方が真実をとらえておれば他方は虚偽である。いったいどうしてこのような判定のひらきが生じたのか。それはいうまでもない。両者のたずさえている史観の相異からそれは生じている。史観とは、ものの発展をどのように見、かつ捕えるかという、その方法であって、従ってそれは現実に対する批判の方法でもある。だから史観は言わゆる歴史の学にのみ特有ないし必要なのではなくて、あらゆる学問の方法の根柢に横わっているはずのものである。とすれば、国文学における「文献学」が、よかれあしかれ学の名に値する体系を与えられるためには、それが一定の史観につらぬかれなくてはならぬ、ということになるであろう。そうして、さきにも触れたように、「文献学」的国文学が単なる文献操作の高級技術から一歩踏み出して、とにかくも文芸の学たろうとする時に、鑑賞主義的方法と結びつくのだったが、その際はじめてはっきりとした一つの史観が国文学をつらぬくことになるのである。しかし残念ながら、鑑賞主義をささえる史観は、観念的・主観的・恣意的な唯心的な史観であるよりほかはない。それは、さきに紹介した西田博士のたずさえられる史観と同一のものだ。博士の史観を歴史的・社会的にものを見る見方――これは唯物史観と同義だが、今日なお唯物史観に対して少からぬ人々は浅薄に曲解しており、その曲解をみとめもせず、言わんや誠意をもって反省しようとはしておらぬから、怠惰で無知な、あるいは狡猾な彼等に口実を与えぬためにも、このことばをわざと避けておくのである――と置き代えるならば、北山氏の結論と同一なものがみちびき出されざるをえないわけである。
 「文献学」的国文学は、このようにして、鑑賞主義と抱き合った瞬間に、とにかくにも文芸に関する学問らしい体裁をととのえるのだが、不幸にしてそれが、鑑賞主義の基礎をなしている素朴な唯物史観につらぬかれざるをえぬ結果、客観的な・科学的な性格――元来これが学問の性格なのだが――を失って、似て非なる学問、現実と正しく対決しそれを批判し処理する能力なき偽学問、となるに至るのであった。

     *

 鑑賞ということばの語感には何か恣意的なものが伴うので、不用意には用いにくいのだが、人々のおこなうこの鑑賞の作用に、あやまり無く真実に迫りうるための正しいすじぼねと方向とを与えるものが、ものを歴史的・社会的に見る見方、敢えて言えば唯物史観なのである。
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 旧国文学にくらべて、まさるとも決して劣らぬ古風さを依然として持ちつづけているものの一つに、美術史学ないし美術批評がある。 …略…

 しかしこのような事情は、必ずしも旧国文学界のみ特有ではなくて、現代文学に関する文壇的批評もまた決してこのような事態から脱出してはおらぬのである。

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 いわゆる国文学の徒が、括弧付きの文献学の中にしゃがみ込み、芸術批判者ならぬ練達した技手となって生ける文学を忘却し、たまたま文学と交歓する時には、例の鑑賞主義の恣意の中にハメをはずし、ついに、古典文学と国民全体とを正当に結びつけるという専門学者としての最終の任務に堪える能力を失いはたして孤立した事情は、ほぼ上に素描したが、ことは旧文壇・評壇にあっても大同小異で、その近代ないし現代の文学に立ち向う方法は、本文批評や註釈の仕事がほとんど無用だという相異があるだけで、鑑賞主義ののほうずな跳梁をゆるしている点では何らの相違もない。
 しかし今や、困難なたたかいの中から、新しい歴史をつくり出す避けがたい任務を負うて、働く人民がその力を結集しはじめ、勤労者文化・文学の創造の道をひらこうとするに至った。古典的遺産の取り入れと受けつぎとの問題が、全く新たな性格をもって、働く人民にむかってその解決をせまりはじめた。このとき旧い鑑賞主義はこれらの課題の大きさとむつかしさとの前にその非力を暴露せざるをえない。のみならず、鑑賞主義が拠って立つ唯心史観は、問題の発展的処理を、無原則な尚古趣味や勤労者文化・文学への言われ無き反発を以て、混乱せしめ妨害するに至るだろう。
 しかし、勤労者階級は歴史を押しすすめる唯一の力であり、歴史を逆行させ・おしとどめ、あるいは歴史から脱走することに何らの利益をもあこがれをもつなぎ得ぬ階級である。従って勤労者こそ、あらゆるものをその発展の相においてとらえ、歴史・社会的にものを把握する能力を、育て・確保する可能を約束されている。鑑賞主義は、かくしてわれらには無縁である。たくましい筋ぼねと正しい方向とを与えられた勤労者独自の鑑賞力が、すでに文学創造の上にういういしく結実しはじめつつある、という現実をまず率直に確認することから、今後の問題を発展させねばならぬと考えるのである。  
(筆者は法大教授・国文学)


資料:鑑賞主義論争