資料:鑑賞主義論争
「国文学 解釈と鑑賞」 昭和11(1936)年11月号掲載 

国 文 学 時 評 ――公平にでなく公正に――   永積安明
  

 本誌十月号の読者は、片岡良一氏の、「九月国文学の瞥見」と題する時評を記憶されているであろう。この時評は、国文学界の今日に取って、いろいろな問題を含み、その点注目すべきものと考えるから、我々は先ず第一に、この時評を時評する事から、始めようと思う。
 氏は、最近本誌、其他に於て活発に行われつつある鑑賞問題をめぐる論争等々を把
(とら)えて、「乱世の感じが強く来た」と述べ、そして一往(いちおう)、かかる乱世的現象の必然性を認めつつ、「現在のような対立と相剋との時代に生きる人々が、深く沈潜する 代りに徒らに反発するのは、余り嬉しい 現象ではない(中略 引用者)それでは結局自分自身の理解を概念的な固さと窮屈さとに閉じこめ て了(しま)うだけではないかと怖れるのだ。」(圏点=太字イタリック体 引用者)と、乱世的現象が、沈潜を妨げ、理解を窮屈にするであろう事を危惧されている。
 我々も近来の論争が、今までにない活々した形で行われつつある事を看取し、始めて国文学界も人並みの歩みを始めたものと考える。併
(しか)し、そのために少しの危惧も感じないばかりか、もっと積極的に論争は続けられなければならず、かかる論争を通じて、始めて、研究は進歩し、外ならぬ日本文学の本質そのものが、明確に把握されるものと考える。即(すなわち)、氏の所謂(いわゆる)、乱世的現象を一往認める我々は、寧(むし)ろ、もっと乱世を! と云う点に於て、全く正反対な結論に達する。
 氏は沈潜の必要を説かれる。勿論
(もちろん)、学問のためにであろう事は云うまでもあるまい。併しながら、一般に学問・研究は何のために存在するのか。それは単なる物識(ものし)りや、社交上の道具や高尚な趣味のために存在するものではない事は今更云うまでもない。勿論それらのために利用する事は勝手である。が、その場合、研究は、既に遊戯に転落し、本来の意義を失うが故に、それは科学的研究の名を捨てなければならない。我々の呼ぶ研究は積極的に現実に関りを持たねばならず、そのためには、研究はその批判性を抜きにしては考えられない。あらゆる研究は批判的であって始めて正しい学問の名に値する。人類が持つ科学的研究の名に値する遺産で、批判的でなかったものが、一つでもあったろうか。批判が鋭ければ鋭い程、深ければ深い程、それは大きい役割を果し、それ故高く評価され来(きた)った。我々の認識は、一定の時代には、その時代に制約されて、一定の度合にしか客観的真実を認識する事が出来ないのであるから、技術の発展と共に、原則的には 後の世代のものは、相対的な制約よりの脱出により、より深刻に世界を認識しうる筈(はず)のものである。特に現在のような転換期にあっては、質的に異(ことな)る二つの立場による認識の結果が、対蹠(たいせき)的に立並ぶ筈のものだ。学問上の正しい方法は一つしかなく、元来それは妥協を許さないものであるから、若(も)学問に忠実であるならば、人は、当然、その限りに於て排他的でなければならぬ。かかる批評がどのような形で現われようとも、それは全く問題にならない。固定した、既に正しい認識をするにたえない方法を無慈悲に排斥する事によってのみ 研究は、氏の所謂、「固さと窮屈さ」とから解放されるのである。氏は又、沈潜せよと云われるけれども、既に人間の認識の限界が規定されている以上、如何なる天才がどんなに沈潜しても、彼はその時代の限界を越える事は出来ない。彼が現実の発展をよそに他の世界から切離れた国文学の研究にのみ沈潜するならば、彼は忽(たちま)ち現実から追越されるであろう。成程(なるほど)、からは多くのカードを作り、博識を誇る事は出来よう。併し、それが現実の文学と何の関係があるだろう。あらゆる歴史が現代を基点とするように、文学の歴史も現代を足場にして始めて、それを評価する事が出来る。深く沈潜する事が、それ自身として価値のない事は既に自明である。
 例えば鑑賞の問題に対する氏の時評を見よう。周知の如く、この問題は当然の事ながら、鑑賞必要論と無用論との対立である。氏は、鑑賞必要論者の「鑑賞も亦解釈だ」と云うらしい 見解を示して、無用論者に反省を求められているが、その言葉は、鑑賞が解釈の中心をなし、主観的享受が解釈の根柢であると云う事であり、無用論者の説、即、本誌九月号の
熊谷孝氏の「再び鑑賞の問題について」に規定された一群の論者にあたるものである。この限りに於て、氏の心配されるような言葉の定義のズレは全然ない。あるのは唯、必要論者の曖昧な定義だけである。併し、それはとにかくとして、氏の立場は一体どちらに属するのか? どちらでもないように見える。併し、このように二つの説を列挙して、その優劣を判定しない立場などと云うものは、一体批評として成立つのであろうか、甚(はなは)だ懐疑的である。氏の主観にとって、「嬉しい現象」であろうとなかろうと、研究は批判的でなければならぬ。それが科学としての名を与えられるためには能(あた)う限り、批判的・排他的でなければならぬ。かくして学問は始めて、その本来の学問性・科学性を取返すことが出来る。
 正しい科学的方法は、ただ一つしかないのであるから、所謂公平な自由な批評 などと云ふものはありえない。若しあったとしたならば、それは、自らの立場と方法とを自覚しない、併し客観的には、当時の卑俗な常識的立場に立つ、低度の、従って不公正 な批評であるか、或は完全なる批評の欠除、従って科学の埒外
(らちがい)に追放さるべき性質のものであるにすぎない。公平にではなく公正 に。我々はかかる心構えのもとに「文学」十月号を取上げよう。(中略)

 
如何なる天才も文芸科学のみを時代の制約を切断して、質的に飛躍させる事は出来ない。完全を期して物言わぬ実証主義は、完全ななる前に諸科学に追越される筈である。
 この論文
近藤忠義「短歌の永続性」、「国文学誌要」所載)は、極めて重大な刻下の問題を、正面から問題とした点に於て、単なる抽象的思弁に於てではなく、具体的な文学史の事実を縦横に活用しつつ、現実の問題の観点から取上げ、批評家と文学史家の任務の、統一的撰作(操作ヵ)を見事に行った点に於て、今月の論壇にあって、最も注目すべき論文である事を失わない。問題が重大であるだけ、異論もあるに相違ない。活発な論争が、これを契機として行われ、国文学の研究も最早、おとなしい盆栽いじりの域を脱した事を示したいものである。(以下略)

 

資料:鑑賞主義論争熊谷孝 人と学問次頁