認識における主観性と客観性 川西 一 (熊谷孝の筆名と推定される) | |||
(正 1〜4章) 唯物論研究会発行「唯物論研究」53 (1937.3)掲載 --- (続 5〜6章) 唯物論研究会発行「唯物論研究」54 (1937.4)掲載 |
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*漢字は原則として新字体を使用した。 *仮名遣いは新仮名遣いに拠った。*傍点の部分は太字・イタリック体に替えた。 *明らかに誤植と判断できるものは訂正した。*難読語句(文字)には適宜、読み仮名を添えた。 *論文末尾の「付記」で訂正が指示されている部分については、訂正後の本文をも示した。3章および4章の下線部(※@〜※D)がそれである。 |
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1 認識主観の問題は、認識論において本質的に重要な地位を占めている。第一に、哲学の、従って認識論の根本問題としての、主観と客観の関係の問題に答えるに当って、認識主観を主観から独立な客観の世界の一部分、それからの派生物と見做(な)すか、それとも反対に主観から客観を導き出すかによって、唯物論と観念論の差別が生れ、第二に、客観と主観の一致又は不一致に関する見解は、明確に表現された唯物論および観念論のの学派と、中間的な折衷主義的な不可知論との相違を生む。このようにして、認識主観に対する理解の内容が、哲学上の根本的な流派の差別の基礎となることは、すでにエンゲルス以来明白にされていることである。ところで認識主観の問題が、哲学上の根本的な流派 の差別に直接に関連するのは、以上のように、それが認識の客観、存在との関係という方面から取扱われる場合である。 だが認識主観の問題は、なお、客観との関係から相対的に切離して考察される側面をも有している。そして問題のこの側面に対する解答の如何によって、観念論及び唯物論の内部の 種々の小流派、哲学上のこの二大潮流の種々のニュアンスが発生する。例えば、同じ観念論哲学でも、認識主観を優れて思惟、理性、論理的なもの又は一般的に云って知的なものと見做(な)す合理主義と、感情、気分、意欲を認識主観の基礎に置く非合理主義の区別があらわれる。唯物論の場合についていえば、旧唯物論の主要特徴の一つは、認識主観をば、客観世界に対するその働きかけによって、自身の活動によって、自らを歴史的に変化せしめるものとして把握しなかったことであり、この点でそれは弁証法的唯物論の認識論から根本的に区別される。旧唯物論は対象を直観の形式において把握するだけで、それを主観によって変化せしめられるものとして捉えなかったということは、旧唯物論が主観を「対象的活動」として捉えなかったという事実の半面に外ならない。 ところで加藤正氏の場合の如く、客観世界を変化させる人間=主観(氏のいわゆる「主体」)の意義を認めながらも、この「主体」を認識主観(氏のいわゆる「主観」)から機械的に切離し、弁証法的唯物論においては認識は「主体性の規定」を含まず、専(もっぱ)ら「主観」の「純粋思惟」によって獲得された自然の規定であるとする見解も、理論と実践の分離の見地、旧唯物論の直観的(観照的)見地を、但し洗練された形態において、代表しているものだと云うことができる。加藤氏の見解は、現代唯物論の認識論の根本命題の一つ――主観的構成でなくて、自然の反映としての認識に関する――に依拠し、これを一面的に展開することによって、そのもう一つの根本命題――実践による理論の被規定性に関する――を歪曲し、結局において否定するという立場を以って一貫している。主観主義的な福本イズムや三木哲学に対する対抗物として起った加藤氏のこの見解は、単に主観主義とは逆な抽象的客観主義の誤謬を典型的に代表しているばかりでなく、特に現在においては、実践から遊離している吾々の哲学的研究に、理論的、認識論的基礎づけを与えている点で、吾々が自分自身の陥っているかかる遊離――それは悪しき実践への奉仕又はそれとの抗争の放棄だが――をノルマル[正常]なもの、哲学の前進のための原則的に 正しい途、として公言し得ない限り、吾々自身の自己批判という意味でも、充分に批判に価するものである。 それで、以下、主として「唯研」第四十二、四十三号における加藤氏の論文(「『フォイエルバッハについて』第一テーゼの一解釈」)と第四十九号における河東正氏の論文「主体性の問題」において提起されている理論的問題を、認識主観の問題の吟味との連関において取扱い、吾々と加藤(および河東)氏との意見の相異を明瞭ならしめ、それを通して氏の混乱を批判することにしよう。 2 まず主観の解釈における旧唯物論と現代唯物論の相異の問題から始める。 この問題において加藤氏の主張するところは、次の点に帰着する。 (1) 「従来の唯物論の人間観を検して見ると、中々もって、人間をたゞ静かに観照するのみを能事とする主観と考えるようなお上品なもではなかった」(第四十二号、一四四頁)。「……対照に対する単なる観照も何等かの意味でそれに対する実践的働きかけと連絡がある。しかし、このことが従来の唯物論によって意識されて居なかったと考えることは誤りである」(同上一四二頁)。 (2) しかし旧唯物論は、人間のこの実践を理論の対象とせず、その唯物論的な全面的把握を与えなかった。そこでは「自然のみが認識の対象であった」(同上一四二頁)。 (3) 然るに弁証法的唯物論は主観、「実践する人間」を理論の対象とすることによって、「対象領域を拡張」した。 (4) そこで、真理の規準としての実践を認めている点では、旧唯物論と現代唯物論は何等異(ことな)るものではない。「思考の現実性を語る限りは、実践において現実的対象(実際に当嵌(あては)めることによってこれを検証しなければならぬ。その限りにおいて従来の唯物論もマルクスのそれも何等の差別がある訳ではない」(同上一四三頁)。 (5) 「差別は、実証的経験的な研究、現実に即した研究の対象として 、人間活動そのものを執(とら)えたことである」(同上一四三頁)。人間活動の法則や条件をこのようにして真に唯物論的に捉えることによって、それは実践への指針となり、実践的唯物論となった、と加藤氏は考える。 右の主張の中には真実と誤謬が絡み合っていると云うことができる。加藤氏の云われる如く、人間は専ら自然を観照するものであって、食い、飲み、労働し、生活することは人間にとって偶然な事柄だ抔(など)と考えた唯物論者は古来一人もない。そして、人間のこういう実践を旧唯物論者が思索の対象としなかったと考える(加藤氏の如く)のも、むろん正しくない。十七世紀の唯物論者は人間の生活を或(あるい)は倫理学の見地から(スピノザの「倫理学」を見よ)、或は政治的見地から(特にホッブス)考察し、この伝統を完成した十八世紀のフランスの唯物論者は人間の実践を道徳論的、政治学的、教育学的等々の見地から広汎に取扱った。フォイエルバッハは「キリスト教の本質」において、「宗教の本質的立場は実践的立場である」と規定し、宗教を人間の実践の自己疎外として暴露した。だから旧唯物論にとっては自然のみが 認識の、理論の対象であったというのは間違いである。 人間の実践の問題において、旧唯物論が現代唯物論と異る点は、決してそれが実践を理論の対象としなかったということではなくて、第一に、実践を主として自然主義的に(マルクス的にいえばユダヤ人的現象形態において)捉え、その歴史性において唯物論的に 捉え得なかったことである。旧唯物論は、人間を、自然に働きかけ、それを変化せしめつつ、自分自身の自然をも、自身の生活条件、社会的生活条件、社会形態をも変化せしめるものとして理解せず、自然に働きかけ、相互に働きかける人間の実践を人間社会のかような歴史的変化との交互作用的な連関において考察せず、むしろ固定的、形而上学的に表象された人間の自然的欲望、欲求、衝動を社会生活の一般的な不変的基礎と見做(な)し、従って社会の歴史的変化の説明に当っては、かかる一般的、不変的な基礎とは異った観念的、心理的(或はそれと並んで地理的)の要因に訴えざるを得ず、それがために人間の実践、社会生活の理解にまで唯物論を貫徹させ得なかった。だから、もし加藤氏が、旧唯物論者にとっては人間的活動は唯物論的把握の対象 でなかったと云うのなら、それは正当である。だが氏にあっては正確にそうではなくて、一般に唯物論の新旧二つの形態の相異は、理論の対象 が前者においては自然であり、後者においては人間、人間的活動であった、という点に求められている。 加藤氏においては、弁証法的唯物論は(ママ)人間の活動を「研究の対象」にしたということは、この唯物論にとっては人間の活動が正に対象的なもの、対象的活動であるという事情から必然的に帰結されるらしい。何故なら、人間の実践は、氏によれば、人間の外に対象として存立するが故にこそ、人間の認識の対象となるからである。ここからして、吾々の認識から独立に、その外に存在する自然、客観世界は実は人間の実践なのだ、と加藤氏は考える。だから氏は、「人間の活動を対象的に執(とら)えることと別のことではない」(第四十二号一四三頁)とか、「働きかけの対象そのものが実は自然にあらざる人間活動である」(同上一四五頁)と断定し、人間の外に存在し、人間の働きかけの対象となる客観世界は実は「人間活動」であり、「人間の活動」が人間の「実践的な働きかけの対象」であると主張する。そこで自然科学の対象となる自然は、「人間の実践が人間の周囲に確立した全対象世界の、その客観的側面、一応人間そのものから引離して考えられる側面として」執えられたものに外ならない(同上一五一頁)。加藤氏が、マルクスの唯物論は人間の活動を理論の対象にしたと云うのは、まさにかような意味においてである。 もちろん、人間の実践は無対象的なものではあり得ず、実践とは主観の側からする主観と客観の交互作用であるから、それはそれによって変化せしめられる対象の中に外化、「自己疎外」する対象的な活動である。だが、それだからといって、実践を対象的世界と同一視し、実践の対象が実践であると結論するのは、主観と客観の同一性を説くルカッチ主義であり、主観主義である。人間の活動の対象は先行する活動によって変化せしめられた自然、外界 であり、この外界は人間の活動から元来独立に存在し、そして如何なる歴史的段階 における人間労働においても人間の活動、労働から独立な自然領域が役割を演じることは「資本論」に云われている所である。従って人間活動の過程において認識される自然の連関は、人間の実践によって 「確立」、「創造」されたものではなくて、人間の存在以前から、人間から独立に存在している客観的連関であり、正にこの点において自然の優越性に関する唯物論的観念は成立する。然るに加藤氏の命題は全く人間学的、主観主義的であって、そこでは社会科学において考究される人間活動と、自然科学において考究される、人間活動から独立な自然連関とが混同され、自然科学は人間の実践を槓杆(こうかん)として発展し、自然への働きかけの所産であると共に、その研究する法則は実践から独立に存在するものだということが無視されている。加藤氏はマルクスのテーゼの字句の解釈の名において、マルクスの唯物論を否定しているものの如くである。これは、旧唯物論にあっては研究の対象は自然であり、これに反してマルクスの「唯物論にあっては人間活動が(従ってそれによって「確立」される自然も)研究の対象であったとする氏の見解と深く結びついている。だがこれこそは、マルクスにあっては弁証法的把握の対象は「歴史的=社会的現実」であって、ヘーゲル(およびエンゲルス)における如く自然にまでは延長され得ないというルカッチの主張と合致するものではないか。 要するに、実践の問題においての、従来の唯物論とマルクス、エンゲルスの唯物論との第一の相異は、実践の解釈の内容であって、それが研究の対象であったか否かということにあるのではない(註)。次に、両者の第二の重要な相異は、弁証法的唯物論は実践を認識論 、論理学に導入 したということである。だから「思考の現実性を語る限りは、実践において現実的対象へ実際に当嵌めることによってこれを検証しなければならぬ。その限りにおいて従来の唯物論もマルクスのそれも何等の差別がある訳ではない」という加藤氏の主張は正当でない。
勿論、対象的真理は閑居静思することによって獲得されるとは、東洋の哲学者達は別として、少なくともすでにフランスの唯物論者は考えていない。彼等は、認識は生活に必要なものであり、また実験が自然認識において重要な意義を持つことを認めている。それにも拘わらず、彼等にあってはそれは一般的な見解 となるに到らず、彼等は概して云えば認識主観と実践の主観 とを弁証法的統一において捉え得なかった。自然に働きかける人間の活動、労働、産業こそが、自然を認識する思惟の働きの基礎であり、認識活動を規定するものであることを理解しなかった。生活、実践を認識論の出発点と見たフォイエルバッハはフランスの唯物論者よりは一歩前進していたとはいえ、その生活、実践は彼にあっては歴史的に捉えられなかったために、彼は認識の過程を、この過程における実践の役割を、具体的に解明 するに到らず、それ故認識論における実践の規準は彼にあってはフラーゼ[月並みな言葉、ありきたりな文句]たるに止まった。加藤氏の云われるような、人間は活動的なものだという旧唯物論の「人間観」は、未だ決して認識論における実践の規準の理解ではなく、認識主観 を活動的人間、人間的活動として捉えることを意味しない。 エンゲルスが(「フォイエルバッハ論」)、不可知論の反駁、即ち思惟の現実性の証明としての実践、即ち実験と産業について語るに当って、不可知論の反駁のために決定的なことは観念論において可能な限りではヘーゲルによって語られ、フォイエルバッハがそれに付加した唯物論的なものは「深刻というよりも機知的」なものだと云ったのは、正に弁証法的唯物論においてこそ真理の規準としての実践は明確に、正当に理解されていることを指したものと云える。「哲学ノート」のヘーゲル論理学の部分には、「生命 を論理学に包括させる」ヘーゲルの思想は「天才的」だと書かれている。またそこには「実践はヘーゲルにあっては認識過程の分析の中に一環として位し、正に客観的真理への移行として位している。従って、マルクスは、認識論に実践の規準を導入するとき、直截にヘーゲルに加担している。フォイエルバッハに関するテーゼを参照せよ」とも書かれている。 マルクス自身についていえば、彼はすでに「神聖家族」への下書き(「経済学的=哲学的草稿」として全集版に発表されたもの)の中で、「主観主義と客観主義、唯心論と唯物論」の対立は「社会的状態」において初めて撤廃され、「理論的対立の解決すらたゞ実践的な 仕方でのみ、たゞ人間の実践的エネルギーによってのみ、可能であり」、「それ故その解決は決して単に認識の課題でなく、現実的な 生活の課題である」こと、然るに従来の「哲学 はこの課題を単に理論的課題としてのみ捉えたが故に、これを解決し得なかった」ことを述べている。 このようにして、理論的課題に最後の決着を与えるものは実践であり、実践による検証、証明であるという思想、真理の規準としての実践 という観念は、観念論において可能な範囲ではヘーゲルによって、そして唯物論において徹底的にはマルクス、エンゲルスによって初めて持ち込まれたものである。と、少なくとも現代唯物論のクラシケル[典型的な人、巨匠]達は認めている。真理の規準としての実践に関する命題の真の意義は、加藤氏の云う如く「認識の対象が実践によって支えられている」(第四十二号百五十一頁)ということではなくて、先行する実践の成果として得られた認識――自然の連関についての意識――が、新しい実践によって新たに開披された自然の連関との対比によって確証、是正されるということであり、実践から独立な自然の連関が実践を通して人間の意識に上ってくる ということである。人間の実践によって創造される歴史の認識においても、既得の認識を歴史的現実について検証する実践を通して意識に向って現れる現実の連関は、その実践以前に、それから独立に(以前の実践によって造り出されて)存在しているものであって、この新たな、検証する実践によって対象に加えられた変化は、その後から認識されることになる。認識論における実践の規準ということはとりも直さず理論に対する実践の優位 であり、実践への理論の従属の承認である。 3 同時に、真理の規準としての実践の承認は、活動する人間、人間的活動と認識主観とを同一性において捉える ことであり、生活し、行動する全人間 から認識主観を分離させないことであり、人間の一部分(思惟、知的能力)のみ を認識主観としないことである。蓋(けだ)し、人間の認識の現実性、真理性の証明としての実践は、単なる思惟、知的活動、理論より以上のもの であり、実践は人間の生存の事実そのものだからである。ところで唯物史観によれば、人間一般は存在せず、人間は歴史的なものであり、自身の対象的活動を通して歴史的に自身を変化せしめるものであって、階層分化に立脚する社会においては人間は階級人である。つまり認識主観はクラッセンハフト[階級的]な本質を有している。それは、人間の活動がクラッセンハフトであり、社会的アンタゴニズム[対立・敵対関係]をもって貫かれていることの中に表現される。 人間の実践には自然への働きかけと人間相互の働きかけがあり、両者が互いに浸透し合っているということは、労働、生産はつねに一定の生産関係の下でのみ営まれるという事実によって明々白々である。だから、クラッセン・カムプ[階級闘争]の如き、人間対人間の行為が真理の規準としての実践とは別物であって、後者は専ら 労働、対自然活動であり、少なくも自然認識に関する限りでは全く そうである、抔(など)と考えるのは明かに誤謬である。 そこで、実践による認識の規定の種々の契機に一応立ち入ってみる必要がある。 第一に、人間は実践において対象との交互作用に入り、認識の対象、材料は実践によって与えられる。その場合、どれだけの対象範囲が認識の対象として人間の眼前にもたらされるかは、基本的には社会の物質的生産力の水準 によって規定される。 だが第二に、生産力はつねに一定の生産関係の下で運動するものであるから、生産力を支配する階級の利益は生産に、生産力の運動に、影響し、そのことによって多かれ少なかれ認識材料の範囲の広狭浅深に影響せざるを得ない。これを材料を受取る主観の側から云えば、個々の主観は、その時代の生産力の状態によって認識の材料たらしめられ得る全対象範囲を、自己の研究対象とするのではないし、またそうすることは不可能であって、研究家はつねに対象の制限、材料の選択を余儀なくされる。そしてかゝる制限、選択は必ずやあれこれの階級的利益によって制約される。特に社会科学の場合においては、学者が自己の階級的利害感のために、一定の現象、事象に対して眼を閉じることすら稀でない。 次に、第三に、このようにして受取られた材料は、その在るがまゝの姿において意識に反映するかというに、必ずしも そうではない。もちろん、感官の構造から、客観的実在の意識への適応的反映を否定したり、先天的な直観形式や範疇を想定して模写論を否定するのは、不可知論乃至(ないし)観念論であって、唯物論とは無縁である。だが意識は受動的な鏡ではなく、一連のジッグザッグを経て客観の認識に到達するものである。直観的に獲得された表象を科学的概念に仕上げる思惟 は、その機能の故に出来るだけ生活上の利害関係や人間の願望から独立して、客観をその在るがまゝに捉えようとする要求を持つとは云いながら、決してかような生活上の願望や利害感から全然解放されているという意味で「純粋」なものではあり得ない。認識主観そのものは生活し、互いに抗争する社会的人間であり、階級人だからである。それで、例えば、如何なる科学的思惟も決してそれなしには済ませないところの想像、空想 の中には、すでに主観的なもの――それはつねに客観と不一致だとは限らない が、――が入り込み、願望や階級本能によって制約された観念が入り込む。吾々は自己の認識の精密性を誇る物理学者達が、如何に理論的問題において宗教的空想に捕われているかの多くの例を知っている。 「個々の物に対する精神(人間)の態度、それの模写(=概念)の取得は、単純な、直接的な鏡の様に死んだ作用ではなくて、複雑な、分裂した、ジッグザッグ様のものであって、生活からの空想(ファンタジー)の飛翔の可能性を、そればかりでなく、抽象的概念、観念の、空想 (結局において神)への転化 (しかも目立たない、人間によって意識されていない転化)の可能性を、自らの中に包含している 。何故なら、最も単純な概括、最も原初的な一般的観念(「机」一般)の中にも、空想 の一定の断片がある からである。(反対に、最も厳密な科学においても空想の役割を否定するのは馬鹿げている。労作への 刺衝としての、有益な空想と空虚な空想性とに関するピーサレフの言を参照せよ)」。これは「哲学ノート」における重要な思想の一つである。そこでは、抽象、概括、概念形成の中にはすでに空想の契機があることが語られている。科学的認識の方法論=論理学が、またその適用が、空想から全然独立であって、その中には人間の社会的存在、社会的アンタゴニズム[対立・敵対関係]、アンタゴニスティッシュ[対立的・敵対的]な利害が、すこしも反映していないと考えることは、認識主観をカント主義的意味の「純粋思惟」、又はヘーゲル的理念と見做(な)す場合か、乃至は認識主観を実践の主観から、生活する人間から切離し、認識を実践から切離す場合にのみ可能である。だから例えばエンゲルスは、現象と本質、原因と結果とを切離す形而上学的論理を「ブルジョア的常識の融通のきかぬ馬車馬」と呼び、このような方法論のブルジョア的階級性を指摘している(「資本論」についての評論)。 最後に、第四に、かようにして仕上げられた認識の真理性を最後的に検証する実践も、もちろん、認識の主観的被制約性を全然排除し得るものではなく、客観的真理を完全に 齎(もた)らし得るものではない。「実践の規準は事態の本質そのものからいって、決して如何なる人間の表象をも完全には 確証又は論駁し得ないものだということを忘るべきではない。この規準もまた、人間の知識が『絶対者』に転化するのを許さない程度に『不確定的』であり、同時に観念論や不可知論のすべての亜種との無慈悲な闘争を行う程度には確定的である」(「唯物論と経験批判論」、第二章第六節)。実践の規準は、人間の認識が人間から独立な客観的真理を内容とするものであることを確定的に証明すると共に、この客観的真理は各々の歴史的段階においてつねに「不確定」に認識されること、即ち人間の認識は相対的真理であることを指示する。認識のこの想定性、不確定性の範囲は、技術や産業の進歩につれて次第に縮小され、認識は次第に絶対的真理に近迫する。だが各々の一定の歴史的段階においては実践による認識の真理性の検証における何らかの程度の「不確定性」はつねに残存する。そしてこの「不確定性」の範囲こそは空想 の住み家であり、往々にして反科学的な科学的仮設 の拠り所である。客観的な、精密な実験による検証を特色とする自然科学においても、非常に屡々(しばしば)宗教と妥協する仮説が打ち建てられるのは、実はこの実験による検証そのものの歴史的に制約された限界、不確定性によるのである。だから実践による検証は、何ら認識のクラッセンハフト[階級的]な性質を除去するものではない。特に社会科学にあっては、検証する実践それ自身がすでに人間対人間の活動であり、(※@下線部は後に追加→)直接に階級性あるものであるから、このことは一層全面的に妥当する。 勿論、空想はつねに 反科学的なのではない。それは、事情によっては、科学的発見の契機ともなることができるし、一般に客観的真理の隠蔽や歪曲に些少の利益をも持たない人々の動向によって導かれる場合には認識の科学性と協同する、ということを銘記しなければならない。単に、実際生活上の利害や動向を直接に反映させ得る空想又は想像のみでなく、また一般に実際生活、実践そのものについてもそれと同じことが確認される。実践は事情の如何に応じて、単に科学の進歩の推進力たるのみでなく、また逆にその桎梏(しっこく)ともなり得る。それで、如何なる実践、実践的利害が科学進歩の桎梏となるかは、実践する階級的主観が置き込まれている歴史的地位に依存する。例えばブルジョアジーの歴史的地位によって規定される彼等の立場、利害、実践が、如何に科学的経済学の仕上げを不可能ならしめたかをマルクスは再三語り、また如何にその世界観を歴史の領域において観念論的ならしめたか、プロレタリアートの台頭と共に宗教に転向せしめたかをエンゲルスは語っている。 弁証法的唯物論が、認識における一切のブルジョア的制限を止揚し、客観的真理への途上における歴史的に生成せる主観的障害物を悉(ことごと)く清掃しているとしても、そのことは決してこの哲学が社会的存在による被規定性から解放され、「主体性の規定」を何ら含有しないということを意味しない。却(かえ)って、この事実はプロレタリアートの歴史的地位、その社会的立場から説明されなければならない。彼等の世界観が認識の科学性に対するマイナスという意味の、乃至は客観的真理を歪曲する条件という意味の「主体性の規定」を持たないということは、それ自身彼等の「主体性の規定」の然らしむるところだということを考慮すべきである。何故にプロレタリアートの歴史的地位、その生活、実践は現実の徹底的な科学的認識に利益を持たしめるかということは、それ自身重要なテーマを成すものであるが、一言にしてこれを云えば次の点に帰着するであろう。 第一に、その歴史的地位の故に、彼等は現存レジーム[政治体制]からの自己の解放を欲し、それに対して否定的、批判的となる。 第二に、この解放の可能性は、現代社会そのものの発展に伴う彼等自身の成長の中に与えられており、従ってその実現は専ら彼等自身の力に依存する。 第三に、彼等は、彼等の下から解放さるべき社会要素を自らの下に有せず、従って自己を解放すると共に人間による人間への加圧の一切の形態、条件を清算する。 ここにあげた第一の点は、奴隷や農奴にも、また或る程度迄は封建制下のブルジョアジーにも共通である。だが奴隷や農奴は、専ら 自身の力によって解放され得るものでもなく、また彼等が奴隷乃至農奴たることを止めた新しい社会的関係の下でも彼等の圧倒的多数は依然として被収取者であった。だから彼等は神や天国に救済を求める傾向を脱し得なかった。封建制と戦うブルジョアジーは新しい秩序の「主人」となるべき地位にあったとはいえ、この闘争において彼等は農奴的農民や都市労働者の物質的力を動員せねばならず、他面においては封建制に対する反対という意味では農民や労働者の利益をブルジョアジーは或る程度迄代表したが故に、また同時にブルジョア的関係は商品生産の発達と共に封建制下で或る限度迄は自生的 に、生長したが故に、彼等は「国民」、永久真理、不変的人権、「自然的」(ブルジョア的関係は自生的に生長したが故に「自然的」と見做された)秩序の名において封建制を批判したに止まり、社会発展の客観的合法則性の把握を自己の闘争の不可欠な条件に持たなかった。また彼等は新しい秩序の「主人」となるや、プロレタリアートの意識の生長、その科学的な社会認識の形成、強化に対して備える必要に迫られた。つまり、右にあげた第二および第三の点で、ブルジョアジーはプロレタリアートと相異し、これらの相異は前者における形而上学的世界観、宗教性を制約し、後者における科学的世界観を制約する。(※A下線部は後に補足→)プロレタリアートは「全体としての社会発展の担い手、近代社会の矛盾の解決者たるべき歴史的条件の下に置かれていて、彼等の階級的利益は社会発展の利益と合致し、しかも資本主義の胎内にウクラード [経済制度]として自生的に発育し得ない生産関係の造出 がこの社会発展の客観的帰結、客観的目標であり、同時に彼等自身の階級的動向の帰するところであるから、ここでは歴史の法則、社会の発展傾向、……に関するあくまで科学的な、全面的な認識が必然的に要求される」(永田広志「唯物史観講話」三六四頁、傍点は筆者)。もちろん、プロレタリアートの世界観が仕上げられるには、そのためのイデオロギー的条件(哲学、社会科学等々における従前の達成)も不可欠である。しかしそうしたイデオロギー的条件から正にプロレタリアートの世界観が形成されたということは、後者の歴史的地位の然らしむるところであり、もし彼等の動向、願望、利益がそれを要求しないならば、決してそうした科学的世界観は仕上げられなかったであろう。彼等のソシャリスチックな「傾向性」こそは、その認識の科学性を保証する主体的条件、「主体性の規定」なのである。 これに反し、現代のブルジョアジーが宗教性、神秘主義、主観主義、非合理主義等々を特徴とする反科学的世界観、歪曲された科学を持っているとすれば、それは現代における彼等の生存の社会的条件、彼等の階級的利害の中に、その歴史的、社会的根源を有している。 このようにして、認識過程における実践の役割の唯物弁証法的理解は、認識、科学、世界観のクラッセンハフト[階級的]な性質に関する観念を、認識主観としての階級に関する観念との不可分な連関において包含する。そして認識主観が階級であり、階級的人間であるということは、各々の階級は客観的真理を把握し得ないということではなくて、各々の階級は自己の実践的必要、利害が要求する限度内において客観的真理を把握するということであり、種々の階級の相異った実践的必要はそれらの階級の世界観、認識体系の相異を制約するということである。このことは、もちろん、加藤氏が曲解する如く「認識における方法の優位」(第四十三号一二一頁)という主観主義的見解を正当化するものではない。認識が人間の意識への客観的真理の反映であるとすれば、認識において優位を持つものは正に実践を媒介として意識に齎(もた)らされる客観的実在であり、その直接の反映 であって、思惟方法 、方法論は謂わば規制的なものとして、この直接の反映の理論的仕上げの際に役割を演じるものである。だから、認識の階級性ということは、認識はすべてあれこれの階級の自意識だということではなく、各々の階級には謂わば先天的な固有な思惟範疇があり、この範疇の鋳型によって客観的実在とは全く似ていない認識が構成されるということではなくて、認識がその直接性から次第に媒介を経て概括(一般性)されて行く過程において、想像力が役割を演じ、それがために社会的アンタゴニズム[対立・敵対関係]がそこに反映するということである。もし「方法(思惟方法)の優位」が云為(うんい)されるとすれば、それは認識における 優位を意味するのではなくて、思惟方法は相異った階級の認識体系を相異せしめる 契機 となるということを意味するものに外ならない。ところで種々の階級間における認識体系の相異は相対的であり、これに反しそれらの認識が客観的真理の大なり小なり近似的な反映であるということは絶対的である 。換言すれば、思惟方法は、客観的真理が人間の意識に与えられるという絶対的な事実の基礎の上で、相対的な意義を持つのみである。模写論から出発して理論のパルタイリヒカイト[党派性]を結論した唯物論は正にこのように主張したのであり、そしてこの点でボグダーノフ主義、三木哲学、ルカッチ主義等々と根本的に相異する(この相異は唯物論と観念論の相異だ)。然るに加藤氏がパルタイリヒカイトの論者における「方法の優位」を断定するとき、この相異は見落されている。 4 翻(ひるがえ)って、認識論における実践の契機についての加藤氏の見解を吟味するならば、それは次の如く要約される。 「一、人間の科学的意識は対象的真理の人間意識への漸次的反映」であること、「二、この反映は人類の実践の肯定の中でそれに媒介されて合理化し、深化して行くこと、三、対象的真理を人類の意識に媒介する実践は、その総体において歴史的社会生活の全諸関係を形成し、後者はそれ自身また対象的真理として把握さるべきこと、四、人類の科学的意識は、対象的過程について実証された現実的連関を自己の中に包摂することによってのみ 発展すること」(第四十三号一二一=一二二頁)。 この第四の命題が、次のような意味に、即ち、科学的意識は実践によって検証されつつ物の客観的連関をますます広く深く捉えて行く事によってのみ発展する、という意味に解釈されるとすれば、加藤氏の以上の四つの命題に対しては如何なる唯物論者も同意するに違いない。だがこのことは決して以上の命題において認識論における実践の意義が充分に正しく把握されている――加藤氏の云うように――ということを意味しない。現代唯物論は、そこから一歩進んで、階級の存在する社会においては人間の実践はクラッセンハフト[階級的]であり、このことの基礎の上で認識もまたクラッセンハフトたらざるを得ないと考える。然るにこれこそは正に加藤氏の否認するところである。 加藤氏にあっては、認識の過程において、特に真理の規準として、人間への人間の働きかけは何の意味も有せず、実践によって確証された認識の内容には社会的、階級的利害は反映しないらしい。氏が認識の歴史的被制約性を認めるのは、ひとえに「認識さるべき対象、……の全体が、人間の実践の発展段階に応じて限定されている」という意味においてであって、更にその上に 、この人間実践における社会的アンタゴニズム[対立・敵対関係]が認識に反映し、その内容を制約するという意味においてでは断じてない。云いかえれば、生産関係を抜きにして取上げられた抽象的な生産力が、認識を規定するものとして認められているのであって、生産関係におけるアンタゴニズムは認識に対して内的関係を有しないと見做(な)される。加藤氏は、実践は「その総体において歴史的社会生活の全諸関係を形成」するものだと云いながら、この「全諸関係」が一定の歴史的時代においては人間間のアンタゴニズムをもって一貫され、そのことが認識に深く影響するということは認めまいと努力する。 氏のかような見解は、第一に、認識論において役割を演じる限りの実践は超階級的なもの、社会的アンタゴニズムを超越したものであり、第二に、それに関連して認識の主観は「純粋思惟」であるという主張の中に表現されている。 まず第一の点についていえば、加藤氏は明白に「客観的実在への働きかけにおいてのみ実践を語る限りは人類の実践一般(『人類生活のあらゆる形態から独立』せる労働行程)を語っているのだ」(第四十三号一二七頁)とか、「この哲学的認識の立場はただ全体としての人類実践の史的制約だけを現実的 制約として知るのみである」(同上一二八頁)とか、「人類の全実践の現実的経験が、認識の基礎」である(同上一二三頁)と断定し、人類生活の一定の歴史的形態が、かゝる形態の下におけるアンタゴニズムが「科学的認識」の「現実的制約」となることを否認している。 つまり、氏にあっては、人間の自然への働きかけのみが認識の現実的な「史的制約」であって、人間の人間への働きかけ、社会への働きかけ、クラッセン・カムプ[階級闘争]の如きはもはやそうしたものではない。ところで人間は自然に対しては全社会 として働きかけるのであって、例えばブルジョアジーとプロレタリアートは別々に 自然に働きかけるのではなく、この両者は自然への働きかけの主体たる社会の内部における分裂に外ならないから、この社会内部の分裂は認識の「史的制約」となるものではないと認定する加藤氏は、プロレタリアートの理論の科学性をこの彼等の実践との連関において考察する見地を主観主義と考えることになる。例えばプロレタリアートの理論は、その基礎となる実践がブルジョア的実践よりも全面的 であるが故に、より科学的であり得る、と主張するのは、氏によれば「人類の全実践の現実的経験が、認識の基礎となっていないで、未来の生産力 の高度な育成の担当者として期待される階層の実践という限定された実践が認識の基礎になっていることを意味する。現在よりも『広い』将来の現実 (つまり現実的でないもの)が認識の理念となっていることを意味する。」即ち「対象的現実としての人間実践およびその成果を認識の基礎とする際、その全面的な占有を主観の意識の内部から限定する先験的規定」、――或は、「認識主観に内在して、思惟の対象の構成部分をなしていない実践、対象に臨むことは知っているが、対象の規定の下に自己を執(とら)えることのできない『社会的自我』――が、認識の制約として構想されていることを意味する(第四十三号一二三=一二四頁)。 なる程、自然への人間の働きかけの主体は、一般的、抽象的には全社会 であると云うことができる。だが具体的には社会は歴史的に異った構成を有し、そして構成上のかゝる歴史的相異は人間対人間の関係の総体の相異として表現される。云いかえれば、社会の内部的なアンタゴニズム[対立・敵対関係]の種々の形態が種々の社会構成を特徴づける。こうした歴史的に互いに相異する構成の枠内でのみ自然に対する活動、労働は行われるのであるから、労働の形態や組織には、即ち自然への人間の働きかけの仕方には、社会的アンタゴニズムが反映する。だからアンタゴニズムに立脚する社会においては、抽象的には全社会が労働の主体と云い得るとしても、具体的に見れば労働――物質的生産としての――から遊離した寄食的分子のグループが存在する。大なる奴隷主、農奴主およびそのイデオローグの如きがそれであり、そして物質的労働からの精神的労働のこの分離が観念論の発生の一般的な 歴史的条件であることは「ドイツ・イデオロギー」においてすでに明白に指示されている。(ここに、「大なる」奴隷主、農奴主というのは、一人、二人の奴隷や農奴を持った所で、労働から遊離することはできないからである)。プルジョアジーもまた、独占資本主義の段階、金融資本のヘゲモニーの確立の段階においては、寄食的性質を帯びることは「資本主義最高段階としての帝国主義」の中で詳論されているところである。この段階においてはブルジョアジーにとっては利札切りが第一の生活条件となり、生産の指導はその代理人に委託され、かくてブルジョアジーはますます労働から遊離し、また彼等のトラストやカルテルは自己の利益のために生産を短縮したり、新しい技術的発明、科学的発見を封じたりして、社会の現存生産力によって可能ならしめられている対自然活動を全幅的、全面的に展開することをやめる。このようにして自然への働きかけは歴史的に異った形態をとると共に、アンタゴニズム[対立・敵対関係]によって貫かれた社会構成においては、特にその下向的発展期には、つねに労働する者と寄食者とが存在し、そして富と権力と閑暇とを独占しているが故に精神文化の生産を支配する寄食者群の寄食的生活、実践は同時にこの精神文化、イデオロギーに退廃的、反科学的色彩を賦与する。現代のブルジョア科学における退廃的傾向や、反技術主義の如きは、こういう事情との連関を抜きにしては説明され得ない。 プロレタリアートについていえば、彼等は資本主義の下では資本家に雇用されることによってのみ自然に働きかけていると云うことはできない。だが労働によって生活する彼等は、(※B下線部は後に脱落補入→)一般に資本主義のあらゆるファーゼ[段階]を通じて被収取者として加圧されるばかりでなく、特に下向的発展のファーゼにあるブルジョアジーによって指令される、自然への働きかけの偏狭化――生産力の水準に比較しての――のために最も悩まされる階級であり(※C後に下線部のように訂正→)乃至奇形化(例えば大衆の消費を目当てにせぬ軍需工業の異常な繁栄の如き)のためにたえがたく、従って彼等はブルジョア的生産に対する批判者となり、またかゝる生産の基礎の上に立つブルジョア自然科学に対してさえも批判的となり得る。彼等は自然科学への宗教的世界観や神秘主義の導入には何等の利益を有せず、従って彼等の自然観 は、資本主義下では未だブルジョア自然科学と肩を並べる迄に具体化 されないとしても、後者よりも一層科学的 であり得るし、現にそうである。 このように、自然認識において現代ブルジョアジーが退廃的傾向を示していることは、生産力の現発展水準に比しての、彼等の利益が設定する対自然活動(生産)の限界の狭隘化の事実と密接に結びついているし、プロレタリアートの自然観の科学性は、彼等の現代の対自然活動がより全面的であるということ(加藤氏も云うように、これは未来のことだ)からでなく、彼等がブルジョア的生産の頽廃(※D後に下線部のように訂正→)局限性に対する批判者であるということから帰結される。つまり自然への働きかけの主体は全社会、全人類である、と抽象的に規定することではなくて、この働きかけにおける種々の階級の歴史的に特殊な地位、生活条件を具体的に確認することが、初めて自然認識の基礎に横(よこた)わる実践の意義を明確ならしめる。即ち、人間への人間の働きかけ、人間関係を外にして、自然へのその働きかけを抽象的に取りだし、それだけを認識発展の基礎とする加藤氏的見解は一面的、形而上学的であって、認識の歴史を適応的に解明することができない。 加藤氏にとって更に都合悪いことは、人間関係が認識の対象となる社会科学においては、認識過程の槓杆(こうかん)たる実践、――クラッセン・カムプ[階級闘争]――が、プロレタリアートの側にあっては、社会発展の客観的傾向を代表し、この発展に対してブルジョアジーよりもよりラジカルに、より根底的に 作用するということである。全社会の発展傾向を代表し、それに合致するが故に、それをより根底的に揺り動かす彼等の活動は、ブルジョア科学よりもより根底的な、深い、全面的な社会認識を要求し、可能ならしめ、産出する。だからプロレタリアートの世界観が最初に社会認識(およびそれとの不可分な連関において、その方法論としての哲学)の領域において確立され、ブルジョア社会科学(および哲学)と並んで、それに対する優位をさえ示しながら、具体的に展開されてきたことは、決して偶然でない。ところで、社会観や哲学は自然観と交互に影響して、統一的な世界観が形成されるのであるから、現代社会においては正に二つの対向する科学、二つの世界観が存在するのである。 こういう見解が加藤氏の曲解する如く、認識対象たり得ない「社会的自我」だの、「将来の現実」だのから現代唯物論の世界観の優位性を演繹するものでないことは、もはや自明であろう。この優位性が、現在の現実の中に、プロレタリアートの現在の生活の中にその社会的基礎を持っているということは、もはやこれ以上の説明を要しないと思う。 加藤氏の欠陥は、人間への人間の働きかけを、認識論にとって無縁なものとして無視した点にある。氏の論理からは、ブルジョア的世界観と唯物弁証法的世界観について、後者をより論理的に上位の段階にあるものと規定することはできても、何故に前者は正にブルジョアジーが固執し、後者はプロレタリアートによって受容されるかは説明され得ない。加藤氏は、こういう事実の説明は史的唯物論の仕事たるに止まり、認識論にとって無関係だと考えるだろうか? だが認識の歴史的発展におけるこの一大事実を解明しないような認識論は科学性を持ち得ず、科学の不偏不党性に関するブルジョア的観念に奉仕するものにすぎない。 もちろん、吾々は加藤氏がこうしたブルジョア的観念に加勢しようと意図しているとは思わない。却(かえ)って、氏にあっては、弁証法的唯物論の理論的優位、その客観的真理性を強調し、それは何らかの主観的制限によって制限されたものであるという見解に対して、その客観的真実性を擁護しようとする良き意図が現代唯物論の内容をプロレタリアートの実践的利害に結びつける「傾向性」の排除へと氏を脱線せしめた所以(ゆえん)のものである。だから氏は、現代唯物論が事物の徹底的に客観的な把握を特徴とし、人類の経験の総体をかゝる客観的把握に付すと共に、またプロレタリアートの活動そのものをも客観的認識の対象たらしめる科学的な哲学であることを、くり返し強調している。これは吾々も強調することであり、吾々といえども現代唯物論が客観的真理を原理的に歪曲する主観的要素に結びついているとか、全人類史から切離されたプロレタリアートの経験だけの分析を事とするとか、実践は理論の対象たり得ない或る剰余を有するという意味で理論「より以上」のものだとか主張しているのではない。ただプロレタリアートの実践は、人類の全経験の分析に当っても、プロレタリアートの実践そのものの分析に当っても、顧慮するところなき率直な科学性を可能ならしめ、且つ要求するものだという迄である。そして科学性を要求するこの実践がそれ自身また理論の対象であることは、吾々がそれについてかくも云為している限り、自明の前提である。要するに加藤氏は、認識主観としてのプロレタリアートの歴史的地位から帰結されるその「主観性の規定」を、彼等の理論の客観的真理性の保証と見做(な)す代りに、あらゆる客観的真理性は「主体の規定」と両立せず、「一定の社会グループの見地」から過程を「評価」することは原理的に 認識の客観性と両立し得ないと断定することによって、その主観的意図とは反対に、科学の不偏不党性のブルジョア的観念を客観的には弁明することになったのである。(以下次号) 〔以下「唯物論研究」54 (1937.4)掲載〕 5 認識過程の基礎となる実践から人間相互の働きかけを除外し、認識主観のクラッセンハフト[階級的]な性質を否定するならば、この主観は生活上の利害や動向から独立という意味の「純粋な」、エーテル的なもの、思惟一般、意識一般へと蒸留されることは当然である。だから河東氏は、認識主観を生ける社会的人間(氏のいわゆる「主体」)から切離された「純粋思惟」、「理論的(謂わば純粋)思惟としての意識」として規定する(第四九号八八頁、八九頁)。そこで、人間の社会生活はもちろん、感情や意志も認識主観の圏外に斥(しりぞ)けられ、「主観」にとって外的なものと規定されている。 もちろん、人間の意識への対象の反映としての認識は、思惟の形態において最も典型的に与えられる。そして思惟は、対象をその客観的連関において捉えようとする動向を特徴とし、それに関連して客観的真理を大なり小なりの程度に自らの内容に持つ。そういう意味では思惟は「純粋」であり得る。(河東氏も言葉の上では「純粋思惟」のかような意味を承認はしている)。エンゲルスの云った「純粋思惟」とは、正にかゝる意味のものである。だがこのことは「純粋思惟」のみ が認識主観であることを意味せず、「純粋思惟」が人間相互の社会的関係によって制約され、生ける人間実践、生ける人間=主体の機能として、それによって制約されることを排除しない。即ち、そのことは、認識主観を生ける全人間として、又はこの全人間との統一において、考察する必要を排除しない。然るに河東氏にあっては「純粋思惟」は「主体性の規定」を有せず、ただ「認識さるべき対象が……人間実践の発展段階に応じて限定されている」(第四三号一二二頁)ことによって、云いかえれば認識され得る対象範囲、材料が生産力の水準に応じて限定されていることによってのみ歴史的に制約されるものにすぎず、すでに説明したように、その歴史的被制約性は正に「純粋思惟」の内容が社会的関係、人間間のアンタゴニズム[対立・敵対関係]によって制約される点にあるということは否定され、従って「純粋思惟」はこゝでは人間の社会生活の利害や動向に対して不偏不党という意味で、カント主義的意味で「純粋」なものとならざるをえない。 元来、思惟又は知的能力を認識主観とする見解は、古代において、真理の問題、認識の客観性の問題が提起されたときから、それに対する解答としてあらわれたのであって(ソクラテス=プラトン)、知的能力以外の契機が認識過程に内在 し、認識主観の構成要素となるという見解は、近代になって初めて明確に提起された。十七=十八世紀の経験論者と唯物論者は実験、経験の認識論的意義を明確ならしめ、ヘーゲルは観念論的に、自意識の労働として理解された人間活動を認識論に導入し、かゝる活動の主体を認識主観として理解し、またいわゆる心理主義者は意志や感情が認識に及ぼす影響を確認した(だが心理主義者は、模写論の見地の欠如の故に、真理の問題において相対論の暗礁に乗り上げた)。フォイエルバッハは、人間の欲求、生活を認識論に入れ込み、欲求し、生活する人間を認識主観として捉え、最後に唯物史観は、人間の欲望、生活、動向が社会的、歴史的に制約されることを明白ならしめ、認識主観を社会的、歴史的人間、階級的人間として捉えるところ迄到達した。現代唯物論の認識論は、正に唯物史観によって確立されたこの人間観から出発するのである。 もちろん、現代唯物論の認識論は、人類学でも、唯物史観でも、一般に社会科学でもなく、また心理学でもないから、それは生ける人間の全面的研究に従事するものではない。それはやはり、エンゲルス的意味の「純粋思惟」の方面を研究の中心テーマとするものである。だが「純粋思惟」は生ける人間の機能である限り、それはこの人間の全実践との連関の下に、後者との統一において考究されなければならない。そうして初めて、「純粋思惟」の基礎に横(よこた)わり、それを制約する社会的関係、全人間活動の意義は把握され得る。 ところで認識主観を社会的人間と見做(な)し(このことはもちろん、主観が自己自らをも理論の対象となしうることを排除しない。主観と客観の差別もまた相対的である)、思惟をその機能として考察するに当っては、唯物史観の土台の上で、人類の認識の発達史 を究明すると共に、個々の人間の意識内において思惟が機能する場合の心理過程 を究明することが必要となる。認識主観が単に「純粋思惟」に還元されるものでなく、人間の全動向が、従って感情や意志も認識過程において役割を演じる以上、認識論は心理学なしには済ませない 。先きに言及した空想、想像の役割の如きは、外ならぬ心理学的研究によって具体的に解明さるべきものである。認識の心理的過程 からみて空想乃至想像と呼ばれる要因は、人々の歴史的に形成された世界観 が、よってもって認識の新たな創造活動に介入するところの心理的の形式、条件であると云うことができる。というのは、感性的表象を科学的認識に仕上げる場合に、これらの表象を既得の世界観又は方法論の下に包摂する思惟の働きは、想像(又は「構想力」と云ってもよいだろう)の契機を包含するからである。そしてすでに述べたように、この契機を通して人間の実践上の利害や動向が認識内容に反映し得るのであるから、認識過程の心理学的研究は生ける人間=主体、その全動向が認識の形成を制約する過程を解明する。(心理主義は、この場合、第一に、認識が客観の模写であることを無視することによって、第二に、認識を制約する主観的=心理的要素を人間の社会生活の産物として捉えないことによって、主意論、情意主義に転落する)。 然るに加藤=河東氏の所論を一貫しているものは、人間活動、主体もまた認識の対象として客観的に分析されなければならない(このことに吾々が反対しているかの如く加藤氏が誣(し)いるのは不当である)という主張だけ であり、感情や意志は正しい認識に媒介されてより客観性を獲得するという主張だけ であって、その反面の真理――即ち生ける人間の活動、動向、願望が「純粋思惟」の働きに介入し、認識過程に内在し、認識の内容に社会的アンタゴニズム[対立・敵対関係](かゝるものが存在する限り)を反映せしめ、人間の情意が思惟と絡み合い、思惟に作用し、そして情意はその性質の如何によって認識の推進の契機ともなれば逆行の契機、桎梏(しっこく)ともなるという真理――の承認は観念論として斥(しりぞ)けられ、従って「純粋思惟」と意志や感情との間の交互作用 の研究、人間の全生活、全動向が「純粋思惟」に及ぼす作用の究明、一口にいえば認識の心理的過程 の究明――階級本能までも考慮に入れての――の仕事は、認識論にとって無用なものとされる。 そこで「純粋思惟」は、人間の生ける生活や、それによって規定される階級心理との連関において考究される必要はないことになる。だから加藤氏が認識論に対する史的唯物論の「貢献」を認め、人間活動の認識に対する意義を認めるとしても、それは単にこの活動が「純粋思惟」の外部で 、認識に対して対象を「確立」するという意味においてであって、「純粋思惟」の働きそのものに影響し、認識過程の内在的契機となるという意味においてでないことは云う迄もない。そうだとすれば、この場合、「純粋思惟」の研究が、認識論的研究が、論理主義的 傾向を帯びることは自明である。この論理主義は、加藤氏にあっては、氏自身の強調する模写論 から外れた観念論にまで到達する。 「哲学の対象は、一般に誤解されている如く、全体としての世界の一般法則などではない。哲学は、科学からその内容を捨象したあとに残る規定、科学の形式、純粋思惟の規定を対象とする」(第四三号一二六頁)。 「科学は実在世界を認識する。哲学にもし研究すべき対象が残っているなら実在世界でなく、それを認識する科学そのものが対象である。実在の運動法則を研究するのが科学であり、科学の運動法則即思惟または人間頭脳の全運動の法則を研究するのが哲学(論理学弁証法)であり別名認識論である」(「唯研ニュース第六四号)。 こゝで加藤氏が、「人間頭脳の全運動の法則」の研究を云為したところで、それも実は生きた人間=主体から分離せしめられた「純粋思惟」の研究に帰着することは、先きの説明によって明かである。ところでこの「純粋思惟の規定」、「科学の形式」、「科学の運動法則」を「世界の一般法則」から、「実在世界の認識」から切離し、それと機械的に区別する点に、観念論、カント的論理主義、模写論の否定、への転落がある。元来、加藤氏にあっては、「主体性の規定」か然らざれば「客観性」、「世界の一般法則」か然らざれば思惟法則、といった風な形而上学的な二者撰一が特徴的であり、これらの対立物を弁証法的統一 において見る観点が欠如していることが特徴的である。それがために、「世界の一般法則」は、一度び把握されるや、思惟の法則、範疇として働くのであり、従って弁証法(認識論、論理学)の対象となる思惟の法則も実質上実在世界の一般法則であり、その模写である(もちろん、模写する働きそのものは思惟に固有であるとはいえ)という模写論が斥けられるのである。然るにエンゲルスは弁証法を規定して、「外界並びに人間思惟の運動の一般法則に関する科学」なりとし、この二つの法則系列は「表現上」では異るが「実質上」では「同一」だと云っている(模写論に従って。「フォイエルバッハ論」)。同じく「哲学ノート」の著者も、「弁証法は人間の悟性の中にあるのではなく、『理念』の中に、即ち客観的現実の中にある」と云い、「物そのもの、自然そのもの、事象の進行そのものの弁証法」について語り、「論理学は外的な思惟形式に関する学ではなくて、……世界の全具体的内容とその認識との発展の法則に関する学である」と規定している。 加藤氏が、このように、弁証法が世界の一般的運動法則の学であることを否定したために、思惟法則をそれと全く別個のものと断定して(だが例えば対立物の統一の法則、質と量の交互転移の法則、その他の弁証法の法則や範疇が「世界の一般法則」でないとは、加藤氏といえども云わないに違いない)模写論に背反し、カント的=論理主義的「認識批判」の側へ傾斜したのは、世界の連関を思弁的に構成した旧哲学の死滅に関するエンゲルスの命題を、「一つの単純な世界観 」(「反デューリング論」第一篇、第八章)の否定、即ち世界の一般法則の理解としての弁証法の否定、という意味に解釈したからである。こういう解釈において、加藤氏は実証主義の偏向にさえ陥っている。氏は云われる―― 「真理は、真の知識は、たゞ一つしかない――それは実証的経験的な科学である。即ち 唯物論である(第四三号一三四頁)。 「実際、経験的な自然認識としての自然科学の発展を然るがまゝに対象的に分析することを知るものは、エンゲルスと共に、……自然科学の認識方法以外にそれを補足したり、匡正したり、指導 したりする哲学的理念を設定する必要のないことを、承認せねばならない」(同上一三二頁。傍点は筆者)。 「この派の論者(所謂「パ論若」――筆者)は、現実に模写論の立場で遂行されつつある自然および歴史の経験科学を分析しなかった当然の結果として、経験科学の内部にあるものとして論理乃至弁証法を闡明(せんめい)し得ず、哲学としてのそれをこの経験科学の外 あるいは上に設定する」(同上一三二頁。傍点は筆者)。 エンゲルスは、周知のごとく、「独特な科学の科学」(「反デューリン論」、第一篇第八章)、「他の科学の上に位する哲学」、「相対的連関に関する特殊な科学」(同上序説)の死滅について語り、「一つの単純な世界観」としての「現代唯物論」はそうした旧哲学と異って「現実的な諸科学において確証され実証さるべき」ものだと云っている。これが、加藤氏の右に引用した諸命題の援用するとことである。だがエンゲルスは、現実的科学の中から論理的なものを抽出し、概括する代りに、世界の「連関を頭の中で案出」(「フォイエルバッハ論」)し、それを現実的関連に置き代え(このことは現実的連関が不充分にしか明確にされておらなかった時代には不可避的でさえあった)、更にそれを現実的科学の押しつけさえする旧い自然哲学や歴史哲学の死滅を語っているのであって、現実的科学において確証さるべき、従って他面ではそれらの科学から析出され抽出さるべき抽象的、一般的な「単純な世界観」、世界の一般法則の理解、即ち一般的、抽象的規定性における世界の理解、即ち弁証法、が一個の科学、哲学的科学たることを否定しているのではない。ただ(ヘーゲル的な「科学の科学」としての哲学、「他の科学の上に位する」――即ち他の科学から概括される代りに後者に自己を押しつける――科学としての哲学の死滅について語っているだけである。だから彼は唯物論哲学を「実証的経験的な科学」に還元(又はそれと同一視)せず、却(かえ)って哲学を無視する「経験的自然科学」、実証主義が理論の領域において無力であることを再三強調し(例えば加藤氏がその邦訳者であるところの「自然弁証法」を見よ)、経験科学を方法の上で「指導」すべき弁証法の方法論的意義を強調し、単に経験科学のみでなくまた哲学 の発達史の究明が弁証法にとって必要であることを主張した。この場合エンゲルスが自然哲学者や歴史哲学者と異る点は、経験科学の中に、その対象の弁証法的本性の故に、自生的 に貫き、内在している弁証法を、哲学史 における弁証法的研究の成果の批判的摂取に基(もとづ)いての、経験科学の発展そのものの分析によって意識化し理論的に概括するものであるからこそ、理論としての弁証法は方法論的に役立つのだと考えたことであり、思弁的弁証法を経験科学に口授しようとしなかったことである。加藤氏の反対者達が個別的経験科学の概括としての哲学について語ったのも、これと同じ意味、経験科学に内在する弁証法の理論化という意味であって、決して加藤氏の誤解する如く実在世界の連関を「頭の中で案出する」哲学、その案出物をもって経験科学を補足したり匡正したりする哲学について語っているのではない。 加藤氏がエンゲルスを実証主義的に曲解していることはすでに明白である。唯物論は実証科学であるとか、それは経験科学の「外」には成立し得ず、専ら経験科学の内に存在している(だが哲学 の中においては――旧い哲学においても――弁証法は経験科学においてよりも一層意識的に、全面的に展開されたのだ。例えばヘーゲル)という氏の主張は、実証主義であり、本質上では哲学の否定である。それは、エンゲルスの旧哲学死滅説から、「マルクス主義とは科学だ」、故に哲学ではない、と断定したミーニンや」、「マルクス主義者にとっては科学から別個な結論である」と云ったステパーノフの命題を想わせる。ただこの「現代科学の……一般的な結論」が、加藤氏にあっては「実証的経験的な科学」そのものとなっているだけの相異である。 加藤氏のこのような論理主義的および実証主義的逸脱は、「純粋思惟」は単に人間活動、人間そのものを認識するばかりでなく、また実にこの生きた人間によって、人間活動によって規定され、内的に制約されるということを否定した結果である。 6 認識の「客観性」と「主体性の規定」とを弁証法的統一において捉えない加藤氏は、理論のパルタイリッヒカイト[党派性]の問題において実に明確にその欠陥を露呈する。 理論のパルタイリッヒカイトとは、理論的対立の背後には人々の社会的対立があり、人々は意識的にか無意識的にか理論活動において一定の社会グループの利害によって制約されるということであり、唯物論者は意識的に一定の社会グループの見地から事象を「評価」せねばならぬということであり、理論は実践に奉仕 し、実際上の目的 のために研鑽されねばならぬということである。だがこのことが原理的 に客観的心理の把握を不可能ならしめると考えるのはプラグマチストであって、唯物論者ではない。吾々はすでに、プロレタリア的な「見地」、「主体性の規定」が、認識の主観的歪曲を与えるものでなく、却(かえ)ってその客観性の条件であるのを見た。ここでは、「一定の社会グループ」(プロレタリアート)の「見地」から事象を「評価」することは、加藤氏が曲解するように「歴史」の「客観的な説明を斥け」(第四三号一二八頁)ることではなくて、世界を単に説明するのではなくて更にそれを変改する目的のために、世界の合法則性を客観的に捉えることである。 加藤氏は「唯物論は……あらゆる出来事の評価に当って率直且つ公然に一定の社会グループの見地に立つことを義務づける」というイリイッチの言葉は、「自己の見地即ち実践上の立脚地を対象的な把握において闡明(せんめい)された一定の社会グループへ置く 、或は義務づける」という意味であり、「見地に立つ」ということは「動きつつある一定のグループの実践に参加する」「実践の問題」であって「認識論の問題」ではないと断定している(第四三号一二八頁)。ここでも特徴的なことは、例によって、唯物論者が自己の「見地」をそこに置く社会グループそのものが「対象的な把握」に付せらるべきものだという真理だけが一面的に強調され、この社会グループの「見地」が逆に唯物論者の理論を制約するし、また唯物論者は意識的にこの「見地」から理論活動を展開すべきだというもう一つの重要な真理が頑固に斥けられていることであり、「出来事の評価」に当って一定のグループの「見地に立つ」ことは専ら「実践の問題」であって、理論の問題、「出来事」の認識の問題、理論活動の問題ではないと規定されて、「評価」する理論活動そのものが実践上の目的のためのものとして実践に指導さるべきことが無視され、理論と実践が分離していることであり、理論への実践、実践的見地の導入はその客観性を傷つけると考えられていることである。 もちろん、唯物論者が一定の社会グループの見地に立つことは、多数プロレタリアの「自己意識」の見地に立つことではない。この「自己意識」においては河東氏も主張するように、「その階級の客観的存在様式が必ずしも意識されているとは限らない」(第五九号九七頁)。事実、多数のプロレタリアはブルジョア・イデオロギーの影響下にあり、自己の歴史的位置について正しい認識を有していない。だがファシズムの客観的本質の科学的解明がファシストによって斥けられる(蓋(けだ)しファシズムは反科学的理論であるから)のとは反対に、プロレタリアートの客観的生活条件、その生長の方向の科学的解明は、彼等に光と希望を与えるが如き性質のものであるが故に、次第に多くのプロレタリアによってわがものとされる。それは、プロレタリアートの自生的な本能や動向――プルジョア・イデオロギーのためにその適応的な発展を阻止されている――に投合し、その適応的な展開を促すものであるから、彼等にとって正に福音として受容されるのである。現代唯物論はこういう意味で、即ちプロレタリアートの動向、利益を適応的に代表しているという意味で、プロレタリア的である。だからこの哲学の創始者が解放運動への参加の実践的過程においてこれを造り上げたことは偶然でない。プロレタリアートの理論は労働し貧乏する体験や、労働者の自己解放から分泌されるのではなくて、彼等の解放の利益のために、この解放の必然性と条件を認識することによって形成される。現代唯物論の歴史をいくらかでも知っている者は、それがプロレタリアートの運命に対して無関心な、乃至は敵対的な学者によって展開されたものでなく、彼等の解放のために闘った人々によって、この解放運動の提起するアクチュアルな問題の理論的解明を通して前進させられたことを知っている筈である。即ちこゝでは、理論はプラクシス[実践]への従属において、パルタイリッヒ[党派的]な見地から展開されている。しかもかゝる解放の利益は、現実についての飽くまで科学的な認識を要求するが故に、こゝでは「一定の社会的グループの見地」を認識活動に導入することが、とりも直さず認識の客観性の保証でさえあるのである。却って、理論を実践から分離し、アクチュアルな問題の究明を怠ったデボーリン学派が、そのために観念論に転落したことは、一定の社会上、実践上の「見地に立つ」ことを専ら「実践の問題」として理論の問題としない見解が、何処に生長してゆくかを例解するものである。 然るに一定の階級的主観の見地から事象を評価せよという場合には、主観は「対象的諸条件によって媒介された存立」たることが無視され、その実践は謂わば「カテゴリッシュ・アクチヴィテート[断固たる行動性]として表象され」ているという主張(第四九号一〇〇=一〇一頁)は、プロレタリア的なパルタイリッヒカイト[党派性]、主観、実践が正に現実の客観的認識に媒介されることを要求し、それと不可分に結びついているものであって、科学性と「主体性の規定」とはこゝでは弁証法的統一にあるものであるということの否定――「評価に付す」ことは必ずや 科学的に基礎づけられていない主観的「自己意識」の見地から事象を裁断することであるという独断、――から帰結されるものである。 河東氏はこの場合、例えば永田の「歴史における主観的条件」の中で、主観の相対的に積極的な役割の論究において、一定の目的の実現のための「客観的条件の現存に関する認識の真偽は終局的には かゝる行為そのものによって検証される」(「唯物論哲学のために」、二三三頁)と云った言葉を、次のように曲解する。右論文の筆者においては、対象の客観的認識によって媒介されざる主観の能動性が「自由選択的に」振舞い、行動が客観的条件の認識に立脚するのでなくて、逆に客観的条件の存在が行動の後に明かにされるのだ、と。つまり彼にあっては「先ず やって見る。やって見てうまくいったら、そのための客観的条件が揃っていた訳なんだ。……こういう 能動性を抜いて考えると、客観的条件が揃っているのに、それに気がつかず、逸してしまうことになる、と」。「然し、一つの媒介的契機(可能性)を意識し得るか否かは、……経験的な或いは理論的な判断力の問題である」(第四九号、一〇〇=一〇一頁)。右論文では「終局には」やって見て分る(真理の規準は実践だから)と云っているのに、加藤氏はこれを「先ずやって見る」というように歪曲する。この歪曲がないと一定の社会グループの見地から事象を評価せよという提言においては主観は客観的認識に媒介されたものであることが無視されるという河東氏の主張、即ち「評価」と認識の「客観性」の非和解性の主張は成り立たなくなるからである。しかるにこの「終局的には」と「先ず」との相異は科学的ソシャリスム[社会主義]とアヴァンチュリスム[政治的冒険主義]の相異であり、唯物論と主観主義の相異である。現存している客観的条件を逸してしまうのは、客観的認識の不足とか、成功に対する危惧、不安の念等々のような、主観的条件における特定の事情であって、認識に先立って「先ずやって見る」能動性なんかではない。そして一定の行動の成功のための客観的条件を逸してしまうか否かということは、客観的 に措定された選択(「自由選択」でなく)の問題であり、何を選ぶかは主観的条件に依存する。例えば主観的条件が未熟であれば、或は客観的可能性を認識せず、或は認識しても利用し得ないことによって、歴史の客観的行程そのものによって要求される選択――従って必ずしも選択として意識されるとは限らない選択――の問題は、可能性を現実性へと展開しない方向へ解決される。これは観念論でなくて、唯物論に解明された歴史的事実である。もし選択の問題がなく、歴史事象はすべて主観から独立に一義的に決定されているならば、タクティーク[戦術]の問題について過誤というものはあり得ず、総じて主観の活動は無意識なものとなるだろう。加藤氏は「評価」が客観性を排除し、一定の社会グループの見地からの理論問題の処理がつねに主観主義であることを説明するためには、「終局的には」を「先ず」と変えなければならない程の詭弁を必要としたのである。 以上のような見解、「事象は一定の社会グループの見地からでなく、客観得的に把握さるべきである一定の実践主体の主観からでなく客観的に、その主体をも含む社会関係の総体において、把握さるべきである」(第四九号一〇三頁)という、何々で「なくて」何々「である」という形而上学的二者撰一の見地(註)からは、唯物論者に対しては、理論を一定の社会グループの実践上の目的、利益に役立たせよとか、主題のアクチュアリティとかいう要求は、理論的には無意味 となり、専ら理論の限界外にある政策の問題となる。だから理論は理論、実践は実践という風に分離され、実践の主体=組織が同時に理論の創造力 であり、理論活動の嚮導(きょうどう)者 であることは否定され、それは何処か外部で調製された理論を受容した上で「教育的組織的活動」(第四九号九八頁)をやればよいということになる。河東=加藤氏にあっては「理論的理念(認識)と実践 の統一……この統一は正に認識論におけるものである 」(「哲学ノート」)という真理は執拗に否定され(第四九合九八頁――「パ論派の諸君は、理論と実践との統一の問題を認識論の問題だと考え」云々の句をも参照)、この統一が認識過程、理論活動における 決定的な基礎であることは否定され、理論のパルタイリッヒカイト[党派性]の問題は認識論から放逐され、従って単にパルタイリッヒカイトという言葉は口にされても、その本質は否認され、理論と実践の統一は有機的統一 としてではなく、外的な連接、内的分離として把握されている。
だから氏が援用する、実践的唯物論者にとって肝要なのは世界を改変することだという命題は、氏にあっては実は、実践的唯物論者にとって肝要なのは世界を改変することを観照する ことだという直観的唯物論の新変種に変質し、実践的唯物論とは人間の実践を研究する唯物論であり、一切の 対象を実践として考察する唯物論であるという人間学的=主観主義的偏向をもったストルーヴェ的客観主義に変質する。加藤氏の理論は、主観主義、論理主義、実証主義等々への甚だしい偏向を必然的に包含せる新版の直観的唯物論である。 × × × 以上を要約していえば、加藤氏の根本主張は、実践的唯物論とは実践を理論の対象として直観し観照する唯物論である、という点にある。ここからして旧唯物論と現代唯物論の差別に関する誤った見解や、現代唯物論にあっては人間の実践的働きかけの対象は実践そのものだというが如き主観主義や、思惟に対する現実生活、社会的利害の影響の否定やが帰結され、かゝる現実的利害から独立という意味の思惟の「純粋」性に関する主張は、世界の運動法則からの論理的なものの遊離、論理主義にまで逸脱し、同時に世界の一般的運動法則に関する学としての哲学の否定は実証主義に到達する。これらすべての逸脱は、要するに、実践的唯物論とは人類の前進的クラス[階級]の実践の利益のために自然をも人間の実践をも思惟をも理論の対象とする唯物論だという真理の拒否、実践的唯物論とは社会的利害を超越した「純粋思惟」の立場から人間の実践を観照する唯物論だという主張、と深く結びついているものである。 ――終――
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‖熊谷孝 人と学問‖熊谷孝 昭和10年代(1935-1944)著作より‖ |