文学と教育 ミニ事典
  
読むべき時期に読むべき作品を
 読むべき時期に読むべき書物を――この青年期に読むべき作品を与えていくことが、そこで学習指導の主体としての文学教師の任務だ、とわたしは実感します。上昇循環において上記のような文学の授業を組み、授業を発展的におし進めていくためには、この“読むべき作品”の教材体系が教師自身に用意されていなくてはなりません。
 ただ、何が
“読むべき”作品なのかということは、学習主体である生徒たちの置かれている状況、その内面の状況と、成人としてのその未来像(可能にして必然的な未来像)との遠近法の測定において考えられるべきことだろうと思います。つまり、この 作品がこの わたしの青年期において心のかて になった作品だから今の中学生や高校生にも、という作品選択の基準ではうまくないんじゃないか、ということです。必要なことは、現代のこの疎外状況のただ中において青年期に足をふみ入れた、わたしたちの眼の前の中学生たちに何をわたしたちは与えたらいいのか、という点に思いをひそめることだろう、と思います。
 作品を与える。と申しましたが、生徒たちの内心の要求を満たし得るような作品を選んで与える、という意味です。そういう作品を提示し、いっしょに読み合うことの中で“要求”そのものの内容や質を変革し高めていくのが、文学の授業です。〔1970年、文教研著『中学校の文学教材研究と授業過程』p.25-26〕

   
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