文学と教育 ミニ事典
  
総合読み
 読み の作業面での具体的な方法が“印象の追跡としての総合読み”である。いや、意識しているといないとにかかわらず、文章の読みはすべて印象の追跡による総合読みにほかならない。が、それを教師自身ハッキリ意識化してつかみ、また、そのそれぞれの段階、次元に応じてそれなりに、子どもたちにも徐々に意識化させていくことで、受け手自身による印象の追跡(=点検)のしかたを確実なものにする指導が、ここに言う総合読み ということなのである。(…)

 端的に言って
総合読みとは、
 @自己の文体、自己の発想(発想のしかた)を自覚する(させる)読みである。
 Aそれは、ことばに表わすすべ を知らない自己の発想・想念をことば(文章)に結びつける読みである。
 Bそれは、自己の発想をことば(文章)に結びつける過程で、自己の発想のしかた自体を点検し、確かなものにする読みである。言い換えれば、その発想のしかた自体を変革することで、究極においては発想そのものを変革する読みである。
 Cそれは、表現・記述の過程(=読みの過程)をたいせつにする読みである。すまわち、ことばの継時性における文章の部分と全体、全体像との関係を、それの言表の場面規定 を押え、自分自身の遠近法 の調節において主体的につかみとろうとする読みである。
 言い換えれば、D
総合読みの基本的な特性は、文章の対象的性質――文体的特性――に応じて読みの方法を自己規制していく読み である、ということである。〔1970年、文教研著『文学教育の構造化』p.223-224〕
   

関連項目(作成中)

ミニ事典 索引基本用語