文学と教育 ミニ事典
  
信号の記号化
 信号の記号化による、信号の共通性の獲得と確保ということは、各民族の共通の知恵であります。辞書のことを思ってみてください。そこには、ことばは記号として、あるいは記号化されて書きとめられ配列されております。「梅干」なら「梅干」ということばは語彙として切り取られ、国語辞典でいうとそれは五十音順に「う」の項に配列され、また「う」の項の中のマ行の「め」の項にというように順をたどって並べられています。だから、この言葉を全然知らないような人であっても、その項を引いてみることで、その意味がある切り口でつかめるようなしくみ になっています。意味というのは、そのことばの共通信号としてのさまざまの操作のしかたを、作用果の面で切り取って説明を加えた、その説明のことですけれど……。
 だからして、また、「梅干」というのは梅の実を干して、シソの葉と塩で漬けたものだとか、製法のことは別として、味として知っているというような人であっても、このことばの信号としての他の使用側面を辞書を繰ってみることで初めて知る、というようなことがないわけではありません。「梅干ばばあ」だの「日の丸弁当」だの、多義的なこのことばのいろいろな信号としての用法に接することができるわけです。そういうもろもろの民族体験の反映としてのことばを知る足場が“ことば”
信号の記号化により、記号を媒介とすることで可能になるわけです。“ことば信号の記号化”、それは偉大な人間の知恵だと先刻わたしが言ったのは、そういうことがあるからです。〔1969年刊、熊谷孝著『文体づくりの国語教育』p.99〕

    

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