文学と教育 ミニ事典 |
●〈戦後の倦怠〉 | |
(…)ともあれ、こうした反撃の姿勢、「私は何でも、時を得顔のものに反対する」という姿勢、これが戦後の太宰文学の基本的な姿勢になるわけです。 大事なことは、そうした姿勢をこの作家の内心に培ったものが、ほかでもない、彼自身実感せざるを得なかった“戦後の倦怠”であったわけです。堪え抜いて来た戦争が終わってみると、その痛苦の代償は大きな苦痛でしかなかった、という戦後の倦怠を問うところから、太宰文学は再出発することになったわけです。「あなたじゃないのよ……あなた(アメリカ占領軍)を待っていたのじゃない」の『春の枯葉』や、「民の主(あるじ)の主義」であるアメリカ民主主義、えせ 民主主義への袂別と闘いを宣告する『男女同権』、また、「虚無の情熱をさえ打ち倒」す「トカトントンの音」に出口のない倦怠に身も心もつかまれてしまって動きのとれなくなった、戦後の人間の呻き声を伝える『トカトントン』などの作品がそこに位置づきます。〔1987年、熊谷孝著『増補版・太宰治――「右大臣実朝」試論』 p.64-65〕 |
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