文学と教育 ミニ事典
  
教養的中流下層階級者の視点
 [井伏文学の]第二のエポックである『丹下氏邸』あたりから、成人知識人大衆の眼、庶民大衆的生活感情・生活感覚による問題のつかみ直しということが、かなり意識的なかたちで始まっているんじゃないのか、という気がします。そういう発想の深まりが、しかしプチ・ブル・インテリ文学青年的な視点から、彼本来の在地中流地主の子弟という出身階級の視点に回帰した、というようなことを意味しません。また、当時の、自分の階級主体を素通りしたかたちでの、いわゆるプロレタリアートの視点への移行を意味するものでもありませんでした。
 階級的視点ということを言うのなら、彼の愛弟子である太宰治が……津軽の大地主の六男坊の津島修治こと太宰治が、地主階級的・前近代的視点からではなくて、いわば、〈教養的中流下層階級者の文学系譜〉につながるような視点で現実を凝視したように、広島の中流地主の次男坊、井伏鱒二もまた、この
〈教養的中流下層階級者の視点〉をこの辺のところで自分のものにしたのではないかと、私は心ひそかにそう考えているわけなのであります。(…)

 教養的 中流下層階級者、という言いかたは私の自己流の言いかたなんですが、その、中流下層階級者というのは、これはもともと芥川龍之介の言葉です。資本主義的人間疎外、それをもう少し厳密な言いかたで言うと半封建的資本主義による人間疎外ですね。そうした日本型近代による疎外をその矛盾の根源において最も痛烈に味あわされている階級、中流下層階級者の生活現実と、痛苦にみちたそのメンタリティーについて、たとえば『大導寺信輔の半生』という大正末期の未完の作品の中で芥川は語り、また自分の文学的視点をこの中流下層階級者のそれとしてはっきり位置づけております。(…)

 被搾取者として貧困のどん底に喘ぐ下流階級の人たちについては語るべき言葉もないが、ただ、自分たち中流下層階級者からみて羨ましいことが一つある。自分の生地を剥き出しにして生きてゆける、という点だ。嘘を吐く必要がない、という点だ。
 自分たちは、どうだ? ホンネを伏せ、人前を取り繕い、虚偽に生きるほかない階級なのだ、しかじか、というのですね。風月堂の菓子折りに近所の菓子屋の安物のカステラを詰めて、それを持って盆暮れの挨拶回りをする信輔の母親の姿は、中流下層階級者の姿そのものであります。
 この芥川の視点を、教養的 という限定において私が〈教養的中流下層階級者の視点〉だと考えますのは、どうもうまく説明できないのですが、文学的実践に携わる自分という人間の階級主体が〈中流下層階級者〉以外のものではないという自己確認ですね。それは自己の存在証明だと言ってもいいのですけれど、そういう自己確認における自己の存在証明を可能にしているものは、すぐれた意味における教養 でしょう。単に、自分がそういう階級の人間なのだから、そういう立場で判断し行動するようになるのは当然のことだろう、といった自己中心主義的な意味での自己肯定の立場、視点とは真反対のものなのですね。
 そうかといって、所詮プチ・ブルはプチ・ブルさ、この階級社会にあって一ばんの困りものは自分たちプチ・ブルだよな、といった自嘲・自虐の自己否定に滑るのでもない。その意味では、大導寺信輔がそう実感しているように、自分は何もこの階級者に生まれたくて生まれて来たわけではないのであります。それは、ただ、もの心ついてみたら、自分は中流下層階級者の子供であった、というだけのことなのであります。その意味では、まさに宿命なのであります。(…)

 宿命という、あまり使いたくない言葉を使いましたが、しかしそれが宿命である以上、そこを素通りはできない。自分の階級主体を素通りしたのでは、すぐれた意味での実践的な自己否定ということも成り立たなくなる。芥川の場合で言えば、自己の中流下層階級者としての主体に即すことで見えて来るものを確実につかみ取ろう、というのですね。そのことがまた自分を越える、ということにつながって行く、ということですね。
 中流下層階級者としての自己確認に立って芥川は、上流階級や中流上層の立場・視点では真実は見えて来ない、という判断を実践的に導いているわけです。アン・ジッヒ(即自的)な意味でのプロレタリア主義の立場でも、やはり見えて来ないものがある。むろん、アン・ジッヒな、自分ベッタリの自己肯定的な中流下層階級者の“眼”では何も見えて来るはずがないと、そう考えるわけですね。
 つまり、決め手は自己確認による自己の存在証明ということなのですよ。そういう自己確認を導く教養、その教養のありかた が決め手だ、ということなのですが……。で、その教養のありかたは、これまでの近代文学の基調であった近代主義的な教養などでは、もはやないわけです。西ヨーロッパ的な近代と近代的思想に範型を求めるような近代主義 は、むしろ否定さるべきものとして芥川によって考えられています。芥川の志向したものは、反近代主義であり、脱近代 ということなのですね。(…)

 
教養的中流下層階級者の視点というのは、ですから角度を変えていいますと、脱近代を志向する反近代主義の立場、視点だということになります。芥川の場合のこの視点については、たとえば『侏儒の言葉』ですね、芥川のあの作品を通してお読みになると具体的なことがよくおわかりになると思いますが、この視点、この文学系譜につながる作家といえば太宰治でしょうね。〔1978年、熊谷孝著『井伏鱒二――〈講演と対談〉』 p.111-118〕


 
〈教養的中流下層階級者の視点〉……あえて言えば、それは、マルキシズムの階級論、人間観を、中流下層階級者自身の主体的な階級的実践の問題として、何よりも自分自身のプシコ・イデオロギー、文学的イデオロギーの問題として受けとめる、ということなのです。そのことで、また、この疎外と倦怠の問題を、自己の存在証明を賭けた問題として位置づけ直して考える、という姿勢を示している、ということ以外ではありません。〔1978年、熊谷孝著『井伏鱒二――〈講演と対談〉』 p.187-188〕


 ○中流下層階級(者)というのは、芥川龍之介が『大導寺信輔の半生』(一九二五年)のなかで用いた言葉である。通りのいい言いかたをすると、プチ・ブル下層である。龍之介は、この作品で、「下流階級の貧困よりも、より虚偽に甘んじなければならぬ中流下層階級の貧困が生んだ人間」である信輔を描いた。というより、そういう信輔の眼(視点)を通して、日本型近代の階級矛盾と人間疎外の根源に形象的認識のメスを入れた。
 信輔は信輔であって、龍之介ではない。が、しかし、信輔の精神の原風景ということで言えば――ちなみに、この作品の傍題は「或る精神的風景画」というのであった――、一面、彼はその内面に虚構された龍之介である、というふうには言えようかと思う。作品形象のありようは、明らかにそのことを示している。
 今、取り立ててそのことを言うのは、片方に信輔の精神風景を思い浮かべながら、文学史的にエポックを画した、この作品の実践的な視点・姿勢について思ってみて欲しかったからである。自己の階級主体は素通りして、観念的にプロレタリアートの視点に立つことを主張する、プロ文学の場合とは違って、そこにはプチ・ブルである自分自身の階級主体についての自己確認と自己否定がある。それは、自己の存在証明を賭けた確認と否定である。「ただ、僕の望むところは、プロレタリアたるとブルジョアたるを問わず、精神の自由を失わざること」であり、「敵のエゴイズムを看破するとともに、味方のエゴイズムをも看破すること」である、云々(「プロレタリア文芸の可否」)。
 このようにして、自分自身の階級的存在性の自己確認と自己否定において、〈精神の自由〉を守るために敵味方双方の〈エゴイズム〉と徹底的に闘う主体的・実践的な姿勢――それが
〈教養的中流下層階級者の視点〉への要請となるわけだ。この視点的立場に立つ文学の系譜は、芥川龍之介から井伏鱒二へ、また太宰治へと受け継がれていく。〔1987年、熊谷孝著『増補版・太宰治――「右大臣実朝」試論』 p.23-24〕


 ○かえりみまして、鴎外へのアプローチに始まるこの十年は試行錯誤の十年でしたが、現在の私たちは、芥川・太宰・井伏のこの三人の作家に共軛する視点として、芥川のいわゆる反近代主義的「中流下層階級者」の視点(『大導寺信輔の半生』)に見つけております。そのことをもう少し明確にいって、
〈教養的中流下層階級者の視点〉に見つけている、ということなのであります。存在(階級的存在)としては、中流下層階級者として生きるほかない自分であることの確認。そういう階級者であるがゆえに、意識と感情の問題として言えば、つき放した自己凝視においては逆に見えて来る真実もあることや、他方、やはり、見失いがちなものもあることの自己確認。そうした自己確認を前提とした、意識的な自己否定。つまりは、実践へ向けての形象的思索としての自己確認と自己否定。ともかくも自己の階級主体に目をそむけたり甘やかしたりするのではなく、だからしてまた観念的にではなくあくまで実践的に、自分自身が人間らしくあり得るための自己の内部へ向けてのアプローチの視点、現実へ向けてのアプローチの視点。どうもうまく言えませんが、教養的中流下層階級者の視点というのは、中流下層階級者にとってのそういう自己確認と自己否定による、実践へ向けての形象的思索の視点のことです。〔1987年、熊谷孝著『増補版・太宰治――「右大臣実朝」試論』 p.97〕


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