文学と教育 ミニ事典
  
印象の追跡としての総合読み
 私たちの提唱する“印象の追跡としての総合読み”は、容易には完結しない。むしろ、無限の印象の追跡過程であると言いたい。(中略)つまり、その文章(=作品)を通読し、精読した後の、まとめの読みに名づけた“総合読み”は、わたしたちの主張する“印象の追跡としての総合読みとは、まったく違った性格の読みである。というのは、文教研方式の“総合読み”は、読みの一段階をさし示す呼称ではなく、読みの全過程を貫く構え でもある。
 また、わたしたちの主張は、単に“最初の印象”をたいせつにしようというのでもない。それは、一字一句もゆるがせにせず、その文章の表現過程に目を向けることで、“最初の印象”を変革していこうというのである。そのことで、自己の現実把握の発想・発想法をよりコンクリートな
[具体的な]ものに仕上げていく、あるいは、つくり変えていこうという主張である。〔1970年、文教研著『文学教育の構造化』p.13〕  

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