文学と教育 ミニ事典 |
●表 現 | |
文学は、作家が自分のいいたいことを発散させるカタルシスの場ではない、ということです。いいかえれば、作家の自己表現の場ではない、ということなのです。(デューウィは、いっています。自己表現 self-expression
というのは、じつは表現 expression ではない。それは、個人感情のただの発散 discharge であり、表示 manifestation
にすぎない、ということを。表示も表現も外化行為であることに変わりはないが、表示はいわば感情を発散させること自体を目的とした、自己目的々な行為にほかなりません。表現という外化行為は、ところで手段であります。自己内外の状況を変革するための手段であります。自他の感情を交流させ、それを媒介しつつ感情を組みかえ、他者に呼びかけることで自己に呼びかけ、自己に呼びかけることで他者に訴える、という、そのような行為なのであります。文学は、まさに、そのような意味において“表現”以外のものではありません。) このようにして、作家は個人感情の発散をそこに行なうのではなくて、読者大衆のあいだに分け入って、もろもろのその 生活の実感、その 感情、その 体験を自己に媒介しつつ、それに「ことば」を与え、思想にくみあげ、それを読者(本来の読者)に向けて返していくのです。自己の意図を更新しつつ意図をこえていく、というかたちで、そのことを実現するのです。また、そうのおような外化行為によって、媒介的に読者相互の体験の交換・交流のための伝え合い の場を用意するわけです。作家の任務と役割は、機能的にいえばそういう点にあるわけでしょう。 だからして、読者がその作品の鑑賞過程において出会うのは、作者その人であるよりは、その作者によって媒介された、もろもろの他の読者たちとです。自分がその本来の読者のひとりであるような場合、「わたし」は「わたし」自身をそこに同時にみつけることにもなるでしょう。他の場面、他の状況に移調された「わたし」自身を、という意味であります。〔1965年、文教研著『文学の教授過程』p.20-21〕 |
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