文学と教育 ミニ事典
  
怒濤の葉っぱの世代/暗い谷間の世代
 日中戦争の末期近くまでの太宰文学が、階級的にも世代的にもかなり狭く限られた、少数の読者へ向けての〈心づくし〉の文学以外ではなかった、(…)
 限られた少数の読者へ向けての、と言ったが、むしろそれは、限られた特定の世代へ向けての〈心づくし〉の文学だ、というふうに言い換えられるべきなのだろう。(読者数というか愛読者数というのは、その世代の文学人口を中軸にして考えられる読者人口ということ以外ではない。)その特定の世代というのは、まずはこの作家がいうところの
「怒濤の葉っぱ」の世代のことである。「はたちになるやならずの頃に(中略)階級闘争に参加し、或る者は投獄され、或る者は学校を追われ、或る者は自殺した」その世代のことである。
 その後カーキ色一色の、いわゆる〈暗い谷間〉の時期にあって、彼らのある者たちは、時としてしばしば自棄的な絶望感や自虐に陥りながらも、しかしあくまで「自分の旗を守り通そう」とした。太宰治は、そうした人びとの中の一人、その最も代表的な一人――二十世紀旗手だった、といえよう。「撰ばれてあることの/恍惚と不安/二つわれにあり」(『葉』)
 この二十世紀旗手の傷心と心づくしの歌声を、ほかの誰よりも必要としていたのは、やはりこの作家と同世代の人びとであったろうか。或いはまた、(学生層に例を求めていえば)彼らが卒業するのと入れ替わるようにして大学の門をくぐった、後続の
〈暗い谷間〉の世代の若者たちであったろうか。
 この
暗い谷間の世代は、自分たちが学校を出るか出ない頃に二・二六事件によって大きな衝撃を受け、やがてその後中国戦線に兵士としてその多くが駆り立てられていった世代である。怒濤の葉っぱの世代と、谷間の世代。暗い谷間の時期におけるこの両者に共軛するメンタリティーは、何らかの抽象的な思想への情熱を内心に掻き立てながら、曲がりなりにも自分の旗を守り抜こうとしていた点でもあろうか。そこで、自分自身の経験と実感に即した言いかたを許してもらえるなら、これら二つの世代こそが太宰文学本来の読者基盤であったという判断になるわけだが、最終の判断はこの稿を読んでいてくださる方々に委ねたい。〔1987年、熊谷孝著『増補版・太宰治――「右大臣実朝」試論』 p.25-26〕

   

関連項目(作成中)

ミニ事典 索引基本用語