初期機関誌から

「文学と教育」第7号
1959年5月11日発行
 編集後記  
 四月の木村の提案は
 「積み上げをしていない報告だ。前号までに“科学と文学”の対象と方法の違いを問題にしているのに、共通点をいまとりあげるのは逆もどり。“媒介――高次の否定”をしていない。」
と強い批判があった。(K)

 「頭がしびれたのです。」
 「もともとよわいから。」
なんてことに責任転嫁をしますまい。
 おそるおそる編集委員の面々にさし出された私のレポート……
 「問題点が豊富(?)ですね。」
 「たとえば?」
 「ニヤニヤ……」
私はすっかりざるみたい。
穴だらけになってしまいました。(S)

 7号は、みんなに役立つ親切な内容にしたいと考えました。まだ、「心余りて詞足らず」の状態ですが、木村さんの四月報告と篠原さんの五月報告要旨とを一度に掲載できたのは大収穫でした。
 私たちの“文学と教育”が、予習・復習のすぐれた媒介になることを願っています。(A)

 本号は、私の怠慢から、当初予定した原稿があつまらず申しわけないことになってしまいました。編集部としては、この外、鈴木さん、福田さん、宗岡さんに書いていただくわけだったのです。三人の方、来号はタノミマスゾ。
 また藤井先生からは原稿のお約束いただいたのですが、期日までとうとういただけませんでした。従ってこれも来号のオタノシミ。
 チェーホフの作品及び参考文献の紹介は、荒川さんの労作であります。活用して下さるようおねがいいたします。
 折角の篠原さんのレポートが十分に生きるように、もっと早く出したかったのですが、またまた発行がおくれてしまいました。深くおわび申しあげます。(Y.O)

 Y.O氏は「私の怠慢から……」詫びているが、むしろそれは私の方でして……。桜田が特殊なのかどうか、近ごろ教師の生活は極端に多忙になった。心身共にヘトヘトになっている。その中で、殊にY.O氏の仕事の量は多いにもかかわらず、いつも笑顔で、ガリを切っている。ほんとにごくろうさま。(I.O)

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