初期機関誌から

「文学と教育」第7号
1959年5月11日発行
 抵抗論は正しいか――改訂指導要領反対闘争をめぐって   
 都教組の四月中央委員会の席上、ある委員が大要次のような発言をした。
 私達は、改訂指導要領に反対して闘っている。しかし、実際にこの四月、教科課程を組むに当って、私たちの主張は《反対の為の反対》だとして校長あたりから片づけられることが多かった。いくら改訂要領の悪質さを言っても、それだけでは闘う力とはならない。この現状を救う為にも、日教組はその力をあげて真の民主主義教育のプログラムをつくるべきではないか。
 これに対して日教組副委員長であった藤山執行委員長の答は、
 日教組としてそういうものを出せば、文部省が出すものを日教組で対抗上出すという妙なことになって、我々の反対闘争の意味がなくなる。我々が反対しているのは、文部省のそれの「基準性」というもので、本来職場にあるべき教科課程の編成権を、文部省あたりで集権的に取りあげてしまうことにあるのである。だから、我々は今、改訂指導要領の基準性に抵抗し、自主的な教科課程編集権を守り、我々が行って来た民主教育を守る為に闘わねばならない。民主教育とは、各地域、各現場に応じた教育の謂であって、文部省に対して日教組が教科課程を出せというのは自ら民主教育を捨てるものである。
 この藤山答弁は正しいだろうか。私は正しくないと決せざをえない。
 第一に、この抵抗論では、教育の原則が無視されている。アナーキーではないか、要するに抵抗すればいいというのでは。敵が明確な目標に向って、組織的に系統的に教育を利用しようとしているのに、民主教育の目標自体が混乱している今日、民主教育とは各地域、各現場に応じた教育をいうのであって、要は、基準性に抵抗すればいいというのでは、《反対の為の反対》の域から一歩も出てはいない。
 第二に、戦後教育の実状把握と反省に欠けている。戦後の民主教育といっても、それは、文部省発行の指導要領の線に従って実施されていたに過ぎないということ、我々の現場から積みあげていったものではなかったという事実。これをどう把えるのか。また、戦後文部省の民主教育(我々がやった民主教育)のその反民族性、その経験主義、その非能率性等々は、我々自体の苦い経験からの反省として現在批判されているではないか。この批判をどうするか。
 第三に、従って、全国的な勤評下での、また貧困の中におかれての、日教組員個々人の力量に対する判断の甘さが目立つ。日教組五十万人の大部分は、現在文部省の指導要領を否定し、自らの教育課程を組み得る力量を持ち得ない状態におかれている。だからこそ先のような発言も生まれて来るというこの現状で、藤山の答弁は、遂に答弁にならないのである。
 どうも、場違いなことを書いたが、この藤山流の抵抗論が、まだまだたくさん、進歩的だといわれる教師の中にあるように思われてならない。我々が今これを突き破らなければ、日教組の闘いは自殺に等しいものとなるだろう。
 我々の階級の為の教育、その目標とプログラムをこそ、今、明確にうち立てる必要がある。それがなければ、改訂指導要領は大手をふって日本中に浸透するだろう。(小沢)
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